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人生経験 俺の考え 健康 入院日記 2020年夏 日常生活

限度額適用認定証、再申請時に受けた恩。

入院前に用意しておく必要があるのが、限度額適用認定証

高額療養費制度というもので、手術や入院をした患者が、所得に応じて支払うべき費用を定めたもの。例えば、70歳未満で基礎控除後の所得が210万円以下であれば自己負担額は57,600円までになり、100万円の請求がきたとしても支払いは57,600円になる。そのために病院に掲示するのが、限度額適用認定証だ。

*入院前に 市役所等で必ず申請をする

でも、限度額の対象はあくまでも医療費。食事代の標準負担額や差額ベッド代、病衣代やテレビ代なでゃ対象外になる。それは当然だよね。保険代を支払っている人が対象になると言っても、差額分は国がもつわけで、そこまで支払っていたら財政は圧迫されてしまう。医療費だけでも十分にありがたいと思うよ。

5年前の手術の時もこの制度を使っているから、今回も入院前に申請して準備しておいた。7月6日から入院して、8日に手術を終えて8月22日まで入院生活を送った。手術した7月の医療費の請求額だけで120万円以上。独身としてはかなり厚く保険を掛けているが、限度額があることで負担額は相当下がることになる。

*所得ごとに 決められている限度額

前回の手術時にも感じたが、入院生活を送るとこの制度のありがたさが身に染みる。多少の蓄え保険さえあれば、特に問題なく入院生活を送ることができる。今回の手術は、右肩が左肩に変わっただけだから、過去のファイルから請求額などは事前に計算してあったし、病室には電卓をおいて費用の計算を怠らなかった。

この限度額適用認定証、有効期限が1年間だ。保険証は7月に更新されるから、それに合わせるように更新しなくてはならない。前回のように入院するのが正月明けとかなら、更新時期に重ならないので特に問題はない。今回は7月に入院して8月末頃に退院する予定でいたから、月をまたぐので更新の申請が必要になる。

身内が近くにいれば問題ないが、横浜に住む高齢の両親に頼むわけにはいかない。手術後で固定装具をつけている自分が、市役所まで外出もできない。6月の申請時に、その時の担当者に更新時の手続きの仕方を相談してみたんだ。その方の対応の仕方が的確で大変に親切なものだった。

*愛用する Canonの電卓きょうだい

手術したのは7月8日。今回は左肩だったので、申請のためにペンをとる利き腕は通常通り動く。さらに、入院前に申請書の記入も大方終わっていたから、9日には申請書を市役所に向けて郵送した。6月の申請時に、その担当者の宛名入りの封筒も頂いてあった。ヘルパーさんにポストへの投函をお願いした。

驚いたのは、14日には新しい認定証が手元に届いたということだ。1週間もかからなかった。しかも郵送で届いたわけじゃない。担当者が自ら病院まで持参して下さった。自宅には誰もいないということを6月に話してあって、それを覚えていて下さったわけだ。手術したばかりだったから、なおさら嬉しかったよ。

嬉しいと喜んでいるだけでは、人の道にはずれる。すぐに市役所に電話して、その担当者を呼んで頂いたが、あいにく外出中だった。保険証更新などの忙しい時期でもあったから、電話で言付けをお願いした。その電話口の方も丁寧な方だった。わざわざご丁寧にありがとうございます、ごく普通の言葉でも嬉しかったね。

*7月の保険証更新時に 再申請の必要がある

正直に話すと、20年前の市役所のイメージは非常に悪かった。窓口はいつも暗いイメージがあったし、職員の対応も上から目線で、お役所仕事の王道を行っていた。ここ数年の間に、イメージはかなり変わっていたが、今回の件は格別だった。入院する者に対する細かい気配りが、実に見事だったと思う。

小さく些細なことだと思うかもしれない。

だが人は案外、派手なことよりも、小さく些細なことの方を覚えているもの。派手なことは誰の目にもつくけれど、小さく些細なことは後になって心によみがえってくる。派手なことには心もときめくが、地味なことは時間をかけて人の心を支配する。

