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人間としての尊厳、一方だけのものではない

言い訳がましいが、7月から始めた仕事が忙しくて文章をまとめる時間が取れず、すっかりブログの更新が出来ずにいた。自分はブロガーを職業として生活費を稼ぐ人間ではないから、書きたい時に書ければいいと思っているが、9月中旬から次のステップを踏むことにしたので、ひとつのまとめとして書いてみた。

*どこで見ても 夕陽に一日の終わりを感じる

前回にも話をした通り、今の仕事は、仕事自体は大切なことだと思っているし、自分なりに頑張っている。いや、自分なりにを超えてしまっているかな。毎日、大便を手にした相手と向かい合って語りかけたり便まみれの部屋を掃除したり、それは凄まじい毎日だよ。誰が見ても、ホームで生活する相手じゃないんだから。

つい先日、とうとう部屋の壁を足で蹴とばして破壊し、体を石膏ボードまみれにしながら笑っていた。ここまでくると、すでに常人ではない。自分たちは施設開所と同時に雇われた初心者ばかりで、視察に来た役所の人間もさすがに驚き、相談員たちは自分らの頑張りを、過去の例と比べても最高だと褒めていったほどだ。

*赤と白のモノは青い空によく映える

一番の問題は、障害者虐待防止法を盾にする人間がいるということだ。利用者が大便を手に迫って来ても、ウィンドブレーカーを着て盾にして相手を抑えるなと言う。虐待防止法があるからまずいと言うんだな、施設側は。もっとひどいのは彼を守る親たち。自分らにはプロ意識が足りず、努力が足りないと言うんだな。

さすがに呆れてしまうよ。彼らにも、虐待防止法にも両方に対してだ。子を思う一生懸命な親たちにもたくさん会ったし、そういう方々には親としての本当の愛を感じる。だが一方で、虐待防止法を都合よく盾にして、彼らの体裁だけを守ろうとする人間たちがいることも確かだ。この仕事を皆さんが自らやればわかる。

*人気のない街も夕焼け一つで世界が変わる

先日、何でもかんでも虐待だと叫ぶ親の話を受け、また役所の人間がやって来た。その時、利用者の壁への破壊がタイムリーで起こったから、彼らは即座に写真を撮った。その彼らだって実はわかっている、虐待などあり得ないんだと。以前に来た時に、彼らも大便をつけられまくっているからだ。親だけが我儘を言う。

先日、大きなガラスを割った利用者もいる。割り始めたらとことんまで割ろうとするから、抑えるこちらも大変だ。だが、親は拘束を認めていない。一旦病院に入ることにも承知しない。そのため本人が施設で静かに暮らすための薬が増え、彼の顔も変わっていく。親が自分の体裁を守ろうとして、悪循環が繰り返される。

*この季節の田んぼがある風景が好きだ

その利用者たちを目の前で見ていたある母親が言った。あの人たちはここにいる人たちではないでしょ、と。その方のお子さんも障がいがあるんだが、お子さんに障がいがあるとわかった時に旦那さんと二人で大学に行って学びなおし、両親がそろって支援員の仕事をなさっているということだった。立派だと思ったね。

自分自身にも言えることだけど、一般的に子は親よりも長く生きる。障がいがあっても、障がいの重さが命の長さに必ずしも比例するわけではない。だとすれば親は、辛いかもしれないが自分たちが死んだ後のことを考えた上で、子に何かを伝えていかなければならない。日常生活の基本だけでもできるなら可能にしたい。

*こういう雲のモクモク感が大好き

大便をもって迫る利用者を見ていると、親の甘さがあまりにも目につく。親たちも大便をつけられているのに叱らない。また来るからとなだめるだけ。それを30歳を過ぎている利用者に長いこと繰り返してきたのだから、本人が今変われるなら奇跡に近いと考える。常軌を逸した行動は、便つけだけではないからね。

先日、ある利用者が亡くなった。ご飯をゆっくりと時間をかけて噛み続ける穏やかな方だった。その一週間前に、お母様が他界されていた。彼は葬式に行き、それから毎日毎朝、窓を開けて空を見ていた。何かを探し、何かに誘われるように。そして突然亡くなってしまった。お母様が呼んだのかなって自分らは思った。

*どら焼きって 子供の頃から全く飽きない

自分は障がいをもたない。障がいのある自分の子供がいるわけでもない。そもそも結婚さえしていないけど。でも、障がいがあることが大変だというのは、この短期間を通してだって十分に理解できている。と言って、障害者虐待防止法なるものがすべて正しいとは思えない。時として、それは矛盾を生み出しもする。

大便をもって迫って来る相手に無防備でいろ、暴力を振って来る相手に無防備でいろ、なぜなら彼らは障害者だから。親や後見人の了解がなければ、手で制止することは拘束になり、彼らを傷つける行為になって許されない。ちょっとした行為が、虐待だと訴えられる。そのために、施設を守るために我慢しろ。

*でんでん虫 子供の頃からの遊び相手

では、自分の人間としての尊厳はどう保証してくれるのか。

どこの世界に、大便をつけられて喜ぶまともな人間がいるのか尋ねてみたい。汚いから不要だから体から排出されるはずのもの、それをつけられて喜ぶ人間がいるのなら、おつき合いはご勘弁願いたい。せめて大便を手にしないように教えてくるべきだった。それが親としての人間としての務めだったのではないだろうか。

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熱意を動かすものは、継続的な熱意しかない。

何度も同じことを話すけれど、熱意ほど大切なものはない。誰かに対して語っているようだけど、実際のところ、自分に対する叱咤激励のつもりで話している。人は、後になってふり返ってみれば、ちょっとしたことでつまずくことも多い。超えてしまえば何でもないことなのに、超える前に考えてしまうことが多い。

