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鹿島川を背に、佐倉を肌で感じてみる。

1ヶ月半ぶりの歯医者さんへ。歯の健康を考えて、昨年の手術前から定期通院している。いわば、歯の定期健康診断というわけだね。世の中には、8020運動なるものがある。80歳になっても自分の歯を20本以上保とうという運動だ。歯は体のバロメーターでもある。ちょっとした痛みが頭痛にもつながることも多いから、ケアを怠らない方がいい。

*うすい青をした空と田植えが終わった田んぼ

自分は昨年の入院直前に、長期にわたる入院のことを考えた上で歯の神経を1本抜いてしまった。抜いてしまうと痛みはなくなるが、虫歯になっても痛みを感じなくなる。そこで普段から細やかなケアが必要になってくる。そこで、定期通院することにした。

*この電車はに西馬込まで行くんだね

退院してから神経を抜いた歯にかぶせモノをし、20年の通院歴がある先生の指示に従い、ちょっとした違和感も見逃すことがないようにケアに暇がない。かぶせモノが隣り合う歯とのバランスもよくなったし、ここのところは虫歯も発生していない。

*やはり蛙は平泳ぎが似合う

歯並びが悪いから、歯ブラシもいろいろな種類のモノを使い、歯間ブラシも隙間に合わせて使い分ける。先生たちから指示があった磨くのが難しい場所については、特に念入りにケアをする。前回に比べて、歯周ポケット2㎜浅くなったところもあった。

*潜っては顔を出して見ている別の蛙

自分については、血圧のことも含めて管理すべきことが多い。血圧はかなり低いところに安定してきたが、ケアも過剰になり過ぎるとストレスになり、かえって悪影響を及ぼすこともある。それゆえに楽しく進めることが大切で、生活とのバランスが必要だ。

*橋のたもとには釣り人たちが多い

帰宅する前に、ウォーキングしながら写真を撮った。5月中旬でも気温はかなり高い、直射日光が体に重い。でも、外での仕事が多かった自分だ、陽に腕が焼けていく様子には、不思議と快感さえも覚えていく。陽の光は、やはり気持ちよくありがたい。

*景観を考えて建てるべきだった

去年の2月まで19年間も暮らしていた場所に近いところ。勝手知ったる場所に車をとめ、よくウォーキングしていた道を歩きながら写真を撮る。本佐倉あたりと似ているようで、また違った雰囲気がある田んぼ。何よりも京成電鉄の線路が目の前を走る。

*アメンボはいつ見ても気持ち良さげだ

水を引いたばかりの田んぼもいいが、田植えが終わり苗が整然と並んでいる田んぼも又いい。雲が映っていたり、樹が映っていたり、何よりも水は様々な生物にとってのオアシスになる。アメンボが水面をスイスイと進み、蛙が水中に向かってダイブする。

*都営浅草線の赤は緑によく映える

印旛沼にそそぐ鹿島川と京成電鉄の線路の間をベースにして、歩き回ってみる。この辺りで見ていると、京成電鉄はカントリーレールロード。上野都営浅草線周辺とはまるで違う世界を走っている。でも、都会と田舎の二面性にこそ味があるんだ。

*指揮者のような 1羽だけの白鳥

いつもと変わらないウォーキング。でも、ただの田舎ウォーキングにも、突然の瞬間はやって来る。川の方から大きな音がして、1羽の白鳥が岸の近くで水浴びを始めた。この時期に白鳥?とも思ったが、首の動きや太さに惹かれて、暫く見入っていた。

*この白鳥 釣り人とほどよい距離を保つ

2時間弱だったが、昨日陽に焼けた腕がさらに焼けた感じ。半袖の下にある白い肌とのツートンを、心地よく思える季節が近づいている。いろいろとある毎日だが、下を見ているばかりでは歩くことはできない。空を見上げて気持ちいいと思うなら、上を向いて歩いていれば、この先きっと楽しい何かが待っているだろう。

鹿島川に吹く風が、気持ちいいと思えた佐倉の土曜日。

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本佐倉城を歩き、初夏の中で自然と遊ぶ。

リハビリを終えてから、久しぶりに本佐倉城を歩いて来た。前回訪れた時は、草を刈ったばかりだったので残念な思いもしたけれど、やはり自然の力はすごい、あっという間に元通りになっていた。少し写真を多めにして、歩いた順に話をしてみようか。

*空にはほどよいくらいの雲が浮かんでいた

去年の8月に退院した後、9月からリハビリのために通院を開始した。この方向から、なんど空を見上げたことだろう。残暑の季節に始まり、冬を通り抜けて春を迎え、今すでに梅雨の直前のところまで来ている。あらためて1年の早さを感じている。

*大きな車ではすれ違いは難しい

本佐倉城の駐車場に入るまでには、いったん田んぼ横の細い道を通る必要がある。主要道路から入って来た道は、最近になって広く整備する工事が終わった。でも、直前の道を整備するには少々無理があるし、できればこの景観は残して欲しいと思っている。

*すでに田植えが終わっていて 綺麗だ

お城の周りの田んぼは、すっかり田植えを終えていた。自宅に近いところの田んぼもそうだけど、基本的に何処に行っても、田植えを終えた時の日本の風景は似ている。同じお米を栽培していても、中国や東南アジアの風景とは異なる日本独特の風景だ。

