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おおらかな時代だった。

映画「男はつらいよ」第8作、「寅次郎恋歌」の最後の場面。

おおらかな時代を感じない?

*旅の一座がトラックの荷台から宣伝活動を

寅さんが旅の途中で、以前会った旅の一座と再会するところだ。一座は、トラックの荷台に乗りこんで宣伝の途中。寅さんと、偶然に居合わせたって感じ。一座が勧めるままに、寅さんも荷台に乗り込んで、一座との楽しい時間を過ごすって寸法。

荷台に乗っていると言えば、映画「となりのトトロ」の冒頭、さつきとめいの2人が荷台にいた。三輪トラックの荷台の上、引越荷物の間にいるわけだ。警官がいると思ったさつきがめいに隠れてと言う。この頃でも、合法ではなかったってこと?

まあ兎に角、この荷台に乗るという場面があるってことは、実際にもやっていた人がいるってこと。100mとか200mとかの短い距離の話じゃない、長い距離の移動についてだよ。

*荷台にいる姿が はまっている感じ

実は、自分にもその経験があるんだ。もちろん、小さい頃のこと。小学2年生ぐらいの頃だったかな。

ある時、伯父夫婦が代沢の伯父の実家から、神奈川県の大船まで引っ越すことになった。伯父というのは、母親の兄にあたる人。距離にすれば片道で50㎞ぐらい。あの時、距離の感覚なんてあるはずがないけれど、けっこう長い時間乗っていた気がする。

さすがに高速なんかでは行かなかったよ。国道や県道だけ。荷台には祖父と2人だけ。荷台に乗っていこうか、祖父の一言で乗りこむことになった。自分の記憶が正しければ、はなかったと思う。が見えていたし、髪の毛がになびいていたからね。

*ひざ掛けまである 荷台乗車は当然?

都会じゃなければ、今もこんなことをやっているのかな?

引越のトラックには、引越主のお客様でさえも、助手席に乗せてもらえなくなったな。引越の仕事もしていたことがあるけれど、20年ぐらい前なら、まだ大丈夫だった。一緒に乗ることで、いろいろな話ができて、楽しかったのを覚えている。

お客様から差し入れをいただく前に、自分の方から、飲み物をいかがですか?なんて言って、クーラーボックスの中から選んでもらったりしてね。たった一日の関係でも楽しかったよ。

*さあ 楽しい時間のはじまりだ!

何でもかんでも、時代のせいにするつもりはない。当時と比較すれば、車の量も増えた。安全という点からすれば、荷台に乗り合う時代じゃない。ヘルメットでもすればいいかって、そんな冗談が通じる時代でもない。

仕事によっては乗り合うこともあるだろうけど、交通安全を守ることが一番大切だろう。

ただし、一つ言えることがある。「男はつらいよ」にしても「となりのトトロ」にしても、こういう荷台に乗るという場面がなかったら、映画の味も変わっていたってこと。

時代だけでは語れない、なにか温かいものがあったと思うんだ。

おおらかな時代だったよね。

*寅さんの笑顔 一座の笑顔 楽しいが一番大切

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田中邦衛さん、ありがとう!その2

映画「学校」。夜間中学を舞台にしている。

そもそも夜間中学って何?

簡単に言えば、公立の中学校夜間学級のことだ。

戦後に義務教育を終了できなかったような方たち。本国で義務教育を終了せずに、日本で生活を始めた外国籍の方たち。あるいは、不登校などの理由で十分に学校に通えなかった方たち。通う理由は様々。学びなおしの場の役割もになっている。

*教室で名馬オグリキャップを熱く語る

そんな生徒たちのひとりを、田中さんは熱演する。授業の途中でオグリキャップを語るイノさん。目の前で競馬を見ながら、実況中継をしているような雰囲気がすごい。

*先生の話を真面目に聞けと注意する
*親身になって教えてくれる先生に恋も

先生の話を真面目に聞けと、紙をまるめて頭をたたく。真面目なひとりの生徒として。親身になって教えてくれる先生に、恋心をわかせる。青春のあまずっぱい雰囲気を隠しきれない、純情な一面をさらけ出す生徒として。自分が中学生だった頃そのもの。

*文字一つ一つに 定規を当てて書いていく
*初めて出した手紙が無事についたことを心から喜ぶ

イノさんは字を書けなかった。だから、手紙を書いて送るって課題のために、文字一つ一つに定規を当てて曲がらないように書いていく。送る相手への誠実さがにじみ出る。その手紙が着いたことに、表情をくずして喜ぶ。田中さんはすでに中学生そのもの。

*思い通りにならなかった恋心に我を忘れ 説教される
*酔っぱらいの扱いで 外につまみ出される

先生に手紙は届いたが、想いは断ち切られた。抑えきれない感情を前に、オモニに殴られ説教される。さらには、店の大男にかかえられて、雨の中に放り出される。反抗的な中学生酔っぱらいのおやじを同時に演じる。その演技の迫力に圧倒される。

*病気がわかって入院 みんなの笑顔にかこまれる
*故郷山形に戻ることを願い 迎えの車の中 道の上

進行性の病気だとわかり入院する。イノさんは、人生で初めての幸せを感じたのかもしれない。やがて、故郷の山形に帰ることになる。その道中、東京を自分の目にやきつけていく。

このシーンを見ていると、いつか自分もこんなことになんて思いもする。ひとり身の自分にはなおのこと、なんど見ても胸にせまるものがあるんだ。東京が見納めだとわかっていたんだろうな。
そう思わせる演技だった。

*修学旅行ではしゃぐイノさん

イノさんは亡くなった。仲間の生徒たちの中で、修学旅行ではしゃぐイノさんが思い出される。心から楽しんでるって感じでしょう?演技が上手いってレベルじゃないんだよね。この人はこの時、本当に中学生だったんだ、自分は今もそう思っている。

