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俺の考え 健康 日常生活

リハビリにも、好奇心と探求心を。

リハビリも、好奇心探求心が必要だと思っている。

昨年の夏、左肩の手術をしたんだけど、退院後のリハビリは続いている。週に1度のペースで手術した病院に通い、肩甲骨を中心にほぐす。その期間はすでに8ヶ月目にはいっている。6月に予定しているMRI検査の結果しだいでは、リハビリの今後も決まる。

ただ、病院のリハビリだけではよくならない。週に1回行くということは、1週間の結果をリハビリの先生が診て確かめるにすぎない。時間は毎回35分程度。

*いぼつきのフォームローラーを愛用している

そうなると、無理しない範囲で、自主的にリハビリをする必要性もでてくる。それは5年前の手術の後も同じこと。ノウハウはしっかりと身についている。右肩が左肩に変わっただけ。毎日、教えられた方法と自分で考えた方法で、体をほぐしている。

今使っている道具は1つだけ。以前も使ったフォームローラー。自分は健康ポールって呼んでいる。表面がプレーンのタイプではなくて、いぼつきのタイプ。写真で見ると、ガメラの背中みたいでしょう。ほどよい刺激を得られてお奨めだ。

*ポールの直径は約13㎝ 長さは33㎝ 中心は抜ける

このローラーを平らなところにおき、背中をのせ、あおむけの状態で右へ左へと体を揺らす。そうすると、肩甲骨の硬さがほぐせるという考え方。自分の体重をのっけるわけだから、いぼの部分が肩甲骨を押してくれる。けっこう効くんだな、これが。

でも効きすぎて、背中自体が痛くなることもある。痛くならないように、少し背中を浮かすのもいいけど、余計な力を使うことにもなる。そうなるとリハビリの意味がない。

前回もここまでは考えて、床ではなく、壁と体の間にローラーをはさみ、右へ左へと動くことにした。これなら、力の加減も丁度よくなり、肩甲骨の硬くなっている部分をいい具合にほぐせる。ローラーが床に落ちないように、気持ちを集中させればいい。

*このいぼは 硬めにできていて快感

でも、今回はさらに考えてみた。体を動かすのではなく、壁と体の間にローラーをはさんだまま、両肩を回した方がいいんじゃないかって。この考え方は、自分としてはかなりヒット。

両肩を前から後ろに向けて回すでしょ、そうすると肩甲骨もいっしょに動くわけだ。痛くなり過ぎないように、肩甲骨をローラーの上にはわすようにしてほぐす。決めた数をこなし、終わった時にはホワ~ンとしたような幸福感を得られるんだ。

もともと筋肉質の体、腕立て伏せも再開してるから、いたちごっこにもなる。鍛えてほぐす、鍛えてほぐすの繰り返し。鍛えなおしたいという気持ちと、もっとほぐしたいという気持ち。

*以前は この類の本もけっこう読んだ

なかなか思い通りにはいかない。でも、毎日続けることで発想も豊かになってくる。どんなんことに対しても、好奇心と探求心をもつことが大切だと思うよ。

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人生経験 俺の考え 日常生活 映画 男はつらいよ

おおらかな時代だった。

映画「男はつらいよ」第8作、「寅次郎恋歌」の最後の場面。

おおらかな時代を感じない?

*旅の一座がトラックの荷台から宣伝活動を

寅さんが旅の途中で、以前会った旅の一座と再会するところだ。一座は、トラックの荷台に乗りこんで宣伝の途中。寅さんと、偶然に居合わせたって感じ。一座が勧めるままに、寅さんも荷台に乗り込んで、一座との楽しい時間を過ごすって寸法。

荷台に乗っていると言えば、映画「となりのトトロ」の冒頭、さつきとめいの2人が荷台にいた。三輪トラックの荷台の上、引越荷物の間にいるわけだ。警官がいると思ったさつきがめいに隠れてと言う。この頃でも、合法ではなかったってこと?

