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二連休でも時間が足りない

夜勤専従者としての二連勤を終えた後、久しぶりに二連休になった。ちょうど土曜と日曜にあたり、世に言う週末の二連休ということになる。この仕事をしていると、日曜祭日とは無関係になってしまう。自分の希望休以外は、他のスタッフとのバランスを保ちながら、担当者がシフトを組む。365日が出勤対象日になる。

※実話を基にした差別を問う素敵な映画

だが、週末に二連休になったとは言え、僕の生活が変わるわけでもない。7時頃に起床して雨戸を明け、まずは外気を感じて太陽を探す。太陽の光は、体内の時計を修正する意味でも非常に大切だ。雨戸を開けた瞬間に光が見えるのは、何とも気持ちいいもので、その日一日の幸先の良さを感じもする。太陽の存在は重要。

でも、よくよく考えてみると、僕の生活も随分と穏やかなものに変わって来ている。運輸業や建設業の時代は、3時や4時に起床するのが常だった。暗い内から仕事に出発する自分に自己満足さえ覚え、車で移動中に昇る太陽を見られることが嬉しかった。その頃と比べてみると、今の生活が何とも穏やかなものに思える。

※多めに余ったので夜の賄い食として

そんな穏やかになった日常の中の貴重な二連休、出掛けるかと言えばそうでもない。これも、20代の頃などに比べると随分と変わってしまった僕の現実。大垣で暮らした頃には、14時頃から往復400㎞ぐらいのドライブにも勇んで出掛けた。20時には戻っていたから、ただひたすら走っていた。高速も快感だったね。

今の車は古くなり老いてしまったから、決してこれだけが理由ではないが、すっかりドライブとはご無沙汰。いや、本当は『男はつらいよ』的なドライブをしたいのだけれど、兎に角やりたいことが多過ぎて、時間も費用も捻出できない。休業も尾を引いてはいるが、籠ってやりたいことも多く、全く時間が足りていない。

※施設から見えた朝焼けが良かった

先回にも話をした通り、夜勤専従で仕事をしていると、休みとしての時間は多くあるが、決して思い通りに体は動かない。夜勤はほぼ徹夜に等しいから、明けた日の昼頃には眠気に襲われるし、少し居眠りしたぐらいで眠気はなくならない。だから丸々一日が休みになって初めて、勉強などにも身が入っていくような感じ。

まあ、帰宅してから一旦寝ればいいのだけど、そうなると夜型の体に変わってしまう。それは極力避けたい。人の生活はあくまでも昼が中心で、25時間の体内時計も、太陽の光で24時間に調整する。だから居眠り程度に済ませて、可能な限り起きて出来ることをやっていく。その最たるものが、僕にとっては歌うことだ。

※久しぶりにキジと遭遇した

歌っていると時間も忘れるし、溜まっているはずの疲れさえも忘れられる。近頃はアプリを使って何度も同じ曲を練習する。その日の最高の満足を得られるように歌を録音する為、あっという間に2時間は流れる。気がつけば窓から見える空は夕陽に燃え、満足と反比例して疲れは倍増する。夜の熟睡にはベストな状況に。

熟睡はいいが、やりたいことは持ち越される。夜勤中に読めなかった日経を遡って読み、見たい映画やアニメも鑑賞。本も読みたい、掃除もしたい。必要としている勉強もしたい。これらを一日で収めるためには、休みの日にもカリキュラムが必要になる。生活空間は、あたかも学校のようになり、引き籠りも当然になる。

※トム・ハンクスはやっぱり名優だ

こうなると足腰が弱くなる。だから車通勤をせず、風景を楽しみながら歩いて仕事場まで往復する。往復4㎞ぐらいだから大したことはないので、休みの時は自宅でスクワットもする。17歳の頃から欠かしたことがない腕立て伏せを、カリキュラムの合間に繰り返す。結果的に、1月中旬から体重を4㎏は落としている。

こうして僕の休日は、隙間のない一日へと変わっていく。でも二連休なら時間に余裕があるのでは?ところがそうはいかない。映画鑑賞なら、見る本数を増やしたい。日経なら、じっくりと読みたい。勉強なら前倒しでやりたい。それぞれが更なる充実感を求めてくる。二連休などあっという間、全く時間が足りていない。

※昆虫ヅラしたこの電車が好きだ

凡人の僕がこんな状態なんだから、世のやり手の経営者達はさぞ忙しいことだろう。朝令暮改は当たり前、やってもやっても満足のいく仕事をする為にも、時間が足りないことを嘆いているのかも知れない。いや逆に、仕事が出来る人達は時間を有効に使えているはずだから、凡人の悩みを理解することが出来ないのかも。

と言うわけで凡人の僕は、新型コロナウィルスが猛威を振るったから引き籠っていたわけでもなく、やることが多くて引き籠る時間が当たり前になっている。ただ引き籠りが日常化していることで、この3年間は楽だった。変わったことは、常にマスクを付けていることだけ。後は淡々と、僕の日常をクリアしてきたのだ。

※ポイントをピザに変換する

貴重な二連休は瞬く間に終わった。映画を何本か鑑賞したし、勉強も良いペースで進められた。歌の練習も出来たし、本を読むことも出来た。だけどカリキュラムは未達状態に終わった。アマチュア無線の勉強が遅れている。英語の勉強も遅れている。やはり時間は足りていない。明日には明日の勉強があるし、さてさて。

