カテゴリー
人生経験 俺の考え 日常生活

本音を語れる相手

今日は、人生の先輩と語り合って来た。いや、いつものことではあるが、僕の方が3分の2ぐらい口を開けていたか、あるいはそれ以上だったかも知れない。兎に角、話を聴いて下さる方がいるということは、ありがたいことである。特に、僕のように自己主張が強く、色々と考える事が多い人間には必要不可欠な存在だ。

※雨が降る前の10時頃の手賀沼

この1ヶ月間だけをふり返れば、今日お会いした方を含めて4人の方と語り合った。話を聴いて頂き、話を聴かせて頂いた。非常に内容が豊かで濃い、人とのふれ合いができた1ヶ月だった。それぐらいのことなら日常的だとおっしゃる方もおられるかも知れないが、僕の道に影響を与えたかどうかが一番大切なんだよね。

初めの方は、少し歳が上の大工さんである。Twitter上で知り合ってから、3年半は経っていると思う。僕が住む佐倉市に近い場所が地元の方だが、仕事の範囲は東京まで及ぶ。昨年末頃から3ヶ月近く東京まで往復し、お客に吠えられながら腕を振るっておられる。仕事中心の方かと思ったりもするが、とんでもない。

※牛角の食べ放題で肉を胃に送り続ける

レッドツェッペリンで音楽ライフを始めたらしいが、今はベビメタやけものフレンズを追っかけておいでだ。ベビメタのTシャツを着て、メンバーの一人が脱退した時には気が抜けたどこではなかったらしい。最近、順番待ちした挙句にスーパーカブを購入され、仕事以外の時間は県内を東へ西へ出没しまくっておいでだ。

だが、仕事は仕事で泥くさく汗くさい昔ながらの世界に、もてる技術を惜しまず投入されておられる。丁稚奉公的な名残があった修業時代を過ごしておいでだから、本来、大工を職業とする方達がもっていた技術を身につけておられる。実家のリフォームが必要な時にはお願いして、横浜まで走って頂ければと思う次第だ。

※スーパーカブを楽しむ棟梁殿

二人目の方は、いつも僕の髪を刈って下さる床屋の大マスター。50歳を越えて頭が薄くなったわけではないが、髪自体が細くなる為、同じペースで伸びても以前ほどに伸びた感じがしなくなる。だから最近は、以前より刈る回数も減り、1ヶ月半に一度くらいになっているが、それでも23年近くは刈って頂いている。

この大マスターとの話が又、すこぶる楽しい。いや、この場合でも、僕の方がたまった話をしまくり、聴いて頂いていると言った方が正しい。髪を刈り洗髪無しで2,000円、払うのは当然のことお客である僕だ。だけど、僕の中では話を聴いて頂いたからお支払いするという感覚。何せ、80歳を越えておられる方だから。

※街中の上空にある雲には別の味が

10年以上前だったろうか、ある日突然入院して手術を受けられた。ご子息の小マスターの話によると、脳の血管だったか詰まりものが見つかって即入院になったとか。でも、3週間以内には復帰されて今に至っておられる。鋏を動かすことがライフワークで人生のリズムをとってるわけだ。そのご姿勢は、尊敬に値する。

でも80歳を越えれば、立ちっぱなしの仕事は決して楽ではないと思う。そこへ話好きの僕が話すのを笑いながらお聴き下さり、僕の希望通りの仕上げもして頂いている。ある意味で僕は、得をしているのかも知れない。本当なら代金と別のお礼を支払うべきなのか。店を出る時の僕は、頭と心の両方がスッキリしている。

※旨い焼き鳥を食べると話も弾む

3人目は、つい先週会ったばかりの運輸業時代の友人。よくよく考えてみると、同じ市内に住みながらも、6年半近く会っていなかったようだ。運輸業をしていた頃は、お世話になっていた運送屋さんの助手も請け負っていて、彼の横乗りもしていた。一匹狼的な人間でも、横乗りする時の楽しみは語り合えることだろう。

特に年齢が近く、自分なりの信念をもって仕事をしている人との話は弾むものだ。それは、どんな職業に就いていても同じことだと思うが、運送職人を念頭においていた当時の僕としては、我が強くともポリシーをもって運送する彼の横乗りは楽しかった。二人とも今より若かったから、車内でのイライラも多かったけど。

※餃子の羽根のパリパリを楽しむ

そんな彼と飲食を共にした僕にとっては、2年半ぶりのお酒の席になった。久しぶりの再会もあったからか、久しぶりのお酒も旨さを増して僕の体内に収まっていった。お酒ありきの生活から、お酒はたまに飲むから余計に旨く感じられる、それを実感した席だった。当然、良き相手と語り合うからお酒も旨くなるのだが。

そして4人目が、今日お会いした方。御年70歳を越えていらっしゃるが、まだまだ現役バリバリの農家のご婦人。Twitterを通してお知り合いになり、3年近く経った思う。2年と2ヶ月ぶりにお会いしたが、若返っておられる気が。約束の時間よりずっと早い時間から、手賀沼の風景をカメラに収めまくっておられた。

※ブロンコビリーのステーキに舌鼓

雨が降る前の手賀沼そばの公園で、介護を中心に熱い語りをさせて頂いた。ご家族の介護も経験されておられるから、お互いに共感できる点も多い。僕自身からすれば、今やっていることが、介護において決して特別なことではないのだと実感できる。誰もが順番に経験することで、我が身に置き換え考えるべきことだと。

熱い語りは、ご馳走して頂いた厚いステーキを前にして、更にいっそう熱い内容になった。気温が暑い上に語りも熱く、ランチも厚いというアツイものずくしの6時間。お口直しにコメダでブラックコーヒーを頂き、もう一つ厚いサンドもお土産に持たせて下さった。こうなると、僕の未来を更に熱くする必要が出てきた。

※お土産にお菓子とコメダのサンドを

といった具合で、この4人の方々との熱い語りは、少なからずも僕の道に何かしらの修正を与えた。結局のところ、僕は語れる相手に語りまくって己の内を吐き出し、そこで相手の方々から感じられる何かによって、常に修正を掛け続けたいわけだ。同じ状況に甘んじられないってことかな。それを確かめたいんだろうな。

その為には、自分自身の意見をハッキリと言える方が必要だ。聴く耳をもち、同時に意見を出し惜しみしない。集団の中では本音が出ないことも多い。1対1で2時間3時間あるいはそれ以上語り合えて、核心をついた話が出来る。相手の数は多くなくてもいい。大切なのは、互いの本音を引き出せる相手だと思っている。

