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インドアライフは、情報をあつめる天国だ。

新型コロナウィルス感染対策として、終日、自宅で過ごすことも多くなった。長い休業中の身でもあるから、特に大変だとは考えていない。終日、自宅にいてもやりたいことはたくさんある。今回は映画などの動画やアニメについて話してみたいと思う。1回で話せる内容ではないけれど、まずは話を始めてみたい。

*こんな状態ならば 知識も豊かになるかな

実際のところ、何を見ようかと毎日悩みながら選択している。Amazon prime videoNETFLIXバンダイチャンネルの3つから選択するわけだけど、贅沢に悩んでいる。未視聴のものを貪欲に見たいが、映画でもドラマでもアニメでも、徹底的にくりかえし見る主義だから、時間が足りるはずがない。

とりあえず、自分の定番になっているシリーズものについて。

まずは「男はつらいよ」。第50話はディスクで。残りの49話については5年間で10巡はしている。見過ぎてかえって順番やタイトルがこんがらがりそう。朝ご飯の時に必ず見る癖がついている。寅さんのキレのいい話し方が、一日の始まりにリズムをつける。流れる風景はアルバムをめくるようで、心が落ち着く。

*四角い顔の中に 丸い優しさがある

深夜食堂」。これも今や欠かせない。見るなら、やはり夜がいいと思う。深夜から開店するんだから、22時くらいから見始めると情緒があっていい。オープニングに流れる新宿歌舞伎町の交差点が出てくる靖国通りと青梅街道、仕事で通り抜けたり荷を下したりと思い出深い。情緒あふれる話がとても好きだ。

*小林薫ふんするマスターが味がある

孤独のグルメ」。これはひとりで黙々と食べているのがいい。仕事先で美味しいご飯にありつくわけだが、よく食べるなと思うよね。主人公役の松重豊さんは大食いではないって聞いている。あれだけの量を美味しそうに食べている撮り方、こっちの方にも興味がいってしまう。旅をしているような感覚がとても好きだ。

*主人公五郎の 満足そうな表情がいい

機動戦士ガンダム」。アニメの中では特に視聴を繰り返している。人生に必要なことはガンダムが教えてくれた、そんな感じの書籍や人の話はあふれている。それぐらい内容が深いアニメだ。放映当初は43話で打ち切りになったなんて、現在のガンダムの人気からは想像できない。人間のドラマが現実そのものでいい

*劇中のシャアは不滅の英雄だろう

美味しんぼ」。これも欠かせないアニメだ。とにかく勉強になるし、アニメなのに美味しさがあふている。原作は高校の頃には読み始めていた。現在、アニメは終わっているが、食にまつわる作品としての金字塔を築いた。番組のOPとEDも名曲が流れるし、父と息子の対決を通して描かれる人の心の奥深さが好きだ。

*美味しんぼの画はよく描きこまれている

この5作品をくりかえし見ていると、他の作品を見るための時間がとれなくなる。もちろん毎日の生活は、動画やアニメを見るだけじゃない。そのためにデスクPCの画面を2つに分けてある。近頃デスクPCは老朽化して来たので、入力作業のメインをノートPCに移し、デスク側は見ることと検索などが中心だ。

一方の画面を動画、もう一方をSNSと調べもの用にする。動画は右目だけで見るような気持ちで。実は同時にFMも流しっぱなしだから、耳は動画とラジオの両方から音を拾っている。指はノートの上を中心に動き、左目はノートの画面を見る。目と耳と指をフル回転させて無駄を省く。これを俗に気ちがいと言うのか。

*このスタイルで1ヶ月 使い勝手がいい

まあ気ちがいは冗談としても、これぐらいでないと情報を吸収しきれない。FMを流しっぱなしにすれば、新曲も聴けるし知らなかった曲も聴ける。DJの話もためになる。動画だって見るだけのモノじゃない。視て聴くんだから、BGMとしても使える。逆に音を消して、だけを使うこともできる。使い方は無限だ。

これで知識が詰め込まれて、生活費を稼げるわけではないが、知っておけば役に立つことはたくさんある。ツイッターだってそうだよね。皆さんの言葉や写真も、心の開き方ひとつで次から次へと知識や知恵になって吸収されていく。人が1を学ぶ時に10を学ぶ気持ちでいれば、頭の引き出しは選択肢であふれていくよ。

