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人生経験 入院日記 2020年夏

2020年の夏、左肩の手術へ。

*最初に入った病室

昨年の夏、左肩の手術をした。

現場で脚立ごと転落、左肩の腱板を断裂したためだ。

実は、今から5年前にも手術をしている。その時は、手術をするかしないかの選択権を与えられていた。部分的な断裂だったから。

しかし今回は違う、腱板を完全に断裂させてしまった。

事故を起こした瞬間、現場で立ち上がれなかった。脚立に足をからめたまま床に直角にたたきつけられたんだ、動けるわけがない。こんな経験は、初めてだったよ。

仕事を終えてから外科に行き、レントゲン撮影を行った。当日は何も見つからなかったので、痛み止めの薬をもらい、翌日も仕事をしていた。

*5年前の退院の時に 患者仲間の皆さんから

でも、ひと月たっても治らなかった。やはり何かがおかしい。再び外科に行き、MRI検査を行う。

左肩の腱板を、完全に断裂していることが判明。ゴキゴキと骨がすれるわけだ、肩の中でズレが生まれていたんだよ。力の加減が難しくなっていた。

レントゲンっていうのは骨しか写さない。細かいことを知りたければ、MRI検査が必要になる。体が動かないんだったら、初めから検査していたのかもしれないが、結局こんなパターンに陥ることが多い。

痛みの原因がわかった以上、普通なら早めに手術になるはずだが、そうはならないのが2020年という年の事情だった。

コロナ、すなわち新型コロナウィルスの影響が出始めていたんだ。

*5年前の旧病棟からは朝陽も真正面に

5年前と同じ先生が手術を行うから、病院も同じ。その病院でも感染者が出ていた。大病院だし感染への対応は早かった。

それでも、時期をずらした方が良さそうな状況。よくよく考えたすえ、手術の時期に対する先生との考えが一致した。院内の雰囲気が落ち着いてきそうな1ケ月先に決めた。

手術日は7月8日。

2日前の6日、人生で2度目の入院をした。

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俺の考え 日常生活 趣味

車の個性が、見えない。

ホームセンターに買い物に行ったら、懐かしい車が目にはいった。バブル経済崩壊前後、1990年代の初めの頃にデビューした、トヨタの車。両側に、ガルウィングを備えたセラだ。

*上に向かって跳ね上がるドア

ガルウィングっていうと、子供の頃に憧れたスーパーカー、ランボルギーニー・カウンタックを思い出す。もちろん、ガルウィングを備えた車は、他にもいくつかある。

だが、スーパーカーブームの時代だ、カウンタックの存在は大きかった。平べったいフォルムのボディから、ドアが空に向かって跳ね上がる。カッコ良かった!

それをトヨタが採用して、一般大衆車として世に送り出してきた。いろいろな形の車がデビューした時代だ、新しい車種には興奮したね。スバルのアルシオーネSVX、三菱のGTOなど様々。

バブル経済が許していたのかもしれない、メーカーが様々な車に挑戦することを。車の話題に尽きない時代だったし、雑誌やカタログを見ているだけで興奮していた。F1も大盛況の時代だ。

*スバルのアルシオーネSVX ジウジアーロのデザイン
*三菱のGTO 横幅があってデカかった!

とにかく、車1台1台に個性があった。車の名前の数だけ、個性が存在した。だから、新車が出る日が待ち遠しかった。ネット検索なんて存在しない時代、車雑誌が情報源。後はショールームで見るか、街中で見かけるまで待つか、そのどちらかだった。

そんな時に、このセラがデビューしたんだ。

*この頃 丸みをおびたデザインが出始めていた

久しぶりに見かけて興奮した。持ち主さんに頼んで、写真を撮らせて頂いた。買ったばかりの植物用の肥料を積んでる最中でね、開けていた左側は手で支えていないと落ちて来るとか。

作業中にもかかわらず、わざわざ運転席側を跳ね上げてくれた。時間をとりすぎてはいけないから、急いで3枚ほど撮ってお別れした。持ち主さんと車の両者と。

*かわいくて個性的だった

写真を撮っている時の、嬉しそうな笑い方がとても気持ち良かった。ものを大切にする人達の愛着は、どんなものに対してでも深いものがある。この車のように、2度と生み出されないような個性をもつものに対してなら、なおいっそうのことだろう。

車の形が好きだから乗ってみたい。その車に乗りたいから免許が欲しい。そんな興奮をもたせてくれる車を、見つけられない。

今、車の個性が見えなくなっている。

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俺の考え 日常生活 映画 男はつらいよ 趣味

心のありか。

*寅さんの笑顔が大好きだ!