※雨の中でも桜は映える🌸
カテゴリー
俺の考え 日常生活 趣味

二連休でも時間が足りない

夜勤専従者としての二連勤を終えた後、久しぶりに二連休になった。ちょうど土曜と日曜にあたり、世に言う週末の二連休ということになる。この仕事をしていると、日曜祭日とは無関係になってしまう。自分の希望休以外は、他のスタッフとのバランスを保ちながら、担当者がシフトを組む。365日が出勤対象日になる。

※実話を基にした差別を問う素敵な映画

だが、週末に二連休になったとは言え、僕の生活が変わるわけでもない。7時頃に起床して雨戸を明け、まずは外気を感じて太陽を探す。太陽の光は、体内の時計を修正する意味でも非常に大切だ。雨戸を開けた瞬間に光が見えるのは、何とも気持ちいいもので、その日一日の幸先の良さを感じもする。太陽の存在は重要。

でも、よくよく考えてみると、僕の生活も随分と穏やかなものに変わって来ている。運輸業や建設業の時代は、3時や4時に起床するのが常だった。暗い内から仕事に出発する自分に自己満足さえ覚え、車で移動中に昇る太陽を見られることが嬉しかった。その頃と比べてみると、今の生活が何とも穏やかなものに思える。

※多めに余ったので夜の賄い食として

そんな穏やかになった日常の中の貴重な二連休、出掛けるかと言えばそうでもない。これも、20代の頃などに比べると随分と変わってしまった僕の現実。大垣で暮らした頃には、14時頃から往復400㎞ぐらいのドライブにも勇んで出掛けた。20時には戻っていたから、ただひたすら走っていた。高速も快感だったね。

今の車は古くなり老いてしまったから、決してこれだけが理由ではないが、すっかりドライブとはご無沙汰。いや、本当は『男はつらいよ』的なドライブをしたいのだけれど、兎に角やりたいことが多過ぎて、時間も費用も捻出できない。休業も尾を引いてはいるが、籠ってやりたいことも多く、全く時間が足りていない。

※施設から見えた朝焼けが良かった

先回にも話をした通り、夜勤専従で仕事をしていると、休みとしての時間は多くあるが、決して思い通りに体は動かない。夜勤はほぼ徹夜に等しいから、明けた日の昼頃には眠気に襲われるし、少し居眠りしたぐらいで眠気はなくならない。だから丸々一日が休みになって初めて、勉強などにも身が入っていくような感じ。

まあ、帰宅してから一旦寝ればいいのだけど、そうなると夜型の体に変わってしまう。それは極力避けたい。人の生活はあくまでも昼が中心で、25時間の体内時計も、太陽の光で24時間に調整する。だから居眠り程度に済ませて、可能な限り起きて出来ることをやっていく。その最たるものが、僕にとっては歌うことだ。

※久しぶりにキジと遭遇した

歌っていると時間も忘れるし、溜まっているはずの疲れさえも忘れられる。近頃はアプリを使って何度も同じ曲を練習する。その日の最高の満足を得られるように歌を録音する為、あっという間に2時間は流れる。気がつけば窓から見える空は夕陽に燃え、満足と反比例して疲れは倍増する。夜の熟睡にはベストな状況に。

熟睡はいいが、やりたいことは持ち越される。夜勤中に読めなかった日経を遡って読み、見たい映画やアニメも鑑賞。本も読みたい、掃除もしたい。必要としている勉強もしたい。これらを一日で収めるためには、休みの日にもカリキュラムが必要になる。生活空間は、あたかも学校のようになり、引き籠りも当然になる。

※トム・ハンクスはやっぱり名優だ

こうなると足腰が弱くなる。だから車通勤をせず、風景を楽しみながら歩いて仕事場まで往復する。往復4㎞ぐらいだから大したことはないので、休みの時は自宅でスクワットもする。17歳の頃から欠かしたことがない腕立て伏せを、カリキュラムの合間に繰り返す。結果的に、1月中旬から体重を4㎏は落としている。

こうして僕の休日は、隙間のない一日へと変わっていく。でも二連休なら時間に余裕があるのでは?ところがそうはいかない。映画鑑賞なら、見る本数を増やしたい。日経なら、じっくりと読みたい。勉強なら前倒しでやりたい。それぞれが更なる充実感を求めてくる。二連休などあっという間、全く時間が足りていない。

※昆虫ヅラしたこの電車が好きだ

凡人の僕がこんな状態なんだから、世のやり手の経営者達はさぞ忙しいことだろう。朝令暮改は当たり前、やってもやっても満足のいく仕事をする為にも、時間が足りないことを嘆いているのかも知れない。いや逆に、仕事が出来る人達は時間を有効に使えているはずだから、凡人の悩みを理解することが出来ないのかも。

と言うわけで凡人の僕は、新型コロナウィルスが猛威を振るったから引き籠っていたわけでもなく、やることが多くて引き籠る時間が当たり前になっている。ただ引き籠りが日常化していることで、この3年間は楽だった。変わったことは、常にマスクを付けていることだけ。後は淡々と、僕の日常をクリアしてきたのだ。

※ポイントをピザに変換する

貴重な二連休は瞬く間に終わった。映画を何本か鑑賞したし、勉強も良いペースで進められた。歌の練習も出来たし、本を読むことも出来た。だけどカリキュラムは未達状態に終わった。アマチュア無線の勉強が遅れている。英語の勉強も遅れている。やはり時間は足りていない。明日には明日の勉強があるし、さてさて。

カテゴリー
人生経験 介護の仕事 俺の考え 日常生活

「待てない」ということ

買い物をしていると、必ずと言っていいほど、イライラしている人がいる。特にレジ待ちの列の中で。なぜイライラするかって?なかなか、自分達のレジの順番が来ないからだ。前の順番に、たくさん買い物をする人がいたとしたら余計にイライラしている。他人の買い物かごをチラ見しては、イライラを助長させている。

※毎日見慣れた風景も味があるもの

そこに更に拍車をかけるのは、レジ打ちの店員さんが新人研修生の時。独りで打ってはいても、レジ打ちの速さに問題なしとは言えない。研修中は特に注意力を研ぎ澄ましているから、本人が思っている以上に、レジ打ちのペースは遅くなっているのかも知れない。だが、研修中から間違うよりはいい。遅いのが当たり前。

慣れてくれば、普通にペースも速くなっていくはず。個人によって差はあるとは思うが、その人に仕事への意欲があれば自然とペースも速くなっていくものだ。何をやるにしても、初めから速かったり上手に出来るのであれば、誰も苦労はしない。覚えていく過程自体が学びであり、教える側にとっても再確認の場になる

※半額で買っても美味しさは同じ

問題は、そういう人を前にして、待てない人達がいるということだ。まあ、人それぞれに性格は違うのだから、待てない人がいても当然かも知れない。ただ、いい大人達が、待てない気持ちを顔にありありと浮かべている姿は、目にした者にとって気分が悪いものだ。あなた方に、研修していた時代はなかったのだろうか?

