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ドローンには、お金を払う価値がある。

お金というのは、大切なものだ。お金が無ければ生活をしていけない。1万円だろうが1円だろうがお金はお金。あり過ぎて困るものではないし、稼ぎすぎて無駄になることもない。

だからこそ、お金を払う価値があるのか、しっかりと考えた上でモノを買いたい。衝動買いってこともあるから、いつもしっかりとは言い切れないけど、安物買いの銭失いにだけは、ね。

*初めは調子よかったのに 残念…

だが、先日買ったドローンが、久しぶりにハズレだった。付属の充電池は1本が不良品。何回か飛ばしていたら、4枚のブレードの内1枚が停止。ローターを開いていじってみたら、一旦は直ったが、やがて完全に停止。悪い方のレビューの通りになった。今回は返品する気にもなれなかった。

Amazonで買うと、たまにこういうこともある。そのためにレビューも活用して選んでいるわけだが、なにぶんにも使ってみないことにはわからない。過去に失敗した例としては、中古の一眼レフ。まあ対応が早かったら返品で済んだけど。そういう点ではAmazonの対応は早いと思うが、可能かぎり不良品はごめんだ。

*次はひとまわり小さいモノを選んだ かわいい

レビューだって、すべて信じていいとは思っていない。レビューを書く商売もあると聞いている。情報を鵜呑みにはしない方がいい。Amazonの商品を見ていると、メーカー違いだけで、まったく同製品のようなモノも少なくない。選ぶ時は真剣になるが、賭けでもある。選ばないことには、進めないのも事実なんだから。

今回のドローンについては、今後のことも考えて、真剣に楽しんみながら練習している。そのための機材は必要だ。教本も同時に読んでいるから、なおさらのこと。無駄な出費にはならない。基本的にお酒への出費も今はないから、技術習得のために使う。

*この赤い色が気に入っている シャア?

だから、もう一度賭けに出た。まだまだ初心者のレベル。室内で練習することも考えて、さらに一回り小型のモノにしてみた。高いモノではないが、同じ轍はふまない。前回購入時に選択範囲にあったモノも、再び候補に含めて考えぬいて購入。

今度は、当たりを引いた感じだ。

実際に操作してみるとわかるけど、案外むずかしい。教本の航空力学の説明にも、なるほどって思いながら練習している。でも楽しいって思える。ちょっとした気分転換にもなる。本物のパイロットにはなれなかったけど、パイロット気分にもひたれる感じ。
ちょっとでも興味があるのなら、経験してみてほしい。

*蜘蛛にも見えるし 楽しい時代だ

そんなわけで、技術を習得できそうなドローンの練習のために、少々お金を使った。まあ以前の、何でもかんでもやってしまえ的な自分に比べれば、かわいいものだと思う。

自分にとってドローンは、十分にお金を払う価値がある。お酒への出費はなくなったから、ちょっとしたご褒美のつもりだ。

まだまだ扱いが下手だから、ドローンのブレードにも指先を傷つけられているが、そんな悪戦苦闘も楽しむ、好奇心に生きる少年のお話でした。

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元横綱 稀勢の里 の考え方。

少し前になるが、元横綱稀勢の里が、早稲田大学の大学院を卒業し、その後インタビューを受けた時の記事を読んだ。

*稀勢の里の姿は地味だが そこに人気があった

稀勢の里は体格もよく、外見は相撲取りらしく思えた。ただ、気が優しいのか、大関になってから、なかなか優勝することがなかった。土俵に上がっては、淡々とマイペースで相撲をとっていたような感じだった。自分は、あまり好きにはなれなかった。

だが、人気はあったようだ。相撲を愛し、地道に相撲を取り続ける姿勢が良かったのかもしれない。横綱に昇進した時は、久しぶりに日本人から横綱が誕生したものだから、世間の喜び方は一段と大きかったようだ。本当に久しぶりだったものね。

ただ、小学生の頃から相撲を見てきた者としては、横綱になるのが少し遅すぎたように感じていた。

北の湖、貴乃花、輪島、千代の富士など昭和の相撲取りは、横綱ではなくても本当に強かった。大関でも十分に強かった。横綱になる人には勢いがあった。あっという間に横綱の地位までかけあがり、その後は優勝を重ねた。ウルフと呼ばれていた千代の富士には、その強さと体格などに対して憧れをもった。