インドアライフは、まさに、情報をあつめるための天国だ。

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映画「ランボー」は、何を教えてくれたのか。

シルベスター・スタローンの出世作は「ロッキー」。そして、アクションスターとしての地位を不動のものにすることになった作品が「ランボー」。あるベトナム帰還兵の孤独な戦いの話だ。

*ランボーはなぜ 街を破壊するほどまでに

映画の公開当時は、ベトナム戦争終結から時間も経っていたが、アメリカ社会からベトナム帰還兵に向けられる目は冷たく、戦争での労苦をねぎらう者は限られていた。

国のために戦って来たにもかかわらず、帰還した当時の歓迎ムードは一時的で、その労苦はすぐに忘れられ、厄介者として扱われることも多かった。帰還兵のPTSD問題も深刻化していた。

*スタローンの熱演に胸が熱くなった

PTSDとは、心的外傷後ストレス障害のこと。命の安全が脅かされるような出来事などにより強い精神的衝撃を受けることが原因で、激しい苦痛や生活への障害をもたらすストレス障害を言う。

命の安全が脅かされる出来事とは、戦争や天災事故や犯罪や虐待などのことだ。PTSD自体は戦争帰還兵の研究から生まれたものだ。心的外傷とは俗に言うトラウマのこと、すなわち長い間それにとらわれてしまう状態のことを言う。

ベトナム帰還兵も、PTSDの症状に長く見舞われていた。精神的不安定による不安や不眠、そしてフラッシュバック。何よりも母国アメリカに裏切られたことが、彼らを苦しめていた。

*保安官はランボーに 自分が法律だと言った

映画の冒頭、主人公ジョン・ランボーは、食事をとるために立ち寄った田舎町で、帰還兵に偏見をもつ保安官に街から出て行けと高圧的な態度をとられる。反抗したランボーは保安官事務所に連行され、取調室での仕打ちに戦争当時がフラッシュバックする。

戦争当時、囚われの身になった時に受けた拷問がよみがえる。保安官助手たちを叩きのめし、ナイフを奪い返し逃走する。その戦いは山の中から始まり、州兵が出動する中で舞台を街へと移す。

*バイクをうばい 山に向かって逃走する

この映画を見始めた時は、ロッキーの流れの中で見ていた。筋骨隆々たる体に鍛え上げたシルベスター・スタローンが、今度は街の中で戦う帰還兵を演じているといった感じだった。

だがランボーは泣いていた。唯一の友人であったような元上司の大佐の胸で大声を出して泣いていた。「It’s a long road」が流れる中で連行されるランボーは、戦争に翻弄されて生きる哀しい男だった。戦争の虚しさってものを初めて考えてみたね。

*肖像画のような よく知られたランボーの写真
*自分のM-65 Made in USA の宝物
*最近はベトナム製などしか見ていない

映画として見ているかぎり、ランボーが1人で戦う姿に、カッコよささえ覚えてします。自分は今より若かったし、そもそも映画というのは娯楽だからね、楽しめなければ意味がない。

だけど、ランボーを見終わった時、ベトナム戦争がもたらした後遺症について考えたね。ベトナム戦争に限らず、イラク戦争についても同じことが言える。要は戦争って人殺しだからね。

*ランボーが大佐に語る話は哀しい

自分に正義があると思って戦わなければ、生き残れる可能性は低くなる。そして、最初の1人を倒した時は震えるんだけど、次からはそれが当たり前になっていく。相手を倒した数だけ勲章が増え、戦場の英雄にもなる。

でも戦争が終われば、積み重ねたその経験も多くは苦しみに変わっていく。現在は無人機での戦いも増えていて、遠隔操作する人間が相手を見ずして倒していくことで、後日PTSDになっているとも聞く。戦争はどんな形でやったとしても、心に障害をもたらすってことだろう。

*この歌を聴くたびに ランボーの孤独を思う

生身で戦ったランボーのベトナム戦争。戦争が終わっても、今なお苦しんでいる人もいるんだ。現実の戦争は、ゲームの中でやるお遊びとは違う。戦争はゲームじゃない。ゲームを楽しむのは個人の自由だが、たとえ相手が空想の存在でも、殺してやるなんて言葉は簡単に口に出さない方がいい。

