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人生経験 俺の考え

小学校6年の時の先生

小学校6年の時、大学卒業したての先生がやってきた。

東京理科大学を卒業していた。頭はちりちりの天然パーマ、背は高くて目はクリクリ、すごく若々しかったのを覚えている。

自分が小学生だからね、すべての先生が歳をとった人間に見えるのは当然だ。特に5年の時の担任の先生がクラスの生徒と折り合いが悪くてね、クラス替えはなかったから、新しい先生に期待が集まっていたわけだ。

*先生にあしたのジョーを教えてもらった

確かにおもしろい先生だった。いやおもしろいっていうよりも、先生の経験した青春を引きつれてきているような感じだった。

あしたのジョー」を教えてくれたのは、その先生。当時は単行本だったんだけど、自分の所有する「あしたのジョー」を持ってきてくれて、クラスの中で自由に読めるようにしてくれた。少年ジャンプの漫画よりも難しかったけど、おもしろいって思えた。

吉田拓郎を知ってるかいって、聞かれたことがある。クラスのみんながだ。1981年頃だと、いくら吉田拓郎が有名でも小学生にはわからない人だった。えっ、知らないの?先生は驚いていた感じだった。その時の先生の気持ち、今の自分ならよくわかる。

*大学生の頃 初めて本格的に吉田拓郎を聴いた

先生は悔しかったらしくて、ギターを自宅からもってきて、吉田拓郎の曲を弾き語りしてくれた。何の曲だったかは覚えていない。合わせて、松山千春の曲も教えてくれた。これはよく覚えている。「季節の中で」だった。好きになって何度も練習した。

そんな感じで、小学校最後の学年が始まったわけだ。

休みの日に先生の自宅近くに集まって、縄跳び大会をしたことがある。それぞれの飛び方でトップになった人は、ファミレスでご馳走にありつけた。自分もその一人。今の教育方法だと、問題視されるのかな?でも、学んだ気もする。1番になれば評価されるし、自分も嬉しいってことを。1番になるのは難しいから。

*小学生でも この曲が好きになれた

そんな先生に注意されたことがある。叱られたって言った方がいいのかな。

机の下に定規を落とした時のこと。を伸ばしても届かないから、足先で引っ張ろうとしたんだ。そこへ先生がやってきて言った。「足でものを取るな!」って。言っている意味がわからなかったけど、とにかく椅子から立って、手で定規を拾った。

先生は叱った理由を言わなかった。だから、自分で考えた。家に帰ってから親に聞いたかもしれない。

今ならわかる気がする。手を使って取れ横着をするなの2つの理由じゃないかな。何でもないことのようだけど、大人になると何気なくやってしまっていることだと思う。

大学出たての先生でも、当時はこんな叱り方もしてくれた。果たして今の時代はどうなんだろう。親が割って入って来るかな、文句を言うために。

あの頃を思い出すと、楽しいことばかりじゃなくて、今になって感謝することがとても多い。

「小学校6年の時の先生」への4件の返信

きみさん、お疲れ様です。
さやかです。
今回も拝見、拝聴しました。
私は記憶力がないのか、あまり子供の時の記憶がありません。
なので、きみさんは細かく覚えていらっしゃって、さすがきみさんだなと改めて思いました。
私のあまりない記憶力の中で覚えてるのは、というか、今も実践しているのは髪型はショートということです。
小学校の低学年まではお尻ぐらいまで髪が長かったのですが、プールの授業になると先生が私の髪を結んで水泳帽に入れてくれてました。
その事を家で話すと先生に申し訳ないと髪を切りに祖母と行きました。
それから、今現在もショートです。
一度短くすると、ある程度の長さになると鬱陶しくなってまたショートにしてしまいます。
私語りになりましたね、私のいけないところです。
これからもきみさんのブログを拝見、拝聴します。
今後とも宜しくお願いします。

さやかさん こんばんわ

ご丁寧にありがとうございます。
コメント、とても嬉しいです

小学生の頃の出来事が、今のさやかさんに大きな影響を与えていたんですね。
でも、トラウマとかではなく、いい方向に影響を与えていたようで何よりです。

一度短くして慣れてしまうと、長いのも手入れが大変ですよね。
僕も人から見れば、まだ短いと言われるような長さでも、伸びきる前にチョッキンです
学生時代には、1960年代とまでは行かないまでも、少し長めでしたけどね。
顔に似合わず、映画を見て、トム・クルーズに憧れていましたから

これからも、どんどん書いていきます。
コメントもお待ちしています。
今後とも、よろしくお願い致します

素敵な先生ですね
読んでいて情景が浮かんできました
生徒と楽しみながら触れ合って、叱るべきところはきちんと叱る
青春ドラマに出てくるような理想な先生ですね
弾き語りしてくれるなんてかっこいい
羨ましい思い出です
私の思い出の恩師といえば…フランケンシュタインにそっくりであだ名が「フラン」という体育の先生
でも先生の前でそのあだ名を言うのは当然禁句だったのに、私は「フラン」が名前だと思い、きっとハーフの方なのだわ…と、とんだ勘違いをし、先生本人に向かって「フラン先生」と呼んでしまったんです
なのにニコニコして怒らなかった先生は寛大でした(笑)

いもうとさん こんにちわ。

返信が遅くなり申し訳ありません。
ご丁寧にありがとうございます。

フラン先生、素敵な先生ですね。
本当に、フランス人じゃないかと思ってしまいます。
寛大であることは、子供の心に響きますよね。
その思い出を大切にしていただきたいです。

僕の先生は、大学生の延長線上にいたのかもしれません。
それが許されたのは、時代が寛大であったからなのかな。

生徒どうしのぶつかり合いも普通にありました。
でも、今と違って、いじめと言われるような陰湿さはなかった気がします。
それも時代なのかもしれませんね。

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