*いつもの木のベンチは 気持ちが休まる

前回に来た時は、この辺りの草が刈り取られていた。あれから1ヶ月は経っていないはずだが、夏に向かっていく時の草花の成長はかなり早い。うすい緑色をした草と、その上に顔を出す一面の黄色い花たち。木で作られたベンチが野に溶け込んでいる。

*ただの野に咲く花が案外親しみをもてる

花壇に整然と咲いている花は綺麗だと思う。ただ野の中で、ありのままの姿で咲く花には別の趣がある。どこにでも咲いているような花だけど、少しでもその命を奪わないように歩く時はかなり気を遣うようにする。自然の世界への畏敬の念をこめて歩く。

*城内の遊歩道の真ん中を占領してた

いつもの遊歩道に何か見えると思って近づいたら、人が歩くのを邪魔するように、真ん中の位置にタケノコが生えていた。確か去年はなかったはず。他にも生えてきて道に壁を作ってしまいそうだけど、人の心は不思議なもの、このままがいいとも思える。

*一旦逃げたのに いつのまにか見られていた

おっ、猫がいる!と思って近づいたら逃げてしまった。残念なことをしたと思って離れてふり返ったら、ジッとこちらを眺めていた。なかなか結構な面構えをしている、少し警戒を解いたのかもしれない。かなり近づいて過ごした、久しぶりの楽しいひと時。

*樹は根の姿同様 枝も味わいがある

樹を見ていると、特に根っこに魅力を感じる。地面から顔を出しては、潜るようにして地面の中に戻っていく姿は力強い。でも枝にも別の魅力がある。太く伸び伸びとした枝もいいけれど、細いながらも伸びる方向が定まらない枝には別の魅力がある。

*今年初めて 緑のアマガエルを見た

お城の周りの道に出て、田んぼをのぞきながら歩いてみる。何処で鳴いているのか、蛙の声があちこちから聞こえる。ようやく1匹が姿を見せた。こうなると追いかけたくなる性分。右へ左へ飛んでいくのをカメラで追う。いつ見ても、可愛い姿に心が和む。

*おたまじゃくしの動きも活発だ

まだ蛙になる前のお仲間もたくさんいる。子供の頃に、おたまじゃくしから蛙に変わっていく過程を観察していた記憶が。自分に子供がいれば、そんなことを又やっていたのしたかもしれない。まあ、自然の中で育っていくのが一番いいとは思うけれど。

*獲物をねらうザリガニの動きはすばやい

最後はザリガニとのご対面が叶った。おたまじゃくしを追いかけていたのか、進んでは止まって隠れるの繰り返し。ハンティングするところを見たかったが、こちらを気にしているのかあっという間に視界から消えた。この季節は、心が躍って本当に楽しい。

*初対面だったが 親しみをもってしまった

もう一度、猫さんに会いたかったなと思いながら、今日のお城を後にした、初夏の週末、金曜日。

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ワクワクがあれば、仕事にも花が咲く。

仕事にワクワクできるって、大切なことだよね。

どんな仕事だっていいんだ、自分がやりたくてやっている仕事なら、可能な限りたくさんのワクワクをもちたい。たくさんのワクワクをもって楽しく仕事をしたい。淡々と惰性に任せた仕事を続けていても、楽しい気持ちは生まれない。楽しい気持ちがあるからこそ新しい発見も生まれ、仕事自体が進化していく。

岐阜の大垣で仕事を始めた頃、たくさんのワクワクがあった。これから始まろうとしている仕事に、ワクワクを持ていないはずがない。3ヶ月の新入社員研修を終えたばかりなんだ、研修は新人にを持たせてくれるもの、ワクワクはピークに達していた。最初の挨拶をした時、それはそれはやる気がこぼれていた。

*入社前に渡されて 入社前に読み込んだ

そんな自分の最初の仕事は、従業員カードを書くことだった。

令和3年の今年は平成にすれば33年、入社した平成5年は28年前の話になる。西暦で話した方が世紀を超えて、時間の流れを感じられてわかりやすいかな。平成5年は20世紀の1993年で、今年は21世紀の2021年、随分と時間が流れたものだ。
だが、28年前でも、従業員カードのシステムは古臭かった。

そのカードというのは、A5サイズで見開きA4サイズの紙製。裏表に記入欄があり、すべて手書きで記入していく。しかも入社だとか退職だとかは、ゴム印を押していくことになっていた。平成5年にあって、昭和会社設立当時の頃のような雰囲気が残っていた。でも、自分にとってはただの仕事に過ぎなかった。

配属初日からまず3日間、朝から夕方まで毎日、カードの記入を続けていた。電話をとることと先輩社員から頼まれること以外、ひたすら記入だけ続けた。全国にある全店所の従業員のカードが本社で集中管理されている。店所では連日、運転手の入社と退職が繰り返されていたから、記入する数も半端じゃなかった。

でも、それはただの仕事に過ぎない。そもそも、配属されたばかりの新入社員に、どんな仕事が大切だとか必要だとか理解できるはずもない。目の前に与えられたものはただの仕事記入とゴム印を押すことだけが自分がやるべきことだった。古臭いなどと考える時間も、考える必要もなかった。こなすしかない。

*どんなことでも 自分の手で始めなくては

その仕事そのものは、3日間で終わるものじゃない。入社と退職が繰り返されるかぎり、当時は半永久的に続いて行くように思えた。それでも、処理していけば数が増える。そんなことにさえワクワクを感じていた。数をこなすことが楽しく、右手はインクで黒くなり、擦れてツルツルしていたように思う。

