映画、「男はつらいよ」。
言わずと知れた、この国が誇っていい国民的な映画。
寅さんこと、渥美清さんが亡くなって久しい。
でも、このシリーズを見ない日がない。寅さんはいまでも、自分に話しかけてくれる。亡くなっても、その存在意義は大きい。
「男はつらいよ」はシリーズで、全50作にものぼる。もちろん1作目から順番に見るのが一番いい。
でも、何かを学ぶという点では、どの作品から見ても問題がないと思う。自分で切り取りたくなるところが、必ずあるはずだから。
今回は、第8作「寅次郎恋歌」から。
寅さんの妹さくら、そのさくらの旦那、博の母親が亡くなる。岡山でのお葬式に、旅先から寅さんも参列する
旅先だから喪服がないので、喪章をつけて飛び入り参加する。それを咎めるさくら。火葬中の待合室で自然とふざけてしまう。写真撮影ではいつもの調子でつい、「はい、笑ってぇ」「はい、泣いてぇ」の言葉が飛び出す。
だけど、ここが寅さんのいいところ。
親族みなが帰った後に、商売の帰り道、独りになった博の父親を訪れる。寂しい思いをしているのでは、そう考えた上でのこと。そこで博の父に、説教めいたことを言われるのだが。感化されやすい寅さんは、その話を聞いて感動、柴又に戻っていく。
振られるたびに、あるいは喧嘩っ早いから、そのたびに寅さんの周りには騒動が絶えない。でも思うんだ。事が済めば仕事を理由に帰ってしまう親族と、父親を気遣う寅さん、一体どちらが人間らしいんだろうかって?
人にはそれぞれの理由があるから、一概に何が正しいとか間違っているとか、それは言えないし言ってはいけないだろう。
でも、説教していた博の父親が、寅さんと過ごして楽しくなかったとは思えない。自分がその立場なら、あり得ないと思う。迷惑だと言うさくらの心配とは逆に、心の中では感謝するだろうな。
寅さんのように、自然な形で相手の気持ちを思いやってあげたい。押しつけがましくするのではなく、相手の心に、そっと寄りそってあげたい。何よりも人として、いつもこういう気持ちでありたい。
こんなふうに思うのは、はたして自分だけだろうか。