素直に驚いた。聞いてビックリ、見てビックリだ。
皆さんは見ただろうか?テレビ画面に映っていた、ご婦人のつやつやした顔を。前屈運動をしている様子を。これがV字とか言って椅子の上で、お尻を軸に手足をV字にしていた元気な姿を。
同居していた次女にあたる方と1月にコロナに感染、1ヶ月近い入院を経て回復、昨日の記者会見に至ったとか。パスポートの有効期限が102歳までなので、あと1回ワクチンの接種をして又旅に出たいとか。このご時世だから、現実的ではないにしても、何とも元気があふれていて、こちらが元気をもらったぐらい。
映像を見た時、なんて表現したら良いのかわからなかった。前屈運動をしている姿は、自分よりも体の柔らかさを感じた。あそこまで曲がるとういうことは、日々の努力は相当なものだろうね。相当って言うのは、1回に行うエクササイズの量が多いとか激しいとかではなく、長く地道に努力をしてきたってことだ。
当たり前の話だけど、100歳まで生きるというのは100年、すなわち1世紀だからね。子供が生まれて孫も生まれる、それは重なるようにしてつながっていくわけ。今は21世紀、100歳で亡くなった時に1人生まれるとしたら、この世には21人しかいないことにも。少し可笑しなことも考えてみたり。
昨年、102歳直前で亡くなった祖母は大正生まれ。関東大震災の年に生まれて生きて来たことになる。でも、最後は寝たきりだった。このご婦人は自力で、普通に歩いて普通に笑って普通に運動していて、そして今なお海外旅行への願望までもっている。もはや願望ではないよね、いい意味で野望にも感じた。
いい意味で世界を制覇するような印象まで受けた。入院中は積極的にコミュニケーションもとっていたとか。驚きを隠せなかったな。元気の源を、自分でハキハキと説明できる、誰もが真似できる姿ではないよね。世の中では人生100年などと言い始めているけど、それを万人に望みたいのであれば学ばないとね。
江戸時代の平均寿命は40歳前後?まあ、長生きした人だっていただろうけど、日本人の平均寿命が延びたのは戦後からのこと。生きてい行く上での条件が良くなったのかな。それでも、自分の知らないところでは若くして亡くなっている方も多い。あくまでも平均の話であって、現実には尊い命がたくさん失われている。
要するに長生きしていると言われても、介護のいらない元気な期間としての健康寿命を延ばすことは、容易なことではない。寝たきりになれば当然だけど介護が必要。祖父母もその例にもれなかった。祖父は祖母が中心になって介護され、祖母は介護を職業にする方達が中心になって介護された。
今は自分も元気だけど、仮に歩くペースが遅くなっても、自分の力で歩き続けられるかは未知の世界になる。自分の体のことは自分が一番知っているなどと言っても、それを保証できるものはない。5年前に伯父はすい臓がんで亡くなったが、前年に会った時は元気だった。がんが見つかってから半年弱で亡くなっている。
こうして考えると、昨日のご婦人の元気な姿は見事だった。元気でいるだけではなく、コロナの感染から回復したということがすごいことだった。介護が必要な部分もあるのだろうけど、見た目にはそんな素振りを感じさせなかった。これこそが奇跡だなんて思ってもおかしくない。
だから又考えさせられた。このご婦人のように、健康で長生きを続けるにはどうしたらいいのか。人は一度しか死ぬことがないから、やはり死ぬことは怖いと思うんだよね。死ぬのが怖くないって言う人がいるけど、最初で最後の経験を怖くないと言えるのかな。その瞬間を迎えなければ、わかるはずがない。
もう思い残すことはないって、映画やドラマのセリフにはあるけど、心からそう思える人がいるとしたら、それこそ健康寿命を全うできて、やり残したことがないんだろう。それならば自分などは、やり残しだらけで死を恐怖で迎えることになる。やはり今のままでは心残りが多すぎる。もっと積極的に生きなくては。
100歳まで生きることが、人生の目標ではない。
だが、このご婦人が見せてくれた元気な姿は、生きることの楽しさや生きられることへの喜びを、あらためて教えてくれた気がする。この先、何をやっていくにしても、ますます楽しいと感じられるような生き方をした方が良い、素直にそう思えた。人生の大先輩達は、その姿をもって多くのことを教えてくれている。