映画、「男はつらいよ」。

言わずと知れた、この国が誇っていい国民的な映画

寅さんこと、渥美清さんが亡くなって久しい。

でも、このシリーズを見ない日がない。寅さんはいまでも、自分に話しかけてくれる。亡くなっても、その存在意義は大きい。

「男はつらいよ」はシリーズで、全50作にものぼる。もちろん1作目から順番に見るのが一番いい。

でも、何かを学ぶという点では、どの作品から見ても問題がないと思う。自分で切り取りたくなるところが、必ずあるはずだから。

*当時の映画のチラシ

今回は、第8作「寅次郎恋歌」から。

寅さんの妹さくら、そのさくらの旦那、博の母親が亡くなる。岡山でのお葬式に、旅先から寅さんも参列する

*腕に喪章をつけて焼香する寅さん

旅先だから喪服がないので、喪章をつけて飛び入り参加する。それを咎めるさくら。火葬中の待合室で自然とふざけてしまう。写真撮影ではいつもの調子でつい、「はい、笑ってぇ」「はい、泣いてぇ」の言葉が飛び出す。

*ついいつもの調子で…
*「はい、笑ってぇ」「はい、泣いてぇ」…

だけど、ここが寅さんのいいところ。

親族みなが帰った後に、商売の帰り道、独りになった博の父親を訪れる。寂しい思いをしているのでは、そう考えた上でのこと。そこで博の父に、説教めいたことを言われるのだが。感化されやすい寅さんは、その話を聞いて感動、柴又に戻っていく。

振られるたびに、あるいは喧嘩っ早いから、そのたびに寅さんの周りには騒動が絶えない。でも思うんだ。事が済めば仕事を理由に帰ってしまう親族と、父親を気遣う寅さん、一体どちらが人間らしいんだろうかって?

博の父親との談笑する寅さん

人にはそれぞれの理由があるから、一概に何が正しいとか間違っているとか、それは言えないし言ってはいけないだろう。

でも、説教していた博の父親が、寅さんと過ごして楽しくなかったとは思えない。自分がその立場なら、あり得ないと思う。迷惑だと言うさくらの心配とは逆に、心の中では感謝するだろうな。

寅さんのように、自然な形で相手の気持ちを思いやってあげたい。押しつけがましくするのではなく、相手の心に、そっと寄りそってあげたい。何よりも人として、いつもこういう気持ちでありたい。

こんなふうに思うのは、はたして自分だけだろうか。

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俺の考え 健康 日常生活

高血圧対策のために、血圧計を購入!

昨年の夏に手術をした夜のこと、かなり血圧が上がった。入院生活のところでも話をしたと思う。手術した夜なんだから、身動きなんかとれない。機械の警告音がうるさすぎて、おちおち目を閉じてもいられなかった。

そんなことがあったから、入院生活を終えた後も、自宅で高血圧を抑えることに取り組んでいる。

*左が最近使い始めた手帳 右2冊は病院からの支給品

病院から支給された血圧手帳に、毎朝毎晩、測った血圧を記入していく。血圧計は以前も持っていたが、壊れたまま放置していたので、去年の引越の際に処分。退院してから再び買うことにした。

初めに考えるべきこと。据え置きタイプにするか、それとも携帯タイプにするかだ。旅行する時のことなどを考えると、携帯に向く小型のものがいい。据え置きタイプには安定感を感じる。同時に買うのはもったいないので、携帯タイプを買うことにした。

次にメーカーをどこにするか。すぐに浮かんだのはオムロン。他に、テルモ・タニタ・シチズンなどなど。さっそくAmazonで検索する。

最近は、いやもうかなり長いこと、電化製品を量販店で買うことがほとんどない。Amazonか楽天、あるいはショップ直売の通販で買うのがほとんど。中でも、Amazonに頼るのが圧倒的だ。

*初めに購入したオムロンの携帯型血圧計

それでわかるの?手に取らなくてもわかるの?そう思う方もいるだろうけど、そこは研究心と経験がものをいう。このことは、別のところで書いてみよう。今は、血圧計の話をしなくては。