たぶん、今の時代の新卒者がそれを見たら、驚くどころか入社する会社を間違えたと思うだろうね。自分が入社した年から4年ぐらい後の社員でさえ、その古臭さに嫌気がさしていたみたいだったから。自分でもよくやったと思うよ。配属初日から3日間、初日から残業してカードの記入とゴム印を押し続けていたんだ。

処理した数が増えることに、ワクワクを感じることができた。

もし今でも、その仕事が残っていたとしたら、当時は仕事と思っていた自分も仕事として肯定しないだろう。ペーパーレスの時代だ、それを仕事として残しているのなら、そういう会社の未来には疑問符をつけるだろう。それがたとえ、自分がお世話になった会社だったとしてもだ。さすがに今、カードはないかな。

*こんな気持ちになるように働きたい

ただ、忘れてはいけないこともあると思っている。

たとえ時代遅れでも、それが仕事であるかぎりは仕事である理由が存在し、誰かがそれをこなす必要がある。まずはやり遂げる必要がある。古臭いなどと考えるのは後のことだ。ワクワクを持てないなら、ワクワクを持てるような仕事の方法を考えればいい。自分自身が一番ワクワクできれば、仕事自体にも花が咲く

古臭いものを古臭いと思ってやれば、ますます古臭くなるだけ。やっている自分まで古臭く見えて、自分自身まで腐っていく。少しでもワクワクをもって仕事に向き合いたい。時には気持ちが萎えることもある。でもワクワクがあるかぎり、仕事から楽しさは失われない。自分自身の気持ちの持ち方がすべてを変えていく。

仮に今でも、従業員カードを記入する仕事があるのなら、もう一度やってみたい気持ちがある。紙に記入していく仕事は案外心が落ち着き、そして温かいものがある。それが毎日、日記を書いている理由であるのかもしれない。

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100歳の女性、V字回復が教えたこと。

素直に驚いた。聞いてビックリ、見てビックリだ。

皆さんは見ただろうか?テレビ画面に映っていた、ご婦人のつやつやした顔を。前屈運動をしている様子を。これがV字とか言って椅子の上で、お尻を軸に手足をV字にしていた元気な姿を。

同居していた次女にあたる方と1月にコロナに感染、1ヶ月近い入院を経て回復、昨日の記者会見に至ったとか。パスポートの有効期限が102歳までなので、あと1回ワクチンの接種をして又旅に出たいとか。このご時世だから、現実的ではないにしても、何とも元気があふれていて、こちらが元気をもらったぐらい。

*青魚の鯖は健康に良いと言うが

映像を見た時、なんて表現したら良いのかわからなかった。前屈運動をしている姿は、自分よりも体の柔らかさを感じた。あそこまで曲がるとういうことは、日々の努力は相当なものだろうね。相当って言うのは、1回に行うエクササイズの量が多いとか激しいとかではなく、長く地道に努力をしてきたってことだ。

当たり前の話だけど、100歳まで生きるというのは100年、すなわち1世紀だからね。子供が生まれて孫も生まれる、それは重なるようにしてつながっていくわけ。今は21世紀、100歳で亡くなった時に1人生まれるとしたら、この世には21人しかいないことにも。少し可笑しなことも考えてみたり。

*祖父母も父母も 芋で戦前戦後を生きた

昨年、102歳直前で亡くなった祖母は大正生まれ。関東大震災の年に生まれて生きて来たことになる。でも、最後は寝たきりだった。このご婦人は自力で、普通に歩いて普通に笑って普通に運動していて、そして今なお海外旅行への願望までもっている。もはや願望ではないよね、いい意味で野望にも感じた。

いい意味で世界を制覇するような印象まで受けた。入院中は積極的にコミュニケーションもとっていたとか。驚きを隠せなかったな。元気の源を、自分でハキハキと説明できる、誰もが真似できる姿ではないよね。世の中では人生100年などと言い始めているけど、それを万人に望みたいのであれば学ばないとね。

江戸時代の平均寿命は40歳前後?まあ、長生きした人だっていただろうけど、日本人の平均寿命が延びたのは戦後からのこと。生きてい行く上での条件が良くなったのかな。それでも、自分の知らないところでは若くして亡くなっている方も多い。あくまでも平均の話であって、現実には尊い命がたくさん失われている。

*近頃食べていないせいか 無性に食べたい

要するに長生きしていると言われても、介護のいらない元気な期間としての健康寿命を延ばすことは、容易なことではない。寝たきりになれば当然だけど介護が必要。祖父母もその例にもれなかった。祖父は祖母が中心になって介護され、祖母は介護を職業にする方達が中心になって介護された。

今は自分も元気だけど、仮に歩くペースが遅くなっても、自分の力で歩き続けられるかは未知の世界になる。自分の体のことは自分が一番知っているなどと言っても、それを保証できるものはない。5年前に伯父すい臓がんで亡くなったが、前年に会った時は元気だった。がんが見つかってから半年弱で亡くなっている。

こうして考えると、昨日のご婦人の元気な姿は見事だった。元気でいるだけではなく、コロナの感染から回復したということがすごいことだった。介護が必要な部分もあるのだろうけど、見た目にはそんな素振りを感じさせなかった。これこそが奇跡だなんて思ってもおかしくない。

*シンプルなコロッケに魅力を感じる

だから又考えさせられた。このご婦人のように、健康で長生きを続けるにはどうしたらいいのか。人は一度しか死ぬことがないから、やはり死ぬことは怖いと思うんだよね。死ぬのが怖くないって言う人がいるけど、最初で最後の経験を怖くないと言えるのかな。その瞬間を迎えなければ、わかるはずがない。

