自分の性格が我儘なのだろうか?それとも、ただの性格なんだろうか?誰にでも言えることなのだろうか?いつも、あることを始めた時はすごく勢いがいい。あっという間に時間も過ぎて、満足感を覚えることも少なくない。でも、ある時点を過ぎると、これでいいのかなんて思い始めたりする。
無理してやろうとするから、どこかしらで壁にぶちあたってしまうのかな。無理してやっているつもりはないんだけど、性格なんだろうか。もっと若いころのように、完璧完全を求めるような生き方は既にやめている。そういう気持ちは脇に置いて、ある程度のゆとりをもって過ごしているつもりだ。
でも、その気がなくても、物事を進めている内にだんだんと完璧を求め始めているのかな?ここは直して、あそこも直す。あれも直して、こっちも直す。結局、ゆとりがないやり方に自分を落としているのか。俗に言う完璧主義者なのかな?それが職人さんなら歓迎されることだけど、一つの道を行く職人ではない。
長く続けていることは、自分としても持っているつもり。でも傍から見ると、ただの飽きっぽい人間なんだろうか?仕事には関係ないけど、たとえば腕立て伏せ。何度か話をしたけれど、ロッキーに目覚めた日から入院生活以外は、腕立て伏せを欠かしたことがない。もちろん、主治医の許可が出なかった時は除いて。
やらなければ一日が始まらないし、一日が終わることもない。やれないことが寂しいとういう気持ちは、他人様からは想像できないだろうな。腕立て伏せを原点にして、大学時代のバイトも新卒時の就職先も、個人として経験して来た仕事も行ってきたわけだからね。趣味で始めたことが、今までの原点になっている。
でも待てよ、と言うことはだ、仕事も趣味の延長線上に存在していることになるのか?だから、やってこられたのかな?5年前の手術後の3年間、事務職に戻っていたのは完治のためだったのは確か。その中で3つも職場を変えたのは、座ってやる仕事が合わなかったから?座って頑張るのが、無理だったってこと?
そう、きっとそうなんだ。座って黙々と仕事をしていられるタイプではないんだ。自宅でPCに向かっていることと、職場でPCに向かっていることは全くの別物。組織の利益のために動いていることと、自分がやりたいことのために動ていること、当たり前だけど全く意味が違う。好きなことはジッとしてでもやれる。
ただし、それを言ってしまうと、自分は組織では働けない人間ということになる。実際のところ、組織立って行う仕事に向いていないのは確かだ。指示通りに動いたり、古臭くても我慢してやってみるということが苦手なのかも。でも、おかしいな、大卒新人の頃はそれができていたはずなのに。
そうか、組織を辞めた理由はそこにあったんだな。時間が経つにつれて自分ならこうやる、この気持ちは誰にでもあると思う。でも、自分の中にある完璧主義的な気持ちが、もっともっとを求めて行って、最終的に疲れがたまっておかしくなったんだ。気づいた時には、退職願いを出していたわけだ。
事務職の3年間を除けば、独りになってからは気持ちが楽になって、その疲れを感じなかった。お金が足りなくて辛い時でも、不思議とやめる気が起こらなかった。借金があっても道具をそろえることだけは続けていたんだから、今思えば笑える話だ。でも楽しかったことは事実、会社で学んだ以上に学び、思い出も深い。
趣味は楽しいから続けられる。それは、仕事についても同じことなんだ。会社にいた時楽しく思えたのは、仕事が一番の趣味になっていたからだ。休みに楽しむドライブや映画は、あくまでも仕事の隙間を埋めるためのモノだった。それでも今よりずっと時間を費やしてドライブもできた。仕事に充実感があったからだ。
いくつかの仲介業者さんと話をもっている。さすがにプロだと思う。今日は電話で2人の方とお話ししたけど、1人の方とは70分も話をしていた。相手に対しての仕事のツボを、しっかりと抑えていらっしゃる。故に自分も、軽はずみなことは出来ない。彼らは仕事を楽しんでいる。仲介の仕事が合っているのかな。
組織を離れた人間が、また組織に戻ろうとしている?そうじゃない。可能な限り自主的に動ける場所を探している。せっかく長い休みをとって完治を目指したんだ、もう一度体を動かして、楽しい気持ちを実感したい。もちろん大切なことを忘れない。誰かの役に立っているということが、自分には一番楽しいってこと。