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お世話になった社長は、リゲインのCMの如く。

西濃運輸を退職した2000年の7月、自分はこの佐倉市に住んでいた。その時から1年9ヶ月くらい前に、会社が佐倉にトラックターミナルを開設、それに合わせて総務担当として赴任していた。その年の11月、昨年の夏に手術を受けた病院がある街で、地元の運送屋さんに就職した。

今日まで、大体11年ぐらいお世話になったと思う。その会社の社長は出会った時は40歳、やる気があふれおちてくるようなイメージをもった。バブル期佐川急便出身で、社長賞も獲得したことがあるとか。他の企業に在籍中には、名を知られた宗教法人の複写機を、全国規模で乗り換えさせたこともあったらしい。

https://youtu.be/_PoZk8rGfNQ
*この歌を聞いても疑問を感じなかった

そもそも佐川急便に入った理由が、借金の返済のためだったらしい。最初の独立をした時に事業に失敗、家族を養うための一番の近道が佐川急便だったとか。バブル期だったから、頑張った分だけ金が入ったみたいだ。寝不足の毎日、信号待ちの間に寝て、鳴らされたクラクションで起きて又走るの毎日だったとか。

その時は、佐川急便の協力会社の仕事を獲得したばかりで、意気揚々としていた。佐川急便の出身者であるとかは一切関係なし。協力会社として登録されるまでに、かなりの時間を必要としたらしい。だから、依頼の電話が3度来て、すべて対応できなかったら2度と依頼は来ないからと説明を受けていた。

*このフレーズが頭にこびりついていた

ちょうど会社が7年目に入った時で、自分は配車係として雇われていた。会社は当初は木材運びから始め、イベント関係にも進出したばかり。仕事に合わせて、の荷台から箱形の荷台へとトラックが変わる途上。そこで決まった佐川急便との契約。孫請けから直請けに変わる。口癖は、仕事は直で請けるに限る。

事業を始めた頃、当然仕事は来ない。佐倉市内で知らない会社は無いと言えるぐらい営業しても依頼が来ない。何も仕事がないことが恥ずかしくて、空いた時間は、広い駐車場がある公園にトラックを隠すようにして営業していたとか。出会った頃も、寝る時は枕元に携帯を置き24時間対応、その携帯も常に2台あった。

入社した2日目に社長さんが運転するトラックに乗り、深夜、有明の東京ビックサイトまでイベント撤収の仕事に行った。ビックサイトの中にトラックを突っ込み、4台の自社トラックが並んでいる光景を見て、感慨深そうにしていたのを覚えている。後に自分もイベントの仕事をしたが、この時の経験も生かされた。

*自分は飲まなかったが 売れていたな

そんなわけで、会社を辞めた時、最初にお世話になった社長さんには、いろいろと学んだ。中でも一番印象深かったのは、賃金支払い方法についての話かな。お金は大切かつ最も汚いものでもあるから、初めにしっかりと話をしておきたい、そう言われた。

もっともだと思った。どんなに綺麗ごとを言ったって、労働の対価はお金だけだから。頑張って得るものがあったのでお金はいりません、もしそういう人がいるのなら、自分は信用できないね。これだけのことをやったから、これだけお金をください、それぐらい言われた方がやる気も感じる。その方がよほど信用できる。

*今の時代には 敬遠されるかな

バブル経済期に流行った歌「勇気のしるし」。24時間戦えますかのフレーズに疑問は感じなかった。社長さんが成功しつつあった理由は、そんな気持ちで仕事をしていたからだ。半年後に独立するので辞めたが、その後長く仕事を頂くことになった。

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人生経験 仕事 俺の考え 日常生活

転職してからのことを、海を前に思った。

平成5年の4月、西濃運輸に入社した。先日も話をしたと思うけど、入社式の前日には、青春18きっぷで電車を乗り継いで大垣まで行った。期待と不安で、というよりも期待だけで自分自身が満たされていた。入社式の前から、隠れ愛社精神家だったのかもしれない。新幹線よりも、旅の感覚の方が好きだったけどね。

その愛社精神も、7年と3か月後に崩壊、退職へと向かうことになる。その間に経験したことは、一言では語り尽くせないほど充実していた。それについては、また別の機会に語る。とりあえず今は、転職について少し語ってみようと思う。

