字が綺麗ですね、こういわれることが少なくない。自分の字だからね、綺麗だとか汚いだとか、あまり意識したことはない。
ただ自分自身としても、独特な字だとは思っている。字は人間の数だけ存在すると思うが、それを読みやすいと思うか思わないかのとらえ方も、人それぞれだと思う。
手紙好きの母親は確かに綺麗な字を書く。反対に、仕事に生きた父はあまり綺麗ではない。綺麗の基準をどこに置くべきかはわからないが、あえて言えば、読めるか読めないかだけの違いかな。
だが、小さい頃からこんな字を書いてきたわけじゃない。人はすぐに、習字をやっていたでしょ?と聞いてくる。確かに、小学校3年の頃、字が綺麗だった祖母の勧めもあって、習字教室に通っていた。正直言って、その時は普通の字だった。
普通の字?説明しづらいけれども、小学生にみあったレベルの字で、普通に読むことができるものだったはずだ。読めないとは言われたことがないし、ましてや汚いとも言われたことがない。
ただ、書いた本人である自分が、その字をあまり好きではなかった。なに故に、そう思ったのかはわからない。なにかしら気に食わなかったんだろうね。そういうことってないかな?
それがある時、とうとう爆発した。この字が嫌い!そう思った。
その日から、自己修正の毎日が始まる。
1字書いて、気に食わなければ消して書きなおす。3字目が気に食わなければ、また消して3字目を書きなおす。毎日毎日、飽きることなく書いては消しての繰り返し。
ちょうど、水前寺清子さんが歌う「三百六十五歩のマーチ」のようなイメージ。「一日一歩 三日で三歩 三歩進んで 二歩さがる」こんな感じだったね。進み始めたようですぐに足踏み。今この歌を聴きなおしてみると、味がある歌だなって思えるけど。
やがて、消す回数が減って来た。それがいつ頃だったかは覚えていない。ただ気づいた時には、字が綺麗だと言われ始めていた。他人に汚いと言われて修正をかけたのではなく、自ら修正をかけたってことは、子供の頃の方が優秀だったのかもしれない。
自分の字は今でも進化を続けている。毎日つけている日記は手書きだ。字が気分に左右されないように気をつけてはいるが、人の心は正直だ、字にブレが生じることも少なくない。
そんな時こそ、また消しては修正の繰り返し。ボールペンで書いているから、修正ペンが活躍してしまう。これはコストの面から無駄だと思うので、一発で収まる字を書けるように努力したい。
「書は体を表す」という。人が書く文字には、その人の人となりがそこに表れるというものだ。たかが字、されど字。自分は字にみあった生き方が出来ているだろうか?
「字が綺麗ですね、と言われることが多い。」への2件の返信
きみさん、お疲れさまです。
さやかです。
きみさんにお会いしたことはありませんが、字を拝見すると、きみさんらしい字だなと思いました。
1字1字、丁寧で読みやすく、力強さを感じます。
私は字が大きくて丸文字なので、高校の先生から直すように言われましたが、直し方が分からず、今もそのままです。
きみさんはご自分で直されたなんて、さすがです。
私も毎日、字で自分の健康状態を知ります。
今日はまずまずの字でした。
さやかさん、お疲れ様です。
素敵な話をお聞きしました。
字でその日の健康状態を知る、これすごい良いことですよね。
日常の検温や血圧測定、あるいは歯の具合を確認するなど、
一般的な日々の健康状態を確認する方法に加えてるに値しますね。
字が安定していなければ、気持ちの不安定さもわかる気がします。
良いことは続けていきましょう。
丸文字だって、十分に個性があって素敵ですよ。
僕だったら、それが普通に読める字である限り、
さらに綺麗な丸文字を追求することを勧めるでしょうね。
先生の御姿勢を否定するわけではありませんが、
僕みたいな字だけが字として認められるような世界だったら、
世界は角ばり過ぎてつまらなうなると思います。
日本語自体、一昔前と違って進化していますからね。
丸文字の方が素敵だって思えることは、いくらでもあります。
ご自分の字を大切にしてください。