それにね、そういう顔をしていると、レジを打っている研修生は緊張を高めてしまい、焦りも生じて混乱を来たすことだってあり得る。それなりに人生経験を積んだ人間なら、例えお客の立場であっても、相手を応援するぐらいの気持ちで、ドンと構えて見守っている方が、ずっとカッコよく見えるのではないだろうか?

※マンガがついていると勉強も捗る

まあ、こんな風に偉そうに話している僕ではあるけれど、もっと若い頃は、僕自身もイライラする側にいたのかも知れない。もっと融通を利かせて速くやれよ、なんて心の中で叫んだりしながらね。でも、こういう時の僕は案外控えめな性格になったりする。相手の気持ちを考えてしまう、僕自身を同じ立場に置き換えて。

どちらにせよ、まだ世の中が分かっていない子供ならまだしも、いい大人が腰に手を当てたりして、まだかよ!みたいな態度でイライラしている姿はみっともないものだよ。子供をもつ親であるような人なら、子供の動きの遅さに毎日イライラしながら過ごしているのかな。世に言うタイパが、すべてに及んでいるのかな。

※この映画は心がホンワカする

でも、この待てないという態度は、介護の世界では致命傷になり兼ねないね。なぜかって?当然だろう、待ってもらわなければ、先に進めない人達の世界で仕事をしているんだもの。速くしろ速くしろなんて心で思っていたら、己が気づかぬ内に介助の中にそれが表れて、気づいた時には相手が呼吸困難になっているかも。

だから正直に言えば、初め僕には介護が向かないと考えていた。運輸業や建設業という時間が勝負の世界で若い頃を過ごした僕が、食事介助を必要とする利用者さんを前に、皆さんのペースに合わせて口元にゆっくりとスプーンを運べるのか、僕は自分自身に自信を持てなかった。窒息させてしまうかもなんて考えたり。

※巨大おにぎりの具はハンバーグ

初任者研修の講習時、いろいろな講師に問いを繰り返していた。僕みたいな性格をしている人間が、食事介助など出来るんでしょうか?相手のペースの遅さに、すぐにイライラしてしまうんじゃないでしょうか?講師の方々は、頷きながらも話された。仕事として割り切れるのであれば、決して性格だけではないですよと。

実際に仕事を始めた頃は、右も左も分からないから戸惑いの中で焦りも生まれ、僕自身のペースの中に落ち込んでしまうこともあった。だが、3つ目の施設で仕事を始めた今、僕は自分をコントロール出来ている。個々の高齢者のペースに合わせて、自分のペースをアップダウンさせている。あくまでも利用者様が主体だ。

※こういうモクモク感の雲がいい

だから余計に、日常風景の中で待てないという現実を見るにつけ、それを僕自身を客観的に見る機会と捉え、反面教師的な学びの場とさせてもらっている。待てない気持ちを顔にありありと浮かべている姿が、いかに醜いものなのか。人間は神様ではないから完璧などはあり得ないが、感情のコントロールは大切な事だ。

それ故に思うんだよね。介護の世界において資格は大切だし性格も大切だけれど、まずは人間としての器を磨くことが大切ではないかと。利用者の方達だって、本当に思い切り体を動かしたいんだよ。それが様々な理由で出来ない。そこに来て介助まで本人が望むペース以外のものなら、生きる楽しみは下がる一方だろう。

※ローソンの巨大コロッケは美味

こんなことを話してみようと思ったのは、このレジ打ちのような話が日常茶飯事だからで、近頃ますます増えているような気がするからなんだ。時間を切り詰めることばかりが求められて、人を育てることに時間を費やそうとしない。それを取り巻く外側の人間も、少しぐらい我慢をして見守ろうという余裕が消えている。

人を育てるには時間がかかり、費用もかかる。だから費用を抑える為に最短の時間で人を育てようとする。でも、そこには必ず無理が生じてくるものだよ。基本が完成しないところに、応用もまともに成長はしない。長い目で見れば時間的な余裕は大切。その余裕をもつためにも、人間としての器を育てる必要があるんだ。

※京成電車に似合う臼井の風景

人ひとりの成長さえ余裕をもって見守れない社会に、明るい未来など考えられない。人の成長は、社会に出てからの方が本番になる。誰もが待ってもらいながら、自分を成長させてきたはずだ。少しでも自分が成長出来た時、次に成長していく人達が現れる。そんな時こそ原点に戻り、気長に待てる僕でありたいと思う。

カテゴリー
人生経験 介護の仕事 俺の考え 日常生活

認知症の世界を学ぶ

初めて認知症の方と向き合った時、それは驚いたものだった。これが認知症というものか、と。徘徊だけならまだいい方だ。今食べたはずの食事を食べたことを忘れる。今行ったはずのトイレに行ったことを忘れる。挙句には、排泄とういう行為があること自体を忘れ失禁を繰り返す。それはそれは、別世界のようだった。

※ 仕事の日は大きなおにぎりを持参

だから、ある程度は達観した生き方を覚えているはずの僕自身でさえも、その対処の仕方には戸惑った。ましてや他人だ、その方達の人生については人づてに聞くか、あるいは記録されていることでしか知りようがない。その方が重ねてきた人生が分からなければ、話の聴き方も分からない。まずは、観察あるのみだった。

観察だなんて言い方をすると、まるで動物園で檻の中を覗いて観察をしているようで、あまりいい感じはしない。だけど、仕方がない。仕事のためには、いい意味で観察をするしかない。綺麗ごとだけで、他人の人生の手助けなど出来るはずがない。その方が何を求めて言葉を発し動こうとしているのか、知る必要がある。

※ 今の方が福澤諭吉を理解できる

ある男性は、未だに自分が経営者だと思い続けていた。経営している会社を親族に任せて、自分はのんびりしている。その親族には経営能力がないから、早く帰らなければならない。自分が行かなければ会社が潰れる。今晩は電話をして、話を聴いてやらなければならない、でも電話が繋がらない…。会社は清算済みだが。

ある女性は、昼と夜が逆転していた。トイレの場所は分かっていても、行ったことを忘れる。でも男女の話は覚えている。若い頃、水商売をしていたらしい。様々なお客の相手をしてきたのだろう。入浴中には、こんな婆さんの相手よりも若い人の方がいいべ等と、その手の話には事欠かない。そんな時に顔が一番輝く。

※ キャベツ好きの僕にはたまらない

ある男性は、兎に角帰宅をしたがった。かかあが待っているから帰らなくちゃいけない。かかあが迎えに来ているはずだ。かかあの奴は先に帰ってしまったかな。俺が帰らないと家の仕事が回らない。夕方が来ると施錠された入り口の傍で、独り椅子に座り太陽を見ていた。言葉巧みに誘導する僕、少々後ろめたささえも。