まあ兎に角、この荷台に乗るという場面があるってことは、実際にもやっていた人がいるってこと。100mとか200mとかの短い距離の話じゃない、長い距離の移動についてだよ。

*荷台にいる姿が はまっている感じ

実は、自分にもその経験があるんだ。もちろん、小さい頃のこと。小学2年生ぐらいの頃だったかな。

ある時、伯父夫婦が代沢の伯父の実家から、神奈川県の大船まで引っ越すことになった。伯父というのは、母親の兄にあたる人。距離にすれば片道で50㎞ぐらい。あの時、距離の感覚なんてあるはずがないけれど、けっこう長い時間乗っていた気がする。

さすがに高速なんかでは行かなかったよ。国道や県道だけ。荷台には祖父と2人だけ。荷台に乗っていこうか、祖父の一言で乗りこむことになった。自分の記憶が正しければ、はなかったと思う。が見えていたし、髪の毛がになびいていたからね。

*ひざ掛けまである 荷台乗車は当然?

都会じゃなければ、今もこんなことをやっているのかな?

引越のトラックには、引越主のお客様でさえも、助手席に乗せてもらえなくなったな。引越の仕事もしていたことがあるけれど、20年ぐらい前なら、まだ大丈夫だった。一緒に乗ることで、いろいろな話ができて、楽しかったのを覚えている。

お客様から差し入れをいただく前に、自分の方から、飲み物をいかがですか?なんて言って、クーラーボックスの中から選んでもらったりしてね。たった一日の関係でも楽しかったよ。

*さあ 楽しい時間のはじまりだ!

何でもかんでも、時代のせいにするつもりはない。当時と比較すれば、車の量も増えた。安全という点からすれば、荷台に乗り合う時代じゃない。ヘルメットでもすればいいかって、そんな冗談が通じる時代でもない。

仕事によっては乗り合うこともあるだろうけど、交通安全を守ることが一番大切だろう。

ただし、一つ言えることがある。「男はつらいよ」にしても「となりのトトロ」にしても、こういう荷台に乗るという場面がなかったら、映画の味も変わっていたってこと。

時代だけでは語れない、なにか温かいものがあったと思うんだ。

おおらかな時代だったよね。

*寅さんの笑顔 一座の笑顔 楽しいが一番大切

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俺の考え 映画 趣味

田中邦衛さん、ありがとう!その2

映画「学校」。夜間中学を舞台にしている。

そもそも夜間中学って何?

簡単に言えば、公立の中学校夜間学級のことだ。

戦後に義務教育を終了できなかったような方たち。本国で義務教育を終了せずに、日本で生活を始めた外国籍の方たち。あるいは、不登校などの理由で十分に学校に通えなかった方たち。通う理由は様々。学びなおしの場の役割もになっている。

*教室で名馬オグリキャップを熱く語る

そんな生徒たちのひとりを、田中さんは熱演する。授業の途中でオグリキャップを語るイノさん。目の前で競馬を見ながら、実況中継をしているような雰囲気がすごい。

*先生の話を真面目に聞けと注意する
*親身になって教えてくれる先生に恋も

先生の話を真面目に聞けと、紙をまるめて頭をたたく。真面目なひとりの生徒として。親身になって教えてくれる先生に、恋心をわかせる。青春のあまずっぱい雰囲気を隠しきれない、純情な一面をさらけ出す生徒として。自分が中学生だった頃そのもの。

*文字一つ一つに 定規を当てて書いていく
*初めて出した手紙が無事についたことを心から喜ぶ

イノさんは字を書けなかった。だから、手紙を書いて送るって課題のために、文字一つ一つに定規を当てて曲がらないように書いていく。送る相手への誠実さがにじみ出る。その手紙が着いたことに、表情をくずして喜ぶ。田中さんはすでに中学生そのもの。

*思い通りにならなかった恋心に我を忘れ 説教される
*酔っぱらいの扱いで 外につまみ出される

先生に手紙は届いたが、想いは断ち切られた。抑えきれない感情を前に、オモニに殴られ説教される。さらには、店の大男にかかえられて、雨の中に放り出される。反抗的な中学生酔っぱらいのおやじを同時に演じる。その演技の迫力に圧倒される。

*病気がわかって入院 みんなの笑顔にかこまれる
*故郷山形に戻ることを願い 迎えの車の中 道の上

進行性の病気だとわかり入院する。イノさんは、人生で初めての幸せを感じたのかもしれない。やがて、故郷の山形に帰ることになる。その道中、東京を自分の目にやきつけていく。