ご担当者のご厚意もあり、退院まで無事に過ごすことができた。

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人生経験 俺の考え 健康 日常生活

51歳を受け入れ、さらに夢を描いてみる。

自分は昭和44年、すなわち1969年生まれだから、現在51歳。

実を言えば、本当かよ?って叫びたいぐらい。いや、心の中ではいつも叫んでいるんだ。実際のところ、51歳になっているという実感が全くない。気持ちはいつも前向きポジティブ好奇心も止まらない。新しい話題が生まれれば興味が尽きない。楽しいからね。興味をもつことで、新しい扉も開かれていくし。

よく紹介する「攻殻機動隊」の世界を見ていると、100歳でも200歳でも生きられるような気がして、夢を見てしまうんだよ。この世界は、自分の意識さえハッキリとしていれば、サイボーグのボディを換えていけばいい。意識の中で経験が生き続けて、ボディからボディへと意識のバトンがつなげられていく。

この技術がさらに進歩する中で、自分の経験も次から次へと積み重ねられて、半永久的に生きられるかもしれない。ただし、ボディを換える作業を他人やロボットが行った時に、故意にその意識を消されてしまう可能性もある。そうなれば、自分の命はそこで一巻の終わり。半永久的であるはずが、お粗末な結果にもなる。

*溺れるように見えるこの姿 自分の姿かも

まあ、それはいい。要は、命の有限を受け入れながら、51歳の先にある夢の可能性も信じている。同じ世代からすれば、いまだに浮足立っていて、ほらを吹いているだけの人間にしか見えないかも。実際にそうかもね。昔なら、家庭があって子供も独立していて、年金暮らしまで地道にね、なんて考えていた歳でもある。

でも、自分にはまだ道の終わりが見えないし、終わりを意識して生きようって気になれないんだ。90歳とか80歳とかで現役バリバリの人達からすれが、まだまだヒヨッコだって言われる歳。終わりが見えないんですよ、なんて自慢気に言ってみたらいい。人生を馬鹿にするんじゃない!なんて言われるのがオチだ。

*川はいつも 悠々と流れているだけ

ただ、体力のことについては、しっかりと自覚しなくちゃいけないと考えている。生身の体であるかぎり、こればかりはどうしようもない。どうしようもないことに、確実に落ちている。確実に若さが吸い取られている。頭の中で、いくら若いんだと言い聞かせても、20代の頃のように傷跡が綺麗に消えていかないんだ。

昨年の夏に手術した左肩、手術してから既に10ヶ月が経とうとしてる。肩の筋肉は複雑にからみあっているとかで、腱板が完全に断裂したともなると、やはり完治には時間がかかるんだ。先日リハビリも兼ねて、一眼レフを2時間もっただけでも、肩に疲労を感じてしまった。長い時間、左腕を固定させられない。

2月にアキレス腱を傷つけて、左足のMRI検査までして養生しても、ふくらはぎにまで後遺症が残る。新しい靴のかかとですりむけた右足首に、2ヶ月経っても傷跡が残る。数年前から季節に関係なく両手の指の皮がむけるようになり、ステロイドの世話になっている。20代では経験しなかったことが増すばかり。

*こういう道を歩くと 気持ちが晴れてくる

これが生身の体の現実なんだ。それゆえに思う。

51という歳をしっかりと受け入れた上で、新たに夢を描いていかなくてはいけない。自分に51歳なんだと言い聞かせて実感した上で、夢の形を整えていかなくてはいけないと。

若い気持ちでいることは大切だ。

でも、肉体は確実に衰えていく。衰えていくからアニメの世界が実現することも願う。願いはするけれども、それが実現されていないかぎり、現実をしっかりと見据える必要がある。その上で、腕立て伏せやスクワット、ウォーキングやダンベルなどで体力調整を続ける。続けながら気持ちの若さを維持していきたい。

リハビリ前に見た川の流れ。悠々と流れるその姿を前に、51という歳を、しっかりと受け入れようと思った。

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人生経験 俺の考え 健康 日常生活 食事

お酒の写真を前に、飲み続けた過去を思う。

ちょうど1年ぐらい前まで撮っていた、お酒とお菓子の記念写真を整理していた。お気に入りのグラスは、冷凍庫でギンギンに冷やしてある。350ml1本で丁度いい。注いだら、泡が立っている内に一気に飲む。真面目な話、一気に飲めるような美味しさだ。

