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子供の遊ぶ姿を見て、子供だった頃を考える。

今は新型コロナウィルスから身を守る状況下にある。ゆえに、この話はあくまでも、平時から自分が考えていることだと思っていただきたい。

*旧住まいの1階部分 ネズミはどこから

昨年、同じ佐倉市内で引越をした。最寄り駅から見て北東方向に2㎞ぐらいの場所から、北西方向1㎞以内の場所に移っただけ。
19年暮らしたアパートにネズミの侵入を許し、半年にわたったいたちごっこの後で敗北、自分が追い出される羽目になった。大家さんとも親しかったが、本の帯まで食われたら限界だ。

新しいアパートは6㎡狭くなったが、角部屋で窓も多いから採光にもすぐれていて電気代もかなり落ちた。何よりも引越をすることで気分転換にもなったし、住環境としては問題なしだ。

*荷物を運びこむ前の新住まい 採光よし

旧住まいと新住まい、それぞれの町内で共通していることは、子供の声がよく聞こえるってこと。ただでさえ近頃は、子供の遊ぶ姿を見なくなった。社会が危険に満ちているから親が遊ばせないというのも理解はできる。自分は親の経験がないし偉そうには言えないが、親が果たしてくれた務めについてはよく覚えている。

ただ、近頃の子供はかわいそうだとも思うね。あまりにも神経質に守られ過ぎじゃないのかって思うんだよね。あれをしちゃいけない、これをしちゃいけないだけでは、いつまでたっても、子供は自ら学んだり選んだりする力を育てられないとも思うんだ。子供の内だからこそ、許される失敗もあるからね。

*こんな空に慣れてしまうと 戻れない

自分が子供だった頃の方が、空気も汚れていた。日本の復興と共に工場の煙突はを吐きまくり、排気ガスも充満していた。自分は煙草を吸わないが、当時の父は日に3箱ぐらい吸うヘビースモーカーで空気も悪い、生まれた時から受動喫煙だったわけだ。そんな中で精一杯呼吸をして、とりあえずデカくはなった。

食事にしたって、現在みたいな細かい表示はなかった。親や祖父母が受け継いで来たで食事を済ませた。床に肉を落としても、よほどのことがない限りは埃をはらって食べ、出されたものは残さずに食べた。あれもこれも嫌いだなんて言えば、じゃあ明日から食べなくていいからで終わり。お蔭で好き嫌いをもたない。

*たかが胡瓜 されど胡瓜 食べられる喜び

住みやすさなどの住環境や、食べられるものが多過ぎて選択の幅が広過ぎるくらいの食の環境、お金さえ出せば限りなく欲を満たしてくれるモノの環境。こんなに満たされているのは平和な証拠だが、子供が本来学ぶべき環境の方は、情報過多の中で神経質に守られ過ぎているようにも思える。

10年くらい前だったかな。もう少し奥まったところに住む仲間の話だ。森の中に遊びに行く子供が多いって、ここまではいい。森の中携帯ゲームをもって行って遊んでるって言うんだ。冗談にも取れない話だったけど、本当の話らしい。涼むのは大人も同じだけろうけど、目を和ませる場所で目を悪くさせなくてもね。

*トンボの羽も良くできている

それと近頃は、虫が嫌いな子供も多いよね。自分より歳の若い親でも、虫が嫌いだって人が多い。親が嫌いなら子供も嫌いになるのかな。自分だってゴキブリには好意を持たないけど、野原にいる虫には興味があるね。好奇心が見たされるよ。人間にはない命の神秘を感じるし、小さいゆえに命の尊さも学べる。

子供の頃、1日だけアマガエルを預かった。両生類だから水以外に陸が必要だなんて知識もなかった。海苔の缶の中に水を溜めてアマガエルを入れておいてたら、翌日水に浮かんで死んでいた。蛙には陸が必要なことを学び、命の尊さも学んだ。どぶに手を突っ込んでヤゴも捕った。手が汚れたら洗えばいいだけのことだ。

*マクロレンズで見るアマガエルは格別

こうした好奇心は、歳を経たにの方が強くなった。アマガエルには迷惑だろうけど、30分追いかけたとしても飽きない。

子供が元気な社会には、明るい未来を感じられる。最近は子供の貧困問題が取りざたされて、暗い話題も多くなった。子供たちにもっと、自由な発想ができるような環境を、等しく与えてあげられればと思う。少なくとも公園放課後の校庭で、子供たちが遊ぶ声を聞けるのは嬉しい。

今の状況が、早く良くなればと思う。

「子供の遊ぶ姿を見て、子供だった頃を考える。」への2件の返信

きみさん、こんにちは。
さやかです。

私の友人が保育士で、私の家の近くの保育園で働いています。
夏は窓を開けているので、園児さんのカワイイ声が聞こえてきます。
友人に『カワイイ声が聞こえて気持ちが明るくなるよ』と伝えたら喜んでくれましたが、逆にうるさいと苦情がくると聞いて、こちらまで悲しくなりました。
私も子供の頃はうるさかったと思いますし、誰もがそんな時期があると思います。
なんだか自分の事は棚に上げてる人もいるんだなと思ってしまいました。

さやかさん、こんにちわ。

今日もコメントを頂き、ありがとうございます。

おっしゃる通りだと思います。
最近はそのような話をよく耳にしますよね。
僕は子供をもちませんけど、子供が子供らしくあることは大切なことだと思います。
おぎゃーと泣いた時から、人として生き始めるわけです。
その生きる権利が大人よりも劣るわけじゃない。
おぎゃーだって立派な言葉です。
言葉を持たないからこそ、おぎゃーで自己表現しようとする。
ただうるさいの一言でかたづけてしまったら、子供はいつまで経っても自己表現をするすべを持たないことになる。だんまりを決めた子供しかいない保育園があったとしたら、逆に怖いものを感じますね。

子供をふやせと声高に叫ばれています。保育士や先生が足りないと言われています。
でも一番足りないのは、昔のように、社会が子供を育てようとする心構えかもしれませんね。

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