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ロッキーの復活劇に、自分を重ねて鍛えなおす

映画「ロッキー」は長くシリーズ化された。学生時代に映画館で見た「ロッキーⅤ/ 最後のドラマ」が最後かなと思っていたら、それから約16年後に「ロッキー・ザ・ファイナル」が製作された。「ロッキーⅤ」がシリーズ最低の興行成績だったので、そのリベンジも兼ねてのファイナルだったのかもしれない。

*ハングリー精神を持つ人間は迫力が違う

ロッキーⅢ」の中で、チャンピオンベルトを手に入れたロッキーは、世界ヘビー級チャンピオンとして快進撃を続けて防衛に成功していた。だが、ハングリー精神を失い、ハングリーの塊のようなクラバー・ラングにベルトを奪われる。その際に往年の名トレーナーだったミッキーが死に、失意のどん底に落ちる。

世間一般的にも、よくあること。ベルトを獲得したまでは良かったが、その後は少しずつ普通の人間に向かい、獲物を狩るのような目を失っていく。ミッキーのロッキーへの思いが弱い相手との防衛戦を組ませた。10度の防衛に成功したことが、自分は強いと勘違いさせる。ハングリー精神は失われ、リングに沈んだ。

かつての宿敵アポロをトレーナーとして迎えたものの、ロッキー自身の士気が上がらない。クラバーとのリターンマッチを前に、自分の弱さを認められない。また負けるかもしれないという、怖さを認められない。怖いという現実から目をそらす。様々な言い訳をする。言い訳ばかりで、かつての強さを戻すことできない。

*このアポロとのトレーニングは名シーンのひとつだ

近頃ずっと、自分自身に置き換えて考える毎日だった。

昨夏に手術をしてから、可能な限り完治に近い状態にもっていくために、長い休業をしているが、休業のための保険もいずれ切れる。6月の初めにMRI検査を行い、先生の診断をいただく予定になっている。おそらく経過は良好だと思うが、肉体労働をほのめかしたりすれば、先生はいい顏をすることはないだろう。

でも、やり方が変えるにしても、やはり自分は体を動かして働くのが好きなんだ。汗を流すことが好きなんだ。どんなにエクササイズをして達成感を得ても、仕事を終えて汗を流した時の快感を得ることはできない。腕に浮かび上がる血管と汗、体重計に乗った時の体重の減りぐあい、すべて体を動かして得られる快感だ。

5年越しで両肩を手術しているから、次に手術することになれば面倒なことになる。内部を縫うために穴を開ける部分が限られてくるからだ。腕立て伏せは、1セットあたり元通りの回数のところまで来ているが、痛みだってある。でも、こんなことを言っていると、何にも出来なくなる。悶々としていたよ。

https://youtu.be/ERT_7u5L0dc
*この曲と 動画があれば自分を鍛えられる!

こういう時は、「ロッキー」を見なおすに限る。かの有名な主題歌「Eye of The Tiger」や「ロッキーのテーマ」を聴いて、エクササイズをする。フィットネスバイクで汗を流し、小型ダンベルも再開し、自主的なリハビリにも精を出す。

それでも、病院でリハビリをするたびに、リハビリの先生が無理をするなと言う。本当に、葛藤の毎日だ。世の中には他にいくらでも、苦労して頑張って生きている人がたくさんいるのに、こんな肩ぐらいと思いながらも、又手術したらとも考える情けなさ

でも、やるしかない。所詮ひとりで仕事をするタイプ。自分でやりたいと決めたことなら、いくらでも無理がきくし、同時に無理が過ぎると思えばスピードのコントロールすればいい。100%肩に頼るような仕事をしなければいいだけ。その流れを作るために、ブログに記事を100本UPするって目標を立てたんだ。

*ロッキーは見事 チャンピオンに返り咲いた

ロッキーは、再びベルトを勝ち取った。今までの戦術を変えて。

先日お会いした紳士の言葉じゃないが、まだ3つも4つも何かができる歳だ。ドローンを操作するように、自分自身を自由に操作してみたい。もう少しの我慢だと信じたい。

生きるための戦術は、いくらでも変えられる。

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バカができるのって、大切なことだよね。

映画「釣りバカ日誌」を見ていると、西田敏行が演じるハマちゃんこと浜崎伝助が、様々な場面でバカをやっている。上半身はだかになったり、コスプレをしたりメイクをしたり、それはそれは見ている方は楽しくなる。西田敏行という俳優の魅力でもあるんだろうけど、バカが出来ることの大切さを思い知らされる。