*朝陽というのは いつ見ても気持ちが昂る

そもそも自分は、転職するなんてことは考えていなかった。自分が大学を卒業した頃は、転職なんて言葉を聞いた記憶がないし、一度会社に入いれば終身雇用で頑張るような風潮があった。

だから、自分よりも4年ぐらい後に入社した社員が、1年ぐらいで辞めていくことを理解できなかった。頑張れよと言っていただけ。一緒にお酒を飲む時は、思い切り楽しんでいたけどね。

だからこそ寂しかった。後から来た彼らが先に辞めていくことがさ。まあ自分だって、1年目や2年目には悶々としていたから、いつ辞めてもおかしくはなかった。それが7年弱も在籍できたのは、3年目から楽しくなるぞという、例の部長の言葉を信じていたからかもしれない。要は、石の上にも3年ってやつだ。

*漁師の方たちが 黙々と働いていた

やがて時は流れた。

退職した後の自分は、転職ではなく個人の立場に立った。それも自分にかぎっては、勢いだけの計画性のない個人事業主になり、30代という若さだけが自分を引っ張ってくれた。それが7年弱続いた第一次運輸業時代。その時、ハッキリと悟ったことがあるんだ。

西濃運輸という組織がいかに巨大な企業であったのか、自分がいかに小さい存在であるのか、いかに自分が弱い立場に立たされているのか、それをハッキリと悟ったわけだ。大企業の傘に守られぱなっしで、飛び出してみたら知らないことばかり。社会保険の算出方法さえ、ろくに理解していなかった。

それからの自分には、知識と知恵がものすごい勢いで蓄えられていった。無我夢中だったよ、自分が生き残るためには。初めて知ったわけ、自分を守れるのは自分自身の力しかないってことを。必死になるのが当たり前。何よりも優秀な技術を身につけて、皆に使ってもらいたかった。

*波もふだんなら 画になるんだけどね

会社を辞めたことで、その後の20年間は極めて充実することになった。苦しいことの方が多かったけれど、今となってはすべてが自分の糧になり役に立っている。無駄なことは何もなかった。転職が、大きな転機になった人生の一つの形。

ここでハッキリと言えるのは、今の自分が好きだってこと。ここまでやってこられた自分を嫌いにはなれない。

学びたいことを学ぶことができた。学びたいと思った数だけ、誰に気兼ねすることもなく学ぶことができた。時間が許すかぎり学んだ。少し偉そうだけど、こうして語ることもできるようになった。これから先も学びは続くけれども、思い出すたびに楽しくなれるというのは、幸せなことだと思っている。

*小さな砂丘みたいな場所も好きだ

海を見ていると、余計な力が抜けていく。一生かかっても梅を抱くことはできないが、海はいつでも自分を抱いてくれる。海を見て安らぎを感じられなくなったら、人生も終わりに近い。

まだ何かができる、自分自身を信じられる今日の海だった。

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トイレ掃除の仕事には、もっとお金を支払って!

トイレ掃除というのは、尊い仕事だと思っている。10年以上も前になるけど「トイレの神様」という歌があった。トイレもこんな歌になると、綺麗なイメージになるなと思ったよ。植村花菜さんの声が、まるでトイレを磨いていくように思えたものだ。

*まるで声がトイレを磨いているようだった

トイレについてのエピソードと言えば、本田宗一郎氏については印象深いものがある。詳しくここでは述べないが、とにかく氏はトイレという場所を大切にした。トイレを汚くしている人とは付き合わないと決めていたぐらいだ。本にも書いてある。

自分が住むアパートのトイレには、ウォッシュレットがついている。入院生活の時の便利さが病みつきになり、使うことが日常的になった。ただし、使うだけでは駄目。流すだけの水洗トイレと違い繊細さがあるから、ノズル周りのこまめな掃除も大切。

でもやはり、一番大切なところは便器の部分だと思う。自分はフタをしておくタイプだが、自分しか使わないとわかっていたとしても、フタを開けた時に便器光っていると嬉しい。開けた瞬間に、川の流れのような跡がついていると気持ちがなえる。