このシーンを見ていると、いつか自分もこんなことになんて思いもする。ひとり身の自分にはなおのこと、なんど見ても胸にせまるものがあるんだ。東京が見納めだとわかっていたんだろうな。
そう思わせる演技だった。

*修学旅行ではしゃぐイノさん

イノさんは亡くなった。仲間の生徒たちの中で、修学旅行ではしゃぐイノさんが思い出される。心から楽しんでるって感じでしょう?演技が上手いってレベルじゃないんだよね。この人はこの時、本当に中学生だったんだ、自分は今もそう思っている。

この映画だけでも、語りつくせない田中さんがたくさんいる。頭の中に残る作品を語ったら、話を終われない。今日はとりあえず、ここまで。これ以上書くと、涙も止まらない。

田中邦衛さん、本当にありがとうございました。

そして長きにわたり、お疲れ様でした。

どうか、お浄土よりお導き下さい。

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俺の考え 映画 趣味

田中邦衛さん、ありがとう!その1

田中邦衛さんが亡くなった。享年88歳。

昭和生まれの名優がまた一人、逝ってしまった。

自分にとっては、本当に大きな存在だった。寂しさを隠すことはできない。隠すことは逆に、失礼のような気がする。

*もはやデッキはないが テープだけは残してある

ドラマ「北の国から」の主題曲を繰り返し聴いていたら、涙が止まらなくなった。なんでこんなにも、親しみを感じるんだろう。田中さんならではの温かい演技を忘れられない

渥美清、三國連太郎、高倉健、菅原文太、他にもたくさんいた昭和の名優たち。映画の世界に彩りを与えてくれた名優たち。映画を見直して、思い出すことでしか、もう会えなくなってしまった。新しい作品は、二度と生まれてくることはない。

そんな中で、田中さんは脇役としてのイメージが強い。かの有名なドラマ「北の国から」では主役的な立場だったが、映画の中ではほとんど脇役だったと言ってもいい。それでも主役と同じくらいの存在感があったのは、一体なぜだろう。

*フジテレビ系で放映された 知る人ぞ知る名作

演技自体は地味そのもの。街中のどこにでも歩いているようなおじさん、そんな演技だった。その地味さが素晴らしかったんだ。その地味さが、普通に思えた。普通に思えるとういうことは、演技が美しいってことなんだと思う。

派手なことをしなくても演技が美しい。俳優の醍醐味ってこういうこと、自分はそう思うんだよね。

数々の賞を得た映画「学校」。監督は山田洋二。「男はつらいよ」シリーズをはじめとして、数々の名作を送り出した名監督だ。一昨年も、満を持して「男はつらいよ」第50作目を公開した。寅さんはいないが、吉岡秀隆が演じる満男の最後の言葉に、深く胸をうつものがあった。

*「学校」の中で 競馬を楽しむイノさんを演じた

その監督がバブル崩壊後に送り出した「学校」。この中での田中さんの演技は本当に素晴らしい。「学校」全体の流れも素晴らしいんだけども、田中さんのための映画じゃないかと思えたぐらいだ。その演技に見とれ、あらためて惚れこんだ。

どちらかと言えば「北の国から」は主役であるけれど、そうじゃない気もした。中心人物なんだけど、周囲の人間を盛り上げていくための存在に思えもした。

田中さんの演技は、きっと生き方そのものだったと思うんだよ。

勝手な想像なんだけど、作ってできる演技ではなかった気がする。もしそうだったとしたら、この方は神様だ。それぐらい自然だと感じられる演技だった。思い出すだけで、温かな気持ちになっていける。

*「学校」の中で 夜間中学の生徒として審判役を

その2では、この映画「学校」について話してみたい。

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俺の考え 健康 日常生活

アキレス腱を、まもれ。

アキレス腱をやってしまった!