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鹿島川を背に、佐倉を肌で感じてみる。

1ヶ月半ぶりの歯医者さんへ。歯の健康を考えて、昨年の手術前から定期通院している。いわば、歯の定期健康診断というわけだね。世の中には、8020運動なるものがある。80歳になっても自分の歯を20本以上保とうという運動だ。歯は体のバロメーターでもある。ちょっとした痛みが頭痛にもつながることも多いから、ケアを怠らない方がいい。

*うすい青をした空と田植えが終わった田んぼ

自分は昨年の入院直前に、長期にわたる入院のことを考えた上で歯の神経を1本抜いてしまった。抜いてしまうと痛みはなくなるが、虫歯になっても痛みを感じなくなる。そこで普段から細やかなケアが必要になってくる。そこで、定期通院することにした。

*この電車はに西馬込まで行くんだね

退院してから神経を抜いた歯にかぶせモノをし、20年の通院歴がある先生の指示に従い、ちょっとした違和感も見逃すことがないようにケアに暇がない。かぶせモノが隣り合う歯とのバランスもよくなったし、ここのところは虫歯も発生していない。

*やはり蛙は平泳ぎが似合う

歯並びが悪いから、歯ブラシもいろいろな種類のモノを使い、歯間ブラシも隙間に合わせて使い分ける。先生たちから指示があった磨くのが難しい場所については、特に念入りにケアをする。前回に比べて、歯周ポケット2㎜浅くなったところもあった。

*潜っては顔を出して見ている別の蛙

自分については、血圧のことも含めて管理すべきことが多い。血圧はかなり低いところに安定してきたが、ケアも過剰になり過ぎるとストレスになり、かえって悪影響を及ぼすこともある。それゆえに楽しく進めることが大切で、生活とのバランスが必要だ。

*橋のたもとには釣り人たちが多い

帰宅する前に、ウォーキングしながら写真を撮った。5月中旬でも気温はかなり高い、直射日光が体に重い。でも、外での仕事が多かった自分だ、陽に腕が焼けていく様子には、不思議と快感さえも覚えていく。陽の光は、やはり気持ちよくありがたい。

*景観を考えて建てるべきだった

去年の2月まで19年間も暮らしていた場所に近いところ。勝手知ったる場所に車をとめ、よくウォーキングしていた道を歩きながら写真を撮る。本佐倉あたりと似ているようで、また違った雰囲気がある田んぼ。何よりも京成電鉄の線路が目の前を走る。

*アメンボはいつ見ても気持ち良さげだ

水を引いたばかりの田んぼもいいが、田植えが終わり苗が整然と並んでいる田んぼも又いい。雲が映っていたり、樹が映っていたり、何よりも水は様々な生物にとってのオアシスになる。アメンボが水面をスイスイと進み、蛙が水中に向かってダイブする。

*都営浅草線の赤は緑によく映える

印旛沼にそそぐ鹿島川と京成電鉄の線路の間をベースにして、歩き回ってみる。この辺りで見ていると、京成電鉄はカントリーレールロード。上野都営浅草線周辺とはまるで違う世界を走っている。でも、都会と田舎の二面性にこそ味があるんだ。

*指揮者のような 1羽だけの白鳥

いつもと変わらないウォーキング。でも、ただの田舎ウォーキングにも、突然の瞬間はやって来る。川の方から大きな音がして、1羽の白鳥が岸の近くで水浴びを始めた。この時期に白鳥?とも思ったが、首の動きや太さに惹かれて、暫く見入っていた。

*この白鳥 釣り人とほどよい距離を保つ

2時間弱だったが、昨日陽に焼けた腕がさらに焼けた感じ。半袖の下にある白い肌とのツートンを、心地よく思える季節が近づいている。いろいろとある毎日だが、下を見ているばかりでは歩くことはできない。空を見上げて気持ちいいと思うなら、上を向いて歩いていれば、この先きっと楽しい何かが待っているだろう。

鹿島川に吹く風が、気持ちいいと思えた佐倉の土曜日。

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本佐倉城を歩き、初夏の中で自然と遊ぶ。

リハビリを終えてから、久しぶりに本佐倉城を歩いて来た。前回訪れた時は、草を刈ったばかりだったので残念な思いもしたけれど、やはり自然の力はすごい、あっという間に元通りになっていた。少し写真を多めにして、歩いた順に話をしてみようか。

*空にはほどよいくらいの雲が浮かんでいた

去年の8月に退院した後、9月からリハビリのために通院を開始した。この方向から、なんど空を見上げたことだろう。残暑の季節に始まり、冬を通り抜けて春を迎え、今すでに梅雨の直前のところまで来ている。あらためて1年の早さを感じている。

*大きな車ではすれ違いは難しい

本佐倉城の駐車場に入るまでには、いったん田んぼ横の細い道を通る必要がある。主要道路から入って来た道は、最近になって広く整備する工事が終わった。でも、直前の道を整備するには少々無理があるし、できればこの景観は残して欲しいと思っている。

*すでに田植えが終わっていて 綺麗だ

お城の周りの田んぼは、すっかり田植えを終えていた。自宅に近いところの田んぼもそうだけど、基本的に何処に行っても、田植えを終えた時の日本の風景は似ている。同じお米を栽培していても、中国や東南アジアの風景とは異なる日本独特の風景だ。