*1回使用するたびに マジックリンをひと吹き

体の中から出されるのは排泄物。尿でも便でも綺麗じゃないことはわかっている。綺麗じゃないから排泄する。それならば、受け側の便器も汚くていいのか。

不思議な話だけど、便器が汚いと用足しが気分悪くなる。

外出先のトイレを使った時に、そう感じることがないかな?デパートのトイレが汚れていたりすると、そのデパート全体が汚く思えたりする。スーパーだったらなおさら、食品売場さえも不潔に思えて来る。本田宗一郎氏の言うことは的を得ていると思う。

20代の時にお世話になった独身寮の寮母さん、当時70歳だった。古い寮だから5階まであってもエレベーターはない。毎日順番を決めて、トイレの掃除をしてくれていた。築30年以上でも古いだけで、汚いって感じたことがなかった。ありがたかった。

*ホーミングで磨くと 輝きがよみがえる!

求人を見ていると思う。トイレ掃除の時給は、仕事のわりには本当に安すぎる。その立場で考えてみるといいよ。不特定多数の人間が、毎日使うわけだ。一歩前になんて貼り紙に有効性があるとは思えない。便器からはみ出した汚物も処理する。時には固まっていることもある。残っていることもある。すべてを処理する。

一般的に肉体労働の賃金は安い。肉体労働という仕事自体が安く見られている気もする。自分でやってきたからわかるけど、誰もができそうで、誰にでもできるわけじゃない。それ相応にも必要だし、技術だって必要だ。やってみればをかくことの尊さがわかるし、賃金の安さを痛感する。

トイレ掃除ともなると、そこに汚さを処理するという条件が加わるわけだ。便器をこすったタワシの隙間から、汚水が飛び散って顔にかかることなんか日常茶飯事。さらにこういう仕事をする人は年配者が多い。賃金が安くては、若い人は集まらない。家庭もちならなおのこと、尊い仕事でも選択肢のひとつになりにくい。

*本田宗一郎は 伝説的なエピソードが多い

時々、スーパーホーミングで便器を磨く。ミサイルみたいな名前だけど、汚れに対しては最強で、磨き終わった後の輝きは他者の追随を許さない。

でも、便器一つだから満足がいくまで磨けるのかもしれない。ずらっと並んだ便器を、時間内に磨き上げていくっていうのは大変だ。入院していた時に、清掃する方には気を使ったよ。ゴミ箱からゴミを取り出しやすいように、袋にまとめておくとかね。

トイレ掃除に限ったことではないかもしれないけど、もう少しその価値が正当評価されてもいい、そういう仕事だと思うんだ。

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100本の目標、思うがままに書く!

書きためた21本の記事から始めたブログ。100本を目標にして書き続け、この記事で既に76本目。始めたのが3月31日だから、ちょうど3週間が経つ。順調に進んでいると思う。

なぜ100本なのか?答えは簡単。単に本に書いてあったから。始めたら、まず書き続けてみること。例えば100本書くっていう目標をもつのもいい、とにかく書いてみることだ、と。

*しっかりと選んだ指南書は有効活用したい

ただ、毎日3本とは書いていなかった。書き続けることが大切とだけあった。書くという習慣をもつことが大切であって、書く場所なんかどこでもいい。書くことを自分自身の使命にしろと。

そこで自分は考えた。毎日書いて79日目に100本を達成するか、それとも目標とする日付を決めて100本を達成するかの二者択一で。自分の性格に合った方法は果たしてどちらか?

選んだのは後者、日付を決めて達成する方法。1日1本だと、期間が長過ぎて油断しそうな気もする。今日書かなくても、明日2本書けば特に問題ないだろう、そう思いかねない気もした。

どちらかと言えば、自分は短期集中で燃えるタイプだ。当然、好きなことなら持続性も高いが、まず初めに自分自身を一気に盛り上げようと考えた。盛り上げた勢いで、持続可能を確実にする。

*まだ キーストロークがかみ合っていない

では達成する日付をいつにしたらいいのか?少し考えることになった。1日平均2本で書いていくと、5月末でも終わらない。それでは79日かけて書くのと大差がない。その差は2週間だけ。

自分を追い込むことが目的でもある。そうなると1日3本書くのが、少な過ぎず多過ぎずで丁度いいんじゃないか。少しだけ余裕を加えて、4月末までの30日間で達成するのがいいだろうと。

初めの21本は10日間ぐらいかけて書きためた、1日に2本のペースで。4月末を目標にすると、1日最低3本は書く必要があった。時間がある今なら、やれる!と思った。実行にうつした。

1週間目ぐらいは順調だった。調子が出てきて波に乗れたきがしたが、2週間目の終わりぐらいから、少し頭で考えるようになっていた。職人気質的な性格が少し前に出始めてしまった。

*久しく見ていないスカイライナー 見たい!