*黒系の甘い感じの味がかなり好きだ

このグラスで飲み始めたのは、5年半くらい前だった。1年前まで住んでいた街の一角に、手術した病院の目の前かな、こじんまりしているけれど、趣のあるリサイクル屋さんがあった。そこの店主に薦められて購入したもの。ドイツ製を500円でね。

*最近は度数が高いお酒が多くなってる

店主が薦めた通り、なかなか出来がいいものだった。前日から冷凍庫に入れておけば、翌日の晩酌の時間にはいい具合に冷えている。まあ1杯目を飲む間ぐらいしか、その冷え冷え感を味わえないんだけど、が膨らんでいる内に一気に飲むのがいいんだ。

*第3のビールも RICH感が増したようだ

それにしても断酒をしている現在と比べると、休肝日をとるこのともなく飲み続ける毎日だった。暑い夏だからとか、寒い冬だからとか関係ない。ただ夜になれば飲むという、勝手に思い込んでいた習慣だったのかな。まるで、パブロフの犬的な飲む習慣。

*キャラメルコーンはお酒に合うと思ってる

350ml缶1本ぐらいなら、このグラスに注いでしまえば5分とかからずに胃の中へ。グラスの冷えが残る内に、2本目を注いで少しペースを落として飲む。は2本目あたりでブレーキがかかることも多い。汗をかかないから飲む意欲も落ちるのかもね。

*抹茶系のお菓子は またお酒に合うんだな

だがは違う。初めから500ml缶で始まり、グラスにつぎ足しをしながら、350ml缶と同じペースで飲む。当然1本で済むわけがない。すぐに2本目に手が出る。少しペースを落としてまた飲んでいく。さらに350mlが1本加わることも多かったな。

*たまに発泡酒も飲む ほぼ第3のビール

これで休肝日でもあれば、体のためには良かったかもしれない。でも365日、飲まない日がほとんどなかった。本数が多くなればもっと昔のようにビール中心とは行かない。30代の頃は発泡酒が中心、40代の頃からはほぼ第3のビールだけ。実際、旨い!

*ポテトチップスの開発力は本当にすごい

正真正銘のビール、アサヒのスーパードライ、麒麟の一番搾りラガー、サッポロの黒ラベル。サントリーが開発した発泡酒のホップスは神からのお恵み。そして第3のビールと呼ばれるビール系飲料。味へのこだわり、日本人の開発力は本当にすごいよね。

*本麒麟があれば 一番搾りはいらない

まるで水分を摂るかのように、毎日毎日飲んでいた自分が、入院期間中は飲もうという気を失った。これは病院がなせる業なのかもしれない。お酒の存在そのものを疑うくらいになる。5年前の手術の時も同じだった。入院中とは言っても不思議な話だよ。

*枝豆はやはり お酒に合っている

退院してから8ヶ月が経った。高血圧対策の一環として、1月5日から今日までお酒を断っている。飲めないストレスもあるのかもしれないけど、アルコールへの執着はなくなった。晩酌が豆乳の今は、味の開発競争が激しいノンアルコールでも十分かな。

*限定というふれこみに弱いかも

飲酒高血圧の原因になる全てじゃない。でも休肝日を入れない飲み方はいけない。やはり行き過ぎは体に良くない。飲み屋さんで語りながら飲む機会が、いつ来るのかはわからないけれど、たまに飲むお酒ならば、美味しさは倍増するのかもしれないね。

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人生経験 俺の考え 健康 日常生活

塩分を1日6g以内、これはかなり難しい!

塩分を1日に6g以内に抑える。これは、かなり難しい!

毎朝毎晩、血圧を測っていることは話した通り。選んだ測定器も順調に働いてくれてるし、測定する習慣はしっかりと出来てる。2回3回と測り直すこともあるが、それは病院の看護師さんもやっていたことだから特に問題ない。要は、測定された数値が、平均的に下がって落ち着いているかが大切なんだ。

*2週間前の 血圧測定の記録

自ら購入した血圧手帳は、大当たりだった。毎日、数値を書き込んでいくことが楽しくなったし、数値を書き込むことがグラフ的な効果をもっているから見直すにもいい。数値が少し高めに出るだけで、不安とまでは行かないが、なんでだろうを考えるようになった。何が原因なんだろうって感じでね。

塩分6gについては、前回の入院時にも学んだ。父親が心臓の手術をした時にも、病院からの説明の中にあった。自分なりに意識して生活していたつもりだったけど、その場の勢いで暴飲暴食をしていたのかもしれない。特にここ3年ぐらい、問題があったと思っている。いい写真になった食事は、案外?がつくかも。