*晩酌は晩酌でも 定着したノンアル晩酌

夢に大きい小さいは関係ない。その夢を実現するためにしっかりと前を見据えて進んでいれば、どんな壁もぶち壊して行ける、そう思わせてくれるのが夢のはずなんだ。だけど、やはり恐怖心というものは必ず生まれてくる。行けると思っていても、壁が予期せぬほどに大きければ、尻込みだってするのが人間だ。

でもね、恐怖心がないことが正しいとは思わない。恐怖心があるからこそ、恐怖心を打ち砕くために人間はまた考え行動して一歩ずつ大きくなって行ける、成長して行けるんだ。恐怖心こそが自分を励ましてくれる、一番の友達になる時だってある。恐怖心を認めて受け入れることが、人間を成長させる近道だとも思う。

*仕事前に楽な気持ちでスマホでパチリ

恐怖心と言っていいものか、まあとりあえず恐怖心としておこうか。7月1日から始まった障がい者施設での仕事、毎日が戦いと言えば戦いだ。戦いと言うと語弊もあるかもしれないが、毎日毎日、本人が自分の大便を手にしてこちらに向かってくれば、これを戦いと言ってもいいだろう。決して綺麗事で語れはしない。

大便を手にするなんて、一般常識の中では考えられない。大便はあくまでもトイレで流す汚物だ。大便は汚物ゆえに、体内から吐き出されるべきものであり、それを手の平で握りしめるなんて常人には考えられない。だが、ある種の人たちにとっては、これが汚物ではなく、ただのモノとして認識されるようだ。

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モノとして認識されるから汚物ではなく、臭いさえもクサいものとして感じられないようだ。それを手にして遊び、手にして相手を威嚇して自分の進路を開けさせようともする。それを突きつけられれば、ひるんで一歩後ろに引くのが常人のあり方だろう。後ろに引けば、相手は一歩ずつ前に進んで来る。

相手は長年の経験で、こちら側に恐怖心があることを理解している。理解した上で、進路を開くために向かってくる。こちらだって自分の身を守らなくてはならないが、防御もやり過ぎれば虐待になってしまう。だから、ギリギリのところで防御しながら、相手を押し戻すように体を動かす。一進一退の攻防だ。

*ゴム無しの軍手使用は久しぶりだ

攻防なんて言うと本当に戦闘をしているみたいだけど、実際にその現場を見ることがあれば、戦闘をしていると思うだろう。自分の大便なら毎日トイレで見ているのに、見知らぬ他人が大便を手にして進んでくれば恐怖心さえ生まれる、初めて経験する不思議な感覚が生まれる毎日だ。この恐怖心を克服することが重要だ。

こんなことが恐怖心と言っていいものか、自分でも可笑しいなとは思うよ。自分が赤ん坊の頃、いくら我が子とは言っても母親の毎日は大便の処理に追われていたわけだ。特にその頃はおむつで洗っては繰り返し使っていたんだから、手は大便まみれだったろうしね。ただ、大便も迫って来れば恐怖心にもなるんだよ。

*どこで見ても いつ見ても 空はいい

ただね、物事には慣れってものがある。人間の臭覚も一番慣れやすい。そういう行動を起こすって分かっていれば、初めから防御のための装備をする。マスクをしていても臭いは突き刺さって来るが、仕事への熱意があれば活路を見出すために考えぬく。お蔭で脳みそは毎日フル回転の状態、次から次へと知恵が生まれる。

結局のところ、熱意なんだよね、必要なものは。熱意があれば活路が見えてくるんだ。同時に同じように熱意をもてる仲間が必要なんだ。この相手は、力も相当強い。限界まで力を出してねじ伏せていいと言うなら一人でも可能だが、虐待防止を念頭においているのだから一人では無理だ。防御も分担作業が必要になる。

*今まさに 映画『学校Ⅱ』の世界にいる

自分を採用した取締役は身をもって熱意を示す。その熱意に動かされて、若い女の子さえも踏みとどまって頑張っている。さらに熱意に同調して、巨大な力をもった人物も参加してきた。今いる人間のベクトルが少しずつ同じ方向に向き始めた。熱意こそが原動力だ。この継続的な熱意が、さらに大きな熱意を生むだろう。

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無知を知り、克服する努力をする。

何をするにせよ、まずは己の無知を認めることが大切だ。

障がい者のグループホームでの仕事について、早くも一週間が過ぎた。毎日が格闘をしているようで、既に1ヶ月も2ヶ月も経ってしまったような気もしている。実際のところ、本当に時間が早い。勤務はまだ5回だが、7時間の日勤を3回と16時間の夜勤を2回、実質7回分ほど働いたことになるのだろうか。

人としての個々の尊厳を大切にしながら相手と向き合う、この歳になれば教科書など読まずとも頭の中では理解できている。しかしだ、やはりいつもの仲間を相手に話すのとは根本から違っている。彼らの思考を理解するには、正面からしっかりと向き合わなくてはならない。どんな状況でもだ。それが仕事なんだから。

*きゅうりは酒の席には欠かせない

それでもね、やはり戸惑いを覚えないことの方が難しい。彼らが自分たちに向けて来る行為は、決して普通じゃない。普通じゃないと考えてしまうのは、自分が普通だと、自分の生活の仕方が普通だと思い込んでいるからなんだけどね。彼らにとっては、彼ら自身が普通であって、彼ら自身の世界がすべてなんだから。

それでも、つい普通じゃないと考えてしまうから、まずは、ここから頭の中を置き換えて行かなくてはいけない。

昨日の朝まで続いた夜勤の中で、多くのことを一気に学んだ。夜勤は2回目だったにも拘らず、施設に来たばかりの同年代の相棒と2人きり。このこと自体も驚きだが、取締役がしっかりと基本を教えてくれたし、後は2人で連携して考えを出し合いながら乗り切った。共に51歳の年齢、知恵だってたくさん備えている。