*いつもの木のベンチは 気持ちが休まる

前回に来た時は、この辺りの草が刈り取られていた。あれから1ヶ月は経っていないはずだが、夏に向かっていく時の草花の成長はかなり早い。うすい緑色をした草と、その上に顔を出す一面の黄色い花たち。木で作られたベンチが野に溶け込んでいる。

*ただの野に咲く花が案外親しみをもてる

花壇に整然と咲いている花は綺麗だと思う。ただ野の中で、ありのままの姿で咲く花には別の趣がある。どこにでも咲いているような花だけど、少しでもその命を奪わないように歩く時はかなり気を遣うようにする。自然の世界への畏敬の念をこめて歩く。

*城内の遊歩道の真ん中を占領してた

いつもの遊歩道に何か見えると思って近づいたら、人が歩くのを邪魔するように、真ん中の位置にタケノコが生えていた。確か去年はなかったはず。他にも生えてきて道に壁を作ってしまいそうだけど、人の心は不思議なもの、このままがいいとも思える。

*一旦逃げたのに いつのまにか見られていた

おっ、猫がいる!と思って近づいたら逃げてしまった。残念なことをしたと思って離れてふり返ったら、ジッとこちらを眺めていた。なかなか結構な面構えをしている、少し警戒を解いたのかもしれない。かなり近づいて過ごした、久しぶりの楽しいひと時。

*樹は根の姿同様 枝も味わいがある

樹を見ていると、特に根っこに魅力を感じる。地面から顔を出しては、潜るようにして地面の中に戻っていく姿は力強い。でも枝にも別の魅力がある。太く伸び伸びとした枝もいいけれど、細いながらも伸びる方向が定まらない枝には別の魅力がある。

*今年初めて 緑のアマガエルを見た

お城の周りの道に出て、田んぼをのぞきながら歩いてみる。何処で鳴いているのか、蛙の声があちこちから聞こえる。ようやく1匹が姿を見せた。こうなると追いかけたくなる性分。右へ左へ飛んでいくのをカメラで追う。いつ見ても、可愛い姿に心が和む。

*おたまじゃくしの動きも活発だ

まだ蛙になる前のお仲間もたくさんいる。子供の頃に、おたまじゃくしから蛙に変わっていく過程を観察していた記憶が。自分に子供がいれば、そんなことを又やっていたのしたかもしれない。まあ、自然の中で育っていくのが一番いいとは思うけれど。

*獲物をねらうザリガニの動きはすばやい

最後はザリガニとのご対面が叶った。おたまじゃくしを追いかけていたのか、進んでは止まって隠れるの繰り返し。ハンティングするところを見たかったが、こちらを気にしているのかあっという間に視界から消えた。この季節は、心が躍って本当に楽しい。

*初対面だったが 親しみをもってしまった

もう一度、猫さんに会いたかったなと思いながら、今日のお城を後にした、初夏の週末、金曜日。

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オフコース 人生経験 俺の考え 趣味 音楽

最近の曲は、イントロが短くなった。

最近の曲はイントロがかなり短い。10秒も無いような曲も多いようだ。70年代や80年代の昭和の音楽、90年代の平成の音楽が好きな自分からすれば、何とも物足りなさも感じている。当時の音楽を聴きなおすほどに、その気持ちが大きくなることも。なぜかなって考えてみたら、丁度いい番組が放映されていた。

https://youtu.be/RWkPVC0EKc8
*イントロが約38秒 1秒目で曲がわかる

番組の中で、イントロが短くなっているのは、故意に短くしているみたいな答えも聞いた。要は、定額で音楽を聴けるサブスクリプションが全盛になっている今、イントロが長いことは致命的にもなると言う。長過ぎると視聴者がすぐに次の曲に進んでしまって、その曲を聴いてくれなくなる可能性があると言うんだね。

もうひとつ答えがあった。以前は歌番組が多かった。トップテンとかベストテンとか、かなり楽しみにしていたものだ。番組の中で、歌手がインタビューを受けてから歌う準備が必要で、そのためにはイントロが長い方が良かった、そんなことも話していたんだよね。準備のための時間稼ぎには、イントロも長くか。

どちらの答えにせよ、一理あるなとは思った。番組の中での実験のように、最近はイントロが6秒や8秒の曲が多く、中には0秒に近い曲もあった。短ければすぐに詞を聴けるわけで、視聴者もその曲の中に入っていってくれるというわけだ。すべての曲が短いわけではないよ、あくまでも多いって話。

でも待てよ、オフコースにもイントロが短い曲はあったな。

https://youtu.be/X5z2h_A1SVo
*オフコースの曲はイントロだけでも価値が

まあ、答えを1 つにまとめようとすれば、こんな感じにもなるんだろう。実際のところ、最近の曲は確かにイントロが短い。だからなんだろうか、平均的にみて同じような曲に聴こえてしまうんだよね。自分だけがそう感じているのかな。いや、そうでもないみたいだよ。同じことを言っている人は、結構いるようだ。

今、日経の夕刊の「明日への話題」というコラムを、アルフィー高見沢俊彦さんも担当している。先日の記事でこんな話をしていた。最新シングルではイントロは34秒ある。前奏が美味であればあるほど、メインディッシュのメロディや歌詞が生きてくる、だから今後もイントロを短くするつもりはないってこと。