もう思い残すことはないって、映画やドラマのセリフにはあるけど、心からそう思える人がいるとしたら、それこそ健康寿命を全うできて、やり残したことがないんだろう。それならば自分などは、やり残しだらけで死を恐怖で迎えることになる。やはり今のままでは心残りが多すぎる。もっと積極的に生きなくては。

100歳まで生きることが、人生の目標ではない。

だが、このご婦人が見せてくれた元気な姿は、生きることの楽しさ生きられることへの喜びを、あらためて教えてくれた気がする。この先、何をやっていくにしても、ますます楽しいと感じられるような生き方をした方が良い、素直にそう思えた。人生の大先輩達は、その姿をもって多くのことを教えてくれている。

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人生経験 俺の考え 日常生活

文章のぜい肉、引き算するのは難しい。

電子版で新聞を読むことが、すっかり定着した。紙には紙の良さもあるが、電子版にはたくさんの良いところがある。どこにいても持ち歩くことが出来る上、保存しておいた記事をいつでも何処にいても読めるということ。活用したいと思った時、たくさんの保存してある過去の記事を、瞬時に読めるのはありがたい。

昨日のコラムに、興味深い内容があった。読みながら少しずつ納得してしまうから、なかなか進まない。読み終わった時には内容がすべて頭に入っていたぐらいで、満腹な気持ちだった。

*無駄にはならない 引き算不要のモノ 1

タイトルは、「現代人は『引き算』が苦手」。

一般的に、ベッドは脚が4本だ。その脚が3本はずれてベッドが傾き寝心地が悪くなった。あなたならどうしますか?って内容。

3本の脚を付け直そうと思ったとしたら、何かを見落としていることになる。すなわち、残った1本の脚もはずすという考え方が欠如しているとか。寝心地の改善だけなら、残る1本もはずしてしまえばベッドは平らになるし問題は解決する。人間は足し算を意識し、引き算を軽視する傾向にある。ある大学の研究だとか。

多くの人が足し算的な考え方をしたとか。3本の脚を付け直すには手間がかかる。ベッドが傾いているわけだから、支えながら平行にして付け直す必要がある。一方で、1本の脚をはずした方が支える手間もなくはずすだけ。でも人は、引くよりも追加することで解決をする傾向にあるというんだ。

*無駄にはならない 引き算不要のモノ 2

日常生活を考えてみた時、同じようなことがないのか考えた。

昨年19年ぶりに引越をしたけれども、移動時にかなり捨てたつもりだったが、手術後に感じたのは、捨てきれていなかったということ。休業で長く自宅にいて、どれほど使うものがあっただろう。メインの部屋にあるものだって、すべてに手をつけているわけじゃない。モノが増えていることが、今では疑問にも思える。

必要だと思った時はかなり真剣に考えて買っているから、捨てるのがもったいないと考えるのが当たり前。でも使わなくなっているなら処分したいが、売っても微々たる金額。それならいっそのこと、このままにしておこうと考える。部屋が無駄とシェアを始めることになる。それが積み重なり、気づいた時にはもう遅い。

今は物欲もそんなにないが、必要なものはある。そこで又、追加されて行く。必要だと思い込んでいるだけで、本当は必要ないのかもしれない。だからこそ、今使わないものが存在しているのかも。追加することができても引くことができない。増えたら増えっぱなし、部屋がさらに無駄をシェアしていくことになる。

*無駄にはならない 引き算不要のモノ 3

ここまで考えて来ると、自分の頭がおかしいんじゃないかと考え始める。新聞の内容から脱落しているんじゃないか。いったい自分は何を言いたいんだ。モノを増やすことは簡単だが減らすことは難しい。買うことは出来ても捨てることは出来ない。足し算は出来ても引き算的な思考は難しい。間違ってはいない。

要するに今日のこの文章全体が、ぜい肉が多すぎて哲学めいたものになってしまっている。ぜい肉を落として筋肉質な文章にしていくことが、いかに難しいことか。文章を書く上で、追加し過ぎたぜい肉を、いかに上手く引き算しながら、文章をひきしめるたらいいのか。コラムにからめて考えるつもりが引き算できない。

さて、言いたかったことが伝わっっていますでしょうか?

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人生経験 俺の考え 入院日記 2020年夏 日常生活

スッキリしたくて、今の自分をふりかえる。

休業が明ける前に、自分自身をふり返っておこう、そういう気持ちでブログも始めた。社会に出てから自分は何を身につけたんだろうか、何をやってきたんだろうか。スッキリしたくて、今の自分をふりかえってみた。

時間が経てばそれ相応に経験も積み、役に立つ知識も身につき仕事もはかどるようになってくる。ただ、時間の流れが早い毎日の中では、その大切な知識を、惰性で流してしまっていることも多いからね。ましてや自分の今の状況では、知識を生かそうにも生かしきれていない毎日、なんとも悔しい思いを感じている。

新しい知識知恵を手に入れた時は、本当に嬉しいものなんだよね。これを生かせばきっと上手くいくだろう、もっと上手くいくだろうって考えて、繰り返し試してみたりする。何度試しても上手くいかなければ、新しいやり方を模索しながら次のチャレンジをしてみる。上手くいかない時は、かえって一生懸命考える。