駄目だ、これじゃ!今は技巧に走る時じゃない!細かいことを考えるんじゃなく、まず書くことが目的なんだ!何を書こうかではなくて、思ったことを書けばいい!思い直してまた書き始める。

それでも1日最低3本のペースは、思っている以上に大変。写真も挿入したいし、ダラダラと文字を並べるだけでは満足できないし。完璧は今求めることではないが、だらしない文章はいやだ。

素人だから、初心者だからという言い訳をするタイプじゃない。
ましてや、記録書を作っているわけでもない。誰かに読んでもらえたらっていう思いも託している。恥ずかしい文章は駄目だ。

こんなことを考えていたら、ここ数日、久しぶりに頭痛が続いている。脳みそのパワー不足が言葉の生産活動を妨げているのか。
でも、100本目まで7割のところまで来た。立ち止まれない。

*久しく海も見ていない 見に行きたい!

今こうして自分の思いを記事にしたことで、また弾みがついた。

4月末日まで残り10日。この記事を除いて、残り24本でひとつのを乗り越えられる。長い休業の中で、達成感を味わえるはずの2つ目の目標。達成出来たら、次は文章の技巧にも重点をおいて書いていく。同時に3つ目の目標を進める。頑張らないと!

あれ?でも仕事は?まあ何とかなるだろう。目標を達成できたなら、何かが見えると信じているから頑張れるんだ。

今は100本を目指し、思うがままに書いてみよう!

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松下幸之助から、今も学びきれていない。

自分は、松下幸之助という大人物から、直接学んだわけではない。関係する会社で働いたわけでもない。よくあるように、巷にあふれている氏にかかわる書籍を多く読んで学んだだけ。

正直に話せば、手元に残る氏の書籍は「道をひらく」「続・道をひらく」の2冊だけ。残りは昨年の引越の際、すべて処分した。

*この2冊は 絶対に手放せない

読める時にかなり読んだつもりだが、結局この2冊に収まった。いや収まったというよりも、特にこの2冊が大切だと思えた。

何度も話しているが、とにかく読みやすい。読みやすいからスッと頭に入る。でも実践することは難しい。氏だから書けた文章であり、それゆえに尊くもある。

この2冊では、間接的な言い回ししかしていないが、氏が考える上に立つ者の姿とは、大きく分けて3つある。

すなわち、①「才将」②「賢将」③「徳将」の3つだ。

①「才将」とは、他者がこの人には適わないと感じるような人。

②「賢将」とは、戦略や他者の使い方で成功を収めるような人。

③「徳将」とは、人徳によって他者が自然と集まり、持ちあげてもらえるような人。

この3者の内、氏が最もなりたかったものは「徳将」。

自分の人徳を慕って、自分よりも能力を持つ他者が自然と集まる。自分自身が指示を出さなくても、彼等が自ら気づいて考え、判断して行動し、自分を盛り上げて会社を発展させてくれる。
そんな人物が「徳将」と言われる。

*人を引きつけられる魅力がほしい

極論を言えば、人徳をもつことで他者が集まり、彼等はこの人のためならと働き、自分はすわってるだけでいいってことだ。

一般的に考えて、こういう人物はほとんど存在しない。存在しないがゆえに、氏が「経営の神様」と言われるゆえんだ。

でも、どんな仕事をしていようとも、たとえ一人で働いていようとも、目標として目指すのなら「徳将」になるのがいい。

ただ、忘れてはいけないことがある。「徳将」でありたいなら、集まった他者に任せるという気持ちが大切だということ。せっかく集まってもらっても、任せきれないんだったら意味がない。

上に立つ者がやるべきことは、成功しても失敗しても最後の責任をとるということだけ。後は任せる。それが集まってくれた他者への最大限の敬意にもなると思う。俺が俺がの気持ちが残っていたら、せっかく集まってくれた彼等も、失望して離れていく。

*自分の非を先に認めた方が楽になる?