さすがだなって思った。さすが、音楽界の大御所のおひとり。この高見沢さんの言葉の中に、自分が感じていることへの答えもあるように思えた。

あくまでも自分の考えだが、昔の曲は全体を通してドラマチックだったと思う。イントロAメロBメロサビ大サビも、そしてアウトロも、どれも欠けてはいけなかった。どれもが歌全体を構成する大切なパーツだった。イントロはその曲の名刺がわりみたいなもので、イントロが始まればすぐに曲名がわかった。

*酔いしれた名曲 イントロは25秒くらい

それが今やイントロ自体があってないようなもの。たまに長いなと思える曲に出会えても、あまりインパクトを感じないんだよ。イントロのこともさることながら、全体的に音が軽く感じられるんだ。詞もどこかで聴いたよう内容が多い。素敵な曲はたくさんあるんだけど、聴き直したくなるのは昔の曲が多い。

自分がその時代に青春をしていたからじゃない。青春なら今でも真っ最中だ。なんだかな、深いんだよね、詞も音も。

TKこと小室哲哉さんが、悪い話でマスコミの話題になったことがある。そういう時のマスコミは、こぞって粗を探すようなことをして記事にする。TKの音楽はつなぎ合わせの音だって言う輩もいた。とんでもない話だ。TMNTRFgloveの曲、渡辺美里に書いたMy Revolution、TKには数知れずない名曲がある。

つなぎ合わせの楽曲なら既に飽きていて、20年以上経った今になって引っ張り出してまで聴いたりはしない。TKサウンドが好きでたまらないって人も多いんだ、音楽の世界を混同して考えるようなことはやめて欲しい。Get Wildなんて今聴いたって新鮮だし元気も出てくるよ。イントロを聴くだけでも満足できる。

*イントロのアレンジがすごすぎる 約2分弱

20年も30年も前の曲が、なんで今も新鮮に聴こえるんだろう。

やはり、全体の作りに人間らしさがあるのかな。作りこまれているって感じるんだ。考え方は人それぞれだろうけど、イントロひとつにも手抜きを感じられない。そして、この人ならではの、このバンドならではのオリジナリティというものが、しっかりと曲に反映されていた気がするんだよね。似てるを感じなかった。

これからの時代は、様々な分野で自動化も進む。機械に任せられるところは任せることになる。そうした時、人はもっと創造の世界を中心に生きることを迫られる。音楽の世界もきっと同じだろう。だからこそ、音楽の才能にあふれる人たちには、つねに人間くさい音の追求を続けてほしい。そういう音楽は必ず、時代を超えて歌い継がれていくと思っている。

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アニメ 俺の考え 映画 趣味

インドアライフは、情報をあつめる天国だ。

新型コロナウィルス感染対策として、終日、自宅で過ごすことも多くなった。長い休業中の身でもあるから、特に大変だとは考えていない。終日、自宅にいてもやりたいことはたくさんある。今回は映画などの動画やアニメについて話してみたいと思う。1回で話せる内容ではないけれど、まずは話を始めてみたい。

*こんな状態ならば 知識も豊かになるかな

実際のところ、何を見ようかと毎日悩みながら選択している。Amazon prime videoNETFLIXバンダイチャンネルの3つから選択するわけだけど、贅沢に悩んでいる。未視聴のものを貪欲に見たいが、映画でもドラマでもアニメでも、徹底的にくりかえし見る主義だから、時間が足りるはずがない。

とりあえず、自分の定番になっているシリーズものについて。

まずは「男はつらいよ」。第50話はディスクで。残りの49話については5年間で10巡はしている。見過ぎてかえって順番やタイトルがこんがらがりそう。朝ご飯の時に必ず見る癖がついている。寅さんのキレのいい話し方が、一日の始まりにリズムをつける。流れる風景はアルバムをめくるようで、心が落ち着く。

*四角い顔の中に 丸い優しさがある

深夜食堂」。これも今や欠かせない。見るなら、やはり夜がいいと思う。深夜から開店するんだから、22時くらいから見始めると情緒があっていい。オープニングに流れる新宿歌舞伎町の交差点が出てくる靖国通りと青梅街道、仕事で通り抜けたり荷を下したりと思い出深い。情緒あふれる話がとても好きだ。

*小林薫ふんするマスターが味がある

孤独のグルメ」。これはひとりで黙々と食べているのがいい。仕事先で美味しいご飯にありつくわけだが、よく食べるなと思うよね。主人公役の松重豊さんは大食いではないって聞いている。あれだけの量を美味しそうに食べている撮り方、こっちの方にも興味がいってしまう。旅をしているような感覚がとても好きだ。

*主人公五郎の 満足そうな表情がいい

機動戦士ガンダム」。アニメの中では特に視聴を繰り返している。人生に必要なことはガンダムが教えてくれた、そんな感じの書籍や人の話はあふれている。それぐらい内容が深いアニメだ。放映当初は43話で打ち切りになったなんて、現在のガンダムの人気からは想像できない。人間のドラマが現実そのものでいい

*劇中のシャアは不滅の英雄だろう

美味しんぼ」。これも欠かせないアニメだ。とにかく勉強になるし、アニメなのに美味しさがあふている。原作は高校の頃には読み始めていた。現在、アニメは終わっているが、食にまつわる作品としての金字塔を築いた。番組のOPとEDも名曲が流れるし、父と息子の対決を通して描かれる人の心の奥深さが好きだ。