変わって今働いている施設では、重度な認知症の方が少な目である。一方では、利用者の方が平均的に認知を落としているようにも感じる。そうなると数年経った時、皆さんが平均して認知を落としている可能性もある。そうなった時に介助する側には、更に掘り下げたモノの見方や知識や知恵が必要になってくるだろう。

※ 地道に介護に関する知識を学ぶ

でもね、今現在だって観察力は必要とされるし、観察するためには知識や知恵が必要だ。認知症の方にダメだよと頭ごなしに話している人がいるけど、何がダメなのか理解できない場合も多い。それよりも、その方の視線の先や心の先、その道筋を理解できるように寄り添い傾聴できる技術を身につけることの方が大切だ。

例えは悪いかも知れないが、先年亡くなった実家の猫さんについて話してみよう。彼とはたまにしか会えなかったが、僕は彼と話をするのが好きだった。彼は賢く、脳の大きさからすれば、彼の知力の方が僕よりも上に思えたりもして。追いかけて遊ぼうものなら、いつの間にやら、僕の方が追いかけられていたりしてね。

※ 通勤途中いい感じの雲に出会う

そんな彼と話す時、僕の目線を彼の目線かそれ以下に落として話をした。彼の話を聴くにあたり、僕が彼と同じ立ち位置にあり、互いに平等であることを伝えた。彼はじっと僕を観察しては時折、その手を僕の頭の上に置いた。まるで僕を慰めたり、僕の話に理解を示すかのように。それは僕にとって至福の時間だった。

認知症という病を持った方達は、ただ認知症という状況に入ったに過ぎない。80代や90代のお歳にもなれば、皆それぞれに深く生を重ねてきている。それを、ただの病人扱いして、子供を諭すような言葉遣いで話をすることは、その方達の長い人生への冒涜にも成り得る。猫さん目線より低くするぐらいの気持ちが必要。

※ 職場で頂いた大阪のお土産

そんなわけで、認知症の方と接する日々の中で、僕自身は認知症というものに抵抗が無くなった。いや、抵抗なんてものは元から無かったと思う。接した経験が無く、知識や知恵が不足していただけに過ぎない。自主的に勉強して来た今現在、もっと長い経験をしている専門職には適わなくても、更に学べると考えている。

どちらにせよ、認知症を患う人の数が2025年には700万人を超えると推計されている。65歳以上の高齢者のうち、5人に1人が認知症に罹患するという計算だ。家族の介護だけでは、家族そのものが病む可能性も出てくる。より多くの施設が必要とされ、真摯に向き合って仕事をこなせる専門職が必要とされるだろう。

※ 介護に関する書籍を並べ直した

介護や医療の仕事に就いていなければ、認知症の現実を知る機会は限られている。その現実を突きつけられた時、初めてその重さを実感するはず。仕事で向き合うのは赤の他人、だから仕事にできる。だが実の親だとしたら、事はもっと難しくなると思う。そこには、切っても切れない血の繋がりが存在しているからだ。

カテゴリー
介護の仕事 俺の考え 日常生活

介護の仕事は低賃金か?

一口に言ってしまえば、けっして高くはない賃金ということになるかな。この業界に長くいるわけではないが、夜勤をやらなければ生活が成り立たない、そういう人達も少なくはない。夜勤に就けば深夜手当も付くしね。働くなら夜の方がいいっていう人もいるけれど、まあ仕事内容からすれば他の業種と比べても低いね。

※日本経済新聞のとある日の記事から

僕なんかは介護に関わる資格以外で勉強したいことがあるから、時間を多く取るためには夜勤の方が好都合だ。元来、昼型の人間だから夜はね~とも思っていたが、時間を上手に使うには夜勤の方が都合がいい。翌日に仕事が明けても、自宅の椅子でうたた寝する程度、夜に眠くなるまで何かをやり続けるという考え方だ。

仮に明け番が9時だとして、翌日が休みで明後日の16時過ぎに職場に向かうとする。通勤は徒歩で往復にして40分ほど、9時半には帰宅している。そこから翌日の9時半まで24時間、さらに出勤する当日の9時半まで24時間、職場に出発する16時まで6時間半、合計にして54時間半、これは誠にありがたいこと。

※通勤で通る公園の椿たち

だけど本来、人間っていうのは昼型の生き物だ。朝の陽ざしを受ければ体が目を覚ます。体内の時間を調整して、また夜の睡眠へと向かうべく一日の活動を行う。夜勤に携わる者に、年2回の健康診断が義務付けられている事には、やはり理由があるはず。仮眠などあって無いようなもの、不規則な生活に変わりはない。

まあ、命にも関わる人間相手の仕事には夜勤はつきもの、夜勤を含めての介護の仕事だ。夜勤に付く数千円の手当が必要で、限りなく時間を必要とする人には、夜勤専従の方がいい。体調管理はどんな仕事をするにしても、自己責任が問われるわけで、夜勤し過ぎて体を壊したと言うなら、それは時としては言い訳になる。

※焼きそばの上にベーコンと卵

だが仮にだ、日勤の賃金だけで生活が成り立ち、介護職においても時代に合った働き方が出来るとするなら、僕は昼間だけ働いているかも知れない。しかも時給が高いのであれば、月間労働日数も調整して生活のリズムを作り、勉強の時間を作っているかも知れない。それぐらい、介護職の昼の仕事の時給は低いと考える。

施設の形態や仕事内容の点から、同じ介護の仕事でも賃金に上下があることには理解も出来るが、他業種も含めた同年齢の賃金を単純に比較した場合、平均的に見て低い。遊びたい盛りの若い人達が家賃を払って生活しようものなら、思う存分に遊べるほどには満たされないだろうね。重労働には比例しない賃金と考える。

※通勤途中に見たスカイライナー

まあ、やりたくなければ辞めればいいだけのことだ。若い人にはもっと賃金条件のいい仕事が溢れているし、仕事とは言え、他人の排泄の処理を仕事にする必要もない。日本人お得意のカタカナ書きをすれば排泄ケア?馬鹿馬鹿しい。要は他人の尿と便の処理なんだよ。体が必要としない排泄物の処理をやっているんだよ。

オムツ交換をしている最中に、尿や便が流れ出すこともある。当然だよね、僕だって便器に座っていれば、暫く便が止まらないことがある。排泄に歳は関係ない。でも、自分で後処理が可能だから問題など無いんだけど、それが出来なくなる時も来るんだよ。仕事とは言え、それを淡々とこなす若い人達、立派だと思うよ。

※購入したてのホットサンドメーカーで

僕が今20代だったとしたら、まず介護の仕事には就いていなかっただろうね。介護そのものに目を向けなかったはずだ。親も若いはずだし、現実的に見て介護の世界に目を向ける必要がないだろう。だから望んで介護の仕事に精を出す若い人達を見ると、偉いなと思う。それ故に、賃金はもっと高くあるべきなんだよね。

賃金を上げるために資格を取る必要があるなら、国や自治体はやる気のある人達の背中を、もっと積極的に押すべきだ。少子化対策も大切だけど、子供を増やす政策よりも、少ない人口でも対処できる社会を築くための議論をした方がいい。平均寿命が延びれば子が先に逝くことも普通になる。その時どうすればいいんだ?