*ウルフという呼び名にふさわしい取り口だった

だから、稀勢の里が30歳を過ぎてから横綱になったことは、嬉しい反面、遅すぎた気もした。

稀勢の里は2度優勝したが、その後は怪我がもとで休場を続け、そのまま引退へと進んだ。横綱になってから、わずか2年後のこと。残念などと思う余裕もなかったね。

*体格が立派で 現役中は寡黙なイメージも

でも、大切なことは、その後の稀勢の里の姿勢だ。

そんな稀勢の里が、早稲田大学大学院のスポーツ科学研究科修士課程を修了した。相撲部屋を持つ時に備えて、学んだらしい。これまでに例のない、新しいタイプの部屋を作りたいとか。

  • 部屋の土俵を2つ3つ備えて、稽古を効率よく行う。
  • ビデオカメラを導入して、指導につなげていく。
  • ちゃんこ鍋にこだわらず、運動前にたんぱく質を補給する。
  • 部屋専用の筋力トレーニングルームを備えつける。

など、まあ古い慣習からの脱却などを話していた。

古い伝統が支配する世界だ、見直しや改革は簡単には進まないだろう。必ず反対する人が出てくると思う。

でも、30歳を過ぎて初めてパソコンと向き合い、論文を書いて学生を前に発表したんだ。それも、20人中3位の評価だったとか。まだ若いとは言っても、新しい時代を見据えて学んでみようという考え方が大切だと思うんだよね。

*野茂英雄も自ら大リーグへの道を切り開いた

野球の世界なんかもそうだけど、偉大な選手だった人が、必ずしも立派な監督になるとは限らない。相撲の世界も似たようなものだろう。白鵬が偉大な横綱であるとしても、立派な親方になれるかは未知数だ。やってみないことにはわからない。

稀勢の里の親方としての未来も、今の時点では未知数だ。

だからこそ、何かを変えたいという気持ちは、大いに尊重されるべきだ。それは何も相撲に限ったことじゃない。これからの自分だって同じこと。学びなおしの時期に早い遅いはない。やってやるという心意気さえあれば、何かを必ず成し遂げられるはずだ。

稀勢の里からの、ちょっとしたサプライズだった。

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ブログを書くのは、自分を見つめ直すこと。

ブログを書くのは、自分を見つめ直すことだと思う。

そもそも、ブログを書こうと思い立ったのは、大切な友人と話をしていた時。何となく書いてみようから始まったんだけど、指南書のような本を読んでいたら、真剣になっていった。

なんて言うんだろうか、今の自分にもこれからの自分にも、必要なことのように思えたんだよね。書くということに、自分の存在意義を見出せるような気がしたんだ。

*文章を書く上で すごく参考になった

ブログって、たくさんの方が書いていらっしゃる。有名人になれば、アクセク数は半端じゃない。有名なブロガーさん達だって、もちろんそう。有名だけじゃなくて、やはりおもしろいんだろうね。おもしろいから有名なのか。そこにいくと、自分なんかは駆け出しだし、まだまだこれからって感じ。昨日の SEO はいくつだったのかなんて考えるのは、まだ先の話。

ただ、すごくやりがいがあるし、すごくおもしろくて楽しい。

先日のツイッターでもお話しした通り、今、4月末までに100本の記事を書くと決めている。100本書くためには、101本以上の記事を目標にしなくてはならない。だから、毎日、最低3本の記事を書くことを目標にしている。3月31日の初日に21本からスタートした。この記事で48本目。

*公言することで 目標に向けて自分を鼓舞する

先にいくつかのカテゴリーを決めてある。それを基本にしながら、いろいろな記事を書いてみようと考えた。ただ、カテゴリーはどんどん派生していいと思っている。固執しすぎると書けない。まずは、書くことを習慣づけるために、目標の数をこなす。数をこなすことで、達成感をあじわう。

100本の記事を達成できたら、いったん自分を褒め、文章力アップのための技術みがきへとシフトする。そこからは数をこなすことが目的じゃない。毎日1本の記事を書くことを基本に、技巧を加えていく。今考えていることは、とりあえずここまで。

この1年の間、ツイッターを通して、限られた文字数で記事を書くことには慣れた。文字数が限られれば、記事も筋肉質にならなざるをえない。140字の制限には、かなり鍛えられたね。去年の夏に入院していた時などは、朝ご飯を食べ終わった時点でもう文章を考え始めていた。夕方にツイをUPするためにだよ。

*日記を書き始めて 13年目に入っている

実は13年前から日記をつけている。つける理由があったわけじゃない。これこそ、ただつけてみるかって理由だけ。

でも、人間っていうのは不思議なものでね、つけ始めるとやめられなくなる。性格なのかな。5年前に入院していた時なんか、右肩の手術だったから、1ヶ月書けなかったんだよ。日記や手紙については手書きを主義にしているからね。