*高木ブーとのハワイアン 上手いんだ

当たり前だけど、全編を通してバカをやっているわけじゃない。必要な場面で踊るなどしてバカをやっている。営業マンとして宴会でお客さん達を前にしている時や、盛り上げることが必要な場面で率先して踊る。こういうことをやらせると、西田敏行は本当に上手い。同じ遊び人風に見えても、寅さんの対極にいる感じ。

自分が寅さんを、「男はつらいよ」の世界を好きなことは何度も話したけれど、「釣りバカ日誌」の世界というのも本当に好きなんだよね。過去に酒の席などでかなりバカをやっては来たけれど、ハマちゃんのように、ここまで徹底したバカをしたことはない。どちらかと言えば、見て楽しむ側になってしまう。

*こういうのを見せられたら 吹き出すよ

大垣にいた頃の後輩の仲間には、面白い人間がたくさんいた。「変体の会」という酒飲みの会をつくって、個性が豊かに思える人間だけを集めて飲んでいた。女装して踊るやつもいたし、眠りこけてお尻に割り箸を立てられているやつもいた。床に吐いて女将に叱られても、他人事のように眺めているやつもいた。

でも、こういう仲間が偏差値だけなら、自分よりもずっと有名な大学を出ていたりする。東北大学だったり一橋大学だったり早稲田大学だったり。器がでかいから有名な大学に入れたのか、入れたから器を鍛えられたのか。とにかく、その時思ったのは、厳しい受験戦争に勝った人間は何かが違うってことだったな。

*シナリオを考えた人間も すごいよね

課長 島耕作」という漫画の中でも、仕事上の失敗に対して頭を下げに行ったお客たちの前で、部長裸踊りをする場面がある。それが出来なかった島耕作に、部長は言う。

新卒で会社に入った頃、お客の前でふんどしを締めて裸踊りをさせられた。大学で学んだことは吹っ飛び、仕事とはこういうものだって思い知らされた。脆弱な知識プライドは関係ない。わかってしまえば怖いものはなくなり、仕事にも自信がわいてパワーもついた、と。これを読んだ時、大いに納得できた。

*バカをやるたび ハマちゃんの人気はUP

ただ、ハマちゃんはただ者じゃない。釣りバカというタイトル通り釣りが大好きで、釣りとおなじくらい裸踊りは営業の武器になる。しかも営業しているという姿勢は微塵にも見せず、あくまでも自分自身が楽しんだ上で、結果的に武器になっているだけ。出世はしないが家族を愛し家族に愛され、そして皆に愛される。

寅さんについても同じことが言えるけれど、真似しようとしたところで、まず真似しきれないね。ある意味で、こういう人たちには天性のものが備わっているとも思う。だからこそ共感もしてしまう。こういうバカができることに憧れもする。

バカができるというのは、大切なことだと思う。

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ビデオをレンタル、ダビングに学んだ日々。

YouTubeを見ていると、小中高を過ごした1980年代や学生や新入社員だった1990年代の世界に、簡単に戻ることができる。その幅はかなり広くて飽きることがない。動画を作っている人達には心から感謝したくなる。自分は動画を作るほどには時間が追いつかないので、しばらくは見る側で過ごしそうだ。

*ビデオデッキ本体だけで 重量が11㎏ある

80年代や90年代は、まだテレビが主流でビデオで録画して見ることも多かった。ミュージックビデオ等も高かったから、レンタルして見ることがほとんど。80年代のビデオは、発売当時は1本あたり12,000円なんてザラだったからね。高価すぎて手が出ない。だからレンタルする時は、仲間で集まってダビング大会

ただ、SONY松下のビデオの規格戦争の結果、ベータよりもVHSを使う人が多くなっていた。自分のようにベータを使う人間はダビングにも苦労した。画質はベータの方が良かったし、全体の出来も良かったと今でも思っている。ただ、テープにかかるコスト面などを考えると、VHSの勝ちだったのかもしれない。

*ダビングするための操作スイッチ

ダビングをするためには、互いにデッキを持ち寄らなければならない。自分のデッキは重さが11㎏あるから、自転車に乗せて運ぶにしても、バランスが問題だった。そこで、どちらかと言えば重さが軽い相手が来ることが多かった。ネットで動画を飛ばしあえる現在からすれば、遠い昔のできごとになったのかな。