※休みの夜は夜の歩きを楽しむ

高齢者が増えているから施設が増えている?とんでもない話ですよ。今こうしている間にも、働き手不足で閉鎖している施設も結構あるんだよね。昨年も近くの施設が閉鎖された。実は僕が昨年いた施設も、5年ほど前は別の会社の経営だった。施設を造った会社共々倒産している。理由は様々だが、これが現実なんだ。

若い働き手も少なくはないと言うけど、平均的に見れば40代50代の中年以上が多い。中年以上が多いと、人間関係にしがらみも多くなるしね、親にも叩かれたことがない若い人達には、親しみにくい職場も多いと思う。一方で若い人には掃除もろくに出来ない輩もいるが、いてくれるだけでと注意一つされない甘い状況。

※ローソンのカツサンドが好きだ

長生きをすれば、いずれは皆が同じ道をたどる。90歳を過ぎても、まともに自立している人は稀だ。多くの人達が、どこかで人の手を借りて生きているのが普通。それは、決して恥ずかしいことじゃない。むしろ、そこまで生きて来られたことを誇りにした方がいい。僕なんか、自分で思うよりも早く死ぬかも知れない。

だけど、認知症になったりした時、家族の支えだけでは必ず限界が来る。昨今の悲劇的な事件を見れば、それは顕著なことだ。そういう時に施設が必要になる。賃金が低くて働き手が集まらなければ、せっかく入居された利用者にも不幸が待ち受けているかも知れない。物価が上がる一方の日本、賃金が横滑りでは問題だ。

※闇夜の中にも ひと筋の光を見出したい

介護の崩壊が叫ばれてから久しい。分かっていたことなのに、政策は先延ばしの繰り返しで今に至る。実務者研修で喀痰吸引について勉強していると、講習費用が高くなる理由も分かるが、講習費用が全額個人持ちでは負担が大き過ぎる。人間相手にやるべき事は多く、そして奥が深い。より良い待遇が介護の将来を救う。

カテゴリー
人生経験 俺の考え 日常生活

勉強は楽しく続けたい

勉強をすることが楽しい、こんな気持ちをもてるなんて、高校生の頃の僕には考えられなかったことだ。佐倉市にある歴史ある県立高校に入ったまでは良かったけれど、1年の初っ端から数学で見事に赤点を取った。いきなり職員室に呼ばれた、他の同じ赤点仲間と一緒に。呼ばれた意味さえ理解していなかったかもね。

※昔はこういう発想はなかったかな

数学について言えば、中学生の頃までは問題を繰り返して覚えれば何とかなった。だから、それなりの偏差値を取ることが出来たのだと思う。高校受験も3戦3勝と平穏に終えた。でも、高校の数学は違っていた。深く考えなければ解けなかった。結果的に僕は、2年を終えると同時に数学から逃げるべく数学を捨てた。

30年以上を経て、久しぶりに数式とご対面した。お話ししてきた通り、第二級アマチュア無線技士の資格を取得するためだ。log やら 平方根 やら懐かしい文字と、久しぶりにご対面した。浪人しても文系の大学だけに受験を絞っていたので、数学は必要としなかったが、二アマは数式が必須、逃げる場所はなかった。

※この1年半で介護関係の書籍を多く購入

9月から11月末までの3ヶ月の短期決戦、2ヶ月の間は毎日どこかで数式と向かい合っていた。ノートに書き出して練習することが大切だが、トイレの中であっても口に出しながら頭に入れたりしていた。高い試験費用を払ったこともあり、落とすわけにはいかなかった。ブツブツと口に出しながらの毎日だった。

だが不思議なことに、苦にはならなかった。4月・6月・8月・9月と資格取得を続けてきた年内最後の大一番、やるしかないと言う気持ちと、4戦をクリアして来た勢いがあった。三アマに比べればグンとレベルが上がるわけで、解けない覚えられないと悔しさを剥き出しにしてはいたが、勉強することを楽しめていた。

※職場までの途上にある公園で

そうなんだ、楽しめるということがきっと、一番大切なことなんだと思う。高校の頃の勉強は楽しめなかった。受験のためだけの勉強に思えた。数学をやる意味を見いだせなかった。何のために数式を解くのか分からず仕舞い。大学に入るためと割り切れれば良かったけど、大学受験も漠然と考えているだけだったからね。

それでも、たった一つ楽しめたのが世界史だった。そもそも歴史を好きになったのは小学5年の時。塾で勉強を始めて楽しいと思えた。中学生の時には世界史も少しかじり、高校に入って教科書を覚えるぐらいに読み込んだ。そのせいか、今の世界情勢にも過去の歴史を繋げて向かい合える。世界史は今でもおもしろい。

※税込み50円の偶然に喜びが溢れる

そんな世界史も学校の授業では、近代を過ぎたぐらいで授業は終わった。教科書を中途半端で終えるわけだ。だから浪人してから初めて、本格的に近現代史まで勉強した。世界史地図も横において楽しんだ。浪人しても文系3教科の内、英語も国語も駄目だったから、世界史パワーだけで合格に引っかかったようなものだ。

それが今になって、資格試験のためとは言え楽しめるんだ。解けないことが悔しいんだよね。今解けるなら、もっと頭が柔らかかったはずのあの頃に、素直に向かい合うことさえ出来ていれば。後悔先に立たずってことなんだろうけど、あの頃は後悔するなんて考えるわけがない。出来ないものは、ただ捨てるだけだった。

※帰宅時の空をスマホで楽しむ

そんなわけで、今の僕は勉強を楽しんでいる。世に言う学び直しということじゃない。ただ単に、今やりたいから勉強し、そして楽しんでいるということなんだ。こういう時は勢いがつく。次から次へと目標をもって進めていると、ひとつ終わるたびに次が欲しくなる。次が無いと不安になってしまうんだ。

