世の中に、新型コロナウィルスの感染が広がり始めて、既に1年弱が経った。もう1年だ、あっという間。時間というのは、本当に早い。光陰矢の如しとは、よく言ったもの。良い意味でも悪い意味でも、時間の早さに抵抗することはできない。
そもそも感染について騒ぎ始めたのは、いつ頃からだったかな?
豪華客船が、日本の港に着いた頃だったかな?自分の中ではそのように覚えている。
正直に話すと、初めはそんなに重く考えていなかった。新種のインフルエンザなのかなって、その程度だったんだ。現場仕事の身、春とはいっても新陳代謝が激しく、吐く息も多い自分、マスクが邪魔なものに思えた。
昨年の3月中旬頃、ドコモショップさんにおじゃました際、周りの人達がほとんどマスクをしていた。仕事帰りの自分は、何も考えずに事務手続きを進めていたんだけど、担当の方にしてもマスクをしているわけで、やはり気まずさがあったよね。
注意をされることはなかった。まだ、感染対策には緩さがあったのかな。
でも、その翌日から早速マスクをつけた。自分に甘さがあることを実感したからね。以来、人前でマスクをつけない日はない。ゴミ捨てだけでも、誰に会うかわからないからマスクをつける。
1年が過ぎ、今年もまた春がやってきた。街頭でテレビ局のインタビューを受けた大人達が答える。政府が市町村が誰々が、もっと感染対策をしてくれなくちゃ困るって内容で。
こういうのを他力本願っていうのかな?
確かに自分だって、そう思わないこともない。トップがもっとしっかりと指針を示してくれたら、こんなことにはならなかった。そう思わずにいられないことは、たくさんあるよ。
これは、感染対策に限ったことじゃない。昭和の政治家を引き合いに出せばきりがないけど、やはり器がでかかった。現代の指導者=国の指揮者たちは、決断力が弱いしスピードも遅いと思う。
ただ、ひとつ聞いてみたい。感染が再拡大している中で、誰もがみな、個人でできる感染対策を徹底できているのかって?
密を避けてなんて、昨年から何度聞いただろう。マスクの徹底、うがいと手洗いの徹底、人と人の距離の徹底。1年も聞き続けていれば条件反射で出来ていいぐらいだよね。
でも街中を歩いていると、それが徹底されているとは思えないんだ。先日、子供たちが4人ぐらいいて、誰もマスクをつけていなかった。放課後の小学校のそば。大人としての親たちは何も言わないのかなって、真剣に考えてしまったよ。
これだけ毎日毎日、感染の情報が流れている上、入院患者も減らない。医療従事者は疲れているよね。プライベートの時間を我慢してでも、医療に従事している人も多い。余計な仕事を増やさないためにも、一人一人ができることってあるはずだ。
それが限界まで出来ていないのに、ただお願いします、しっかりして下さいって言うのはどうなんだろうか?
言うは易く行うは難しだ。
夏に2ヶ月近く入院していた自分だって、まだ徹底できていないこともある。完璧は存在しないけれど、自分でできる感染対策は、可能な限り確実にやっていきたい。
感染者がまた増え始め、変異ウィルスも力を増してきた。
子供の見本であれるように、大人としてあるべき姿を、今一度見つめなおしてみたい。