*ステーキのような肉厚たまごの料理

障がい者のお子さんをもつに至った親御さんたちは、決して楽な気持ちで暮らしてはこれなかったと思う。障がいあるとわかった時の気持ちは、ご本人たちにしかわからないだろう。ただ、子供たちはよほどのことがない限り、普通に歳を重ねて生きて行く。だからこそ、悲しい目で彼らを見て生活させてはいけない。

可哀そうだからと甘えさせながら生活させると、大きくなった時には我儘が手に負えなくなる。そのことが、この一週間でよくわかった。彼らの人としての尊厳をしっかりと認めるなら、障がいを理由に甘えさせるのは厳禁だ。彼らひとりひとりにあったペースで、地道に教育を与えていく必要がある。それが本人のため。

*料理の名前よりも まずは美味いかどうか

取締役が素晴らしいことを話していた。

今の時点で、我儘が手に負えない利用者が一人いる。その我儘の原因はと言えば、教育の始め方に間違いがあったということ。だが彼はまだ、20年も30年もこの先を生きなければならない。今扱いに苦労しても、1年で我儘を直させられれば、彼の長い人生のためには苦労を苦労とは思わない、と。

この話を聴きながら同時に、その利用者に対する取締役の接し方を1時間半以上見続けた。そして、自分を恥じたね。自分には無理かもしれない、その内に相手に対して手が出てしまうかもしれない、そんな思いばかりが頭の中を走り始めていた。まあ、会社の最初の説明の仕方も悪かったから、誰もが不安にもなるよ。

*唐揚げの料理もバラエティーが豊かだ

でも聴いて見てしまえば、自分だって決して馬鹿でない。培ってきたポジティブ根性を重ねてみたら、自分にも出来る!って思えた。そして、出来れば仕事が考えている以上におもしろくなるって思えた。だから自分を恥じ、自分なりに勉強しようと考え本も注文した。先に始めている、別の通信教育と合わせて勉強する。

こんな感じで仕事を始めない限りは、障がいをもつ方たちとの接点は生まれなかったと思う。街で見かけても、ちょっと手を貸すぐらいのことだけで終わり、彼らと正面から向き合うこともなかったはずだ。自分が知らいないところで、こんなにもたくさんの障がいをもつ方たちがいたということ、このことにも驚いた。

*たかがコロッケされどコロッケ 創造ひとつ

まったく無知とは恥ずかしいことだ。無知であるのに、偉そうなことを口にしてはいけない。この世界で頑張る人の思いは、同じ土俵に立たなければ分からない。分からないくせに偉そうなことは言えない。まずは自分で、とことんやった上で理解してからの話になる。無知を克服する努力に、終わりはない。

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今日も時間は、刻々と流れていく。

介護職員初任者研修を終えて、すでに一週間が経った。研修は短期集中だったから、かなり時間の流れを早く感じた。でも、休みになればなったで、こちらも時間の流れが早い。小学生や中学生の頃を思い出してみるといい。夏休みが始まった日は42日を楽しみにしたが、あっという間に残り1日の日を迎えたものだ。

*実技試験のために 自分で脚本を書いた

だから自分は、研修最終週が始まった時に通信教育の準備をしておいた。研修を修了した時、流れで次の学びに入れるようにしておいたんだ。昔の自分なら、少し休息をするかなって思いもしたが、今は時間を大切にしようと思うようになった。時間の勢いに流されるのではなくて、時間の上に乗ってみたくなった。

時間を無駄にするのは勿体ない。小中学校の頃なんて何も考えなかった。毎日がすべて楽しかったとは思えない。でも、守られる立場にあったから、大体が楽しく収まった。高校の頃も大学の頃も、社会はまだ遠かったから楽しかっただけ。大学を卒業するまでは、時間の早さを感じても、時間の重さを感じなかった。

*出来のいいテキスト 今後も大切にしたい

社会に出てから30歳を迎えるまで、これはあっという間の毎日だった。会社員時代のことで、やることが多くて立ち止まる暇がなかった。仕事がすべてのような時代、仕事の合間に趣味を差し込んでプライベートを楽しんだ。それでも、プライベートの時間に不満もなく、気がついたら30歳を超えてしまっていた。

個人になってからの20年弱はさらに時間が加速。個人ゆえの必死な毎日、30代は時間など見えなかった。見えていたのは仕事を終えた後の、美味しいお酒だけだったのかもしれない。世の中が見え始め、社会人として本当に充実し始めて、でも学ぶことがまだ溢れていて。時間が見える余裕などあるはずもなかった。

*初任者研修が次へとつながっていく

それが40代に入った時、何かが変わり始めた。長く住んでいたアパートの階段でつまずく、腰を痛める、警戒感が増す、勢いがスローダウンし始めた感じに。挙句の果てに初めての手術と長い入院生活に休業。自然と時間を意識し始めていた。時間の勢いだけではなく、時間の重さを意識し始めるようになっていった。

時間の重さ、時間の中に積み重ねられていく自分の充実感の重さだ。どれだけ充実した時間を過ごせたのか、それを中心に意識するようになった。がむしゃらに生きるだけで時間を重ねるのではない。中味の濃い時間を過ごすことによって、どれだけ自分が満足して納得出来ているかを、一番大切にしていくようになった。

*このハッシュドポテト 美味しかった

室内でつまずいてしまう、その事実をしっかりと受け止める必要がある。目をそらして、もっと若かった頃のように勢いに任せて生きるだけでは、ちょっとしたことで大きな怪我にもつながる。時間が足りないと思うから急ぐのだろうけど、勢いだけで充実感を得られるわけではない。時間を操りながら生きる必要がある。

自分の身を時間に委ねるのではなく、時間をしっかりと区切り、一つ一つの中味を充実させていく。具がスカスカの餃子ではなくて、皮を破った瞬間に具が飛び出してくるような餃子、充実感がつまった時間でなくてはならない。それを踏まえた上で、時間の早さを意識しながら50代を過ごして行く必要があるんだ。

