映画「ロッキー」は長くシリーズ化された。学生時代に映画館で見た「ロッキーⅤ/ 最後のドラマ」が最後かなと思っていたら、それから約16年後に「ロッキー・ザ・ファイナル」が製作された。「ロッキーⅤ」がシリーズ最低の興行成績だったので、そのリベンジも兼ねてのファイナルだったのかもしれない。
「ロッキーⅢ」の中で、チャンピオンベルトを手に入れたロッキーは、世界ヘビー級チャンピオンとして快進撃を続けて防衛に成功していた。だが、ハングリー精神を失い、ハングリーの塊のようなクラバー・ラングにベルトを奪われる。その際に往年の名トレーナーだったミッキーが死に、失意のどん底に落ちる。
世間一般的にも、よくあること。ベルトを獲得したまでは良かったが、その後は少しずつ普通の人間に向かい、獲物を狩る虎のような目を失っていく。ミッキーのロッキーへの思いが弱い相手との防衛戦を組ませた。10度の防衛に成功したことが、自分は強いと勘違いさせる。ハングリー精神は失われ、リングに沈んだ。
かつての宿敵アポロをトレーナーとして迎えたものの、ロッキー自身の士気が上がらない。クラバーとのリターンマッチを前に、自分の弱さを認められない。また負けるかもしれないという、怖さを認められない。怖いという現実から目をそらす。様々な言い訳をする。言い訳ばかりで、かつての強さを戻すことできない。
近頃ずっと、自分自身に置き換えて考える毎日だった。
昨夏に手術をしてから、可能な限り完治に近い状態にもっていくために、長い休業をしているが、休業のための保険もいずれ切れる。6月の初めにMRI検査を行い、先生の診断をいただく予定になっている。おそらく経過は良好だと思うが、肉体労働をほのめかしたりすれば、先生はいい顏をすることはないだろう。
でも、やり方が変えるにしても、やはり自分は体を動かして働くのが好きなんだ。汗を流すことが好きなんだ。どんなにエクササイズをして達成感を得ても、仕事を終えて汗を流した時の快感を得ることはできない。腕に浮かび上がる血管と汗、体重計に乗った時の体重の減りぐあい、すべて体を動かして得られる快感だ。
5年越しで両肩を手術しているから、次に手術することになれば面倒なことになる。内部を縫うために穴を開ける部分が限られてくるからだ。腕立て伏せは、1セットあたり元通りの回数のところまで来ているが、痛みだってある。でも、こんなことを言っていると、何にも出来なくなる。悶々としていたよ。
こういう時は、「ロッキー」を見なおすに限る。かの有名な主題歌「Eye of The Tiger」や「ロッキーのテーマ」を聴いて、エクササイズをする。フィットネスバイクで汗を流し、小型ダンベルも再開し、自主的なリハビリにも精を出す。
それでも、病院でリハビリをするたびに、リハビリの先生が無理をするなと言う。本当に、葛藤の毎日だ。世の中には他にいくらでも、苦労して頑張って生きている人がたくさんいるのに、こんな肩ぐらいと思いながらも、又手術したらとも考える情けなさ。
でも、やるしかない。所詮ひとりで仕事をするタイプ。自分でやりたいと決めたことなら、いくらでも無理がきくし、同時に無理が過ぎると思えばスピードのコントロールすればいい。100%肩に頼るような仕事をしなければいいだけ。その流れを作るために、ブログに記事を100本UPするって目標を立てたんだ。
ロッキーは、再びベルトを勝ち取った。今までの戦術を変えて。
先日お会いした紳士の言葉じゃないが、まだ3つも4つも何かができる歳だ。ドローンを操作するように、自分自身を自由に操作してみたい。もう少しの我慢だと信じたい。
生きるための戦術は、いくらでも変えられる。