まあ結局のところ、頭の中でもAmazonの中でも、オムロンのシェアが圧倒的なんだ。携帯タイプでも据え置きのタイプでも同じこと。信頼と実績、種類の多さ。オムロンは強いよね。ある商品が気に入って、マウスをクリックして血圧計を決めた。

でも、この商品を選んだことで、後々かなり悩まされることになったんだ。

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俺の考え 日常生活 読書 趣味

読書は必ず役にたつ! その1

本を読むのが大好きだ。生きていく上で、本が役に立つ場面が多いことは間違いない。

とは言っても、以前みたいに、読んだ本の数に執着するような、読書の仕方はしていない。今はもっぱら、気に入った本の再読にこだわっている。

*繰り返し読む 愛読書の一部

それでも、やはり地道に読んではいる。読めば読むほどに、本の魅力にとりつかれていく。本は、自分の知らない知識を、作者が経験談として語ってくれる。それもコンパクトにわかりやすく!

だから読む側は、得しているんだと思った方がいい。

読み進めていくうちに、自分にとって役に立つと思えることが、必ずあると思うんだ。少なくとも自分にはあった。それも少しじゃない、抱えきれないほどたくさんだ。

*ブログを立てるために 文章力も高めたい!

高校の頃は、ほとんど本を読まなかった。きっと、そのせいだと思う。国語の成績が悪いなんてもんじゃない。5段階評価ではの常連者。英語の成績が悪いって言うのなら、世界共通語と言ったって他国の言語だからね、まあ仕方がないとも思う。

でも、自国の言語の成績が悪いなんて、やはり恥ずかしいことだよね。当時はあまり深く考えていなかった。他の教科の成績も悪くて、出来の悪さが平均化していたからね。

古典とかは別としても、なんであそこまで成績が悪かったんだろう。思い返すたびに苦笑いも。試験の時の、この登場人物は何を考えているんでしょう?なんて問いには、答などまったく浮かばない。文章の読み方がわからない。問題文さえ?の状態。

読書の習慣って、やはり大切なんだと思うよ。

読書を繰り返すことで、文章の前後の流れがスムーズに頭に入って来る。登場人物の考えていることを、予想しながら読むことができる。登場人物の考え方によりそうこともできる。

*友人のお薦め 田辺聖子さんの新源氏物語

そうなれば、しめたものだ。好奇心が、読書のペースをどんどん上げてくれる。あの頃、こんな気持ちであれたら、国語の成績ももう少し良かったと思う。今だからこそ、言えるんだけどね。

量をこなすのもいいし、同じ本を何度読むのでもいい。

要は、自分にとって必要だと思える本を見つけること、これが一番大切じゃないかな。自分にとって大切なら、何度でも読みなおすでしょう?読み直すことで愛着も湧く。愛着が湧けば、本の楽しさを知って、もっと多くの本を読みたくなる。最高の瞬間だ。

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俺の考え 日常生活 趣味 音楽

音楽は生きるための、最高の食事。

*オフコースに夢中だった自分のために母親が

音楽なしの生活を、あなたは想像できますか?

自分には絶対にできないよ、断言してもいい。

音楽がなかったら、暗闇を手さぐりで這いずるようなものだ。

音楽は生きるための、最高の食事だと思っている。

様々なジャンルの音楽があるけれど、何を聴いたっていいんだ。自分が聴きたいと思う音楽に、じっくりと耳を傾けて味わえばいい。自分のにふれた時、音楽は絶大な力をもつことになる。

もし、ラジオから一曲も音楽が流れてこないとする。DJがずっと話だけしているんだ。どんな世界になるんだろう?

*ラジオでふれた岡村孝子の優しい声

想像するだけでも、暗闇をさまよいそうだ。1時間枠のプログラムだとして、放送されている間、延々と話し続けることになる。DJの声だけしか聞こえない、こわい…。CMが流れる瞬間を、待ちわびるかもしれない。本末転倒だね、それじゃ

でも、そのCMにも音楽が流れなかったとしたら…。

こんなことを想像してみるだけ、時間の無駄だよね。

それだけ音楽は、人間の生活の一部になっている。毎日毎月毎年、たくさんの音楽が生まれる。新しく生まれた音楽の中には、必ずと言っていいほど、自分が気に入る曲もある。

そして何よりも、音楽に目覚めたころからずっと、自分を支えてきてくれた曲もあるはずだ。その曲は、どんなに新しい曲が生まれてきたとしても、自分の中ではゆるぎない地位を築いている。最後には必ず、その曲を聴きたくなる。言わば、人生の一曲だ。

そういう曲が、あなたにもあるだろうか?