*ビルの隙間の空は いつもより青かった

この先も時間が止まることはない。半世紀以上も人生を重ねてくると、この先、同じように半世紀を生きることには無理があるとわかる。生きることが出来ても、ずっと健康であり続けることは難しい。時間と比例して肉体は衰え、物事の覚えも悪くなる。それは努力だけではどうにもならない、誰にも等しい現実なんだ。

だからこそ、時間の中に充実感を見出して行く必要がある。時間の重さを実感する必要がある。時間が肉体を衰えさせることに抗うように、時間のひと粒ひと粒に自分自身をギッシリと詰め込んでみたい。誰かが自分をかじった瞬間に、肉汁がジュ~って噴き出してくるぐらいの、そんな充実感を時間に詰め込んでみたい。

*自宅の乾杯も ノンアルが定着した

1ヶ月短期集中の研修は確かに終わった。修了書を手にした瞬間、久しぶりに大きな充実感を感じた。感じられたからこそ、次の充実感が欲しくなった。新しい仕事の中にも欲しいし、新たな勉強の中にも欲しい。大好きな歌にも欲しいし、未知の中にも欲しい。勢いだけで生きるのではなく、時間の重さを感じたい。

今日も時間は、刻々と流れていく。

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介護研修日記5、初任者研修を終えて。

5月24日から始まった、介護職員初任者研修が終わった。短期コースとは言え、本当に早い1ヶ月だった。早いと思えたのはきっと、それだけ充実していたということだろう。確かに充実していたと思う。教室通いは週に3回だったが、平均1日7時間の予定はあっという間に流れ、よくできた研修内容だったと言える。

*修了証明書 なんていい響きだろう!

何よりも講師の方々に熱意を感じた。熱意を持てる方たちだからこそ、講師に抜擢もされるのだろう。小中学校に高校、どんな教育の場であっても、熱意のない先生や講師からは学びたいという意欲が湧いてこない。導く存在の方たちに熱意があってこその学びの場だ。ゆえに、この研修は充実感が溢れたものだった。

近頃は、遊びでも仕事でも熱くなれない人が多い。自分より若い世代が、熱い人が好きになれないなんて言っているのを耳にすると、君は何のために生きていたいの?と聞きたくもなる。夢や目標の大きい小さいなんてどうでもいいこと。夢を実現するために熱くなれない人間は、人の心温まる応援だって得られないよ。

*アルコールが入るとパワーが増す仲間たち

この研修を集中的に受けるにあたって、講義以外に自宅でもテキスト中心の生活に切り替えた。もちろん、息抜きだって必要だから、適度に趣味だってやったがヒトカラは封印した。封印した分だけ深夜や早朝に、自分を鼓舞するつもりでたくさんの音楽を聴いた。音楽の幅もさらに広くなり、当然やる気は高まった。

教室での眠気に負けないように、開始時間よりも2時間ほど前に近くの駐車場に入り、100分の待機時間を作った。半分以上は自由時間にして過ごし、残りは仮眠の時間にした。どの眼鏡も老眼に合わないため、すぐに目が疲れてしまう。夜は遅く朝は早いから、少なかった睡眠時間に対処するための苦肉の策だった。

*この唐揚げは 本当に美味しかった

高校の頃などは、授業中に眠たくなるとシャープペンの芯先で手の平を突き、眠気を払おうとした。それでも眠たくなったけれども、この老眼による目の疲れは、その程度のことでは眠気も飛んでいかない。渋滞に巻き込まれないように、早い時間に自宅を出て待機時間を長くしたわけだ。それでも眠気はやって来た。

だけど、高校の頃などと違うのは、興味をもって学んでいるということ。興味をもって学んでいるからこそ、講師の熱意がその眠気を打ち負かしてくれる。特に上手いタイミングで生徒に質問を投げる講師だと、次は自分の番かもしれないと身構えさせるから眠気どころではない。今回はそういう講師が多かったようだ。

*実技試験もペアを組んだ逞しい仲間

とにかく、学びの場に必要なのは、講師と生徒の学ぶことへの溢れんばかりの熱意だ。講師に熱意があれば生徒たちにもそれが伝わり、始まった時よりも熱意を大きくさせて学びを楽しむようになる。14回目は1日を通して実技試験だったが、試験の合間に相手と練習を繰り返したら、翌日は筋肉痛を起こしたぐらいだ。

実技試験で合格者が出るたびに、お互いに拍手をして喜びあう。筆記試験の前には、みな一心不乱に課題の用紙に目を通す。嗚呼これが学びの場なんだ、こんな気持ちになれるのも励まし合える仲間がいるお蔭なんだ。そう思うとさらに熱意が湧いてくる。合格すればいいのではなく、一番で合格したいと思ったりもする。

*酒の席だからこそ 焼き鳥も美味しい

筆記試験の時、自分の問題用紙のめくり方が早かったらしく、いつもの仲間たちが横でも前でも焦ったとか言っていた。そんな風に思われて逆に光栄だったね。他人に緊張感を与えられるなんてこと、高校の頃には考えられなかった。一番ではなかったけれども、良い点で合格できたと思う。切磋琢磨って素晴らしいね。

修了式を終えた後、まだ陽が高い内に仲間と飲食した。この仲間たちが、本当に良き戦友と呼べる方たちだった。このご時世だから、半年以上も飲み会からは離れていたが、マスクも自然と順番に外すような感じで飲食をし、お互いの頑張りを労った。互いを褒め合った。頑張ったからこそ感じられる美味しい会だった。

*1日明けて見た 地元佐倉の素敵な空

研修中に障がい者施設での仕事も決めた。7月の初めからだが、すでにその先にある未来も考えている。今回の初任者研修を通して、資格を取ることの大切さを実感した。同時に、学ぶことは人生を楽しむことだと実感した。熱意あるところには仲間が集い、熱意あるがゆえに、深く眠りについた夢さえも起こしていける。