さて、昨今の新型コロナウィルスがまん延している状況の中で、どれほどのリーダー達が他者を使い切れているのだろうか?

下手にを焦ったり人気取りをするよりも、自分にない知識や知恵を持った人物をしっかりと使いこなし、的確な判断を下せるように内面を磨きなおした方がいいように思う、そんな人が多い。

俺がやらねばという気持ちも大切だろうけど、人間はその人自身が思っているほどには案外、期待されていないものだよ。

選ばれた立場に酔いしれるよりも、その立場を有効に使えているのかどうか、今一度、自分自身を見つめ直すことも大切。決断を焦ると、いつまで経ってもウィルスとのいたちごっこになる。

*いくつになっても 失ってはならない学ぶ心

松下幸之助氏の「道をひらく」は昭和40年代に世に出ている。自分が生まれる以前のことだ。時は流れて世の中は進歩したように見えて、人間自体はあまり進歩していないってことだろう。

松下幸之助氏ひとりにさえ、学びきれないことが多すぎるってことだね。

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人生経験 俺の考え 健康 日常生活

塩分を1日6g以内、これはかなり難しい!

塩分を1日に6g以内に抑える。これは、かなり難しい!

毎朝毎晩、血圧を測っていることは話した通り。選んだ測定器も順調に働いてくれてるし、測定する習慣はしっかりと出来てる。2回3回と測り直すこともあるが、それは病院の看護師さんもやっていたことだから特に問題ない。要は、測定された数値が、平均的に下がって落ち着いているかが大切なんだ。

*2週間前の 血圧測定の記録

自ら購入した血圧手帳は、大当たりだった。毎日、数値を書き込んでいくことが楽しくなったし、数値を書き込むことがグラフ的な効果をもっているから見直すにもいい。数値が少し高めに出るだけで、不安とまでは行かないが、なんでだろうを考えるようになった。何が原因なんだろうって感じでね。

塩分6gについては、前回の入院時にも学んだ。父親が心臓の手術をした時にも、病院からの説明の中にあった。自分なりに意識して生活していたつもりだったけど、その場の勢いで暴飲暴食をしていたのかもしれない。特にここ3年ぐらい、問題があったと思っている。いい写真になった食事は、案外?がつくかも。

*インスタントラーメンは 塩分の量が多い

たとえば、インスタントラーメン。麺とスープを合わせた塩分の量はかなり多い。袋の裏面に記載されているから、誰でも確認できる。塩分の摂り過ぎが血圧を上げることは、周知の事実になっっているから、やはり気にした方がいい。6gを気にしたら、まずスープは飲めない、残すものとして考えてしまう。

でも、食事は基本的に3回だ。スープを残しても、麺にからんだスープもあるわけで、考えている以上に塩分を摂っている。しかも1日に6g以内だよ。摂取可能な塩分量の残りを、他2回の食事でうまく収めるしかない。これがかなり難しい。塩分がほとんど含まれてないものを選ぶしかない。例えば大豆の水煮とか。

*焼きそばは スープ以外の塩分が多い

こう考えていくと、高血圧対策というのは本当に難しい。毎日実践していることは、こんなところかな。

  • 食前と食間に高カカオチョコを1日25g食べる
  • ご飯や麺類などの主食を最後に食べる
  • 醤油やソースはかけずにつけて食べる
  • 卵・青魚・大豆などでたんぱく質を摂る
  • 牛乳・ヨーグルトなどの乳製品を食べる
  • お酢を毎日大さじ1杯以上摂る
  • 1日に5杯ぐらい緑茶を飲む
  • 時間が許す限りよく噛んで食べるようにする

などなど、細かいことなら他にもたくさんある。

*高カカオのチョコは高血圧対策にいいとか

でも体のためとは言え、ここまで細かく考えていくと、何をたべていいのわからなくなってくるよね。いや、わからないと言うよりも、食べられるものが限られてくる。たまには外食とか弁当でもって考えはする。我慢ばかりじゃストレスもたまるし、栄養バランスも偏るからね。それも、近頃は出来ないでいる。

昨年亡くなった祖母が、なぜ100歳を超えて生きられたのか。最後は寝たきりだったけれど、よく思うことがある。添加物が多い食事をしていなかったなと。戦争をまたいで中心の食事も多かっただろうに、どう栄養を摂っていたのかなとも。