まあ実際のところ、勉強は机上だけのものじゃない。仕事をしていれば何かを学ぶ。新聞や書物を読めば何かを学ぶ。人と会えば何かを学ぶ。生きている限り、毎日が勉強の中にある。僕が決めた勉強は人生のほんの一部に過ぎない。貪欲な気持ちをもち、学びへの素直な気持ちさえあれば、すべてが勉強の場に成り得る。

※かつて不思議な面白さを感じた漫画

こうなってくると、長生きしたくなる。なぜかって?勉強したいことが次から次へと出てくるからかな。上を見ればキリがないけれど、上があるから勉強したくなる。凡人であると自覚しているから、猶のこと勉強が必要になる。そうなると、勉強の世界は無限に広がり終わりが見えなくなる。これは幸せなことだと思う。

でも当然ながら、得た資格や知識や知恵などは使ってなんぼのことでもある。宝の持ちぐされでは勿体ない。使い方も又、次なる勉強になるのだろう。ますます終わりが見えなくなる。願わくは脳内の細胞に健康でいて欲しいと思う。僕が望む限り元気でいて欲しい。そして好奇心をもって貪欲に、楽しく勉強を続けたい。

カテゴリー
人生経験 仕事 俺の考え 日常生活

人間としての尊厳、一方だけのものではない

言い訳がましいが、7月から始めた仕事が忙しくて文章をまとめる時間が取れず、すっかりブログの更新が出来ずにいた。自分はブロガーを職業として生活費を稼ぐ人間ではないから、書きたい時に書ければいいと思っているが、9月中旬から次のステップを踏むことにしたので、ひとつのまとめとして書いてみた。

*どこで見ても 夕陽に一日の終わりを感じる

前回にも話をした通り、今の仕事は、仕事自体は大切なことだと思っているし、自分なりに頑張っている。いや、自分なりにを超えてしまっているかな。毎日、大便を手にした相手と向かい合って語りかけたり便まみれの部屋を掃除したり、それは凄まじい毎日だよ。誰が見ても、ホームで生活する相手じゃないんだから。

つい先日、とうとう部屋の壁を足で蹴とばして破壊し、体を石膏ボードまみれにしながら笑っていた。ここまでくると、すでに常人ではない。自分たちは施設開所と同時に雇われた初心者ばかりで、視察に来た役所の人間もさすがに驚き、相談員たちは自分らの頑張りを、過去の例と比べても最高だと褒めていったほどだ。

*赤と白のモノは青い空によく映える

一番の問題は、障害者虐待防止法を盾にする人間がいるということだ。利用者が大便を手に迫って来ても、ウィンドブレーカーを着て盾にして相手を抑えるなと言う。虐待防止法があるからまずいと言うんだな、施設側は。もっとひどいのは彼を守る親たち。自分らにはプロ意識が足りず、努力が足りないと言うんだな。

さすがに呆れてしまうよ。彼らにも、虐待防止法にも両方に対してだ。子を思う一生懸命な親たちにもたくさん会ったし、そういう方々には親としての本当の愛を感じる。だが一方で、虐待防止法を都合よく盾にして、彼らの体裁だけを守ろうとする人間たちがいることも確かだ。この仕事を皆さんが自らやればわかる。

*人気のない街も夕焼け一つで世界が変わる

先日、何でもかんでも虐待だと叫ぶ親の話を受け、また役所の人間がやって来た。その時、利用者の壁への破壊がタイムリーで起こったから、彼らは即座に写真を撮った。その彼らだって実はわかっている、虐待などあり得ないんだと。以前に来た時に、彼らも大便をつけられまくっているからだ。親だけが我儘を言う。

先日、大きなガラスを割った利用者もいる。割り始めたらとことんまで割ろうとするから、抑えるこちらも大変だ。だが、親は拘束を認めていない。一旦病院に入ることにも承知しない。そのため本人が施設で静かに暮らすための薬が増え、彼の顔も変わっていく。親が自分の体裁を守ろうとして、悪循環が繰り返される。

*この季節の田んぼがある風景が好きだ

その利用者たちを目の前で見ていたある母親が言った。あの人たちはここにいる人たちではないでしょ、と。その方のお子さんも障がいがあるんだが、お子さんに障がいがあるとわかった時に旦那さんと二人で大学に行って学びなおし、両親がそろって支援員の仕事をなさっているということだった。立派だと思ったね。

自分自身にも言えることだけど、一般的に子は親よりも長く生きる。障がいがあっても、障がいの重さが命の長さに必ずしも比例するわけではない。だとすれば親は、辛いかもしれないが自分たちが死んだ後のことを考えた上で、子に何かを伝えていかなければならない。日常生活の基本だけでもできるなら可能にしたい。

*こういう雲のモクモク感が大好き

大便をもって迫る利用者を見ていると、親の甘さがあまりにも目につく。親たちも大便をつけられているのに叱らない。また来るからとなだめるだけ。それを30歳を過ぎている利用者に長いこと繰り返してきたのだから、本人が今変われるなら奇跡に近いと考える。常軌を逸した行動は、便つけだけではないからね。

先日、ある利用者が亡くなった。ご飯をゆっくりと時間をかけて噛み続ける穏やかな方だった。その一週間前に、お母様が他界されていた。彼は葬式に行き、それから毎日毎朝、窓を開けて空を見ていた。何かを探し、何かに誘われるように。そして突然亡くなってしまった。お母様が呼んだのかなって自分らは思った。

*どら焼きって 子供の頃から全く飽きない

自分は障がいをもたない。障がいのある自分の子供がいるわけでもない。そもそも結婚さえしていないけど。でも、障がいがあることが大変だというのは、この短期間を通してだって十分に理解できている。と言って、障害者虐待防止法なるものがすべて正しいとは思えない。時として、それは矛盾を生み出しもする。

大便をもって迫って来る相手に無防備でいろ、暴力を振って来る相手に無防備でいろ、なぜなら彼らは障害者だから。親や後見人の了解がなければ、手で制止することは拘束になり、彼らを傷つける行為になって許されない。ちょっとした行為が、虐待だと訴えられる。そのために、施設を守るために我慢しろ。

*でんでん虫 子供の頃からの遊び相手

では、自分の人間としての尊厳はどう保証してくれるのか。

どこの世界に、大便をつけられて喜ぶまともな人間がいるのか尋ねてみたい。汚いから不要だから体から排出されるはずのもの、それをつけられて喜ぶ人間がいるのなら、おつき合いはご勘弁願いたい。せめて大便を手にしないように教えてくるべきだった。それが親としての人間としての務めだったのではないだろうか。

カテゴリー
人生経験 仕事 俺の考え 日常生活

熱意を動かすものは、継続的な熱意しかない。

何度も同じことを話すけれど、熱意ほど大切なものはない。誰かに対して語っているようだけど、実際のところ、自分に対する叱咤激励のつもりで話している。人は、後になってふり返ってみれば、ちょっとしたことでつまずくことも多い。超えてしまえば何でもないことなのに、超える前に考えてしまうことが多い。