*インスタントラーメンは 塩分の量が多い

たとえば、インスタントラーメン。麺とスープを合わせた塩分の量はかなり多い。袋の裏面に記載されているから、誰でも確認できる。塩分の摂り過ぎが血圧を上げることは、周知の事実になっっているから、やはり気にした方がいい。6gを気にしたら、まずスープは飲めない、残すものとして考えてしまう。

でも、食事は基本的に3回だ。スープを残しても、麺にからんだスープもあるわけで、考えている以上に塩分を摂っている。しかも1日に6g以内だよ。摂取可能な塩分量の残りを、他2回の食事でうまく収めるしかない。これがかなり難しい。塩分がほとんど含まれてないものを選ぶしかない。例えば大豆の水煮とか。

*焼きそばは スープ以外の塩分が多い

こう考えていくと、高血圧対策というのは本当に難しい。毎日実践していることは、こんなところかな。

  • 食前と食間に高カカオチョコを1日25g食べる
  • ご飯や麺類などの主食を最後に食べる
  • 醤油やソースはかけずにつけて食べる
  • 卵・青魚・大豆などでたんぱく質を摂る
  • 牛乳・ヨーグルトなどの乳製品を食べる
  • お酢を毎日大さじ1杯以上摂る
  • 1日に5杯ぐらい緑茶を飲む
  • 時間が許す限りよく噛んで食べるようにする

などなど、細かいことなら他にもたくさんある。

*高カカオのチョコは高血圧対策にいいとか

でも体のためとは言え、ここまで細かく考えていくと、何をたべていいのわからなくなってくるよね。いや、わからないと言うよりも、食べられるものが限られてくる。たまには外食とか弁当でもって考えはする。我慢ばかりじゃストレスもたまるし、栄養バランスも偏るからね。それも、近頃は出来ないでいる。

昨年亡くなった祖母が、なぜ100歳を超えて生きられたのか。最後は寝たきりだったけれど、よく思うことがある。添加物が多い食事をしていなかったなと。戦争をまたいで中心の食事も多かっただろうに、どう栄養を摂っていたのかなとも。

戦時中を生き抜いた人達はたくましい。あまり細かいことを考えずに長生きしてる。栄養学がどうのこうのよりも、長い時間をかけて人が築き上げてきた食事の歴史に従っているのかな。自分もすでに、現代病の1人になっているということだろう。

塩分6g以内の壁を、うまく乗りこなし行きたいと思う。

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人生経験 俺の考え 健康 日常生活 映画 趣味

ロッキーが、人生を変えてくれた 2

見た目を変えた胸筋に、さらに発破をかけたかった。

ロッキーに憑りつかれた自分だが、本来ならその気持ちを受験勉強にもっていくべきところ。ただでさえ成績が悪いのに、見栄ばかりはって偏差値の高い大学を選択するアホまるだしの生徒。先生もあきれていたが、いまさら遅いからなんて気持ちが先行していたんだろう。ロッキーをにして逃げていたのかもしれない。

*国旗をまとう姿は 米ソ冷戦の時代も映す

1984年に公開されていた「ロッキーⅣ 炎の友情」がさらに拍車をかける。宿敵でありながらも最高の友人になった、前チャンピオンのアポロ・クリードの死に涙。復讐を兼ねたロッキーのファイトは、さらに根性を与えてくれたが、偏差値は下がる。親不孝者とはこういうことを言う。若い方は反面教師にしてほしい。

受験勉強にではなく、すべてのエネルギーが腕立て伏せのために使われた。高3の秋なんだからね、現役の受験生は、脳みそに刺激を与え続けるべきなのに、自分ときたら腕と胸の筋肉だけに刺激を与え続けていたんだ。筋肉はUPし受験のための知識は下降する。見事な反比例。自分の不器用なところかもしれない。

*ベトナム帰還兵の悲しみが伝わって来た

ロッキーに続いて「ランボー」にも手を出す。ロッキーシリーズと並ぶ、スタローンの出世作にして代表作のひとつ。舞台はベトナムの戦場を起点にしたある帰還兵の話。詳しくは別の機会に話すが、このランボーにもやられた。鍛え抜かれた体で、特殊な弓矢とナイフ1本でモンスターのように戦う姿は、神そのもの。