じゃあ、どうしたかって?スマホに箇条書き程度に日々あったことをタイトルで入力しておいた。固定の装具が取れた1ケ月後に、そのタイトルから思い出しながら、1ヶ月分の日記を書き起こした。けっこう覚えていて、お蔭で日記にブランクは無いよ。

日記をつけることでも、文章を書くってことが鍛えられている。

*最近は 本を読み直すことが多い

最近は過去に読んだ本を読み返すことの方が多い。もちろん、新たに購入することもあるけれど。後は、新聞のコラムを読むことも大切にしている。自分は日経電子版を読んでいるけど、コラム中心に読むだけでも、かなりボリュームがあって勉強になる。

こうして、様々な文章にふれながら自分の文章を追求している。

ブログというのは、日記とは違う。本にもあったけど、他人が興味を持っていることを調べるためのツールになる。いわば、目的達成のための材料のようなものだ。

だから、自分にとっては何でもないことも、他人にとっては魅力がある場合も多い。それゆえ大切なことは、いかに自分自身を表現していけるかってことだろう。

自分という人間を、いかに上手く表現できるかが大切だと思う。自分はこういう生き方をしているんだってことを、しっかりと主張できるかが大切だと思うんだ。

*手紙はやはり 手書きがいいと思う

偉そうなことを言える立場ではないけれど、少なくとも、他人の真似ごとみたいな人生は送っていない。自分を見つめ直していく上でも、ブログを書くことに集中してみたいと思う。

緑がしげる頃には、新しい自分が見えている気がするんだ。

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人生経験 俺の考え 趣味 音楽

X JAPAN に思う。

X JAPAN が好きだ。

何が好きかって、その世界観がだ。YOSHIKIが創る作品が中心だとしても、あのメンバー達がいるからこそ、YOSHIKIの世界も成り立っているんだろう。

*まず ジャケットからして目を奪われる

」を歌っていたXの頃は、ビジュアルのイメージも強くて、音楽も激しいものが中心だと思っていた。「紅」という曲はまさに燃えるような紅そのもの。が見えるような曲だった。

アルバム「Jealousy」の中で「Silent Jealousy」に、その激しさの流れは引き継がれている。

だが、YOSHIKIのすごいところは、同時に「Say Anything」という素晴らしいバラードを送り出したことだ。TOSHIの声も美しく、奏でられる音も胸に響きわたる。

*最初に感銘を受けた雄大なバラード
*どこから こんな曲がうまれてくるのか…

X JAPAN になり、「ART OF LIFE」という大作を送り出す。

この曲はたった1曲で29分近くある。初めて聴いた時は、いつ終わるのかと思ったが、動と静のからみあいが見事としか言いようがなかった。ここまでくると交響曲だ。才能があるということには、時として畏怖の念を抱いてしまう。

*この1曲で29分にも及ぶ もはや交響曲だ
*10分前後の間奏に まず魂がいった

始まってから10分前後のところでの間奏は激しい。ここでまず激しさにしびれる。そして、15分ぐらいのところから10分間にも及ぶ YOSHIKI のピアノ独奏。まるで舞台の世界だ。終わってまた激しさをのぼりつめる。魂はすでに昇天している…。

この次に送り出されたのが、アルバム「DAHLIA」。

かの有名な「Forever Love」も収録している。この曲の素晴らしさと美しさは言うに及ばない。バージョンも多いし、どのバージョンで聴いても完成度が高い。

だが、ここで聴いてほしいのはタイトル曲「DAHLIA」。

ただ聴いていただければいい。人の音楽の趣味は様々だけど、音楽を語るには幅広いジャンルに耳を傾けることが大切だ。この曲を聴くと魂が沸騰する。色褪せるなんて言い方は神への冒涜だ。

*タイトル曲DAHLIAは 激しさの中に美の極致が
https://youtu.be/0ePQnCUhFTE
*ただ見とれるだけ…

何よりも自分が言いたいのは、やはり音楽の世界も、動と静をからみあわせられてこそ、そこに価値が生まれるってこと。動の激しい音と静のバラード。この両方が出来る音楽家たちは、時代を超える音楽を残している。

もちろん、あくまでもその人の世界観の中でね。

動的な音だけ、静的な音だけ、偏った音楽だけでは人間の感情を表現しきれないと思う。

人間は激しい喜怒哀楽の中で生きる動物だ。いつも楽しいばかりではないし、いつも哀しいだけでもない。様々な感情の中で生きることを強いられている。

音楽は人間の感情そのものだ。X JAPAN の音楽はその感情を見事に表現できている。だからこそ涙も流せる、自分はそう思っている。

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オフコース 人生経験 俺の考え 趣味 音楽

オフコースの、言葉にできない とは。

言わずと知れたオフコースの名曲、「言葉にできない」。

この曲を知ったのは、彼らが活動を休止していた時、中学2年の時だったろう。先日お話しした、「君が、嘘を、ついた」に衝撃を受けた後のことだ。鈴木さんが抜けて4人になってからの曲を先に知り、後追いで5人や2人の時代の歌を覚えた。