*晩酌は晩酌でも 定着したノンアル晩酌

夢に大きい小さいは関係ない。その夢を実現するためにしっかりと前を見据えて進んでいれば、どんな壁もぶち壊して行ける、そう思わせてくれるのが夢のはずなんだ。だけど、やはり恐怖心というものは必ず生まれてくる。行けると思っていても、壁が予期せぬほどに大きければ、尻込みだってするのが人間だ。

でもね、恐怖心がないことが正しいとは思わない。恐怖心があるからこそ、恐怖心を打ち砕くために人間はまた考え行動して一歩ずつ大きくなって行ける、成長して行けるんだ。恐怖心こそが自分を励ましてくれる、一番の友達になる時だってある。恐怖心を認めて受け入れることが、人間を成長させる近道だとも思う。

*仕事前に楽な気持ちでスマホでパチリ

恐怖心と言っていいものか、まあとりあえず恐怖心としておこうか。7月1日から始まった障がい者施設での仕事、毎日が戦いと言えば戦いだ。戦いと言うと語弊もあるかもしれないが、毎日毎日、本人が自分の大便を手にしてこちらに向かってくれば、これを戦いと言ってもいいだろう。決して綺麗事で語れはしない。

大便を手にするなんて、一般常識の中では考えられない。大便はあくまでもトイレで流す汚物だ。大便は汚物ゆえに、体内から吐き出されるべきものであり、それを手の平で握りしめるなんて常人には考えられない。だが、ある種の人たちにとっては、これが汚物ではなく、ただのモノとして認識されるようだ。

*1週間で4冊購入 回し読みで知識吸収

モノとして認識されるから汚物ではなく、臭いさえもクサいものとして感じられないようだ。それを手にして遊び、手にして相手を威嚇して自分の進路を開けさせようともする。それを突きつけられれば、ひるんで一歩後ろに引くのが常人のあり方だろう。後ろに引けば、相手は一歩ずつ前に進んで来る。

相手は長年の経験で、こちら側に恐怖心があることを理解している。理解した上で、進路を開くために向かってくる。こちらだって自分の身を守らなくてはならないが、防御もやり過ぎれば虐待になってしまう。だから、ギリギリのところで防御しながら、相手を押し戻すように体を動かす。一進一退の攻防だ。

*ゴム無しの軍手使用は久しぶりだ

攻防なんて言うと本当に戦闘をしているみたいだけど、実際にその現場を見ることがあれば、戦闘をしていると思うだろう。自分の大便なら毎日トイレで見ているのに、見知らぬ他人が大便を手にして進んでくれば恐怖心さえ生まれる、初めて経験する不思議な感覚が生まれる毎日だ。この恐怖心を克服することが重要だ。

こんなことが恐怖心と言っていいものか、自分でも可笑しいなとは思うよ。自分が赤ん坊の頃、いくら我が子とは言っても母親の毎日は大便の処理に追われていたわけだ。特にその頃はおむつで洗っては繰り返し使っていたんだから、手は大便まみれだったろうしね。ただ、大便も迫って来れば恐怖心にもなるんだよ。

*どこで見ても いつ見ても 空はいい

ただね、物事には慣れってものがある。人間の臭覚も一番慣れやすい。そういう行動を起こすって分かっていれば、初めから防御のための装備をする。マスクをしていても臭いは突き刺さって来るが、仕事への熱意があれば活路を見出すために考えぬく。お蔭で脳みそは毎日フル回転の状態、次から次へと知恵が生まれる。

結局のところ、熱意なんだよね、必要なものは。熱意があれば活路が見えてくるんだ。同時に同じように熱意をもてる仲間が必要なんだ。この相手は、力も相当強い。限界まで力を出してねじ伏せていいと言うなら一人でも可能だが、虐待防止を念頭においているのだから一人では無理だ。防御も分担作業が必要になる。

*今まさに 映画『学校Ⅱ』の世界にいる

自分を採用した取締役は身をもって熱意を示す。その熱意に動かされて、若い女の子さえも踏みとどまって頑張っている。さらに熱意に同調して、巨大な力をもった人物も参加してきた。今いる人間のベクトルが少しずつ同じ方向に向き始めた。熱意こそが原動力だ。この継続的な熱意が、さらに大きな熱意を生むだろう。

カテゴリー
人生経験 仕事 俺の考え 日常生活

無知を知り、克服する努力をする。

何をするにせよ、まずは己の無知を認めることが大切だ。

障がい者のグループホームでの仕事について、早くも一週間が過ぎた。毎日が格闘をしているようで、既に1ヶ月も2ヶ月も経ってしまったような気もしている。実際のところ、本当に時間が早い。勤務はまだ5回だが、7時間の日勤を3回と16時間の夜勤を2回、実質7回分ほど働いたことになるのだろうか。

人としての個々の尊厳を大切にしながら相手と向き合う、この歳になれば教科書など読まずとも頭の中では理解できている。しかしだ、やはりいつもの仲間を相手に話すのとは根本から違っている。彼らの思考を理解するには、正面からしっかりと向き合わなくてはならない。どんな状況でもだ。それが仕事なんだから。

*きゅうりは酒の席には欠かせない

それでもね、やはり戸惑いを覚えないことの方が難しい。彼らが自分たちに向けて来る行為は、決して普通じゃない。普通じゃないと考えてしまうのは、自分が普通だと、自分の生活の仕方が普通だと思い込んでいるからなんだけどね。彼らにとっては、彼ら自身が普通であって、彼ら自身の世界がすべてなんだから。

それでも、つい普通じゃないと考えてしまうから、まずは、ここから頭の中を置き換えて行かなくてはいけない。

昨日の朝まで続いた夜勤の中で、多くのことを一気に学んだ。夜勤は2回目だったにも拘らず、施設に来たばかりの同年代の相棒と2人きり。このこと自体も驚きだが、取締役がしっかりと基本を教えてくれたし、後は2人で連携して考えを出し合いながら乗り切った。共に51歳の年齢、知恵だってたくさん備えている。

*ステーキのような肉厚たまごの料理

障がい者のお子さんをもつに至った親御さんたちは、決して楽な気持ちで暮らしてはこれなかったと思う。障がいあるとわかった時の気持ちは、ご本人たちにしかわからないだろう。ただ、子供たちはよほどのことがない限り、普通に歳を重ねて生きて行く。だからこそ、悲しい目で彼らを見て生活させてはいけない。

