初めまして、ミスター・きみです。
少々長い文章になりますが、最後までおつきあい下さい。
個性の大切さが声高に叫ばれてから、ずいぶんと長い時間が経ちました。皆さんの周りには、個性豊かな方たちがいらっしゃいますか?
個性って一体、なんでしょう?
誰かが敷いてくれた線路の上で、創られるものなんでしょうか?画一的なカリキュラムの中で、創られていくものなんでしょうか?
子供の頃は、個性がどうのこうのなんて考えもしなかった。学習要綱にのっとって、学校は淡々と授業を進め、学期末や卒業の時期になれば、担任が成績をつけていました。
成績表の中には、担任から親に対し、子供についてのコメント欄がありました。親がそれを読んで聞かせてくれた時は、もっともらしく思えたものです。
ですが、大人になって思い返してみると、こうも思います。学校出たての新人教師たちに、的確な性格の評価などができていたのだろうか?お気に入りの生徒には、聞こえのいい評価をしてたのかもしれない、などなど。
つまるところ、子供の自分を一番理解していた、一番理解しようとしてくれていたのは、やはり親だったのかもしれません。
自分はよく、個性的だと言われます。今に始まったことではありません。大学生の頃はすでに、個性の塊でした。20年前に亡くなった、大正生まれの祖父がよく言っていたものです。すごく個性的だって言われるだろうって。
社会に出て働いている内に、あっという間に時間は流れました。20代だった自分が、既に半世紀を生きています。この歳になって、ますます自分が個性的な人間に思えるんですね。
いや、自分が個性的というよりも、一般常識の中で生きる普通の方が多過ぎるんです。普通が悪いっていうわけじゃない。有名人とかは別として、出る杭的な方が、案外少ないということです。
それゆえに、出る杭は打ての対象にされるような自分が、個性的にも感じるんです。意識して生きているわけじゃない。自分ではこれが普通のつもりなんですから。
でも世の中って違う。特に既成概念が幅を利かせているような世界では、すぐに陰口をたたく輩が出てきますね。自分に限ったことじゃない。往々にしてよくあることです。
個性的であることが、そんなにおかしいでしょうか?おかしいと思うことが、いじめなどの理由になっていたりすると、胸が痛みもします。
自分の個性の形は、長い間生きてきた証です。誰にも真似できるものではないし、ましてや真似されたくもない。この先も、自分が自分らしく生きるために、必要不可欠な命そのものなんです。
ここは、個性を自認している自分が、感じていること、考えていること、経験してきたことなどをお話しする場所です。
少しでも興味がおありでしたら、ぜひともおつきあいを頂きたく、よろしくお願い申し上げます。
ご一緒に、マニアックに生きてみませんか?