戦時中を生き抜いた人達はたくましい。あまり細かいことを考えずに長生きしてる。栄養学がどうのこうのよりも、長い時間をかけて人が築き上げてきた食事の歴史に従っているのかな。自分もすでに、現代病の1人になっているということだろう。

塩分6g以内の壁を、うまく乗りこなし行きたいと思う。

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人生経験 仕事 俺の考え 日常生活

人を見る時は、あくまでも自分の目で。

先日、話をしたセイノー体操。社長室の前にマイクを立て、腕を振りながら、かけ声を繰り返す毎日。間違えれば社長からのクレーム対象になる。新入社員が入ってくるまでは、最低1年間は自分たちが務めを果たす。1日1人の順番で、日曜と祭日以外は感情を捨ててマイクの前で体操を続けた。

翌年の春には、同期の1人が転勤。残った2人で交互に務めていたところへ、新入社員が1人配属された。3年目にも又1人配属されてきた。互いに平日の休みもあるから、完全に引退することは出来ない。時間の無駄を感じ始めていた。体操自体は必要だと考えていたけれど、体操に振り回されることが嫌になっていた。

1年下の後輩と決心した。声をテープに録音してしまおう、と。

*後輩と2人で毎日 メトロノームを眺めた

その日から約1ヶ月上司との戦いが始まった。上司というのは例の、自分にいじめてやるぞと言った上司だ。部長という職でありながら、窓際的なイメージしかなく、厳しい戦いの始まりを感じていたね。とりあえず、体操のやり方を変えてみたい、テープで録音して流したいという提案は通した。

皆さんは、この改革を簡単なことのように思うかもしれない。

でも、それは大きな間違い。何と言ってもこの体操、1代目の時代から同じやり方で行われてきた。しかも、労務課の新入社員の儀式として皆が見ている。ある意味で、楽しみにしているわけ。声をテープに吹き込むってことは、フロアの中心に立つ人がいなくなる。部署ごとに、かけ声を出さない人だけが立つわけだ。

*当時はまだテープを使っていた

そして、何よりも一番難しいのは、かけ声テンポなんだ。速すぎても遅すぎても駄目。誰もが納得できるような速さでなくてはならない。仕事で硬くなった体をほぐすための体操、終わった時に疲れを感じてしまっては意味がない。

この点について、自分と後輩の2人だけで計画を進めるには、まだ経験が浅かったようだ。

何度くりかえし録音したことか。テープに録音するたびに部長にのところへ。テンポが速すぎる、いや遅くなった、声が聴きづらいなどの辛口評価がくりかえされる。あっという間の1ヶ月だったね。後輩は、もう無理ですよと言い始めていた。テープを突っ返されるたびに、イライラも募っていたね。

*録音機器は違うが 録音ボタンを押し続けた

その部長は、社員から嫌われていた人だった。自分もその一人だったと思う。好きにはなれなかった。若輩者の自分の目から見ても、仕事らしい仕事をしているようには思えなかった。それこそが、若さというものかもしれないけどね。

なんとか許可をもらうことができた。テープは完成し、マイクの準備をすることなく体操を行う日を迎えた。

初日は成功だった。そして思った。録音されたペースは、ちょうど良かったと。お世辞とかではなく、部長が許可を出したペースに気持ち良さを感じられた。ドンピシャってやつだ。長年の体操経験から、一番気持ち良く体操をできるペースを、体が覚えていたんだと思う、部長さんは。

曇りガラスを通して部長を見ていたのかもしれない。大企業の部長というポスト、誰もがなれるわけじゃない。何かしら人よりも秀でたことがあったからこそ、その椅子に座っているのだろう。実際にその能力が、通用するものだったのかはわからないが、少なくとも自分たちには良き結果を導いてもらえた。

*ちなみに 今の録音機はこのタイプ

人を評価できるほどの人間ではないが、少なくとも他人の評価だけで結論づけることはやめた方がいいと思う。判断するのは、あくまでも自分自身。その結果が大多数の他者と違っていたとしても、自分自身が考えた結果なら納得がいくはず。可能な限りその判断を信じてみるのも、果ては自分自身のためにもなる。

