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祖父が亡くなったのは、離れた30分の間。

祖父があぶないと聞いた20年前のあの日、東京の病院の中にいた。ちょうど会社を辞めた頃で、暑さが残る9月の日だったかな。準備もそこそこに駆けつけていた。

祖母と伯父の奥さんであるおば、そして自分の3人だけ。もう最後かもしれないって時だったのに、人が集まっていなかった。各地に散らばる親戚への連絡が、遅れていたせいかもしれない。

幼いころから、親戚が一堂に集まるなんて経験は、ほとんどなかった。お盆の季節や正月だからって、親戚の訪問があったわけじゃない。正月元旦を、祖父母の自宅で過ごしていた記憶が、何回あったのかも覚えていない。

*祖父はよく手紙を書いてくれた

当時、両親は兵庫県の神戸市、伯父夫婦は山形県の鶴岡市、叔母夫婦は愛知県の名古屋市。みんな転勤や引越だらけの生活だったから、日本の各地でバラバラに暮らしていたね。

自分は千葉県の佐倉市にいたから、車で行ける距離。すぐに準備して東京まで走った。

祖父は数年前から痴呆症になっていたから、自分のことを、わかっていなかったかもしれない。でも、お爺さん!って呼んだ時、一瞬だけ自分の方を見てうなずいた気がした。目だけが、自分のことを追っていた気がしたんだよね。

呼吸器をつけていたし、言葉を出そうにも、すでに出す力も残ってなかったのかな。それでも、自分を見て名前を呼ぼうとしていた感じ。口元の呼吸器の中が、曇ったり曇らなかったりを繰り返していた。

*祖父が買ってくれたタイマー 現役稼働中

おばが、ご飯だけ食べてきなよと言ったので、じゃあ急いで行って来るってそこを離れた。おそらく30分ぐらいだったと思う。とにかく急いで戻ってきたから、もっと早かったかもしれない。

だが、祖父はすでに息を引き取った後だった。命の儚さってやつを思い知らされた瞬間だったね。

ほんの少しばかり席をはずしただけ。でも、命に休憩は許されなかった。あまりにも一瞬のことだったから、その場では涙を流すこともできなかった。

事後処理をすすめる看護師たちが、すでに忙しく動き回っている。亡くなったことが確認されれば、後は機械的に処理が進んで行くだけ。葬式が終わるまで、あっという間に時間も流れた。

ただ胸にグッとにきた瞬間が一度だけあったよ。火葬される直前だったな。祖父の姿をこの世で二度と見ることができない、そう思った時、本当のお別れに思えたんだ。命が尽きたことはわかっていたけど、体が目の前に存在する限り、まだ生きているように感じていたのかもしれない。

後日、が言うんだ。お兄さん偉いと思ったわ、あの時、お兄さんだけが泣いていなかったもの、って。たとえ血を分けた妹であっても、わからないこともあるんだよ。兄妹であっても別々の人格、それが当たり前だとも思っている。

あの30分を離れることがなかったなら、思いきり泣いていたのかもしれない…。

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