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介護研修日記4、熱意と好奇心の大切さ。

研修も11回を終えた。時間の早さには驚くばかり。そして、教室にこもる熱意にも驚くばかりだ。初日からのメンバーを中心に考えれば15人くらいだが、他の教室からの振替で受講に来る人達も毎日1人2人といて、遠いところからでもやってくる。皆、ここで何かを吸収しようと、熱意をむき出しにして学んでいる。

熱心になるのは講義がおもしろいからか、それとも必要に迫られているからか。その理由は個々人で違うだろうけど、目の前の講義をクリアしていけば何かの役に立つことは間違いない。かく言う自分も、学校時代に開いた理科の教科書よりも、人体図などは今見ている方が楽しい。健康管理も大切な歳になったためかな。

*ランチはパンで簡単に済ます

生徒達が熱心になるだけあって、先生方も熱意があふれている。すでに10人の先生の講義を受けたが、どの先生方も仕事に情熱と誇りをもっているのがよくわかる。自分より若くて、既にいくつも施設を経営しているという先生もいる。実技指導を受けて思うのは、話し方も手先も滑らかで温かみを感じるということ。

その先生、昨日はシビアな一面も見せた。9時20分開始で1分遅れた生徒がいた。本当に1分だった。電車が遅れたらしい。いつも1番に廊下で待っているから嘘とも思えない。でも入室を許可されなかった。初日からの約束事で、遅刻は厳禁をしっかりと守った。どんな状況が起ころうとも対処できるのが社会人か。

そう言えば、大学3年の最終試験の日、東京で大雪が降った。前日からわかっていたから、電車のルートを変えて普段2時間のところを3時間半かけて時間を守った。大学はまだ甘い世界でもあるから、時間をずらして試験を行ったが、そういう気持ちは社会に出てからも生きている。講義も社会人には時間厳守が大切だ。

*パンダが好きなだけで買ったおっとっと

中国籍の生徒さんが帰り際、スマホで黒板の文字を写そうとしていた。別の70歳近い先生がそれを叱っていた。あくまでも、自筆で写していけと。今の学生はスマホ撮りが当然みたいだが、あれはあまり褒められたことではない。何しに大学に行ってるのかと問いたくなる。それこそ大学は通信教育で十分になるのでは?

介護の仕事に就く就かないは本人の自由。

だが、介護は人間を相手にする。それも元気な人を相手にするわけではない。病気や障がいをもち、長い自分史をもつ人間を相手にするわけだ。自分のちょっとした気の緩みが、その方々の尊厳を傷つけることもある。その尊厳を傷つけずに自立を促す支援をするには、熱意と好奇心をもって基本をしっかりと学ぶことだ。

実技でもグループ討論でも、初日から組んでる方々が3人いる。隣に座るのが体格もたくましい30代の女性、母親も旦那さんも介護が仕事とか。自分と同世代の水商売をしていたという女性、いつも監督官のような感じだ。140㎝を切る小柄な体で介護職に就いてる女性、Wワークでヤマト運輸の仕分け作業もこなす。

*近頃の冷凍お好み焼きは美味い

実技が始まった時、練習とは言え女性の体にふれていいのか考えもしたが、今は慣れたもの。相手もあくまでも練習台としてぶつかってくるから、自分も練習用の人形のつもりでぶつかっていくだけ。昨日の自由練習の時間も、相撲稽古をしているような感じで練習を繰り返した。誰もが汗を流しながら練習に励んでいる。

あらためて思うのは、熱意や好奇心を持った時こそ人は多くを学べるということ。熱意や好奇心こそが、学びたいと言う気持ちを無限に増大させるようだ。介護職初任者研修の次は実務者研修へとステップが用意されている。自分はまだ受けないが、昨日の帰り際に先生を囲んで、そのことを皆で語った時は盛り上がった。

実のところ、自分は次の仕事をすでに確保してある。この研修を受講していることも役に立った。詳細は後日にするが、この研修を終えてからは、通信教育で取りたい資格が2つ出来た。最低でも1つは年内に修める。この短期の研修が、勉強したいという意欲をさらに引き出した。健康であり続けるためにも必要なこと。

*隣の奥さんのラムネに 笑顔がひとつ

日経で、前法政大学総長の田中優子氏が素敵な話をしていた。氏は江戸文学に夢中になっていたが、それは勉強ではなく遊びに夢中になっているのと同じ気持ちだったと言う。子供の頃から「競争心」というものが皆目わからないでいる、もったことがないというんだ。今でもずっとそのままだとか。

学生を見ていても競争心よりも好奇心の方が期待できる。わくわくと向き合うものを見つけた時にこそ、力を発揮する。「負けないように頑張る」とはなんとつまらない言葉だろう。人をごく狭い視野に閉じ込める呪文であろう。競争の彼方にこそ、新しい道が開けていると言う。否定すべき部分が、何ひとつない言葉だ。

きっかけは何でもいい。今こうしたい、今やってみたい、そう思った時こそがチャンスの時だ。そういう時の人間ほど、楽しそうに見える時はない。やりたい気持ちに熱意や情熱や好奇心が重なった時、楽しいという気持ちしか持てなくなる。何も苦に感じられない、ただ楽しい。先の見えない道ほど、楽しくなるんだよ。

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介護研修日記1、初めは介護の理論から

実は今週の月曜日から、介護職の短期研修を受講している。

最近、NHKで介護の現実を扱っていた。労力のわりには賃金が安いということで、慢性的な人手不足に陥っているのか、有効求人倍率が15倍以上というのは理解しがたい数字。それだけ、大変な仕事だってことだ。その大変さを理解するには、被介護者の家族であるとか、仕事として携わるぐらいしかないのかな。

*テキストは2冊 平均400頁くらいずつかな

2月にデイサービスを見学した。5年前の手術後にも、同じようなことがあった。その時は肩の完治不足で諦めたが、今は状況が違う。完治を目指すがゆえに長い休業を取ってきた。2月にやはり駄目かなと思ったのは、自分の性格と動き方を客観的に見た上でのこと。来月には、限りなく最後に近いMRI検査もある。