*前の手術後に購入して今 役に立つ

20代や30代の時は特に怖いもの知らずだ。金があろうがなかろうが、金になろうがなるまいが、とにかくやってみようって気持ちだけが先行して、先へ先へと自分が引っ張られる。深く考える必要はない、なんとかなるだろうなんて楽天的な気持ちもあるんだ。若ければ若いほど、その気持ちを信じられたりもする。

40代に入った頃は、まだガツガツ的な気持ちもあった。それは以前にも話をした。返す必要のあるお金が存在して、返すためには休んでなどはいられなかった。ああでもないこうでもないと考えては実践する毎日。人生初の手術をすると決めた時、おかしな話だけど喜んだりもした、とりあえず休めるんだって。

でも、その右肩の手術をして、長かった病院生活の後でも今回ほどは休まなかった。いや、休んでなどいられなかった。借金の額は大したことなかったけれど、働く必要はあった。今回と同じ手術をしても断裂が浅めだったので、リハビリを続けながら、退院して3ヶ月後には働いていた。仕事自体は事務職にしたけどね。

*まだ5㎏のダンベルしか使えない

それが今回の右肩の手術の後は、長い休業を続けることになっている。確かに肩はまだ痛い。ズキズキってわけではないが、朝起きて布団を整えるために腕を伸ばすだけで、ストレッチがうまくできないから悔しい。毎朝「うっ…」の繰り返しが続いて、まだなのかと思う。こんなに気を遣いながら過ごして来たのに。

でも、こんな風に思うこと自体が、もうすでに自分を甘やかし始めているのかも。別に裕福に暮らしているわけではないけれど、休業していても生活は出来ている。今は返すべきお金もないからアクセクする必要はない。退院後に言われたように、この歳の内にしっかりと治しておけば、後々楽だというのは確かなことだ。

それでも、やはり不安は生まれて来る。気持ちがやる気満々であっても、体がついてくるかって。ウォーキングをしたり室内でのエクササイズをしたり、自主的なリハビリだって欠かさずこなしている。ただ、今まで自分がどんな風に体を動かしていたかを知っているから、同じようには行かないってことがよくわかる。

*瞳の住人の練習は 気合が入った

だから考えた。充電期間として考えて、いくつか目標を作って過ごして行こうって。それが昨年の秋の「瞳の住人」を歌いこんで完成させるってことと、ブログ記事を100本を一気に書いてみるってことになった。とりあえず満足できたし、未経験だった世界にも踏み込めた。きっかけをくれた人には深く感謝している。

休業期間を終える前に、まだやることがある。仕事も自分にとって新しいと思えることをやりたい。その先には一つの目標もできた。攻殻機動隊の世界も夢見て、もっとITを駆使した仕事や生活の仕方を考え、上手に組み込んで行きたい。SNSやブログのない世界も、考えられない。ネットももっと活用していける。

半世紀は生きてきたけれど、自分なりに頑張っては来たけれど、今の自分を一言で言い表せば、まだまだだって分かった。そう、結局まだまだなんだよね。今までを振りかえることが出来たのは良かったし、知識も知恵もたくさんあることはよくわかった。でも、まともに完成させていることが、まだ何もないようだ。

*長く点が上がらなかったことは初めて

今の自分は、雑用品を凝縮させたみたいなものだ。雑用品は大切だけど、自己満足に浸っている時間はないようだ。知識や知恵を生かすにしても、もっと成長させなければいけないし、そのためには経験も不足している。過去に囚われているようでは駄目。両肩が手術済みで心配なら、新しい道を考えて行かなくては。

と、まあ、ざっくばらんに考えて吐き出してみたら、スッキリした。明日からまた、新しい世界に思いをめぐらせて行こう。考えているかぎり大丈夫、まだまだ何かをやれるはずだ。

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女性と男性の間に、友情は成り立つのか?

学生の頃だったかな、こんな話題で飲んで盛り上がったりもした。女性と男性の間に友情は成り立つのか?っていうこと。

自分はサークルに属さない単独行動派の学生だったけれど、何も自分だけが単独で動いていたわけじゃない。男友達には似たような仲間も多かったし、特に仲がいい連中と集まるたびに夜通し話を続けたりした。もちろん、翌日に授業がない日の前夜からだけどね。予定を合わせるために、口約束も真剣そのものだった。

ある仲間が、彼の父親とおじさんも住んでいたという家に1人で暮らしていた。埼玉県の蕨市でね、深夜2時まで焼肉屋さんでバイトしていた。彼を含めた仲間4人でよく集まった。彼がバイトを終えるまで残りの3人は、焼肉を食べながら彼を待つ。終わったらお酒を買い込み、彼の家で明るくなるまで討論を始める。

*一時期はまった 度数9%の辛口味

男同士だからかな、自分達はこんな感じで話し込んではお互いの友情を深めていった気がする。翌日の午前中に、眠たい目をこすりながら電車に乗る。同じ千葉方面に向かう仲間がいて、電車を乗り継ぎながら別れるまで話を続ける。昨日のあの話、あの点はどう?この点は?なんて、よく話題があったものだよ。

では、女と男の友情は成り立つのかな。

自分は硬派すぎて、女性との接点は少なかった。ただ、じっくりと話せる女性が1人いた。あくまでも、同級生の飲み友達。試験前には、よくノートを貸したりもした。本当によく飲んだ、そして語り合った。まさに学生の討論。討論なんて、すでに時代遅れになりつつあったけど、最低でも大ジョッキ6杯分のペースで。