*美味しんぼの画はよく描きこまれている

この5作品をくりかえし見ていると、他の作品を見るための時間がとれなくなる。もちろん毎日の生活は、動画やアニメを見るだけじゃない。そのためにデスクPCの画面を2つに分けてある。近頃デスクPCは老朽化して来たので、入力作業のメインをノートPCに移し、デスク側は見ることと検索などが中心だ。

一方の画面を動画、もう一方をSNSと調べもの用にする。動画は右目だけで見るような気持ちで。実は同時にFMも流しっぱなしだから、耳は動画とラジオの両方から音を拾っている。指はノートの上を中心に動き、左目はノートの画面を見る。目と耳と指をフル回転させて無駄を省く。これを俗に気ちがいと言うのか。

*このスタイルで1ヶ月 使い勝手がいい

まあ気ちがいは冗談としても、これぐらいでないと情報を吸収しきれない。FMを流しっぱなしにすれば、新曲も聴けるし知らなかった曲も聴ける。DJの話もためになる。動画だって見るだけのモノじゃない。視て聴くんだから、BGMとしても使える。逆に音を消して、だけを使うこともできる。使い方は無限だ。

これで知識が詰め込まれて、生活費を稼げるわけではないが、知っておけば役に立つことはたくさんある。ツイッターだってそうだよね。皆さんの言葉や写真も、心の開き方ひとつで次から次へと知識や知恵になって吸収されていく。人が1を学ぶ時に10を学ぶ気持ちでいれば、頭の引き出しは選択肢であふれていくよ。

インドアライフは、まさに、情報をあつめるための天国だ。

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映画「ランボー」は、何を教えてくれたのか。

シルベスター・スタローンの出世作は「ロッキー」。そして、アクションスターとしての地位を不動のものにすることになった作品が「ランボー」。あるベトナム帰還兵の孤独な戦いの話だ。

*ランボーはなぜ 街を破壊するほどまでに

映画の公開当時は、ベトナム戦争終結から時間も経っていたが、アメリカ社会からベトナム帰還兵に向けられる目は冷たく、戦争での労苦をねぎらう者は限られていた。

国のために戦って来たにもかかわらず、帰還した当時の歓迎ムードは一時的で、その労苦はすぐに忘れられ、厄介者として扱われることも多かった。帰還兵のPTSD問題も深刻化していた。

*スタローンの熱演に胸が熱くなった

PTSDとは、心的外傷後ストレス障害のこと。命の安全が脅かされるような出来事などにより強い精神的衝撃を受けることが原因で、激しい苦痛や生活への障害をもたらすストレス障害を言う。

命の安全が脅かされる出来事とは、戦争や天災事故や犯罪や虐待などのことだ。PTSD自体は戦争帰還兵の研究から生まれたものだ。心的外傷とは俗に言うトラウマのこと、すなわち長い間それにとらわれてしまう状態のことを言う。

ベトナム帰還兵も、PTSDの症状に長く見舞われていた。精神的不安定による不安や不眠、そしてフラッシュバック。何よりも母国アメリカに裏切られたことが、彼らを苦しめていた。

*保安官はランボーに 自分が法律だと言った

映画の冒頭、主人公ジョン・ランボーは、食事をとるために立ち寄った田舎町で、帰還兵に偏見をもつ保安官に街から出て行けと高圧的な態度をとられる。反抗したランボーは保安官事務所に連行され、取調室での仕打ちに戦争当時がフラッシュバックする。

戦争当時、囚われの身になった時に受けた拷問がよみがえる。保安官助手たちを叩きのめし、ナイフを奪い返し逃走する。その戦いは山の中から始まり、州兵が出動する中で舞台を街へと移す。

*バイクをうばい 山に向かって逃走する

この映画を見始めた時は、ロッキーの流れの中で見ていた。筋骨隆々たる体に鍛え上げたシルベスター・スタローンが、今度は街の中で戦う帰還兵を演じているといった感じだった。

だがランボーは泣いていた。唯一の友人であったような元上司の大佐の胸で大声を出して泣いていた。「It’s a long road」が流れる中で連行されるランボーは、戦争に翻弄されて生きる哀しい男だった。戦争の虚しさってものを初めて考えてみたね。

*肖像画のような よく知られたランボーの写真
*自分のM-65 Made in USA の宝物
*最近はベトナム製などしか見ていない

映画として見ているかぎり、ランボーが1人で戦う姿に、カッコよささえ覚えてします。自分は今より若かったし、そもそも映画というのは娯楽だからね、楽しめなければ意味がない。

だけど、ランボーを見終わった時、ベトナム戦争がもたらした後遺症について考えたね。ベトナム戦争に限らず、イラク戦争についても同じことが言える。要は戦争って人殺しだからね。

*ランボーが大佐に語る話は哀しい

自分に正義があると思って戦わなければ、生き残れる可能性は低くなる。そして、最初の1人を倒した時は震えるんだけど、次からはそれが当たり前になっていく。相手を倒した数だけ勲章が増え、戦場の英雄にもなる。

でも戦争が終われば、積み重ねたその経験も多くは苦しみに変わっていく。現在は無人機での戦いも増えていて、遠隔操作する人間が相手を見ずして倒していくことで、後日PTSDになっているとも聞く。戦争はどんな形でやったとしても、心に障害をもたらすってことだろう。