でも、本当に楽しかった。その当時に興味を持っている人でなければ、ネット社会なんて想像もできなかったはず。ダビングするという方法でしか、コピーする方法は無かった。だから苦労してるなんて感覚は全くなかったし、とにかく考えぬいた。どうしたら少しでも画質を維持したまま、コピーをできるかなって。

*まだ たくさんのケーブルが残っている

デッキとデッキをつなぐケーブルを、可能なかぎり短くすれば画質が綺麗なままコピーできるんじゃないか。端子は金メッキの方がいいんじゃないか。ケーブルは太い方が画像が圧縮されないんじゃないか。こんな感じで、とにかく考えて工夫することを自ら学んでいった。ベータは音だけのハイファイ録音も出来たんだ。

でも、ベータとVHSの2種類をレンタルしたら、お金がかかる。そこでベータだけを借りて、①ベータ⇒VHS ②VHS⇒VHSの順番でダビングをする。②は既に孫ダビングになるから画質は多少落ちる。それでも、ダビングして自分が所有することにもこだわった。レンタル代金は高くて、10本借りるなんて夢の世界だ。

*背面にケーブルをつないでダビング

だけど、高校の頃とかの話だからね、ダビングしている間に同じ作品を2度見ることになるわけだ。よほど興味がないかぎりは、2度見るなんてことは時間の無駄だった。だから仕事はビデオに任せて、一旦外出したりもした。当時から、デッキに高速ダビングの機能でもついていれば良かったんだけど。

結果的に、素人でもいろいろと知識が身についたし、何よりも自分で考えて工夫することを覚えたね。ベータと違ってVHSには3倍の録音モードがあって、120分テープなら360分の録画が可能だった。多少は画質も落ちたが、画質が落ちるにしてもテープに空白部分が残らないよう、時間を徹底的に計算していたんだ。

*ジョグダイヤルを使って 編集者気分

サブスクリプションが全盛の今、AmazonにBANDAI CHANNELにNetflix、そして当然YouTubeがあればレンタルを使わない。テレビで映画を見ることもほとんどないし、すでに5年以上録画して見ることもなくなった。見たいものは、時間が許すかぎりネットで何度も見直す。寅さん49話分は、何巡したかも忘れた。

ただ提供する側は常に脳内が満たされているが、楽な方法に甘んじている提供される側の自分は、どんどん脳内が退化していくような感じだ。文章を考えて書いていくのと同じように、自分で考えて動画を制作していくような気持ちが、やはり大切だと思う。

考えていたら、またワクワクしてきた。

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給食の豚肉の生姜煮は、量が少なかった。

昨年の夏に入院していた時の食事、これは豚肉の生姜煮。この生姜煮を食べると、必ず思い出すのが学校給食の生姜煮。イメージが浮かんでくるたび、美味しかったことしか思い出せない。

*給食の豚肉の生姜煮は好きだったな

豚肉にしっかりと味がしみ込んでいて、甘辛い感じで、とにかく白いご飯に色も含めてよく合っていた。ごはんにかけてどんぶりにして食べた時は、定食屋さんのどんぶりにも匹敵する味だった気がする。昨今、給食メニューを食べられる場所があるらしいけど、給食をメニューにしようと考えた人の気持ちがよくわかる。

*男はつらいよ 奮闘編から 給食は楽しい

給食は成長盛りの子供たちの栄養が考えられているから、病院食同様、メニューが幅広くなっている。カレーがでればシチューもでる。肉じゃがでれば麺類もでる。みんな美味しかった記憶しかないが、特に豚肉の生姜煮は美味しかった。当然のことだけど、メニューの中でも人気があった。

だけど、この豚肉の生姜煮、配給のが少なかった。

大きなバケツのような容器に、カレーやシチューなら山盛り入っている。ふたより少し低いぐらいのところまで。だから、お代わりも可能だったよね。1.5回ぐらいお代わりが可能な日もあったかな。成長盛りの小学校や中学校の頃だ、夢中で食べていた。嫌いなものなんて何もない。牛乳のお代わりも嬉しかった。