*このハイボールもはまったことがある

ひと月に最低1回は飲み会をした。彼女は長崎県の五島列島が出身地だったかな、まあ九州の人だったのは間違いない。本籍が五島列島ってすごくない?なんて他愛もない話から始まった気がする。身長は170㎝を超えていて男勝りだった。煙草を吸わない自分の横で煙草を吸い、彼女が話すたびにを吹きかけてきた。

当時はまだ、受動喫煙についてうるさくなかったし、男でも吸う仲間も多かった。話が盛り上がるたびに、彼女の口からお酒の香り煙草の匂いが混じりあって自分を直撃する。煙草は吸わないが、自分の飲んで食べる勢いはすごい。負けじとお酒の香り料理の匂いで反撃する。4~5時間はあっという間だったね。

彼女は現役で入学、自分は浪人だった。ある時、浪人中の話をしたら彼女が怒った。浪人してない私に浪人の話なんかしたってわからないでしょ!って。今なら、何も目くじらを立てることじゃないだろ!で切り返せるけど。相手はお酒の勢いもあった上に、ガタイもいい。迫力負けしたことを、今でもよく覚えてる。

そんな2人だけど、男女の関係ではなかった。だから彼女は周りから不思議がられていたみたい。ある時、自分に聞いて来た。男女の友情ってあるのかなって?彼女と飲んで語れることが楽しかったから友情だと思っていた。友情も意識してなかったかも。彼女も同じ。飲んで語り合う相手としては、お互いが必要だった。

*バドワイザーを飲むのがカッコよくもあった

もっと深く、考えるべきだったのかもしれない。

2年が終わる頃まではよく会ったけど、3年のクラス替えと同時に専攻も変わって回数も減った。彼女はどんな流れだったのか、学生運動みたいな集団に入り、ヘルメットをかぶって団体行動もしていた。自分の考え方が幼かったのか、その価値観を認められなかったのかもしれない。次第に疎遠になっていった。

でも彼女は真剣だった。明日は先輩達と羽田まで行動に行ってくるから!なんて堂々と話をしていた。自分には見栄があったのかもしれない。今思えば、腐り果てた見栄がね。テレビに映る可能性もあるような目立つ行動は、就職のためにも避けるべきだ。そんな考えもあったのかな。自分の方から避けていたのかも。

卒業式の日、彼女は真っ白いドレスを着てきた。まるで結婚式の主人公が着ているような真っ白いドレスだった。彼氏が卒業式のために用意してくれたとか。周囲の目を引いていたよ。見事だった。彼女自身の生き方を貫いているようで、見事だと思えた。まったく飾ることをしない、とても綺麗な姿をしていたね。

*槇原敬之の友情をからめた歌は好きだ

今でも年に1回、飲んで語る学生時代の友人がいる。彼も彼女のことをよく知っている。自分のように彼女の飲み友達ではなかったけれど、目立つ存在だった彼女のことをよく覚えている。

2人して必ず言う言葉、彼女はいいやつだったなってね。いいやつって言い方自体、もう女性として見ていないんだ。そこには女と男を超えた友情だけが存在している。本当にいいやつだった。卒業以来、会ったことはない。でも、こんな忘れられない強烈な思い出ができたのは、心の底から楽しめていたからだ。

少なくとも2年の間、深い友情が存在した。実際、彼女にはかなり叱咤激励された。今、煙草の煙を吹きかけられたとしても、彼女ならウェルカムだ。もっと深い友情が生まれると思っている。

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映画 阪急電車を見て、挨拶のことを考えてた。

映画「阪急電車」を見ていたら、なぜか挨拶のことを考えた。

朝の「おはようございます」、昼の「こんにちは」、夜の「こんばんは」。初対面の「はじめまして」、お礼の「ありがとうございました」、お願いの「よろしくおねがいします」。謝る時の「ごめんなさい」「すみません」「もうしわけありません」など。社会には、様々な場面で必要な挨拶が用意されている。

新型コロナウィルスの感染対策のため、在宅勤務も多くなった。お互いに顔を合わせての生の挨拶に代わり、PCやスマホの映像に向かって挨拶をすることも多い。それでも、挨拶をすることに変わりはない。仕事は、必ず挨拶から始めるのが常識だ。この常識が、時の流れとともに変わるとは思えない。

*とてもハートフルな映画だった

小中学校の近くで仕事があったりすると、朝の通学時間帯の生徒たちが挨拶をしてくれる。もちろん面識など持ち合わせていない。小学生がその場でとまって、ヘルメットをかぶった中学生は自転車の上から、おはようございます!これは、とても気持ちがいい。仕事開始への弾みにもなり、何より元気をもらえる。

彼らから先に挨拶されることの方が多い。子供の頃から長い間、挨拶は先にした者が勝ちだって教わったけど、それなら子供には負けてばかりだ。やはり先に挨拶できた方が気持ちがいいと思う。なんだか主導権をとれたみたいでね。子供の姿を見ても、少し気後れしていることも。子供というのは真っすぐだよね。

*人に優しくされて 自分も強く優しくなれる
*イジメは当事者にならないとわからない

30代の第一次現場時代、良くしてくれた工務店社長さんが話していた。朝まず現場に着いたら、大きな声でハッキリと挨拶をする。それだけでいい。それができていれば、多少のミスがあったとしても、お客さんは案外許してくれるものだと。極論にも聞こえるでしょう。でも、あながち間違っているとは思わない。

