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ガンダムは、スポ根の延長か?

*ガンダムに関する書籍は数限りない

機動戦士ガンダム。

これは、巨大ロボット隆盛の時代に、彗星のごとく現れた新しいロボットアニメの形だった。そして、劇中の人間関係は人間味があふれている。巨人の星やアタックNo.1のような、スポ根の延長にあったような気もする。

ガンダムはこの国で、あるいは世界で、最も有名なロボットではないかと思う。その機動力については、言うに及ばない。戦闘マシーンとしては劇中で常に進化を遂げ、その豊富なデザインはガンプラを常に進化させている。

子供の頃のガンダムブームはすごかった。映画3部作が上映された頃から、ガンプラを求めてモデルセンターは列ができた。並んだってその場で買えるわけがない。みんな、予約するためにも並んでいた気がする。

どちらかと言えば、自分はあまり興味がなかった。天邪鬼というわけではないけれど、宇宙戦艦ヤマトの方が好きだったのかもしれない。かえって大人になってからの方が、深く興味が湧いた。

ガンダムシリーズはかなり派生している。その時代に合った作品になっているのも魅力だ。

だが、自分にとっての一番をつけるとしたら、やはり、ファーストガンダムだろう。アムロとシャアが中心の世界だ。これに続くZガンダムガンダムZZ、そして映画「逆襲のシャア」。ファーストの流れが一番好きだ。

そもそもガンダムの世界観は、子供が簡単に理解できるとは思えない。富野由悠季監督の考えていたことは、かなり深いと思う。

*この時アムロは15歳 人生で初めての平手打ち

現代版のガンダムの中では、大人が子供を叱るのに手を上げることがあまり、いやほとんどない。アムロがブライトに殴られるこのシーン、間をおいて2回平手打ちされている。

タイムリーにガンダムを見ていた時、このシーンを否定する人はいなかったと思う。殴られるシーンは、ごく自然に劇中におりこまれていた。見る側もそれを普通に見ていた。

たくましい女性陣もたくさん出演するけれど、連邦軍に身を寄せるシャアの妹のセイラは、第1話でカイを殴って説教をする。そのシーンも、自然な形で受け入れていた。

結局、スポ根って言うか、大人が子供を叱る時には、殴るという過程が当たり前だったんだ。殴ることで気づかせ、殴られることで気づいたんだ。それが、大人にも子供にもできたんだ。

殴るっていうのは暴力とは違う。そこを間違えてはいけない。

自分の父親にしてもそうだけど、大人たちはきちんと殴る加減を知っていた。殴るべき時も知っていたんだ。子供にすれば、その時は?であっても、後日大人になって、理解し感謝すらできた。

ブライトはアムロに言う。殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか、と。

この時のアムロは15歳でブライトは19歳、セイラは16歳でカイは17歳だった気がする。未成年が未成年を殴って、生き延びようと戦っていたわけだ。すごいよね。平和な今では考えにくい。でもこのシーンがないと、ファーストの世界観は成り立たない。

*幼馴染のフラウの方が ずっと大人に思えた

殴るということを肯定しているわけじゃない。時と場合によっては必要だということ。この後のアムロは、戦闘で目覚ましい活躍をした。でもまだ甘える。その後も殴られ、先輩の死によって本当の成長を遂げていく。逆襲のシャアの頃は、ブライトとの信頼関係は絶対的なものになっていた。

ガンダムがスポ根の延長にあったと思うのは自分の考え。

ただ殴られることによって、殴られる痛みを知る。殴られる痛みを知れば、簡単に人を殴ることはできない。殴られることによって、気づきを得ることも多い。気づきを得れば、人は成長する。

頭ごなしに殴るという行為を否定せず、ガンダムでも見て学んでほしい。ガンダムを見るだけでも、人は成長すると思っている。

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