*このバケツのような容器におかずが

そんな中で、人気者の生姜煮はなぜか量が少なかった。自分が覚えているかぎりでは、同じバケツの中に3分の1しか入っていなかったと思う。ふたを開けてのぞいた時、先に誰かが食べてしまったような気もしていた。

自分が係で盛りつけをする時は気を使い、皿に盛られる側の時は量が気になって仕方なかった。みみっちいような、せこいような子供の考えそうなことだけどね。美味しいとわかっているんだから、たくさん食べたいと思うのが当たり前だろう。

*自分の頃はすでに 一体型のお皿だった

だから肉を床に落としても、拾って食べた。見ていた人もいたかもしれないけど、何も言われなかったし、特に悪いとも思わなかった。美味しいからこそもったいない、これに尽きる。今の時代なら、親に文句を言われるのかな。先生しっかり見ていなかったんですか?それで監督がつとまるんですか?みたいな感じでさ。

長い独身生活、退院してからは簡単な料理ぐらいはとも思っていたけれど、料理だけは手つかず。病院の食事も懐かしいが、今こそ給食の味よもう一度ってところかな。ちなみに、豚肉の生姜煮の量が少なかったのは、一日あたりの予算の都合上からだったと思っている。

いつか思い出になる給食、噛みしめて食べた方がいいよ。

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ロッキーが、人生を変えてくれた 2

見た目を変えた胸筋に、さらに発破をかけたかった。

ロッキーに憑りつかれた自分だが、本来ならその気持ちを受験勉強にもっていくべきところ。ただでさえ成績が悪いのに、見栄ばかりはって偏差値の高い大学を選択するアホまるだしの生徒。先生もあきれていたが、いまさら遅いからなんて気持ちが先行していたんだろう。ロッキーをにして逃げていたのかもしれない。

*国旗をまとう姿は 米ソ冷戦の時代も映す

1984年に公開されていた「ロッキーⅣ 炎の友情」がさらに拍車をかける。宿敵でありながらも最高の友人になった、前チャンピオンのアポロ・クリードの死に涙。復讐を兼ねたロッキーのファイトは、さらに根性を与えてくれたが、偏差値は下がる。親不孝者とはこういうことを言う。若い方は反面教師にしてほしい。

受験勉強にではなく、すべてのエネルギーが腕立て伏せのために使われた。高3の秋なんだからね、現役の受験生は、脳みそに刺激を与え続けるべきなのに、自分ときたら腕と胸の筋肉だけに刺激を与え続けていたんだ。筋肉はUPし受験のための知識は下降する。見事な反比例。自分の不器用なところかもしれない。

*ベトナム帰還兵の悲しみが伝わって来た

ロッキーに続いて「ランボー」にも手を出す。ロッキーシリーズと並ぶ、スタローンの出世作にして代表作のひとつ。舞台はベトナムの戦場を起点にしたある帰還兵の話。詳しくは別の機会に話すが、このランボーにもやられた。鍛え抜かれた体で、特殊な弓矢とナイフ1本でモンスターのように戦う姿は、神そのもの。

ロッキーとランボーがダブルで自分を刺激し続ける。頭の中は偉大なるアメリカン・ドリームの成功者シルベスター・スタローンのことだけ。受験勉強が、スタローンとロッキーとランボーと筋肉の論文を書くことだったら、偏差値の高い大学も受かったかもしれない。人生が変わるというのは、まさにこういうこと。

*精肉工場の肉がサンドバック替わり

冬が明け、受験の戦いに自分の体はリングに落ちた。ロッキーと違って最後までリングに立てるはずもない。あきらめを先行させたまま戦おうとしていたんだから、落ちるのが当たり前。親不孝者としてのチャンピオンベルトは獲得したが、見事に浪人生活へ突入していくことになる。

高3の時に手に入れた人生転換への道。翌年も負けが多かったにもかかわらず、リングに立ち続けて大学に合格できた。そのエネルギーのもとはロッキーでありスタローンであり、そして唯一好きになれた世界史だけだったのかもしれない。

*突き上げられた腕 この角度こそ勝利の角度

人生の変わり目というのは、求めて得られるものではない。

ただ、今の自分が小さく見えて嫌いであったとしても、地道に前向きに生きていれば、必ず何かが起こる。必ず自分を変えてくれる何かが向こうからやってくる。だから、今の自分にあきらめずに、好きなことがあれば夢中になった方がいい。