僕は話をするのが好きだ。一日かぎりの現場がほとんどだったけど、休憩時間になれば現場の大工さんや他の職人お客さんとよく話し込んでいた。たとえ慎重に事を進めていても、失敗をすることだってある。そんな時に、うまくかわせるんだよね。謝罪はするよ。でも、相手は不思議と理解してくれるものなんだ。

*自分をしばってはいけないんだな
*このカップルの話も素敵だった

挨拶が出来ていなかったり意思疎通ができていないと、相手も心を曇らせる。ある方と組んで仕事をしていた頃、その方が帰った後、お客さんが自分に言ったことがある、あの人なんとかならないのって。元々が口下手なんだけど、それをカバーするだけの意思疎通ができていない上、表情が暗い、これでは印象が落ちる。

その方の腕は悪くなかったし、自分との意思疎通はしっかりと出来ていた。自分が考えてきた計画と、その方の現場を見た上での考え方、毎朝しっかりと練り合わせて計画よりも早く仕事を終わらせていた。それでも初対面の相手には、たとえお客様相手でも苦手意識が出ていたようで、無愛想に見えていたんだろうね。

*おばあちゃんの大人としての姿勢が好きだ
*この笑顔のためなら きっと誰でも頑張れるね

人の性格はそれぞれだけど、できることなら明るく元気に仕事をしたい。そのためにも、挨拶、特に朝イチの元気な挨拶は1日の状況を左右する。出来ることなら、たとえ1日だけのおつき合いだとしても、意思疎通もしっかりとしたい。画面ばかり見ていると、コミュニケーションの仕方を忘れるから注意も必要だ。

阪急電車を通して進んで行く人間模様、原作は大ヒットしたのかな、とても素敵な映画だ。この映画のように、人と人との関係が結ばれていくのなら、みんな幸せになれるだろうね。お婆さんの最後のお説教がとてもいい。こんな素敵な笑顔を見せてくれる孫のためなら、きっとみんな頑張れるだろう。

挨拶を超えるような笑顔を、一度でいいから見てみたい。

*映画の最後のシーンがとても素敵だ
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半額セール、喜んで買います。

先日、おもしろいことが話題になっていた。半額セールになっている商品を買うのが、恥ずかしいって内容だったかな。タイトルを見た時、打ち間違いなのかななんて考えもしたけど、どうも真剣に議論している感じだったな。本当に驚いた。床に落ちた給食の肉を拾って食べていた自分なんか、これじゃ変人扱いだな。

そもそも半額にする理由は、売る側が売りたいからだ。売れ残ってしまうぐらいなら、利益を抑え込んででも値段を下げて売って無駄をなくす。ごく当たり前のことだ。じゃあ、初めから安くしておけばいいなんて言う輩もいるだろうけど、そこはやはり商売だよ、利益を得られるだけの値段をつける必要がある。

*目標は この見慣れた半額シール!

ただ元の値段で買うか、半額になった時に買うかなんてことは、買う本人の自由に決まってるよね。それを、買うのが恥ずかしいとか、恥ずかしくないの?って聞かれたとか、この国は随分と豊かな国なんだね。コロナの影響下で仕事を失ったりだとか貧困だとか、大変な思いをしている人がたくさんいるはずなのに。

元の値段で買った商品と半額になった時の商品に、どれだけの違いがあるんだろうか。朝イチで店頭に出された商品が、夕方まで残っている。せっかく作ったんだ、できれば売りたい。賞味期限のことなんて、ほんの数時間のことに過ぎない。炎天下にさらされているとかなら考えもするけど、まずあり得ないよね。

賞味期限が気になっても買うなら、食べたくなるまで冷凍庫に入れておけばいい。賞味期限を気にするなら、値段が落ちても買わなければいい。その商品が欲しいなら、堂々と買ってガツガツ食べればいいだけ。恥ずかしくないの?と言われて恥ずかしくなるってことは、買う人も無理して買っているってことになる。

*ローソンの手作りバーガーは美味しい

先日、久しぶりにローソンの手作りバーガーを買った。もちろん半額だ。たまたま半額になっていたんだけど、これは買うしかない。通常の値段は税込360円。210円のロースカツサンドも半額で2つ買った。3つで780円のところ390円なら、お得感があるよね。冷蔵庫に保存すれば、数日先でもチンするだけ。

ウェルシアの菓子パンコーナーなんかすごいよね。ご年配の方が突進してくるもの、真面目な話だよ。値段が落とされる時間は決まっているから、狙いすましたように来るわけだ。自分は外出した時だけ寄るけれど、時間が合えばラッキーだよ。菓子パンだって冷蔵庫に入れておけば、袋に入っているからかなりもつしね。

何が恥ずかしいんだろう。お店は売るために安くし、お客は得した気分で買える。こんなにつり合いが取れた関係が、恥ずかしいわけがない。見栄をはって、ためらうのは勝手だけど、災害とかが起こった時なら他人の施しを受けるんだよ。日常の生活でお金を払って買っている商品に、恥ずかしい理由などないはずだ。

*ランチパックが半額になると嬉しい

かつて知人が、コンビニの弁当を作る工場で働いていた。仕事が終わると、決まって社内販売で弁当を買って来た。それも取り合いらしかった。それもそのはず、500円の弁当を社内販売なら500円で3つか4つ買えたんだから。訳ありであっても食べられる。大量生産なら、それだけ原価も安いってことだよ。