ただ、この3ヶ月の間、いろいろと考えることがあったんだ。毎週1回は通院しているわけで、そのたびに若い理学療法士の世話になっている。入院当時からだから、お二人とは去年の7月からのおつき合いになる。いろいろな話を重ねて来た。そのたびに思うのは、若いのに年配者相手によくやっているということ。

*イボイボ健康ポールで毎日 ゴリゴリ

いくら仕事だと言っても、所詮は他人なんだよね。自分自身について言えば、親子であってもぶつかることはいくらでもある。でも、親だから時間が経てばとも思える。それが、他人を相手にした仕事ともなれば、ぶつかっていることなど出来ない。被介護者だって人間、病気や怪我を抱えるがゆえに我儘になりもする。

それを20代の青年達が、祖父母かあるいは親子ほども歳が離れた人を相手に、口と手を同時に動かしながら一日仕事を続ける。手術後にお2人から病院で受けたリハビリは、1日に2回が基本だったから約90回弱。あるかないかのような昼の休憩を挟みながら、自分以外にもたくさん予定を組んであった。大変だよね。

*この機会に目に優しい LEDスタンドに変えた

だから、もう一度自分を見つめ直そうと考えた。介護の仕事をやれるかはわからないが、まずは介護職の理論を知ることから始めてみようと考えた。学んでいる内に、自分の中で何かが変わるかもしれないと。決めれば早い、エージェントを通して、介護職員初任者研修を短期1ヶ月コースで受講することに決めた。

1年間も休業していればさすがに生活費も不安になる、研修を受けるのはもう少し早い方が良かったかもしれない。でも、いろいろと考えて来た上での結果だ。とにかく頑張ろうと思ったら、同じ研修生の方達も皆ものすごく熱心。自宅でやる課題も多いが、再来週に提出する分まで3日目に終了させている方もいた。

*短期なので 通信学習的な課題もある

初日終了後に自分なりの計画を立てていたが、15名のクラスの一人ひとりが熱心だとお互いに声掛けしながら、自分でどんどん先に進めて行こうって気になる。この6日間、テキストを読んだり書きだしたりの毎日。進めていく内に少しでも進みが遅いと、もっと進めないといけない、そんな気持ちで自分に鞭を打つ。

なかなか学び甲斐がある。肩のこともあるから、仮に介護の仕事が出来なくても、役に立つ内容ばかり。自分の中で何となくで終わらせていた知識が、しっかりと理論づけられていく。日常生活に結びついていく内容でリアルだから、なおさらなのかもしれない。B5サイズの分厚いテキストを、読書している気分の毎日。

*近所の田んぼの田植えも終わった

15名中、男性は4人、60歳を超えた方もいる。資格を利用して何かをやるとか。中国籍の方もいる、会話は片言の日本語だがしっかりと話を聴いておられて、わからないところを周りの人が教えてあげてる。介護を学びながら、すでに共助の心が表れている。自分も聞きたいことや話したいことに、積極的に口を開く。

順調に進んで行けば、6月24日までの予定で研修が進んで行く。来週に控えているMRI検査と主治医の診断。その結果次第で進める方向を決めるけど、生活が追いかけてくるから悠長なことは言ってられない。ただ10年20年先のことを考えると、介護に関連づいた仕事が出来ればと思う。そのためにも学ばなくては。

*研修3日目の帰り 近所の住宅街から夕陽を

毎日流れるニュースの中で、介護や医療やコロナという言葉が聞こえてくると条件反射するようになった。まず一週間目、自分の中に、かなり介護についての刷り込みができた気がしている。フォロワーさんがつぶやく『ADL』の意味も理解できた。何ごとも勉強だと思う。しばらく、介護研修日記を書いてみよう。

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人はみなそれぞれ、何かを胸に秘めている。

新入社員研修を終えて、配属された頃は気づかなかった。同じ部署に少し変わった先輩がいた。歳が6歳ぐらい上だったからか、部署の中でも一番権限をもつグループに座っていた。恰幅は良かったがフワッとしたイメージ、どこかしら優しさを感じられる人だった。そういえば、ヘビースモーカーだったな。

仕事の内容が違っていたので、同じ部署にいてもあまり話すことがなかった。休憩時間になると、即座に喫煙場所に向かっていた姿をよく覚えている。自分は煙草を吸わないから、煙草が旨いか不味いかなんて考えたこともない。ただ、その方にとっては、煙草は愛すべき存在で、それはそれは美味しそうに吸っていた。

*毎朝飲んでいた アサヒのWONDA

ある時、不思議な光景を見た。その方が額からドッと汗を流していたんだ。そこは暑い場所ではなかった。ハンカチでぬぐおうともせず、汗を流したまま、他の先輩から責められているような状況だった。何か失敗したのかなとも思ったが、それにしても言われるままで、傍から見ていると可哀そうにも思えた。

やがて、自分とも言葉を交わすようになった。仕事を超えたところで仲良くなり、自分のことを『きみちゃん』と呼んでくれるようになった。優しい方だった。何かと気にかけてくれて、メガネの下に見えた細い感じの目が好きだった。でも、いつも言われるままの仕事だけして、責められる時も何も言わなかった。

その事情を、知る時があった。先輩から聞いた話だ。

何年も前に新卒で入社して、自分と同じように研修を受けた。その後、店所に配属になったらしい。その時、店所の悪いところを全部変えてやる、そんな意気込みで赴任したとか。それがまずかった。気持ちは尊重されるべきだったが、店所の人間はその場所だけのたたき上げが多い。気持ちが急ぎ過ぎて、反感を買った。