自分は成功者ではない。

でも、ロッキーにスタローンに夢中になれたことで、思いもよらなかった自分を創ることができた。何度も足踏みはしているけれど、その気持ちは今でも変わらない。生きようとするかぎり、ロッキーは自分の前を走りつづける。

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ロッキーが、人生を変えてくれた 1

高校時代、超がつくほどの落ちこぼれだった自分を変えたのはこの人、ロッキー・バルボアだ。

*古い本を探しあてると すごく嬉しい

映画の中から飛び出した架空の人物だが、自分の中ではリアルな兄貴分だと思っている。もちろん一番すごいのは、この架空の人物を世の中に送り出した、シルベスター・スタローンという人物だ。ただ、本人と同じくらいその名は一人歩きしていて、スタローン自身でもある。どちらを追いかけても同じこと。

何度か話している通り、本当に成績が悪かった。理数は特に苦手だったから文系に偏ったけど、英語も国語も成績が良かったわけじゃない。なんで入学できたのか、今でも不思議なくらいだ。

両親は海外にいて高2から下宿暮らしをしていたから、ますます羽を伸ばしていた。テレビを見過ぎて視力もガタ落ち、外見が真面目そうなだけの何の取り柄もない高校生。

そんな頃だ、高3の夏休みの直前、ロッキー憑りつかれた

https://youtu.be/QWzisvDtA-k
*ロッキーⅠ~Ⅲ このトレーニングに憧れた

正直言って、何もかもが衝撃的だった。

親がテレビを見過ぎることに厳しかったから、テレビで映画を見ることもあまりなかった。中学の時はオフコースに目覚めて音楽の方に夢中、テレビもアニメの方が好きだった。

だから高2で一人暮らしが始まって、勉強そっちのけで映画を見まくっていたわけ。木金土日の映画タイム深夜映画。「猿の惑星」に衝撃を受けたのもこの頃。

そんな時に、偶然ロッキーにぶち当たったわけ。小学校の頃には映画が上映されていたから、7年遅れぐらいだったのかな。小学校の鼓笛隊でロッキーのテーマを演奏していながら、映画を知らなかったってことになる。今思えば笑い話にもなる。

*フィラデルフィアのこのシーン その気になった

その日から、さらに勉強そっちのけになった。親がそばにいたらあり得ない姿だったろう。ダンベルなんか買うお金はない。漫画雑誌にスタローンが宣伝する、筋トレマシンの写真が載ってた。それを見るだけで満足して、映画で一番印象深かった腕立て伏せだけをやることにした。

学校に行く以外は、ひたすら腕立て伏せ。夏休みもそう。予備校に通いながら予習復習もせず、毎日腕立て伏せ。1セット100回を朝昼晩2セットずつ。途中から、片腕でもやるようになった。録画してあったロッキーを見直し、さらに励む。腕立て伏せだけがトレーニングであり、自分のすべてだと思った。

*ロッキーⅡで とうとうチャンピオンに!

受験勉強をやるはずだった夏休みが明けて、頭の中のロッキーへの思いが、胸筋に乗り移っていた。9月の体育祭の時、Tシャツ越しに盛り上がった自分の胸を目にして、クラスの仲間がはいた言葉がこれ。

それはいったい何なんだ???

2に、つづく🔜

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俺の考え 映画 趣味 食事

忘却のサチコを見て、食べる幸せを感じる。

誰でも自分にとっての定番というものがあると思う。特に映画ドラマについて言えば、自分にとってはこれら。食べる時の幸せを感じられる内容のもの。

*高畑充希は とにかく演技の表情が豊かだ

映画なら「男はつらいよ」。ドラマなら「深夜食堂」と「孤独のグルメ」。そして、最近では「忘却のサチコ」が加わっている。

ちなみに「男はつらいよ」については、自分が求める人としてあるべき姿の方に主題があるけれど、食べることに関しても、とても大切なことを教えてくれる。食事となると、必ず見たくなる。

*こんな色をしたサバの味噌煮がでてくればね

さて、「忘却のサチコ」の主演女優、高畑充希さん、とにかく表現が豊かすぎる。ご飯を食べる時の表情がなんと言ってもうまい!「孤独のグルメ」の松重豊さんも本当にうまいとは思うんだけど、高畑さんの表情はまた違ったうまさがあるんだよね。