ロッキーとランボーがダブルで自分を刺激し続ける。頭の中は偉大なるアメリカン・ドリームの成功者シルベスター・スタローンのことだけ。受験勉強が、スタローンとロッキーとランボーと筋肉の論文を書くことだったら、偏差値の高い大学も受かったかもしれない。人生が変わるというのは、まさにこういうこと。

*精肉工場の肉がサンドバック替わり

冬が明け、受験の戦いに自分の体はリングに落ちた。ロッキーと違って最後までリングに立てるはずもない。あきらめを先行させたまま戦おうとしていたんだから、落ちるのが当たり前。親不孝者としてのチャンピオンベルトは獲得したが、見事に浪人生活へ突入していくことになる。

高3の時に手に入れた人生転換への道。翌年も負けが多かったにもかかわらず、リングに立ち続けて大学に合格できた。そのエネルギーのもとはロッキーでありスタローンであり、そして唯一好きになれた世界史だけだったのかもしれない。

*突き上げられた腕 この角度こそ勝利の角度

人生の変わり目というのは、求めて得られるものではない。

ただ、今の自分が小さく見えて嫌いであったとしても、地道に前向きに生きていれば、必ず何かが起こる。必ず自分を変えてくれる何かが向こうからやってくる。だから、今の自分にあきらめずに、好きなことがあれば夢中になった方がいい。

自分は成功者ではない。

でも、ロッキーにスタローンに夢中になれたことで、思いもよらなかった自分を創ることができた。何度も足踏みはしているけれど、その気持ちは今でも変わらない。生きようとするかぎり、ロッキーは自分の前を走りつづける。

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人生経験 俺の考え 健康 日常生活 映画

ロッキーが、人生を変えてくれた 1

高校時代、超がつくほどの落ちこぼれだった自分を変えたのはこの人、ロッキー・バルボアだ。

*古い本を探しあてると すごく嬉しい

映画の中から飛び出した架空の人物だが、自分の中ではリアルな兄貴分だと思っている。もちろん一番すごいのは、この架空の人物を世の中に送り出した、シルベスター・スタローンという人物だ。ただ、本人と同じくらいその名は一人歩きしていて、スタローン自身でもある。どちらを追いかけても同じこと。

何度か話している通り、本当に成績が悪かった。理数は特に苦手だったから文系に偏ったけど、英語も国語も成績が良かったわけじゃない。なんで入学できたのか、今でも不思議なくらいだ。

両親は海外にいて高2から下宿暮らしをしていたから、ますます羽を伸ばしていた。テレビを見過ぎて視力もガタ落ち、外見が真面目そうなだけの何の取り柄もない高校生。

そんな頃だ、高3の夏休みの直前、ロッキー憑りつかれた

https://youtu.be/QWzisvDtA-k
*ロッキーⅠ~Ⅲ このトレーニングに憧れた

正直言って、何もかもが衝撃的だった。

親がテレビを見過ぎることに厳しかったから、テレビで映画を見ることもあまりなかった。中学の時はオフコースに目覚めて音楽の方に夢中、テレビもアニメの方が好きだった。

だから高2で一人暮らしが始まって、勉強そっちのけで映画を見まくっていたわけ。木金土日の映画タイム深夜映画。「猿の惑星」に衝撃を受けたのもこの頃。

そんな時に、偶然ロッキーにぶち当たったわけ。小学校の頃には映画が上映されていたから、7年遅れぐらいだったのかな。小学校の鼓笛隊でロッキーのテーマを演奏していながら、映画を知らなかったってことになる。今思えば笑い話にもなる。

*フィラデルフィアのこのシーン その気になった

その日から、さらに勉強そっちのけになった。親がそばにいたらあり得ない姿だったろう。ダンベルなんか買うお金はない。漫画雑誌にスタローンが宣伝する、筋トレマシンの写真が載ってた。それを見るだけで満足して、映画で一番印象深かった腕立て伏せだけをやることにした。

学校に行く以外は、ひたすら腕立て伏せ。夏休みもそう。予備校に通いながら予習復習もせず、毎日腕立て伏せ。1セット100回を朝昼晩2セットずつ。途中から、片腕でもやるようになった。録画してあったロッキーを見直し、さらに励む。腕立て伏せだけがトレーニングであり、自分のすべてだと思った。

*ロッキーⅡで とうとうチャンピオンに!