切ったわけじゃないんだけど、痛めてしまった。炎症を起こさせてしまったようだ。

その原因になったのは、新しい靴で歩いたこと。まさかと思うかもしれないが、本当の話。かかとの部分がアキレス腱にあたって、歩いている内に食い込んでいたみたいだ。2日ぐらい経ってからのこと、急にかかとに違和感を覚えた。

*冬に履く ハイカットのトレッキングシューズ

冬はハイカットの靴でウォーキングをする。温かいうえに、くるぶしから上を守ってくれるので、とても歩きやすい。

でも、今年は暖冬だったので、早めに春用の靴を準備しようと考え、ローカットの靴を買っておいた。靴屋さんで試した時には、サイズの点では問題がなかった。これはラッキー、うまい具合に手に入ったと思った。それが2月初めのこと。

2月の中頃になって、いよいよ履いてみたくなった。写真を撮りながら歩けば3時間くらいの、新しいコース。試すとなればうれしい。いつもの出発地点、国立歴史民俗博物館から歩き始めた。

*ローカットのトレッキングシューズを選んだ

1時間くらい歩いた頃、右足のかかとに違和感を覚えた。違和感というか、よくある靴ずれをおこしたんだ。かかとの部分をすりむいている。紐を少しだけ緩めて、また歩き出す。

ゆっくり目に歩いた。肉屋さんによって惣菜を買う。この時買った串カツは美味しかった。歴史的建築物を見学。悠久の時を感じて気持ちが豊かになる。そんな楽しい時間を過ごして帰宅する。うまく歩いたつもりが、右足のかかとは、今でも傷跡が残るくらいにすりむいていた。

ところが、2日経ってから痛み出したのは、反対側の左足。かかとの上、アキレス腱の部分。初めは靭帯を痛めたのかなって思った。どちらにせよ痛い、歩きにくい。触れると内側がゴムのように伸びている感じ。かかりつけの外科に行った。

とりあえず、レントゲン撮影を行う。骨に異常はなかった。

だが、レントゲンに写るのは基本的に骨。左肩の時もそうだったけれど、細かく知りたいのであれば、やはりMRI検査が必要だと思う。

先生の診断結果は、アキレス腱の炎症。湿布を貼って様子をみましょうということに。昨年の左肩の時と同じような流れ。

*奥のハイカットと比べると かかと部分の角度に差が

結局のところ、原因になったのは何か?

トレッキングシューズっていうのは、作りが硬い。ハイカットのかかと部分は、上に向かって緩やかな曲線を描く。一方のローカットはかかと部分が短いから、曲線もきつくなる。思っている以上に、かかと部分がアキレス腱に食い込む形になる。

右足はすりむいただけで済んだが、すりむいた方が良かった。

1ケ月半経った今、ふくらはぎに影響が出始めている。かかとが着地した瞬間に、ふくらはぎが圧迫される。歩きにくい。ウォーキングにも影響が出始めている。感染対策を強化する中でも、ウォーキングはしたい。MRI検査をするべき時かもしれない。

新しい靴で歩き、少しでも合わないと感じたら、無理して歩くことはやめた方がいい。

後遺症が残るような感じもしている。左肩に続いて、悪い結果にならないことを願い、歩くことにも気を遣う毎日。アキレス腱を、まもられなければ。

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アニメ 俺の考え 日常生活 趣味

ガンダムは、スポ根の延長か?

*ガンダムに関する書籍は数限りない

機動戦士ガンダム。

これは、巨大ロボット隆盛の時代に、彗星のごとく現れた新しいロボットアニメの形だった。そして、劇中の人間関係は人間味があふれている。巨人の星やアタックNo.1のような、スポ根の延長にあったような気もする。

ガンダムはこの国で、あるいは世界で、最も有名なロボットではないかと思う。その機動力については、言うに及ばない。戦闘マシーンとしては劇中で常に進化を遂げ、その豊富なデザインはガンプラを常に進化させている。

子供の頃のガンダムブームはすごかった。映画3部作が上映された頃から、ガンプラを求めてモデルセンターは列ができた。並んだってその場で買えるわけがない。みんな、予約するためにも並んでいた気がする。

どちらかと言えば、自分はあまり興味がなかった。天邪鬼というわけではないけれど、宇宙戦艦ヤマトの方が好きだったのかもしれない。かえって大人になってからの方が、深く興味が湧いた。

ガンダムシリーズはかなり派生している。その時代に合った作品になっているのも魅力だ。

だが、自分にとっての一番をつけるとしたら、やはり、ファーストガンダムだろう。アムロとシャアが中心の世界だ。これに続くZガンダムガンダムZZ、そして映画「逆襲のシャア」。ファーストの流れが一番好きだ。

