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小倉昌男さんは、イノベーターだった。

宅急便ヤマト運輸商標だ。ヤマト運輸と似たような業務形態をもつ他社は、宅急便を扱っているとは言わない。あくまでも、宅配便を扱っているということになる。個人で出す荷物があった時、まず宅急便に出せばいいと考えることも多い。それだけ宅急便が、社会のインフラとして認められている証拠だろう。

*何でも 疑いをもてなくなったら終わりか

宅急便が生まれたのは、小倉昌男氏が社長の時代。当時のヤマト運輸は大和運輸の時代で、現在では想像も出来ないことだけど、長距離輸送に参入してくる他者の後塵を拝し、オイルショックも重なり、経営危機が噂されるほど業績が低迷していた。そこで、2代目の社長になっていた氏が、若手社員を中心に構想を練る。

当時の常識であった、大口の荷物を一度に運んだ方が合理的で得であると言う考え方に疑問を投げた。要するに、小口の荷物の方が1㎏あたりの単価が高いのだから、小口の荷物をたくさん運んだ方が収入も多くなると言う考え方だ。今でこそ常識的に思えるけれど、当時は西濃運輸も含めて路線便が中心の時代だった。

*何でも やってみないとわからない

当然のごとく、社内では反対者が出てくる。どんな世界においても、新しい発想が生まれた時には、必ず反対する意見が生まれるもの。成功に溺れて現状が見えていなかったり、既得権益を手放すことができなかったり、その理由は様々だろう。社内でも成功するはずがないとの意見が大多数だったとか。

何よりも、ヤマト運輸も当時は路線会社。長距離輸送を担う運転手たちも小口の配送に戸惑ったらしい。西濃運輸も同じだったけれど、運転手にとり、長距離運転手は目指すべき目標だった。小型の車輛から大型の車輛に乗り換えることは、誇りでもあったんだね。家庭向けの荷物を扱うというのは、まったく勝手が違う。

*何でも ロマンがるから楽しくなる

西濃運輸は1代目の時代。その勢いはすごかった。宅配の発想自体も、ヤマト運輸よりも早かったと聞いたことがある。宅急便が始まった時、小倉氏は西濃運輸が宅配便でもすぐに追い上げてくることを一番恐れていたという。だが、路線便のトップを走る西濃運輸は路線便にこだわり、それ以降の明暗が分かれた。

初めは戸惑いを見せていた長距離運転手たちも、だんだん宅急便を理解し始める。それまでは深夜に走りつづける運転手、お客様の顔をみることはなかった。それが一転、配達するたびに、家庭の奥様方からありがとうご苦労様感謝の言葉を頂く。そのことが配達する喜びを生み、士気も上がっていくことになった。

*何でも 志の高さしだいなのかな

サービス開始から3日間で、取扱個数は11個だったというが、その後の宅急便の取扱個数の伸び方や、他社がこぞって参入して来たことを見れば、氏には先見の明があったと言える。言ってみれば、運送業の世界における革命だったんだ。周りが路線拡大に熱を上げていた時代に、別世界を切り開いたんだからね。

現在は、佐川急便郵政などと、その取扱個数を争うだけでは済まなくなっている。ヤマト運輸の宅配便取扱いにおける独走態勢は、かなり前から脅かされ、次の革新を求められている。それがまた、昭和の時代とは違った難しさもあるから、イノベーターであったヤマト運輸も思うようには前に進めていない。

*宅急便とは違う道も 小倉さんならでは

だが、自分が個人で荷物を出すのはヤマト運輸だ。小倉氏の思いが基礎になっている配送のシステムは、レベルが違うと思っている。イノベーターがイノベーターであり続けるというのは、本当に難しいことだろう。特に現代のように情報があふれかえり、モノの進歩が早い時代にあってはなおさらのことだ。

それでも、運送業界において小倉氏が起こした革新以上の革新を自分は知らない。業界再編とかロボットを導入するとか、それは時代の流れに過ぎない。根底から覆したのは氏だけだと思う。

宅急便公共交通機関と同じ生活上のインフラ、さらに発展することだけが求められる。氏はきっと、次の時代もイノベーターであれるヤマト運輸を、天上の世界で楽しみにしているだろう。

「小倉昌男さんは、イノベーターだった。」への2件の返信

どんな時にも走り続けて私達の生活を支えてくださっているプロドライバーさんに心から感謝

いもちゃんさん、ありがとうございます。

仕事とは言っても、大変なことにはかわりないです。
出来るかぎり、不在配達にならないようにしてあげたいですね。

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