受験勉強をやるはずだった夏休みが明けて、頭の中のロッキーへの思いが、胸筋に乗り移っていた。9月の体育祭の時、Tシャツ越しに盛り上がった自分の胸を目にして、クラスの仲間がはいた言葉がこれ。

それはいったい何なんだ???

2に、つづく🔜

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欲しがりません、勝つまでは。という標語

戦前の公募で生まれた標語、娘の名で応募したある父親の作品。あまりにも有名な標語だ。昨年、新型コロナウィルスの感染が騒がれ始めた頃、再び世に出回った。句読点を入れて読んでみる。

戦争当時と今の状況下での我慢とを、単純に比較はできないが、我慢が必要なことには変わりがない。感染が始まって緊急事態宣言が出された昨年から既に1年、状況は好転していないようだ。

好転するどころか、第4波がきた上、もっと始末の悪い変異ウィルスなるものが、世の中を脅かし始めている。正月明けに始まった2度目の緊急事態宣言を、いとも簡単に解除した理由をしっかりと聞いてみたい。

*鴨はひょうひょうと泳いでいるが…

1年間かけて、いったい何を学んでるんだろうか。決断すべき立場にいる人間が、厳しさを前面に出すのは一体いつなんだ。必要な時に親が子をたたけない時代、その結果がこの優柔不断さなのか。

まん延防止って何なんだ。緊急事態宣言を早々に解除してしまった責任逃れ、そのために言葉遊びをしているようにしか思えない。テレビや新聞で毎日繰り返される、頭への刷り込みのようなニュース。自分たちはいったい、どうすればいいんだ。

長い休業中とは言っても、先週は7日間の内5日間を自宅で過ごした。体を動かさないわけには行かないから、自分なりにリハビリも兼ねたエクササイズもしている。できる範囲で。お世話になっている先生や若いリハビリの先生たちを、感染などでがっかりさせるわけにもいかない。可能な限りの自己防衛をしているよ。

*餌をとる時は 溺れているようにも見える

でも、世の中は違って見える。仕事は必要だ、当たり前。

ただ、週末になれば人が多く出るとわかっている場所に、なぜ人が集まるんだ。インタビューを受けて気をつけますって、そこは密集している場所だからインタビュー受けているんだろう。おかしいと思わないのか。矛盾だらけの答えを口にするなら、インタビューなんか受けない方がいいと思うよ。

何も学んでいないんだよね、1年かかっても。日本という国自体がコロナのことで、いかにDXに出遅れた国であるか明確になったんだ、個人のことなら仕方がないとあきらめるべきか。でも個人が集まったのが国家なんだ。やはり、同じことのくりかえし?

*水を浴びられる瞬間は 天国なんだろうな

何度も話すけど、昨年の長い入院生活の時もずっと看護師の方達の苦労を見てきた。通院正面玄関を通るたびに、隙のない防護服を来た係員の方が、検温をお願いします、消毒をお願いしますって口が乾いてしまうぐらいに繰り返している。

例えそれが、今は仕事であったとしても、同じ場所に立ち続けて首を前後に振り続ける姿は、まるでロボット。でも彼等も人間だ。疲れだって覚えるよ。余計な感染者を増やして、首を振る回数が増えたらと思うと、やはり感染対策には我慢も必要だよね。

我慢が長引けば生活にも支障が出る。子供たちはエネルギーの置き所がなくなる。精神的負担も増す。いいことはない。でも感染を広げるわけにはいかない。

DXも含めた、仕事や生活トランスフォームを断行するしかないだろうね。感染が収まったと思えた時に元通りでは、意味がないと思うんだよ。

*我慢せずに羽を伸ばせるなら それが一番だ

欲しがりません勝つまではの結果、日本は戦争に負けた東京焼け野原になり、広島と長崎には原爆が落ちた。その敗戦の先にはさらに我慢の時代が続く。その結果として今の日本がある。

自分が出来る我慢は、当時の我慢とは比較にもならないが、少なくとも屋根があるところで、ご飯を食べることはできている。

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本佐倉城の中で、老紳士と語り合う。

週に1度の肩のリハビリを終えてから、酒々井町本佐倉城へ。

目的はいつもと同じ、自然を感じながら歩き回り、陽の光を浴びながら写真を撮ること。「続日本100名城」のひとつに選ばれているにもかかわらず、特に平日は人が少ないということで、自分にとっての憩いの場になっている。