そもそもガンダムの世界観は、子供が簡単に理解できるとは思えない。富野由悠季監督の考えていたことは、かなり深いと思う。

*この時アムロは15歳 人生で初めての平手打ち

現代版のガンダムの中では、大人が子供を叱るのに手を上げることがあまり、いやほとんどない。アムロがブライトに殴られるこのシーン、間をおいて2回平手打ちされている。

タイムリーにガンダムを見ていた時、このシーンを否定する人はいなかったと思う。殴られるシーンは、ごく自然に劇中におりこまれていた。見る側もそれを普通に見ていた。

たくましい女性陣もたくさん出演するけれど、連邦軍に身を寄せるシャアの妹のセイラは、第1話でカイを殴って説教をする。そのシーンも、自然な形で受け入れていた。

結局、スポ根って言うか、大人が子供を叱る時には、殴るという過程が当たり前だったんだ。殴ることで気づかせ、殴られることで気づいたんだ。それが、大人にも子供にもできたんだ。

殴るっていうのは暴力とは違う。そこを間違えてはいけない。

自分の父親にしてもそうだけど、大人たちはきちんと殴る加減を知っていた。殴るべき時も知っていたんだ。子供にすれば、その時は?であっても、後日大人になって、理解し感謝すらできた。

ブライトはアムロに言う。殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか、と。

この時のアムロは15歳でブライトは19歳、セイラは16歳でカイは17歳だった気がする。未成年が未成年を殴って、生き延びようと戦っていたわけだ。すごいよね。平和な今では考えにくい。でもこのシーンがないと、ファーストの世界観は成り立たない。

*幼馴染のフラウの方が ずっと大人に思えた

殴るということを肯定しているわけじゃない。時と場合によっては必要だということ。この後のアムロは、戦闘で目覚ましい活躍をした。でもまだ甘える。その後も殴られ、先輩の死によって本当の成長を遂げていく。逆襲のシャアの頃は、ブライトとの信頼関係は絶対的なものになっていた。

ガンダムがスポ根の延長にあったと思うのは自分の考え。

ただ殴られることによって、殴られる痛みを知る。殴られる痛みを知れば、簡単に人を殴ることはできない。殴られることによって、気づきを得ることも多い。気づきを得れば、人は成長する。

頭ごなしに殴るという行為を否定せず、ガンダムでも見て学んでほしい。ガンダムを見るだけでも、人は成長すると思っている。

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俺の考え 日常生活 趣味

ホームセンターの工夫。

これ、わかります?

ペダルを踏みこむと、液体が出るようになっているんだ。

*ペダルを踏みこむと プッシュされて液体が出る

ホームセンターの方が制作したのかどうか、そこまで聞いたりはしなかった。入り口ですぐに目にはいってきた。ペダルを踏んで液体を手にのせて思ったことは、良くできてるってことだ。

自分は特にDIY、すなわち Do it Yourself 、趣味的な大工さんをしているわけじゃない。でも、いろいろと工夫して作ることは大好きだ。部屋のデスクも実は、過去の引越作業の時に、お客さんが捨てるのをいただいてきた。

仲間に聞いたら、元の値段はかなり高いっていうもんだから、じゃいただいちゃおうって感じでね。ガッチリしていて出来がいいし、背中側に細工をして長く愛用することにもなっている。

*この右側の机 いまだに愛用している元廃棄物

話が飛んだ。まあそんなわけで、ゴミからでも工夫をしようって考え方、工夫に対する好奇心をもちあわせているつもり。

この手作りのプッシュマシン、簡単に作れるようだけど難しい。特に細かい調整ができるわけではなさそう。となれば、この大きさのボトルのためだけに作られたと見ていい。

強く踏まないでくださいって、注意書きがあった。頑丈そうに見えても、適度な力でってこと。ただ一番のポイントは、液体の出る量だ。ワンプッシュで適当な量が必要。

大人の手にも子供の手にも、ちょうどいいぐらいの量って、案外難しい。少なすぎればワンモア、多すぎれば手に余る。

*素直に よくできているなって感心した

手にのった量は多すぎず少なすぎず、まさに適量だった。子供の手なら多すぎるかもしれないが、子供は手でもむことを楽しむかもしれないから、これでいいと思えた。

プッシュ部分を上部の木が下げる間隔を、良く計算してあるんだ。ホームセンターならではだね。この手のお店には、DIYが好きな人も多いんだろうな。

手作りの醍醐味があった。機械が計算して、3Dプリンターで作られているとは思えない。それも時代の流れではあるけど、手作りの良さってあるよね、やっぱり。

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俺の考え 健康 日常生活

新型コロナウィルス、感染対策に思う。

世の中に、新型コロナウィルスの感染が広がり始めて、既に1年弱が経った。もう1年だ、あっという間。時間というのは、本当に早い。光陰矢の如しとは、よく言ったもの。良い意味でも悪い意味でも、時間の早さに抵抗することはできない。