この映画だけでも、語りつくせない田中さんがたくさんいる。頭の中に残る作品を語ったら、話を終われない。今日はとりあえず、ここまで。これ以上書くと、涙も止まらない。

田中邦衛さん、本当にありがとうございました。

そして長きにわたり、お疲れ様でした。

どうか、お浄土よりお導き下さい。

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田中邦衛さん、ありがとう!その1

田中邦衛さんが亡くなった。享年88歳。

昭和生まれの名優がまた一人、逝ってしまった。

自分にとっては、本当に大きな存在だった。寂しさを隠すことはできない。隠すことは逆に、失礼のような気がする。

*もはやデッキはないが テープだけは残してある

ドラマ「北の国から」の主題曲を繰り返し聴いていたら、涙が止まらなくなった。なんでこんなにも、親しみを感じるんだろう。田中さんならではの温かい演技を忘れられない

渥美清、三國連太郎、高倉健、菅原文太、他にもたくさんいた昭和の名優たち。映画の世界に彩りを与えてくれた名優たち。映画を見直して、思い出すことでしか、もう会えなくなってしまった。新しい作品は、二度と生まれてくることはない。

そんな中で、田中さんは脇役としてのイメージが強い。かの有名なドラマ「北の国から」では主役的な立場だったが、映画の中ではほとんど脇役だったと言ってもいい。それでも主役と同じくらいの存在感があったのは、一体なぜだろう。

*フジテレビ系で放映された 知る人ぞ知る名作

演技自体は地味そのもの。街中のどこにでも歩いているようなおじさん、そんな演技だった。その地味さが素晴らしかったんだ。その地味さが、普通に思えた。普通に思えるとういうことは、演技が美しいってことなんだと思う。

派手なことをしなくても演技が美しい。俳優の醍醐味ってこういうこと、自分はそう思うんだよね。

数々の賞を得た映画「学校」。監督は山田洋二。「男はつらいよ」シリーズをはじめとして、数々の名作を送り出した名監督だ。一昨年も、満を持して「男はつらいよ」第50作目を公開した。寅さんはいないが、吉岡秀隆が演じる満男の最後の言葉に、深く胸をうつものがあった。

*「学校」の中で 競馬を楽しむイノさんを演じた

その監督がバブル崩壊後に送り出した「学校」。この中での田中さんの演技は本当に素晴らしい。「学校」全体の流れも素晴らしいんだけども、田中さんのための映画じゃないかと思えたぐらいだ。その演技に見とれ、あらためて惚れこんだ。

どちらかと言えば「北の国から」は主役であるけれど、そうじゃない気もした。中心人物なんだけど、周囲の人間を盛り上げていくための存在に思えもした。

田中さんの演技は、きっと生き方そのものだったと思うんだよ。

勝手な想像なんだけど、作ってできる演技ではなかった気がする。もしそうだったとしたら、この方は神様だ。それぐらい自然だと感じられる演技だった。思い出すだけで、温かな気持ちになっていける。

*「学校」の中で 夜間中学の生徒として審判役を

その2では、この映画「学校」について話してみたい。

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心のありか。

*寅さんの笑顔が大好きだ!

映画、「男はつらいよ」。

言わずと知れた、この国が誇っていい国民的な映画

寅さんこと、渥美清さんが亡くなって久しい。

でも、このシリーズを見ない日がない。寅さんはいまでも、自分に話しかけてくれる。亡くなっても、その存在意義は大きい。

「男はつらいよ」はシリーズで、全50作にものぼる。もちろん1作目から順番に見るのが一番いい。

でも、何かを学ぶという点では、どの作品から見ても問題がないと思う。自分で切り取りたくなるところが、必ずあるはずだから。

*当時の映画のチラシ

今回は、第8作「寅次郎恋歌」から。

寅さんの妹さくら、そのさくらの旦那、博の母親が亡くなる。岡山でのお葬式に、旅先から寅さんも参列する

*腕に喪章をつけて焼香する寅さん

旅先だから喪服がないので、喪章をつけて飛び入り参加する。それを咎めるさくら。火葬中の待合室で自然とふざけてしまう。写真撮影ではいつもの調子でつい、「はい、笑ってぇ」「はい、泣いてぇ」の言葉が飛び出す。

*ついいつもの調子で…
*「はい、笑ってぇ」「はい、泣いてぇ」…

だけど、ここが寅さんのいいところ。

親族みなが帰った後に、商売の帰り道、独りになった博の父親を訪れる。寂しい思いをしているのでは、そう考えた上でのこと。そこで博の父に、説教めいたことを言われるのだが。感化されやすい寅さんは、その話を聞いて感動、柴又に戻っていく。

振られるたびに、あるいは喧嘩っ早いから、そのたびに寅さんの周りには騒動が絶えない。でも思うんだ。事が済めば仕事を理由に帰ってしまう親族と、父親を気遣う寅さん、一体どちらが人間らしいんだろうかって?

博の父親との談笑する寅さん

人にはそれぞれの理由があるから、一概に何が正しいとか間違っているとか、それは言えないし言ってはいけないだろう。

でも、説教していた博の父親が、寅さんと過ごして楽しくなかったとは思えない。自分がその立場なら、あり得ないと思う。迷惑だと言うさくらの心配とは逆に、心の中では感謝するだろうな。

寅さんのように、自然な形で相手の気持ちを思いやってあげたい。押しつけがましくするのではなく、相手の心に、そっと寄りそってあげたい。何よりも人として、いつもこういう気持ちでありたい。

こんなふうに思うのは、はたして自分だけだろうか。