*今 この歌詞は いっそう心に響く

自分にとっては、この一曲。

オフコース の「NEXTのテーマ~僕等がいた」。

生涯にわたって欠かせない、自分にとっての最高の食事。

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人生経験 俺の考え 日常生活

借金は、仕事への意欲の原動力。

借金は、仕事への意欲の原動力になると思う。

今の自分には借金がない。長期のローンもない。何かを買った時に支払いをカードで済まし、後払いにすることはある。それでも、すべて翌月払いだから、借金は無いに等しい。

*小倉昌男から学ぶことは多かった

でも、これはここ数年の話だ。それまでは、借金のない生活をしたことがない。自慢するようなことでもないけど。

5年前に手術をした頃には、まだ借金があったな。全額を返済するまで残りわずか、そんな状況だったから、金額的には借金と言えなかったかもしれない。とにかく今は、借金はない。

でも、この数年をふりかえると、働く意欲があってなかったような気もする。いや、言い方が悪いかな。意欲はあるんだけど、なんて言うんだろう、がつがつがつがつとお金に執着して稼いでやるって、そんな気持ちが欠けていたような気がする。

18年前に自分のトラックを買い、自家用車も買い替え、それ以前から続いていた借金も同時に返済していた頃は必死だった。

*松下幸之助氏の道をひらくは今でも愛読書

とにかく返さなければいけない。返済を滞らせるわけには行かない。借りれば返すのは当然。でも計画性よりも、勢いでやっていたから、返済計画はあってないようなもの。ただひたすら、今月はいくら、来月はいくら、一年でいくら、その繰り返しだった。

第1次運輸時代の頃は、規制緩和の流れもあって、規模に関係なく運輸会社の数がかなり多くなっていた。その結果、運賃は下がり仕事は取り合いだった。携帯電話が鳴るのを待っていても駄目、走りながら仕事がありませんか?の電話を繰り返していた。

詳しくは別の機会に話すけれど、あの頃の必死さが今の自分には足りない気がする。それはつまり、借金に追われているという、切羽詰まった状況にないからだ。

*ロッキーの姿をいつも追っていた

借金なんかない方がいいに決まっている。

とはいえ、借金があったことで必死になった。必死な状況の中でも、仕事の質を高めようと努力もした。自分自身の質も高めようと努力した。質が高まれば仕事の依頼は増える。そう思えば頑張れた。ゴミさえも拾い、仕事のためにうまく利用しようとした。

借金は確かに、仕事への意欲の原動力になっていた。

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人生経験 仕事 俺の考え 日常生活

初めて働いたのは、巨大な運輸会社!

平成5年、西暦にすれば1993年の4月、岐阜県大垣市に本社をおく、西濃運輸株式会社の社員になった。

*西濃運輸のボンネットトラック型チョロQ

大学の就職活動では、ほとんど運輸会社だけを回った。なぜそうしたのか、正直言って明確な答え方ができない。在学中のバイトが、特に1年と2年の時には肉体労働が中心だったから、自然と自分の中でそれを求めていたのかもしれない。

いくつかの運輸会社を回っているうちに、西濃運輸さんだけがスムーズに最終面接まで進んで行った。そのままの流れで、6月には翌年の就職先が決まっていた。その時は素直にうれしかった。

でも恥ずかしい話、本社が大垣にあることを知らなかった。面接がすべて東京の浜町だったから、そこを本社だと思い込んでいたんだ。面接がスムーズに進み過ぎたことに加えて、今思えば、就職活動自体に真剣さが足りなかったのかもしれない。

不真面目だったなんて、そんなことは決してない。まだ深く世間をわかっていない学生だとしても、活動自体の大変さはよくわかっていたよ。日本の世の中はバブル経済がはじけたばかりで、新卒と言えども、就職は大変な時代に入りつつあったんだから。

それでも、スムーズに最終面接が通ってしまったものだから、それ以上は詳しく調べるつもりはなかった。就職活動自体は終了。残り半年は2つの単位のために通学、後はバイトで春を待った。

4月1日の入社式は、大垣で行われた。前日、千葉県八千代市から京成電車に乗り、青春十八きっぷを使ってJRを乗り継ぎながら大垣に向かった。合計で約10時間かかったと思う。

*大垣駅周辺は 今もあまり変わっていない

会社は赴任手当として、交通費の全額を支給してくれるはずだった。そこを、あえて青春十八きっぷを使い、各駅と快速だけで大垣に向かったのはなぜか?