値段が安くなったら、飛びつくぐらいの気持ちでいいんだよ。元は安いんだから。同じくらいのボリュームの弁当でも、ビッグ・エー業務スーパーなら元の値段はもっと安い。それも半額になるんだから、値段の信ぴょう性なんてあってないようなもの。恥ずかしいとか恥ずかしくないとか、議論になるなんておかしい。

何度も話すけど、昨年101歳で亡くなった祖母たちは、戦後の混乱期に何を食べていたか考えた方がいい。半額になるとかならないとか、そんな低いレベルの問題じゃないよね。生きるために食べた。食べ物がなければ、小さかった母親だって死んでいたかもしれない。そうなれば当然、自分だって存在しなかった。

論点が違うんだよね。半額が問題じゃない。食べられるか食べられないものなのか、そこが大切じゃないのかな。戦争がない平和な世の中は大切だ。でも平和であることと、平和ボケしていることは意味が違う。半額で買うことに恥ずかしさを感じる人が、もしも食糧難の国々に寄付などしていたら、最高の笑い話だよ。

これからも半額セールに感謝して、どんどん買いたい。可能なら予約制にして欲しいぐらいだ。それこそあり得ない話だけどね。

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中学生の時、福岡で経験したイジメ 2

中学2年になった時、クラス替えがあった。同じクラスになった友達もいれば、まったく知らなかった人もいた。ただ、自分を目の敵にしていた人物と、よく手を出してきた人物は別のクラスになった。運が良かったのかもしれない。後日、相手の目が、変に恨めしそうにも見えたのは不思議だった。

担任の先生1年の時と同じ。実はこの先生がなかなかの人物だった。人間的にどうのこうのだけじゃない。そんなことは、中学2年レベルではわかっても直観がいいところ。すごかったのは、その外見だ。背丈は低めで少しお腹が出た体格と短髪の角刈りに近いヘアスタイル、何よりも、右手にいつも竹刀を握っていた。

右手に握られた竹刀が、いつも肩に担がれていた。まるで昔の漫画の世界のよう。根性と精神論で、生徒を叩き伏せるみたいなイメージがあったよ。ただ、そんなにインパクトがあったのに、1年の時はあまり身近に感じていなかったな。生徒同士のこととして、ギリギリのところで見ていたのかも知れない。

*先生の右手には いつもこの竹刀があった

とにかくクラス替えになって、2年の生活が始まった。

思いがけないことが起きた。クラスの学級委員長を決める時のことだった。立候補する人なんかいなかったから、先生がこう言った『先生はな、やらせたい奴がいるんや』と。みんなが口々に言う『先生それは誰や』。それが何と、自分のことだったとは。自分でもさっぱり理解できなかったが、その日から級長になった。

後日、母親を入れた3者面談があった。その時に先生が言ったんだ。○○君なら大丈夫でしょ、たったそれだけ。先生ははたぶん、わかっていたんだ。自分がどんな状況に置かれていて、何をやらせたら自信がつくのかってことを、考えていてくれたんだ。今だからはっきりと言える、あの先生は、立派な先生だった。

竹刀をもって歩くような先生だったから、不良と呼ばれていた生徒にも一目置かれていた。何よりも同じクラスに、2年で一番喧嘩が強い生徒がいた。もちろん不良呼ばわりされている。当時は普通だった長い学ラン、すなわち長ランを着て歩いていた。今の時代なら無理?公立の中学校で堂々と長ランで登校できたんだ。

*この頃出現した ポカリスエットの対抗馬

その生徒も、先生の前ではおとなしい。だから、先生が決めた級長である自分の言うことを、しっかりと聞いてくれた。同時に守ってくれたんだよね。びっくりするよね。しかも、1年の時に自分に手を出してきた不良と呼ばれる生徒が、彼よりも弱い立場にあったから、それまでのイジメがすべて消えてしまったんだ。

それからの自分は、少しずつ自信を持ち始めた。特に何かに結果を出せたわけじゃない。ただ、成績がすごく上がったね。実は千葉の中学校では成績も下の方だった。それが、2年生400人以上の中で10番前後に入った。どうも自分の成績は山と谷が激しいようだ。まるで、気分だけで勉強しているみたいな感じ。

小学校の時は良かったけど、中学校入学と同時にガタ落ち。福岡に行って上昇して、その後に戻った中学校でも良いまま進学校の高校に進学。そこで又ガタ落ち。浪人までしたけど、大学ではそこそこに良かった。どうも浮き沈みの激しい成績ライフだけど、浮き沈みの激しさが、自分を育ててくれた気もしている。

https://youtu.be/_oxLkFi1RAY
*このプロジェクトXには 本当に感動させられた

良い先生との巡りあわせは大切だ。この時の先生は、成績優秀で大学を卒業したようには見えないタイプ。だけど、子供を導くという姿勢には、芯が通っていた気がする。今だから難しい言い方も出来るけれど、子供をしっかりと見ていた。あの不良のボス的な同級生も、先生とはよく笑い合っていたのを覚えているよ。

自分は今、あの時の先生の歳を、ひとまわり以上も上回ってしまった。けれども、まだ何も残せていない。親に対してはもちろんのこと、亡くなった祖父母にも伯父にも何も返せなかった。

だから、今ブログに書いていることを、自分より若い方たちが読んで下さっているなら、参考になるものは参考にして欲しい。特に、反面教師の参考にして欲しい。50歳を超えても、中途半端を超えられない未熟者としてとらえ、皆さんの未来に活を入れて欲しい。自分もきっと、ブログにしたことに満足できるだろう。