*食べた瞬間の 昇天したような表情がうまい

もちろんカメラワークだってうまいし、女性だから可愛く見えるってことも否定はしない。

でも、うまそうに食べるという点で、食べている瞬間を見ていると一緒に食べたくなってくるんだな。劇中で繰り返される幸せ~って言葉、それはこっちのセリフだよ、こう言いたくなってくる。食べることが、本当に楽しいんだってことを教えられる。

*こういったシーンに 特にうまさを感じる

食べることに限らないかもしれない。高畑さんはコミカルな演技もうまい。多部未華子さんの演技なんかも好きなんだけど、似たものがあるのかな。隙がない性格のヒロインだからこそ、そのコミカルな感じとその表現の豊かさに楽しさが爆発する。

*作家先生の思わぬ趣味を前にしても

作家先生に叱られた後、その先生の思わぬ趣味を前にした時の姿と表情。自分もこんな気持ちになるんじゃないかって、確信にもなりそうな演技のうまさ。その後の本人の姿は、脚本を褒めるべきところなのに、脚本も演技力しだいだと思えるんだよね。

*挙句の果てに 主人公みずからこの姿

高畑さんの表現の豊かさに圧倒されながら、食べる幸せを思い出させてもらえる「忘却のサチコ」。何度でも見てしまう。

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歴史に学び、経験にも学ぶ。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」。ドイツの鉄血宰相、オットー・フォン・ビスマルクの言葉だ。見事だと思う。

こんな言葉も残している。

「青年に勧めたいことは、ただ3語に尽きる。すなわち『働け、もっと働け、あくまで働け』だ」。こちらは、今の時代なら否定されるのかな?

*ビスマルク体制と呼ばれる国際関係を築いた

ともかく歴史上の大人物たちは皆、後世に立派な言葉を残している。ビスマルクの言葉通り、人間が歴史に学ぶことは極めて大切なことだ。歴史に学びきれないから、人間はいつまでも同じ過ちを繰り返している。過ちがエンドレスに思えるね。

だけど、やはり経験だって大切だ。誰もが等しく地球上の歴史を学びきれるなら、この世はいつだって春を感じているはず。それができないでいるから、主義主張を認め合うこともせずに、地球上のどこかで毎日戦争を続けている。

歴史は学び続けるものとして、やはり経験からもしっかりと学びたい。なにも自分だけの経験に限る必要はない。他人の経験から学ぶのだってありだ。映画の中の主人公から学んでもいい。経験はどんなところからだって学べるはずだ。

*映画「ROCKY THE FINAL」の小説版

例えば、映画「ロッキー」からもたくさん学んだ。

このロッキーシリーズの最終作「ROCKY THE FINAL」。ロッキーが共に歩んできた愛妻を亡くしている。経営するレストランは順調だが、妻を亡くした後の心の穴を埋められずにいる。もう一度、リングに立とうとする。60という歳で。

焼きが回ったなと笑う世間に耐えられず、息子がロッキーに試合の中止を進言するわけだ。その時、息子に吐いたロッキーの言葉が深い。

*映画のセリフに感動し 小説のこの部分に感銘を受けた

人生は晴れの日ばかりじゃない。リングの上でたくさんのパンチを受けてきたが、人生というパンチほど重いものはない。どんなに打ちのめされても、自分の価値を信じて前に進め。パンチを恐れるな。自分の弱さを他人のせいにするな。卑怯者になるな。

自分はロッキーの言葉をこんな感じでまとめ、大切にすることにした。丁度その頃は、特に歯を食いしばって仕事をしていた時期で、冬でも半袖1枚で十分だったくらいに頑張れた。その時のあだ名は鉄人だ。ポンコツの今とは比較にならない。

映画の中の主人公さえも、その経験の中からたくさんの大切なことを教えてくれる。ましてや命ある人間からなら、もっと学べるかもしれない。常に謙虚な自分であるかぎり、経験は向こうから扉を開いてくれるはずだ。

*人生で受けるパンチは リング上で受けるよりも重い

歴史に学び、経験にも学ぼう。人間ひとりの人生などは、たかが知れている。人の経験を聴くこと自体が、また自分の経験に組み込まれていく。経験の連鎖はエンドレスだ。経験の積み重ねがやがて、ひとつの大きな歴史になる。