可哀そうだからと甘えさせながら生活させると、大きくなった時には我儘が手に負えなくなる。そのことが、この一週間でよくわかった。彼らの人としての尊厳をしっかりと認めるなら、障がいを理由に甘えさせるのは厳禁だ。彼らひとりひとりにあったペースで、地道に教育を与えていく必要がある。それが本人のため。

*料理の名前よりも まずは美味いかどうか

取締役が素晴らしいことを話していた。

今の時点で、我儘が手に負えない利用者が一人いる。その我儘の原因はと言えば、教育の始め方に間違いがあったということ。だが彼はまだ、20年も30年もこの先を生きなければならない。今扱いに苦労しても、1年で我儘を直させられれば、彼の長い人生のためには苦労を苦労とは思わない、と。

この話を聴きながら同時に、その利用者に対する取締役の接し方を1時間半以上見続けた。そして、自分を恥じたね。自分には無理かもしれない、その内に相手に対して手が出てしまうかもしれない、そんな思いばかりが頭の中を走り始めていた。まあ、会社の最初の説明の仕方も悪かったから、誰もが不安にもなるよ。

*唐揚げの料理もバラエティーが豊かだ

でも聴いて見てしまえば、自分だって決して馬鹿でない。培ってきたポジティブ根性を重ねてみたら、自分にも出来る!って思えた。そして、出来れば仕事が考えている以上におもしろくなるって思えた。だから自分を恥じ、自分なりに勉強しようと考え本も注文した。先に始めている、別の通信教育と合わせて勉強する。

こんな感じで仕事を始めない限りは、障がいをもつ方たちとの接点は生まれなかったと思う。街で見かけても、ちょっと手を貸すぐらいのことだけで終わり、彼らと正面から向き合うこともなかったはずだ。自分が知らいないところで、こんなにもたくさんの障がいをもつ方たちがいたということ、このことにも驚いた。

*たかがコロッケされどコロッケ 創造ひとつ

まったく無知とは恥ずかしいことだ。無知であるのに、偉そうなことを口にしてはいけない。この世界で頑張る人の思いは、同じ土俵に立たなければ分からない。分からないくせに偉そうなことは言えない。まずは自分で、とことんやった上で理解してからの話になる。無知を克服する努力に、終わりはない。

カテゴリー
人生経験 仕事 俺の考え 健康 日常生活

今日も時間は、刻々と流れていく。

介護職員初任者研修を終えて、すでに一週間が経った。研修は短期集中だったから、かなり時間の流れを早く感じた。でも、休みになればなったで、こちらも時間の流れが早い。小学生や中学生の頃を思い出してみるといい。夏休みが始まった日は42日を楽しみにしたが、あっという間に残り1日の日を迎えたものだ。

*実技試験のために 自分で脚本を書いた

だから自分は、研修最終週が始まった時に通信教育の準備をしておいた。研修を修了した時、流れで次の学びに入れるようにしておいたんだ。昔の自分なら、少し休息をするかなって思いもしたが、今は時間を大切にしようと思うようになった。時間の勢いに流されるのではなくて、時間の上に乗ってみたくなった。

時間を無駄にするのは勿体ない。小中学校の頃なんて何も考えなかった。毎日がすべて楽しかったとは思えない。でも、守られる立場にあったから、大体が楽しく収まった。高校の頃も大学の頃も、社会はまだ遠かったから楽しかっただけ。大学を卒業するまでは、時間の早さを感じても、時間の重さを感じなかった。

*出来のいいテキスト 今後も大切にしたい

社会に出てから30歳を迎えるまで、これはあっという間の毎日だった。会社員時代のことで、やることが多くて立ち止まる暇がなかった。仕事がすべてのような時代、仕事の合間に趣味を差し込んでプライベートを楽しんだ。それでも、プライベートの時間に不満もなく、気がついたら30歳を超えてしまっていた。

個人になってからの20年弱はさらに時間が加速。個人ゆえの必死な毎日、30代は時間など見えなかった。見えていたのは仕事を終えた後の、美味しいお酒だけだったのかもしれない。世の中が見え始め、社会人として本当に充実し始めて、でも学ぶことがまだ溢れていて。時間が見える余裕などあるはずもなかった。

*初任者研修が次へとつながっていく

それが40代に入った時、何かが変わり始めた。長く住んでいたアパートの階段でつまずく、腰を痛める、警戒感が増す、勢いがスローダウンし始めた感じに。挙句の果てに初めての手術と長い入院生活に休業。自然と時間を意識し始めていた。時間の勢いだけではなく、時間の重さを意識し始めるようになっていった。

時間の重さ、時間の中に積み重ねられていく自分の充実感の重さだ。どれだけ充実した時間を過ごせたのか、それを中心に意識するようになった。がむしゃらに生きるだけで時間を重ねるのではない。中味の濃い時間を過ごすことによって、どれだけ自分が満足して納得出来ているかを、一番大切にしていくようになった。

*このハッシュドポテト 美味しかった

室内でつまずいてしまう、その事実をしっかりと受け止める必要がある。目をそらして、もっと若かった頃のように勢いに任せて生きるだけでは、ちょっとしたことで大きな怪我にもつながる。時間が足りないと思うから急ぐのだろうけど、勢いだけで充実感を得られるわけではない。時間を操りながら生きる必要がある。

自分の身を時間に委ねるのではなく、時間をしっかりと区切り、一つ一つの中味を充実させていく。具がスカスカの餃子ではなくて、皮を破った瞬間に具が飛び出してくるような餃子、充実感がつまった時間でなくてはならない。それを踏まえた上で、時間の早さを意識しながら50代を過ごして行く必要があるんだ。

*ビルの隙間の空は いつもより青かった

この先も時間が止まることはない。半世紀以上も人生を重ねてくると、この先、同じように半世紀を生きることには無理があるとわかる。生きることが出来ても、ずっと健康であり続けることは難しい。時間と比例して肉体は衰え、物事の覚えも悪くなる。それは努力だけではどうにもならない、誰にも等しい現実なんだ。

だからこそ、時間の中に充実感を見出して行く必要がある。時間の重さを実感する必要がある。時間が肉体を衰えさせることに抗うように、時間のひと粒ひと粒に自分自身をギッシリと詰め込んでみたい。誰かが自分をかじった瞬間に、肉汁がジュ~って噴き出してくるぐらいの、そんな充実感を時間に詰め込んでみたい。

*自宅の乾杯も ノンアルが定着した

1ヶ月短期集中の研修は確かに終わった。修了書を手にした瞬間、久しぶりに大きな充実感を感じた。感じられたからこそ、次の充実感が欲しくなった。新しい仕事の中にも欲しいし、新たな勉強の中にも欲しい。大好きな歌にも欲しいし、未知の中にも欲しい。勢いだけで生きるのではなく、時間の重さを感じたい。

今日も時間は、刻々と流れていく。