*無料とは思えないぐらい しっかりした作り

4月からは案内所が開かれた。一年前から建物を建て始めて秋には完成。以前の簡易トイレは撤去され、新たに水洗のトイレが完備され、憩いの場としてもふさわしいイメージになった。

ただ、新型コロナウィルスの影響があったのか、案内所はなかなか開かれなかった。どこにでも置かれているような、観光客向けの記念スタンプだけがトイレの前に置かれていた。その案内所がようやく開かれたわけだ。観光案内のボランティアのような方たちが、5人ほどいた気がする。

*雑草がすっかり刈られて 少し興ざめな点も

驚いたのは、平日にもかかわらず、観光客が多かったということだ。団体客個人のお客さんが、係の方達に順路に沿って案内されていた。案内所にはコンパクトながらも壁一面に写真や説明文が貼られ、綺麗な冊子まで出来ている。今日は無料だったが、いずれ有料になるかもしれない。出来がいいので得した気分だ。

だが、ひとつ興ざめだったことがある。

雑草がすっかり刈られて、自然のゴルフ場みたいになっていたんだよ。これには、少々がっかりした。昨年も一昨年も、同じ時期にこんな光景を見たことは無い。

*虫たちは 花のある場所ならどこでもいい

日本全国の数多い城跡の中で、続日本100名城のひとつとして選ばれたわけだ。今後の訪問者の増加を見込んで整備したい、その気持ちを、理解できないわけでもない。

でも、自然がしっかりと残されていることにも、意義があったはずなんだ。これから住宅地にでもなるのかな、そんな気持ちにさえなりそうだった。花が咲く場所があるのかな、そう思ったりもした。案の定、春にもかかわらず、が集中的に咲いている場所は、ほぼ一ヶ所だけになっていた。菜の花は別だけどね。

*菜の花は 例年と同じ場所に咲いている

同じような思いで、写真を撮っていた紳士がいらした。が好きで、この場所で一度しか見たことがないという蝶を追っているらしい。71歳で、交響楽団の副団長をされていらっしゃるとか。一度声を交わして分かれたが、蝶がいそうな場所がひとつしかないとわかり、自分のところに戻っていらした。

こうなると、が始まってしまう。

およそ1時間以上、青空の下、草むらの中、二人で語り続けた。花と虫、政治と経済、コロナと自粛、田舎と都会、車と仕事など話題は多岐にわたった。自然のど真ん中で2人動くこともなく、話すことに夢中になった。

*とても美味しそうな感じがした キイチゴ?

マスク越しだけど、本当に楽しかった。人とまともに話をしたのは久しぶり。それも圧迫感がない青空の下。誰にも邪魔されることがない。他の観光客がいらしても、案内の方につづいて足早に去っていく。大きいと思えた声も、自然の中にとけていくよう。

自然っていうのは、つくづくありがたい存在だ。願わくば、商業的な根性が、丸出しになるような状況にだけはなってほしくない。自然があるゆえに、国の史跡にもなっていると思いたい。

紳士様から、樹が好きなら、風土記の丘にも行った方がいいと提案をいただいた。ぜひとも行ってみよう。

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MRI検査の機械は、眠気をさそってくれる。

昨年の秋以来だ、久しぶりに「MRI検査」を受けてきた。45分ぐらいだったけど、熟睡してしまった。

今回は、昨夏に手術した左肩の、経過を診るための検査ではなかった。2月に痛めた左足首の、痛みの原因を探すための検査だ。場所も手術した病院ではなくて、掛かりつけの街の外科さんだ。

前回の右肩の手術をした時も、前後で3回ぐらいMRI検査を行った。今まで受けてきたMRI検査の回数は、合計10回くらいになったのかな。

*オープン型のMRI 今回はこのタイプ

まあ数はいいとして、このMRI検査を受けている時って、本当によく寝られるんだよね。麻酔なんかしていない。始めますよ~っていう技師さんの言葉と同時に、検査が始まる。始まると、ジージーって独特な音がが鳴り始め、機械が坦々と動き続ける。