*この歌を聴くたびに ランボーの孤独を思う

生身で戦ったランボーのベトナム戦争。戦争が終わっても、今なお苦しんでいる人もいるんだ。現実の戦争は、ゲームの中でやるお遊びとは違う。戦争はゲームじゃない。ゲームを楽しむのは個人の自由だが、たとえ相手が空想の存在でも、殺してやるなんて言葉は簡単に口に出さない方がいい。

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素敵な音楽の数だけ、人生は豊かになっていく

この2ヶ月ほど、毎朝毎晩のツイッターで、自分の好きな曲を紹介している。朝は一日の始まりにふさわしい元気めの曲を、夜は一日の終わりにふさわしい静かめの、明日への思いを抱いていけるような曲を紹介している。その時の自分の気持ちも入っているけれど、かなり広い範囲から選曲しているつもりだ。

*レコードを手に入れたのは 解散から十数年後

ただ今は、邦楽を中心に選曲している。小さい頃から洋楽も聴いてきたが、洋楽に大好きな方たちに比べると、自分が好きな範囲を超えきれていない。好きな音楽ならいくらでもあるから紹介はできるけれど、邦楽ほどには広い範囲からの選曲はできないだろう。だから、邦楽中心の紹介をすることにしている。

自分の一番好きなアーティストは、オフコースだ。1989年解散して以来、一度も再結成をしない伝説的バンド。他のアーティストの素敵な曲を、どれほどたくさん聴いたとしても、最後にはオフコースに戻る。特に「NEXTのテーマ~僕等がいた」。今後こういう類の曲は、二度と出てこないと思っている。

*自分にとっての人生のテーマ曲であり続ける

20代の初めまでは、今ほど聴く範囲も広くはなかった。中学の頃はオフコース安全地帯、高校の頃はさだまさしなどのフォーク系の人たち、大学の頃はロック系を中心に広がりを見せ、社会人になってからはオールラウンダーに変わった。運送時代は仕事中でも車内で音楽漬けだったから、ますます範囲も広くなった。

アニソンから映画のサントラロックアイドル、とにかく聴いてみないことにはわからない。正直に話しておくけど、自分はインドアの音楽ファンだ。オフコースが活動していたらコンサートなどに足を運んでいただろうけど、再結成があり得ない以上、このままインドア中心で、音楽ライフが続いていくと思う。

*レコードのテカり方って優しい感じがする

それに、自分は再結成というのがあまり好きじゃない。特にオフコースのような神がかり的なバンドは、伝説のままの方がいい。再結成がないからこそ、自分の中で神の存在のまま生かすこともできる。まあ、音楽の楽しみ方は人それぞれでいいんだよ。感動の仕方だって人それぞれ、感じ方の違いで人生も変わっていく。

ただし、可能な限り幅広く聴いた方がいいと思う。このジャンルだけをなどとは決めない方がいい。バラードが大好きでも激しいロックも聴く、アニソンが大好きでも映画音楽も聴く、ジャンルを超えて聴くところに音楽の面白さがあると思う。そしてアーティスト同士の、意外なつながりが見えたりもしておもしろい。

*レコードは大きい分 目を楽しませてくれる

これは音楽を創る側の人たちにも、同じように言いたいことだ。やはり世界の共通語英語なんだよね。だから、英語で歌っている曲には説得力があって、世界を支配している感じもする。今現在も活躍中の日本の大御所たちは、世界の音楽を聴いてコピーから始めた人も多い。そこから自分たちの音楽を探していった。

世界に進出して行ったけれど、認められた日本人はほんのわずかだ。YMO少年ナイフ、現在ならワンオクBABYMETALかな。それだけ世界の壁は厚い。そしてそれだけ世界の音楽は幅が広く深い。日本の音楽も素晴らしいけれど、音楽をやる以上は世界の音楽も聴いた方が、音の使い方もかなり違ってくると思う。

*オフコースのアメリカ進出も困難を極めた

オフコースアメリカ進出も、事実上は失敗だった。日本人が聴く英語詞のアルバムとしては綺麗だったけれど、アメリカで通用するレベルではなかった。

それでも、オフコースが素晴らしいと思えるのは、彼らの音楽は奥が深く、今も色あせることがないくらいに、とことんまで音を追求しているからだ。その元になっているのは、長い下積み生活と幅広い音楽への好奇心だと思う。ひとつのジャンルを極めるにしても、幅広いジャンルに目を向けた方が音も豊かになるはず。

素敵な音楽の数だけ人生も又、豊かになっていくと思う。

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ロッキーの復活劇に、自分を重ねて鍛えなおす

映画「ロッキー」は長くシリーズ化された。学生時代に映画館で見た「ロッキーⅤ/ 最後のドラマ」が最後かなと思っていたら、それから約16年後に「ロッキー・ザ・ファイナル」が製作された。「ロッキーⅤ」がシリーズ最低の興行成績だったので、そのリベンジも兼ねてのファイナルだったのかもしれない。

*ハングリー精神を持つ人間は迫力が違う

ロッキーⅢ」の中で、チャンピオンベルトを手に入れたロッキーは、世界ヘビー級チャンピオンとして快進撃を続けて防衛に成功していた。だが、ハングリー精神を失い、ハングリーの塊のようなクラバー・ラングにベルトを奪われる。その際に往年の名トレーナーだったミッキーが死に、失意のどん底に落ちる。