*昨年の春には 国が支給したマスクもあった

そもそも感染について騒ぎ始めたのは、いつ頃からだったかな?
豪華客船が、日本の港に着いた頃だったかな?自分の中ではそのように覚えている。

正直に話すと、初めはそんなに重く考えていなかった。新種のインフルエンザなのかなって、その程度だったんだ。現場仕事の身、春とはいっても新陳代謝が激しく、吐く息も多い自分、マスクが邪魔なものに思えた。

昨年の3月中旬頃、ドコモショップさんにおじゃました際、周りの人達がほとんどマスクをしていた。仕事帰りの自分は、何も考えずに事務手続きを進めていたんだけど、担当の方にしてもマスクをしているわけで、やはり気まずさがあったよね。

注意をされることはなかった。まだ、感染対策には緩さがあったのかな。

でも、その翌日から早速マスクをつけた。自分に甘さがあることを実感したからね。以来、人前でマスクをつけない日はない。ゴミ捨てだけでも、誰に会うかわからないからマスクをつける。

1年が過ぎ、今年もまた春がやってきた。街頭でテレビ局のインタビューを受けた大人達が答える。政府が市町村が誰々が、もっと感染対策をしてくれなくちゃ困るって内容で。

こういうのを他力本願っていうのかな?

*好奇心もあっていろいろなマスクを試した

確かに自分だって、そう思わないこともない。トップがもっとしっかりと指針を示してくれたら、こんなことにはならなかった。そう思わずにいられないことは、たくさんあるよ。

これは、感染対策に限ったことじゃない。昭和の政治家を引き合いに出せばきりがないけど、やはり器がでかかった。現代の指導者=国の指揮者たちは、決断力が弱いしスピードも遅いと思う。

ただ、ひとつ聞いてみたい。感染が再拡大している中で、誰もがみな、個人でできる感染対策を徹底できているのかって?

を避けてなんて、昨年から何度聞いただろう。マスクの徹底、うがいと手洗いの徹底、人と人の距離の徹底。1年も聞き続けていれば条件反射で出来ていいぐらいだよね。

でも街中を歩いていると、それが徹底されているとは思えないんだ。先日、子供たちが4人ぐらいいて、誰もマスクをつけていなかった。放課後の小学校のそば。大人としての親たちは何も言わないのかなって、真剣に考えてしまったよ。

*10ケ月以上かけて このマスクに落ち着いた

これだけ毎日毎日、感染の情報が流れている上、入院患者も減らない。医療従事者は疲れているよね。プライベートの時間を我慢してでも、医療に従事している人も多い。余計な仕事を増やさないためにも、一人一人ができることってあるはずだ。

それが限界まで出来ていないのに、ただお願いします、しっかりして下さいって言うのはどうなんだろうか?

言うは易く行うは難しだ。

夏に2ヶ月近く入院していた自分だって、まだ徹底できていないこともある。完璧は存在しないけれど、自分でできる感染対策は、可能な限り確実にやっていきたい。

感染者がまた増え始め、変異ウィルスも力を増してきた。

子供の見本であれるように、大人としてあるべき姿を、今一度見つめなおしてみたい。

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お知らせ

ミスター・きみ、ブログをはじめます!