*当時はまだ 受動喫煙を深く考えなかった

その結果、ちょっとした失敗であっても、極度な緊張感に陥って精神状態が不安定になり、ドッと汗をかくようになったらしい。それを抑えるために、薬も欠かせなくなった。店所では働けないってことで、その方の地元である大垣にバック、本社預かりの身になり、その方ご自身の同期にも顎で使われていた。

自分は本社の中に特に仲の良い同期がいなくて、どちらかと言えば後輩や先輩、それも個性的な人間とつるむことが多かった。よく言えば個性的、悪く言えば唯我独尊的な一風変わった人間たちとね。その方は個性的というわけではなかったが、どことなく下げすまされている感じで、自分はそういう人間が好きだった。

お互いに、分け隔てなく話をするようになった。自分が煙草を吸わなくても、当時はまだ受動喫煙がどうのこうのなど考えもしなかった。休憩時間になると、同じ場所で缶コーヒーを片手に話をしていた。その時は本当に楽しそうで、ギスギスした本社仕事の中で見る笑顔は、ちょっとした良薬になっていた。

後から聞いた話だけど、自分がいなくなって何年かした後、正社員から契約社員に待遇が変わったらしい。働ける場所が他にはないということで、その状況を素直に受け入れたとか。人から聞いた話だけどね。出世とかそんなことは関係ない、生活のために働かせてもらえるなら、待遇よりも昔からの場所でってこと。

*こんな感じのトンカツだったかな

その方と自分には大切な場所があった。そこは年配の夫婦が営んでいた昔ながらのトンカツ屋さん。自分が好きなお店だったんだけど、一度その方を連れて行ったら気に入ってくれた。機会があるたびにお誘いをして、トンカツが大き目の定番メニューを2人で頬張った。親しんだ人間と食べる飯ほど、美味いものはない。

病のせいか、その方は運転もしていなかった。助手席に乗っていても、ちょっと急なブレーキを踏むだけで前方に手を突っ張らせて身を守り、大汗を流していた。だから、トンカツを食べた後の見送りの運転は、安全を心掛けながら思いっきり楽しい話をしていた。その当時、一番心が安らいでいた時だったかもしれない。

トンカツが好きだったのか、トンカツ屋で一緒に食べることが楽しかったのか、今となっては自分にはわからない。

ただ自分に言えることは、人は皆、少なからずも何かを背負っていて、少なからずも胸の中で何かをグッと我慢しながら生きているということ。話したくても話せないまま、独りで抱えて生きている人も少なくない。自分だって、その一人かもしれない。

人は決して独りでは生きて行けない。だから一人でもいい。心を分かち合える相手がいるのなら、その幸せをしっかりと噛みしめた方がいい。少なくとも自分はそうしたい。一人でも、そんな人がいてくれるなら、無理して仲間を探さなくてもいい。その一人を大切にすることの方が、ずっと幸せなことだと思っている。

*単行本の司馬遼太郎「関ケ原」宝物だ

いつだったか、その方が父親の形見としていた本を下さった。大垣を離れて23年が経ち、処分した本は数知れない。でも、頂いた本だけは、これからも一緒に歩き続けていく。

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クロネコヤマトの、母ネコが子を運ぶ思い。

昨夜、久しぶりにNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』を視聴した。初めから終わりまで、まともに見たのは久しぶりだ。

自分はNHKの番組は好きだが、最近の番組は過去のものに比べると民放を意識し過ぎていて、正直に言えばあまり好感をもてない。『進撃の巨人』の放映をNHKが始めた時は違和感さえ感じた。過去のNHKのアニメと言えば、『未来少年コナン』のように、誰が見ても共感できるような人の心に響くものがあった。

https://youtu.be/R9tmXatfWAo
*少しずつ進化しているネコマーク

この『プロフェッショナル 仕事の流儀』という番組、過去の番組『プロジェクトX』の現役版みたいなものだろう。プロジェクトXも始まった頃は感動して、よく涙が流れたものだ。ちょうど自分の仕事が上手く行かなかった頃で、共感しながら自分自身を励ます上でも、もってこいの番組だった。

瀬戸大橋建設にまつわる話や黒部ダム建設にまつわる話、ラグビーを介した泣き虫先生の話やビクターのVHSビデオ開発時の話など、今見直しても素晴らしい出来栄えだった。中島みゆきさんのOPとEDの曲は、その選曲の素晴らしさが胸を打った。ドラマ仕立てだから多少は作り物めいていても、素直に感動できた。

*ウォークスルーの発想が素晴らしかった

近頃のNHKの番組は、何かがおかしくなっている。例えば気象情報の時間、ちょっとした時間差をつけてタレントまがいの気象予報士たちがに登場してくる。以前は人数も少なく、お堅いと言えばお堅かったかもしれないが、情報を伝える者の真剣さが伝わって来て、役者が変わるような雰囲気はなかった。

これじゃ民放と変わらないじゃないか、何のために放送受信料を払っているんだと思い始めたりもしていた。受信料を払っても特典があるわけでもない。アニメはますます民放化して来たし、どこに差があるのかと問われると、極論を言えばCMがないことぐらいかもしれない。CMに近いモノも多くなっているけど。

*権力は嫌い 新しいことが好き 素敵だ

昨夜の番組にしても、たまたまテレビのスイッチを入れただけ。ただ、ヤマト運輸の姿が映れば、やはりチャンネルはそのままになる。創業者の小倉昌男さんへの思いは、お世話になった西濃運輸へのそれよりも大きい。氏の考え方や行動の仕方は、今なお尊敬できる経営者の1人として、自分の中に生き続けている。

時代が変わり、ヤマト運輸を取り巻く状況もかなり厳しいものがあるが、決算の結果が過去最高益と聞けば、底力の違いを思い知らされる。その基礎を創ったのが小倉さんだから、ヤマト運輸が取り上げられていると知れば、NHKではなくても視聴したくなってしまう。とにかく、久しぶりにじっくりと視聴した。