世間一般的にも、よくあること。ベルトを獲得したまでは良かったが、その後は少しずつ普通の人間に向かい、獲物を狩るのような目を失っていく。ミッキーのロッキーへの思いが弱い相手との防衛戦を組ませた。10度の防衛に成功したことが、自分は強いと勘違いさせる。ハングリー精神は失われ、リングに沈んだ。

かつての宿敵アポロをトレーナーとして迎えたものの、ロッキー自身の士気が上がらない。クラバーとのリターンマッチを前に、自分の弱さを認められない。また負けるかもしれないという、怖さを認められない。怖いという現実から目をそらす。様々な言い訳をする。言い訳ばかりで、かつての強さを戻すことできない。

*このアポロとのトレーニングは名シーンのひとつだ

近頃ずっと、自分自身に置き換えて考える毎日だった。

昨夏に手術をしてから、可能な限り完治に近い状態にもっていくために、長い休業をしているが、休業のための保険もいずれ切れる。6月の初めにMRI検査を行い、先生の診断をいただく予定になっている。おそらく経過は良好だと思うが、肉体労働をほのめかしたりすれば、先生はいい顏をすることはないだろう。

でも、やり方が変えるにしても、やはり自分は体を動かして働くのが好きなんだ。汗を流すことが好きなんだ。どんなにエクササイズをして達成感を得ても、仕事を終えて汗を流した時の快感を得ることはできない。腕に浮かび上がる血管と汗、体重計に乗った時の体重の減りぐあい、すべて体を動かして得られる快感だ。

5年越しで両肩を手術しているから、次に手術することになれば面倒なことになる。内部を縫うために穴を開ける部分が限られてくるからだ。腕立て伏せは、1セットあたり元通りの回数のところまで来ているが、痛みだってある。でも、こんなことを言っていると、何にも出来なくなる。悶々としていたよ。

https://youtu.be/ERT_7u5L0dc
*この曲と 動画があれば自分を鍛えられる!

こういう時は、「ロッキー」を見なおすに限る。かの有名な主題歌「Eye of The Tiger」や「ロッキーのテーマ」を聴いて、エクササイズをする。フィットネスバイクで汗を流し、小型ダンベルも再開し、自主的なリハビリにも精を出す。

それでも、病院でリハビリをするたびに、リハビリの先生が無理をするなと言う。本当に、葛藤の毎日だ。世の中には他にいくらでも、苦労して頑張って生きている人がたくさんいるのに、こんな肩ぐらいと思いながらも、又手術したらとも考える情けなさ

でも、やるしかない。所詮ひとりで仕事をするタイプ。自分でやりたいと決めたことなら、いくらでも無理がきくし、同時に無理が過ぎると思えばスピードのコントロールすればいい。100%肩に頼るような仕事をしなければいいだけ。その流れを作るために、ブログに記事を100本UPするって目標を立てたんだ。

*ロッキーは見事 チャンピオンに返り咲いた

ロッキーは、再びベルトを勝ち取った。今までの戦術を変えて。

先日お会いした紳士の言葉じゃないが、まだ3つも4つも何かができる歳だ。ドローンを操作するように、自分自身を自由に操作してみたい。もう少しの我慢だと信じたい。

生きるための戦術は、いくらでも変えられる。

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バカができるのって、大切なことだよね。

映画「釣りバカ日誌」を見ていると、西田敏行が演じるハマちゃんこと浜崎伝助が、様々な場面でバカをやっている。上半身はだかになったり、コスプレをしたりメイクをしたり、それはそれは見ている方は楽しくなる。西田敏行という俳優の魅力でもあるんだろうけど、バカが出来ることの大切さを思い知らされる。

*高木ブーとのハワイアン 上手いんだ

当たり前だけど、全編を通してバカをやっているわけじゃない。必要な場面で踊るなどしてバカをやっている。営業マンとして宴会でお客さん達を前にしている時や、盛り上げることが必要な場面で率先して踊る。こういうことをやらせると、西田敏行は本当に上手い。同じ遊び人風に見えても、寅さんの対極にいる感じ。

自分が寅さんを、「男はつらいよ」の世界を好きなことは何度も話したけれど、「釣りバカ日誌」の世界というのも本当に好きなんだよね。過去に酒の席などでかなりバカをやっては来たけれど、ハマちゃんのように、ここまで徹底したバカをしたことはない。どちらかと言えば、見て楽しむ側になってしまう。

*こういうのを見せられたら 吹き出すよ

大垣にいた頃の後輩の仲間には、面白い人間がたくさんいた。「変体の会」という酒飲みの会をつくって、個性が豊かに思える人間だけを集めて飲んでいた。女装して踊るやつもいたし、眠りこけてお尻に割り箸を立てられているやつもいた。床に吐いて女将に叱られても、他人事のように眺めているやつもいた。

でも、こういう仲間が偏差値だけなら、自分よりもずっと有名な大学を出ていたりする。東北大学だったり一橋大学だったり早稲田大学だったり。器がでかいから有名な大学に入れたのか、入れたから器を鍛えられたのか。とにかく、その時思ったのは、厳しい受験戦争に勝った人間は何かが違うってことだったな。