自分の中にあった旅をしたいという気持ちと、会社の負担を減らしたいという気持ちの2つからだったかな。

笑えるよね。まだ、入社式もすませてなかったのに、すでに愛社精神みたいなものをもっていたんだから。でも本人は、いたって真剣だったよ。とにかく無事に大垣について、めでたく入社することができたってわけ。

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人生経験 入院日記 2016年冬

2016年の冬、右肩の手術へ。

*人生初の入院 これが初日の晩餐メニュー

2020年の夏に左肩の手術をしたが、実はその4年半ぐらい前に、右肩の手術をしている。その時は腱板の部分断裂で、手術をするかしないかの選択権を先生からいただいていた。

第2次運輸業の時代、かなり重いパレットを右手だけで投げたことに原因がある。まあ、それだけでもない。それまでの、無理の積み重ねの結果でもあったかな。

仕事のところで話をするが、個人事業主になってからは運輸業と建設業、この2本立てでやってきた。特に第1次運輸時代と第1次建設業の時代、重量物を扱う際にかなり無理をしてきた。

力についてはかなり自信があったから、無理を無理とも思っていなかった。荷物や部材を目の前にすれば、可能な限りひとりで限界に挑戦、限界の存在を認めていなかった。

この時は成田空港の貨物地区で、トラックに輸入貨物を積んでいた。からになったパレットを、荷台の上から地面にむかって投げて落とした。その瞬間、右肩にグキって違和感を感じたんだ。

空港の貸し切り運送の仕事は、往々にして走る距離も長い。場所はすでに忘れたけれど、荷物を積んで即出発。

でも何かがおかしかった。肩の中がギコギコとすれるのを感じた。ハンドルをにぎる上では特に問題はなかったから、目的地まで走り続けて荷物を下した。戻る時も同じ、ただ走り続けた。

それからしばらくしても、変な感覚が消えなかった。荷物を持つことはできるのに。気になって、かかりつけの外科に行く。MRI検査をしたら、腱板の断裂だと判明した。

2020年の夏に、手術をしてくださった先生には、この時からお世話になっている。ただ、手術をするかしないかは、選ぶことができた。当時45歳、2015年の秋。先を考えて手術しようと決めた。

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俺の考え 写真 日常生活 趣味

一眼レフで、写真を撮り始めた。

Twitterで毎日、ツイをUPしている。ブログを始めようと思った理由は、こんな毎日の中にある。

ツイをあげる際には、ほとんどと言っていいぐらい写真を掲載する。基本的に、自分で撮ったものを中心にして。自分の写真だと文章も説得力をもつ。なによりも、写真を撮ることが楽しい。

*愛車のジャイアント 最近はご無沙汰ぎみ

実際に写真を撮り始めたのは、この2、3年の間のことだ。夏になると、たまにサイクリングをしていた。田舎道を走っていると、写真を撮りたくなる。自転車だから、どこでも止められる。

そんな時に、気軽に写真を撮れるスマホはいい。気軽に撮れるからこそ、スマホが貴重な時代なんだ。撮った写真をすぐに送れる。本当にいい時代になったなと、実感できる毎日だよね。

だけど、スマホにも限界がある。望遠で撮ったとしても、拡大してみると写真の画があらくなる。画像センサーが小さいことが理由かな。画素数だけが大きくなっても駄目なんだ。

そうなると、単体のカメラが欲しくなる。一眼レフだ。最近はミラーレスが主流なのかな。とりあえず一眼レフ。まだ初心者の域だから特にこだわらない、必要とする機能があればい。

*現在所有する一眼レフはD7500

必要な機能ってなんだろう。無線でスマホと連携して、写真がその場でスマホのアプリに送信できることかな。これは、本当に便利だよね。撮ったと同時に、写真がスマホに飛ぶんだから。

スマホに飛んだ写真は、大きめの画面ですぐに確認ができる。失敗作は、その場でも削除。また撮りなおせばいい。今見せたいって思う相手がいるなら、すぐに送ればいい。手紙の時代が、まるで噓のようだ。

*このハンドストラップがお気に入り!

まあこんなわけで、写真を撮り始めることにした。買った機種は、ニコンのD7200。中古で。自分に新品はもったいない。状態のいい中堅どころを、中古で安く買うのがちょうどいい。