*退院直後の筆者

読者のみなさん、初めまして
ミスター・きみ です🤗

このたび、ブログを始めることにしました。

ツイッターにも同じアカウント名で投稿中ですから、面識がある方もいらっしゃると思います😄

ブログを始めようと思ったきっかけを、少しばかりお話します。

実は去年の7月、左肩の手術をしました。春に脚立ごと床にたたきつけられて、左肩の腱板を断裂してしまったんです😭

今から5年前には右肩の手術もしていますから、反対側まで手術することになったわけです…。

けれども、元来からのポジティブ思考、8月終わりまで続いた長い入院生活、積極的に楽しんでみました🤩

*手術前後の病室から見た空

あまりにも元気に入院生活を送っていたので、こんなにポジティブに入院している人を見たことがありません、なんて言われたりもしていました🤭

5年前とは、少し状況が違っていました。新型コロナウィルスの感染の広がりがあったからです。

その影響もあって仕事も減りました。手術の順番待ちもありましたので、梅雨の頃には休業に入り、その流れで入院して手術へと進んだわけです😱

さらに今回の入院生活で5年前と違っていたのは、ツイッターという楽しみがあったこと。それだけで、48日間を過ごすことができたようにも思えるんです。

その際お世話になったみなさん、本当にありがとうございました。どれほど励まされたことか。感謝あるのみです😌

あまりにも時間の流れが早すぎたので、入院生活自体が夢だったような気もします。思い出すたびに、可笑しくもなりますね😄

*モバイルの道具も持ち込んだ

実は、退院してから今日まで、いまなお休業中なんです。

5年前は他にも事情があったとは言え、仕事に就くことに急ぎ過ぎました。復帰してからのリハビリも長くなりました。ですから、今回は大事をとって休業を長くしています。手術前に、主治医の先生に、今回は長引くよと言われもしました😉

ですが、この長い休業期間のおかげで、たくさんの気づきがありました。特に、文章を書くのが好きだということ、それがはっきりとわかったんですね。

ツイッターの投稿は140字で限界ですから、こんなに長く言葉を並べるのも、久しぶりかもしれません。

でも、この文字をたくさん並べるってことに、すごく快感を感じています。キーボードの上を指先が泳いでいくようで、どんどん文字が飛び出してくるんです🤭

まずは、書くことにしました。十数年続けている日記とは、まったく別物として。生まれてから今日まで経験してきたこと、今感じていること、そして未来について思うこと、いろいろと話してみようと思います。

入院して最初に読んだ本

社会人になった後で、こんない長く休んだのは初めてです。

ですが、時として立ち止まることは大切ですね。

結果的に自分をふりかえることが出来ました。何よりも、長く続けられるそうな、ライフワークを見つけることが出来ました。

共感していただけるかもしれませんし、違和感を感じるかもしれません。それは、人それぞれです。人それぞれであることを実感してください。実感できるからこそ人生は楽しい、自分はそう思っています。

今後とも、よろしくお願い致します😌

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人生経験 入院日記 2020年夏

コロナウィルスの影響、入院に向けて。

*2月に行った青山のライブ会場付近

新型コロナウィルスが猛威をふるい始めたのは、昨年の2月頃。いや、その頃はまだ、普通の日常だった気がする。仕事も普通、カラオケも普通。とりあえずマスクだけは必要になった。1月と2月には、東京までライブを見に行っていたぐらいだ。

でも、3月になって状況は一変。マスク購入は店頭での競争になり、その値段は大きくはねあがった。

幸いなことに、以前からたくさん買い置きしてあったので、特に慌てることはなかった。でも、報道されていたマスクの値段を見ていたら、別世界のことのようにも思えた。

問題は仕事の方だ。個人事業主の立場で、ある親方の手伝いをしていた。それは大手メーカーのキッチンの施工業務。現場に戻ってから、ちょうど1年くらい経った頃だったかな。

*第一次建設時代よりも道具を簡素化してる

そのメーカーも、世の中の感染者増大のあおりを受け、3月から2ヶ月弱、県内の全ショールームを閉鎖した。当然、リフォーム予定のお客様が、見積もりをとるための機会を失うわけだ。

見積もりの機会が減るとどうなるか。キッチンは、2ヶ月ぐらいかけて受注生産されるから、当然2ヶ月先の現場の仕事が減ってくる。減れば現場で働く人間に対しての、仕事の依頼も減って来る。ここで、悪循環が始まる。

親方と自分も、そういう状況の中にあった。4月の時点で仕事は減り始め、5月には閑古鳥も鳴き始めた。親方の腕は間違いないけれど、お客様の方から工事の延期を望む声も少なくなかった。

*5月末に見た空

こうなると自分は余剰人員のようなものだ。腕は決して悪くはないと思うが、親方の息子さんもいるわけで、そこには親子の情も出て来る。自分は怪我を抱えているわけだったし、考えたすえ、6月から休業へと踏みきることにした。