このジージーっていう音がくせ者。すごく眠気をさそうんだよ。

今日なんか、45分くらいかかりますからって言われていたけれども、始まって5分くらいで寝始めていたみたい。終わって時計を見たら、12時15分を過ぎいていた。確かに45分流れていたから、40分は寝ていたわけだ。

ここのところ睡眠不足だから、本当によく寝られた。終わりましたよって言葉が、お目覚め下さいませ、なんて聞こえていたのかもしれない。

MRI検査の機械は、今日まで2種類を経験した。

*トンネル型のMRI こちらの経験は多い

今回のモノは、ベッドを検査機械の下に横滑りさせるオープン型のMRI。部屋の天井も見えていて、圧迫感がない。一方で、手術した病院のモノは、円筒の機械の中に体を入れるトンネル型のMRI。体がスッポリと包まれて、耳を守るために耳栓もする。かなり圧迫感を感じる。

オープン型のモノは、狭いところが苦手な人に向いている感じだね。トンネル型のモノだと、体のすべてを見透かされるような気がする。お棺の中に入れられるのは、こんな感じなのかななんて、検査中に考えたりもしていた。

どちらにしても、自分は良く寝てしまう。

真面目な話、過去の検査中でも寝なかったことがない。地震なんか起きたらとも思うけれど、自宅で寝ていても地震があったのかい?ぐらいの人間だからね。まあ検査中に寝られるなんて、平和な証拠かもしれないね。つくづく、幸せな人間だと思っている。

*もっと おもしろい樹をさがしてみたい

お蔭さまで、検査の結果は良好。まだまだ湿布に頼る様子見の毎日が続くけれども、とりあえず又、歩き始めようと思う。

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俺の考え 健康 日常生活

血圧計は据え置き型が、携帯型より数値も安定。

去年の夏に手術をして、血圧管理を指導された。このことについては話をしたと思う。そのために、機種の選択に悩んだ末、手首に巻いて血圧を測る携帯型の血圧計を購入した。

だが、どうも出て来る数値に納得が行かなかった。

いくら高血圧だって言われていても、どうにも数値が高すぎる。毎日1錠、朝食の後には薬を飲み、体を動かしてもいないし興奮もいしていない状態で測って、それでこんな数値になるのか?

*手首に巻いてはかるだけ 携帯には便利だ

高いところで140台、低いところで90台。不安になった。

病院では看護師さんが毎朝毎晩、規則正しく測ってくれた。薬も飲んでいたが、退院する頃には数値も安定病院食が良かったせい?塩分も少なかったし?いやいや、それだけではなかったと思うね。やはり看護師さんの測り方の技術や、器具の良さなどもあったと思う。それにしても数値が高かった。

1週間使った結果、駄目だと判断した。据え置き型が必要だと思い、すぐに行動にうつした。またAmazonの出番になる。携帯型に決めた時にも候補にした、オムロンの据え置き型。いくつかピックアップして機種を決めた。

*本来 機械ものはシンプルが一番だと思っている

自分は研究心が強い上、長く使いたいと考えるので、多少高めのモノを選ぶ癖がある。

でも、あまりにも種類が多いので、今回は一番の売れ筋で、良いレビューが多い機種を選んでみた。レビューの数が極端に多い時は、信用度もそれなりに高いと考えている。ただし、100のレビューがあって100が全部5つ星なら信用しないけどね。

選んだ機種は半年経った今、当たりだったと確信している。

*支給された手帳だと 測り忘れも多かった

血圧は朝晩の2回測っているが、忘れることもあった。特に夜の方を忘れてしまうんだ。別のことに夢中になっていて、つい時間をやり過ごしてまう。

朝は大丈夫なんだよ。起きてすぐに測る習慣にしておけば、ほとんど忘れない。夜は夜までの生活の流れがあるから、案外忘れてしまうことがあったね。

*左側が3月から使い始めた年間血圧手帳

なぜあったと過去形なのか。実は3月から、これもAmazonで探しまくった結果だが、1年間使用できる血圧手帳に変えたんだ。

この手帳がまたまた当たった。とある先生が監修しているものなんだ。同じように数値を記入していくだけでも、絶対に測らなければいけないようなマジックにかかってしまうんだよ。

でも長い話になるから、この続きは次の機会にしたいと思う。

*左は入院当時からの薬 今は右のものに