人を見る時は、あくまでも自分の目で、だ。

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俺の考え 映画 男はつらいよ 食事

給食の豚肉の生姜煮は、量が少なかった。

昨年の夏に入院していた時の食事、これは豚肉の生姜煮。この生姜煮を食べると、必ず思い出すのが学校給食の生姜煮。イメージが浮かんでくるたび、美味しかったことしか思い出せない。

*給食の豚肉の生姜煮は好きだったな

豚肉にしっかりと味がしみ込んでいて、甘辛い感じで、とにかく白いご飯に色も含めてよく合っていた。ごはんにかけてどんぶりにして食べた時は、定食屋さんのどんぶりにも匹敵する味だった気がする。昨今、給食メニューを食べられる場所があるらしいけど、給食をメニューにしようと考えた人の気持ちがよくわかる。

*男はつらいよ 奮闘編から 給食は楽しい

給食は成長盛りの子供たちの栄養が考えられているから、病院食同様、メニューが幅広くなっている。カレーがでればシチューもでる。肉じゃがでれば麺類もでる。みんな美味しかった記憶しかないが、特に豚肉の生姜煮は美味しかった。当然のことだけど、メニューの中でも人気があった。

だけど、この豚肉の生姜煮、配給のが少なかった。

大きなバケツのような容器に、カレーやシチューなら山盛り入っている。ふたより少し低いぐらいのところまで。だから、お代わりも可能だったよね。1.5回ぐらいお代わりが可能な日もあったかな。成長盛りの小学校や中学校の頃だ、夢中で食べていた。嫌いなものなんて何もない。牛乳のお代わりも嬉しかった。

*このバケツのような容器におかずが

そんな中で、人気者の生姜煮はなぜか量が少なかった。自分が覚えているかぎりでは、同じバケツの中に3分の1しか入っていなかったと思う。ふたを開けてのぞいた時、先に誰かが食べてしまったような気もしていた。

自分が係で盛りつけをする時は気を使い、皿に盛られる側の時は量が気になって仕方なかった。みみっちいような、せこいような子供の考えそうなことだけどね。美味しいとわかっているんだから、たくさん食べたいと思うのが当たり前だろう。

*自分の頃はすでに 一体型のお皿だった

だから肉を床に落としても、拾って食べた。見ていた人もいたかもしれないけど、何も言われなかったし、特に悪いとも思わなかった。美味しいからこそもったいない、これに尽きる。今の時代なら、親に文句を言われるのかな。先生しっかり見ていなかったんですか?それで監督がつとまるんですか?みたいな感じでさ。

長い独身生活、退院してからは簡単な料理ぐらいはとも思っていたけれど、料理だけは手つかず。病院の食事も懐かしいが、今こそ給食の味よもう一度ってところかな。ちなみに、豚肉の生姜煮の量が少なかったのは、一日あたりの予算の都合上からだったと思っている。

いつか思い出になる給食、噛みしめて食べた方がいいよ。

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アニメ 俺の考え 日常生活 趣味

攻殻機動隊の世界は、そこまで来ている。

「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ」

逮捕した犯人を前にして、中枢神経以外全身義体の少佐・草薙素子が言う。義体とは、すなわちサイボーグ士郎正宗を原作者とする漫画あるいはアニメ「攻殻機動隊」の中で使われる。

*攻殻機動隊の少佐 全身義体で頭は人間

攻殻機動隊の原作は1990年代の初頭に書かれているが、現在からみれば、そう遠い時代のことでもないだろう。

義肢人工臓器組織生体工学の技術がロボティクスと結びついて発展し、やがて脳や中枢神経を除くすべての器官が機械化される時代。詳しくは調べてみて欲しい。

下の動画を見てどう思うだろうか?現在でもここまで技術は進歩している。まだまだ動きは遅いが、Amazonの倉庫の中では人間型ではないにせよ、ロボットと人間が一緒に働いている。進歩のペースは過去とは比較にならない。

一緒に働くだけの存在が今の時代のロボット。

だが、この攻殻機動隊の世界のように、脳がナマの人間のものと変わらなくなれば、人格をもつことにもなる。たとえ全身が義体化されていたとしても人間、口から出る言葉は説得力をもつ。いや、説得力がどうのこうのなんて会話は無駄なんだ。そこにはロボットとの境は存在しないんだから。

脳がナマのものでも、情報量は半端じゃない。並列化によって、時間をかけて蓄積されてきた個人ごとの情報が、瞬時に共有されることになる。個人では学ぶ必要もないってことだろうか。知識や知恵が塊になって、右から左へと人の中を移動し続ける。

https://youtu.be/7sUhcue_4fo
*ターミネーターの世界だって 決して遠くはない

冒頭の少佐の言葉も、誰かひとりから聞くと説得力を感じる。これを多くの義体化した人間が同時に口にしたら、自分だけが馬鹿にも思えて来るんだろうか?

