カテゴリー
アニメ 俺の考え 日常生活 趣味

攻殻機動隊の世界は、そこまで来ている。

「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ」

逮捕した犯人を前にして、中枢神経以外全身義体の少佐・草薙素子が言う。義体とは、すなわちサイボーグ士郎正宗を原作者とする漫画あるいはアニメ「攻殻機動隊」の中で使われる。

*攻殻機動隊の少佐 全身義体で頭は人間

攻殻機動隊の原作は1990年代の初頭に書かれているが、現在からみれば、そう遠い時代のことでもないだろう。

義肢人工臓器組織生体工学の技術がロボティクスと結びついて発展し、やがて脳や中枢神経を除くすべての器官が機械化される時代。詳しくは調べてみて欲しい。

下の動画を見てどう思うだろうか?現在でもここまで技術は進歩している。まだまだ動きは遅いが、Amazonの倉庫の中では人間型ではないにせよ、ロボットと人間が一緒に働いている。進歩のペースは過去とは比較にならない。

一緒に働くだけの存在が今の時代のロボット。

だが、この攻殻機動隊の世界のように、脳がナマの人間のものと変わらなくなれば、人格をもつことにもなる。たとえ全身が義体化されていたとしても人間、口から出る言葉は説得力をもつ。いや、説得力がどうのこうのなんて会話は無駄なんだ。そこにはロボットとの境は存在しないんだから。

脳がナマのものでも、情報量は半端じゃない。並列化によって、時間をかけて蓄積されてきた個人ごとの情報が、瞬時に共有されることになる。個人では学ぶ必要もないってことだろうか。知識や知恵が塊になって、右から左へと人の中を移動し続ける。

https://youtu.be/7sUhcue_4fo
*ターミネーターの世界だって 決して遠くはない

冒頭の少佐の言葉も、誰かひとりから聞くと説得力を感じる。これを多くの義体化した人間が同時に口にしたら、自分だけが馬鹿にも思えて来るんだろうか?

人の数が減れば、働き手も減っていく。一緒に仕事をする相手をロボットに頼らず人にだけ限っていけば、いずれ社会は疲弊し衰退していくかもしれない。使う側使われる側にわけて考えるのではなく、いかに共存していくか、真剣に考え始めてもいい。

ただ、そのためにも人は、人間らしく生きることを忘れてはいけないと思う。全身義体でもロボットそのものでも、共存していくためには、人間らしさが基本になるはずだから。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です