*シナリオを考えた人間も すごいよね

課長 島耕作」という漫画の中でも、仕事上の失敗に対して頭を下げに行ったお客たちの前で、部長裸踊りをする場面がある。それが出来なかった島耕作に、部長は言う。

新卒で会社に入った頃、お客の前でふんどしを締めて裸踊りをさせられた。大学で学んだことは吹っ飛び、仕事とはこういうものだって思い知らされた。脆弱な知識プライドは関係ない。わかってしまえば怖いものはなくなり、仕事にも自信がわいてパワーもついた、と。これを読んだ時、大いに納得できた。

*バカをやるたび ハマちゃんの人気はUP

ただ、ハマちゃんはただ者じゃない。釣りバカというタイトル通り釣りが大好きで、釣りとおなじくらい裸踊りは営業の武器になる。しかも営業しているという姿勢は微塵にも見せず、あくまでも自分自身が楽しんだ上で、結果的に武器になっているだけ。出世はしないが家族を愛し家族に愛され、そして皆に愛される。

寅さんについても同じことが言えるけれど、真似しようとしたところで、まず真似しきれないね。ある意味で、こういう人たちには天性のものが備わっているとも思う。だからこそ共感もしてしまう。こういうバカができることに憧れもする。

バカができるというのは、大切なことだと思う。

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ビデオをレンタル、ダビングに学んだ日々。

YouTubeを見ていると、小中高を過ごした1980年代や学生や新入社員だった1990年代の世界に、簡単に戻ることができる。その幅はかなり広くて飽きることがない。動画を作っている人達には心から感謝したくなる。自分は動画を作るほどには時間が追いつかないので、しばらくは見る側で過ごしそうだ。

*ビデオデッキ本体だけで 重量が11㎏ある

80年代や90年代は、まだテレビが主流でビデオで録画して見ることも多かった。ミュージックビデオ等も高かったから、レンタルして見ることがほとんど。80年代のビデオは、発売当時は1本あたり12,000円なんてザラだったからね。高価すぎて手が出ない。だからレンタルする時は、仲間で集まってダビング大会

ただ、SONY松下のビデオの規格戦争の結果、ベータよりもVHSを使う人が多くなっていた。自分のようにベータを使う人間はダビングにも苦労した。画質はベータの方が良かったし、全体の出来も良かったと今でも思っている。ただ、テープにかかるコスト面などを考えると、VHSの勝ちだったのかもしれない。

*ダビングするための操作スイッチ

ダビングをするためには、互いにデッキを持ち寄らなければならない。自分のデッキは重さが11㎏あるから、自転車に乗せて運ぶにしても、バランスが問題だった。そこで、どちらかと言えば重さが軽い相手が来ることが多かった。ネットで動画を飛ばしあえる現在からすれば、遠い昔のできごとになったのかな。

でも、本当に楽しかった。その当時に興味を持っている人でなければ、ネット社会なんて想像もできなかったはず。ダビングするという方法でしか、コピーする方法は無かった。だから苦労してるなんて感覚は全くなかったし、とにかく考えぬいた。どうしたら少しでも画質を維持したまま、コピーをできるかなって。

*まだ たくさんのケーブルが残っている

デッキとデッキをつなぐケーブルを、可能なかぎり短くすれば画質が綺麗なままコピーできるんじゃないか。端子は金メッキの方がいいんじゃないか。ケーブルは太い方が画像が圧縮されないんじゃないか。こんな感じで、とにかく考えて工夫することを自ら学んでいった。ベータは音だけのハイファイ録音も出来たんだ。

でも、ベータとVHSの2種類をレンタルしたら、お金がかかる。そこでベータだけを借りて、①ベータ⇒VHS ②VHS⇒VHSの順番でダビングをする。②は既に孫ダビングになるから画質は多少落ちる。それでも、ダビングして自分が所有することにもこだわった。レンタル代金は高くて、10本借りるなんて夢の世界だ。

*背面にケーブルをつないでダビング

だけど、高校の頃とかの話だからね、ダビングしている間に同じ作品を2度見ることになるわけだ。よほど興味がないかぎりは、2度見るなんてことは時間の無駄だった。だから仕事はビデオに任せて、一旦外出したりもした。当時から、デッキに高速ダビングの機能でもついていれば良かったんだけど。

結果的に、素人でもいろいろと知識が身についたし、何よりも自分で考えて工夫することを覚えたね。ベータと違ってVHSには3倍の録音モードがあって、120分テープなら360分の録画が可能だった。多少は画質も落ちたが、画質が落ちるにしてもテープに空白部分が残らないよう、時間を徹底的に計算していたんだ。

*ジョグダイヤルを使って 編集者気分

サブスクリプションが全盛の今、AmazonにBANDAI CHANNELにNetflix、そして当然YouTubeがあればレンタルを使わない。テレビで映画を見ることもほとんどないし、すでに5年以上録画して見ることもなくなった。見たいものは、時間が許すかぎりネットで何度も見直す。寅さん49話分は、何巡したかも忘れた。

ただ提供する側は常に脳内が満たされているが、楽な方法に甘んじている提供される側の自分は、どんどん脳内が退化していくような感じだ。文章を考えて書いていくのと同じように、自分で考えて動画を制作していくような気持ちが、やはり大切だと思う。

考えていたら、またワクワクしてきた。