人の数が減れば、働き手も減っていく。一緒に仕事をする相手をロボットに頼らず人にだけ限っていけば、いずれ社会は疲弊し衰退していくかもしれない。使う側使われる側にわけて考えるのではなく、いかに共存していくか、真剣に考え始めてもいい。

ただ、そのためにも人は、人間らしく生きることを忘れてはいけないと思う。全身義体でもロボットそのものでも、共存していくためには、人間らしさが基本になるはずだから。

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ロッキーが、人生を変えてくれた 2

見た目を変えた胸筋に、さらに発破をかけたかった。

ロッキーに憑りつかれた自分だが、本来ならその気持ちを受験勉強にもっていくべきところ。ただでさえ成績が悪いのに、見栄ばかりはって偏差値の高い大学を選択するアホまるだしの生徒。先生もあきれていたが、いまさら遅いからなんて気持ちが先行していたんだろう。ロッキーをにして逃げていたのかもしれない。

*国旗をまとう姿は 米ソ冷戦の時代も映す

1984年に公開されていた「ロッキーⅣ 炎の友情」がさらに拍車をかける。宿敵でありながらも最高の友人になった、前チャンピオンのアポロ・クリードの死に涙。復讐を兼ねたロッキーのファイトは、さらに根性を与えてくれたが、偏差値は下がる。親不孝者とはこういうことを言う。若い方は反面教師にしてほしい。

受験勉強にではなく、すべてのエネルギーが腕立て伏せのために使われた。高3の秋なんだからね、現役の受験生は、脳みそに刺激を与え続けるべきなのに、自分ときたら腕と胸の筋肉だけに刺激を与え続けていたんだ。筋肉はUPし受験のための知識は下降する。見事な反比例。自分の不器用なところかもしれない。

*ベトナム帰還兵の悲しみが伝わって来た

ロッキーに続いて「ランボー」にも手を出す。ロッキーシリーズと並ぶ、スタローンの出世作にして代表作のひとつ。舞台はベトナムの戦場を起点にしたある帰還兵の話。詳しくは別の機会に話すが、このランボーにもやられた。鍛え抜かれた体で、特殊な弓矢とナイフ1本でモンスターのように戦う姿は、神そのもの。

ロッキーとランボーがダブルで自分を刺激し続ける。頭の中は偉大なるアメリカン・ドリームの成功者シルベスター・スタローンのことだけ。受験勉強が、スタローンとロッキーとランボーと筋肉の論文を書くことだったら、偏差値の高い大学も受かったかもしれない。人生が変わるというのは、まさにこういうこと。

*精肉工場の肉がサンドバック替わり

冬が明け、受験の戦いに自分の体はリングに落ちた。ロッキーと違って最後までリングに立てるはずもない。あきらめを先行させたまま戦おうとしていたんだから、落ちるのが当たり前。親不孝者としてのチャンピオンベルトは獲得したが、見事に浪人生活へ突入していくことになる。

高3の時に手に入れた人生転換への道。翌年も負けが多かったにもかかわらず、リングに立ち続けて大学に合格できた。そのエネルギーのもとはロッキーでありスタローンであり、そして唯一好きになれた世界史だけだったのかもしれない。

*突き上げられた腕 この角度こそ勝利の角度

人生の変わり目というのは、求めて得られるものではない。

ただ、今の自分が小さく見えて嫌いであったとしても、地道に前向きに生きていれば、必ず何かが起こる。必ず自分を変えてくれる何かが向こうからやってくる。だから、今の自分にあきらめずに、好きなことがあれば夢中になった方がいい。

自分は成功者ではない。

でも、ロッキーにスタローンに夢中になれたことで、思いもよらなかった自分を創ることができた。何度も足踏みはしているけれど、その気持ちは今でも変わらない。生きようとするかぎり、ロッキーは自分の前を走りつづける。