*言葉のひとつひとつに好感を持てる

結果として、素晴らしい内容だっと思う。もちろんドラマ仕立てだし、ここは創り過ぎだろうと思う点もあった。でも、紹介されていたトップクラスの営業ドライバーの姿勢は、小倉さんの考え方に準ずるものがあって嬉しかった。この方の個人としての考え方も立派だった。お客様のためにという思いが溢れていたね。

歳は30歳よりも前、自分が同じ歳だった頃に比べると、出来すぎとも思えるぐらいの人物だ。一日に走る距離配達件数仲間への思いリーダーとしての立場。必ず紹介される過去の挫折経験を聴いていて改めて思った。挫折から這い上がってきた人間は強いなってことと、人生はタイミングだなってこと。

*どこにでもいる猫だからこそ 親しみを持てる

人生がすべてスムーズにいくのなら、時間に無駄も生じないから良いことばかりにも思える。でも、そういう人生はまずあり得ないし、何よりもつまずけるって大切だと思う。つまづくのは真剣になっている証拠だ。何でも無難にこなそうとすれば、どこかで無理が生じる。それよりも失敗をして、教えを乞う方が学べる。

それと、タイミング。自分なんかタイミングが悪すぎてね、恋愛にからむ事なんか恥ずかしい結果ばかりで、寅さんを地で行く。でも頑張っていると、タイミングよく幸運が向こうからやってくることだって。人間関係もそう。この方はタイミングよく人間関係に恵まれて、それを浮上のきっかけにして頑張ったんだ。

*何をやるにしても 志を高くもって生きる

この方は若くして、すでに立派なリーダーだった。仕事に対する考え方を聴いていると、さらに貪欲に学んでもっと立派なトップになっていける人物に思えた。小倉さんが見たら喜ぶだろうな。利益も後からしっかりとついてきている感じ。宅急便が始まった頃の考え方みたいで、原点をしっかりと背負っていた。

ヤマト運輸という会社が、いっそう好きになれた。大きな組織だから、すべての人が一律に同じ姿勢だとは思っていない。それでも絶対数が多いから、気持ちの持ち方ひとつで様々なことを貪欲に学べる。母ネコが子供を運ぶ思い、時代を超えて受け継がれて行ってほしい。ファンの1人として、あらためて思った。

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人生経験 仕事 俺の考え 日常生活

答えはいつも、未来にだけ存在する。

東海地方までは梅雨入りしたのかな?いつもの年よりも、早いのだろうか?沖縄が早いのは天気の素人でも知っている。日本と言っても、かなり南の方に位置していて、石垣島ともなれば本州よりも台湾の方がずっと近い。近いと感じるのは、日本が島国であって、他国との国境線が海の上にしかないからだろう。

南北に長い島国だからこそ、北の北海道と南の沖縄とでは気候にも大きな差があるわけで、それが日本の季節感を豊かにさせているのかもしれない。でも、ここ数年は、強い風が吹くことも多くなった。10年前に現場で働いていた頃に比べると、明らかに気候変動を感じる。大袈裟のようだけど、大袈裟とは思えない。

*ちょうど1年前に出会ったアマガエル

こんな地球全体の気候変動が感じられるような天気の中、6月から先にある自分の生活のことを考えている。もちろん生活のことがあるから、仕事が中心になってくる。5年前は手術の後、2ヶ月以内に仕事を決めたことは話した。でも当然のことだけど、歳も重ねたわけで、実感は薄いが既に51歳になっている。

先日も話をしたが、ある紳士にお話を頂いたように、この歳ならまだ3つも4つも新しいことが出来るのかもしれない。でも、この11ヶ月の間、リハビリを続けて来て思ったことがある。一度を開けられた体は、二度と元には戻らないってことだ。前回の手術からも5年が経ち、前回の方が確実に治り勢いがあった。

*1年前には 何を考えていたんだろうか

誰もが等しく歳を重ね、体力が落ちていくのは、個人差こそあれ誰もが経験していくことだ。左から右の肩へと順番に手術をしたが、世の中にはもっと辛い目に合いながら、懸命に生きている人もたくさんいる。そういう方達に比べれば、いくら用意周到だったとは言え、休業が長いだけの人間だったのかもしれない。

今こうして現実の世界に戻っていく前に、社会に出てからのことをふり返っている。まだ、ふり返る時期ではないかもしれない。でも、この先どう生きて行くかを考える上では、必要な時間だったと思う。前回の手術後は事情があっていろいろと急いだが、今回はしっかりと自分自身を客観的に見つめ直すことができた。

*大学卒業時には 詩集制作の真似事も

個人で仕事をするようになってから20年以上が経ち、自分が強くなったつもりでいた。確かに、大企業という傘の下で守られていた頃に比べれば、かなり打たれ強くなった。何とかなるだろうという楽観的な考え方、これが身についたのは大きい。寅さんを好きでいるのは、寅さんの中に似たものを見ているからか。

ただ同時に、自分で自分の背中を勢いよく押せなくなっている。自分ではこれをやると決めていながら、どこからか出てくる弱さを、いつのまにやら社会や他人のせいにしている。一番嫌いだった他人のそんな姿に、今の自分が似始めている。これがわかり始めた時、今の自分と正面から向き合う必要を感じた。

*いい歳の大人達が 真剣に再就職を目指す

ブログに自分をさらけ出している内に、小さな自分がたくさんあることがよくわかった。だから、いろんな音楽を聴いたり聴き直したり。自分が、無心で頑張っていた頃に聴いていた曲を、何度も繰り返し聴いてみた。ますます、今の自分がつまらない存在になっていることに気がついた。楽観的なようで楽観的じゃない。

どうも理屈っぽくなってる。借金がなくなったことに安心感をもってしまい、やってやるの根性が萎え始めている。古くても良いモノは、ずっと大切にすればいい。でも、古いモノの方が良く見え始めたら、未来に対する真剣さが足りないと思った方がいい。どんなにあがいても、答えは未来にしか存在しないんだから。