今の学生さん達も、大学に入学すると同時にサークル活動に入るのだろうか?スポーツや芸術関係の類で入学した人達などは、入学前から活動が始まっているようなものかな。
でも一般の新入生達は、入学と同時に勧誘などを通して活動先をみつけて入部し、銘々に楽しい学生生活を求めていくのだろう。入部するしないは本人達の自由だからね、要は楽しめればいい。
自分も2つくらい入部してみた、1年の時だけ。体育会系のレスリング部と文科系の文章書きみたいなところ。レスリングはもっと体を鍛えたくて、文章書きは興味があったから。
案の定、3ヶ月くらいずつしか続かなかった。体は筋トレやバイトで鍛えていたし、毎日往復4時間の通学自体がいい運動になっていた。文章書きの部は考え方にズレを感じ始めたからやめた。
結局、みんなで仲良く一緒にが駄目なタイプなんだな。それが出来ていれば、今だって組織にいたかもしれない。要は一匹狼、学びたいことやりたいことは、自由に時を選ばずにやりたいんだ。
それゆえ、会社に勤め始めた頃は特に、人とぶつかることも多かった。3年4年と経ってもズケズケと発言をすることが当たり前。それなりに支持者もいたけれど、物わかりのいい後輩達が増えて来ると、本社での勤務に限界を感じて煮詰まり始めていた。
自分は、なかなか組織に慣れなかった。若さゆえの高飛車なところもあったんだろうね、仕事は真面目に頑張っているつもりだったけど、敵も多かった。頑張っているんだけど、素直にハイそうですねとは言えるタイプじゃなかった。言われ過ぎだとも思ったけど、東京風吹かせやがってなんて、言われたりもしたもんだ。
こんな自分を、心配してくれる同期がいた。同じように本社勤務になって、マラソン好きの彼を応援するために、日曜に岐阜の奥地まで行ったりとかもした。大切な友人だと思っていたよ。
彼は、彼自身で見て感じていたり人づてに聞いたりして、心配してくれていたんだろう。1年目が終わった時に突然、福岡への転勤が決まり、同期で送別会をすることになった。
宴が盛り上がり、酒が進めば人はハイになる。自分と彼が何かを話していた。何かが彼を怒らせたんだろう。赤くなった顔をさらに赤くさせながら、彼が自分を殴って来た。
『お前のためを思って言っているんだぞ!』
殴られっぱなしではいられない。自分よりも15㎝は背が低かった彼に大き目の自分が向かって行く。酒の席がまるでドラマ、いやもっと昔なら当たり前のような光景だったはず。周りが2人を引き離し、それ以上は事なきをえた。
福岡に行った彼は1年ぐらい後に退職し、大学院に入りなおして勉強していた。特に連絡をとったわけじゃない。正直に言えば、仕事が忙しくも楽しくなっていたし、彼のことは忘れていた。
4年目を過ぎたぐらいの頃か、ひょっこりと彼が本社に現れた。大学院を卒業して再就職をするためだったのか、必要な書類を受け取りに来たという。彼に会った課の先輩が、自分に彼の言付けを伝えてくれた。彼はこう話していたらしい。
『○○くんは元気でやってますか?頑張れと伝えてください。』
短い言付けだったけれども、心から嬉しいって思えるのはこういう時なのかもしれない。彼はそれだけ言って去ったとか。あんなことがあったにもかかわらず、自分のことを忘れずに心配してくれていた。それを聞いた時、さすがに胸にくるものがあったね。
友情の形というのは、人それぞれだろう。型にはまった友情などは存在しない。同じ言葉を聞いたとしても、受け止め方や感じ方は個々に差がある。励まされたと感じる人もいれば、侮辱されたと感じる人もいる。その人のためになると思っていても、ありがた迷惑で終わることも少なくない。
だが、機械的にくりかえされる軽い言葉ほど、友情から遠いものはない。大丈夫?なんて言葉を繰り返し聞くよりも、いざとなった時に黙って手を貸してくれる方がいい。今その時なんだと思えるなら殴ってくれた方がいい。たくさんの言葉を並べられるよりも、たった1発のこぶしが、頑なな心に光を射すこともある。
とかく人は甘い言葉に流される傾向にある。気持ち良く感じられる言葉には心もなびく。優しさが続けば友情だと勘違いもする。でも、本物の友情というのは、あちらこちらに転がっているものじゃない。心から相手を思っての行動は、その瞬間にさえも心に響き、目を覚まさせる力だってもっている。
本物の友情は、そんなところにあるんじゃないだろうか。