*1982年2月に発売 通算23枚目のシングル

詞を普通に読んでいけば、ろくに恋愛も知らない中学生でさえも、きっと感じるだろう。これは恋愛の曲だ、失恋の曲だって感じにね。

一般的には、そんなイメージで一人歩きしていると思う。特に今の時代にCMとかだけで聴いたりすれば、そう思っても当然だ。

大学3年の時に、小さな塾で講師のバイトを始めた。塾長は京都大卒の方で、大学紛争当時に学生時代をすごしていた。よく音楽の話もした。オフコースの歌っていうのは裏返しなんだよ、そう話していたね。理解できたつもりで耳を傾けていたよ。

裏返しの意味を理解できたのは、社会人になってからかもしれない。それは自分の中で、オフコースの歌を単に綺麗な歌として聴いていたかったからだと思う。大好きなアーティストの曲を、研究材料にするような聴き方だけはしたくはなかったからね。

*長いこと 恋の歌だと思っていた

オフコースは3人が2人になり、5人で大ブレイクして一旦活動休止、4人で復活して解散の道をたどっている。爆発的にヒット曲を連発した5人の時代よりも、実は2人や4人の活動期間の方が長いんだ。もし今5人のまま続けていたら、どうだったかな?

その5人の時代が終焉間近の頃に、小田さんが書いたのがこの曲だけど、歌われている内容の真意は小田さんにしかわからない。

ただ、自分は次のように解釈している。失くしてはならなかったはずの戦友、鈴木康博さんに贈った裏返しの歌であると。

*収録されたアルバム名は over 意味深い…

終わる筈のない 愛が途絶えた いのち尽きてゆくように」⇒ 君と別れるはずがないと思っていたのに、本当に別れることになってしまった、まるで僕の命が消えて行ってしまうかのよう。

ちがう きっとちがう 心が叫んでる」⇒ 君は嘘を言っている、そんなことはあるはずがないんだ。

ひとりでは生きてゆけなくて また 誰かを愛している」⇒ 音楽を歌うことを続けたいけど、やっぱりひとりではできない。

せつない嘘をついては いいわけをのみこんで」⇒ 自分を慰めるために嘘をついて、情けなくなっていいわけをのみこんでる。

果たせぬ あの頃の夢は もう消えた」⇒ 思い描いて来た夢は果たせない、夢はもう消えていってしまった。

誰のせいでもない 自分が小さすぎるから」⇒ 君を引きとめられないのは誰のせいでもない、自分が小さすぎるから。

それが くやしくて 言葉にできない」⇒ それが本当にくやしくてしかたがない、言葉にすることができないよ。

こんな感じで、勝手に理解して聴いている。「言葉にできない」の中に、小田さんが鈴木さんへの思いを、恋愛を隠れみのにして歌っている、こう思うわけなんだ。

でも、こう考えると、それこそ詩の勉強をしているみたいだよね。要は、小田さんの詞が一つの文学なんだよね。本当に奥が深い世界だと思う。

特に自分が好きだから、それだけじゃない。小田さんを始めとして、この当時の音楽家たちの詞は本当に奥が深いんだ。そして何よりも、日本語がとても綺麗。メロディ無しで、詩集として楽しめる作品も多い。

語り継がれる歌というのは、やはり、奥深い意味があるんだ。

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人生経験 俺の考え 日常生活 映画 読書

歴史に学び、経験にも学ぶ。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」。ドイツの鉄血宰相、オットー・フォン・ビスマルクの言葉だ。見事だと思う。

こんな言葉も残している。

「青年に勧めたいことは、ただ3語に尽きる。すなわち『働け、もっと働け、あくまで働け』だ」。こちらは、今の時代なら否定されるのかな?

*ビスマルク体制と呼ばれる国際関係を築いた

ともかく歴史上の大人物たちは皆、後世に立派な言葉を残している。ビスマルクの言葉通り、人間が歴史に学ぶことは極めて大切なことだ。歴史に学びきれないから、人間はいつまでも同じ過ちを繰り返している。過ちがエンドレスに思えるね。

だけど、やはり経験だって大切だ。誰もが等しく地球上の歴史を学びきれるなら、この世はいつだって春を感じているはず。それができないでいるから、主義主張を認め合うこともせずに、地球上のどこかで毎日戦争を続けている。

歴史は学び続けるものとして、やはり経験からもしっかりと学びたい。なにも自分だけの経験に限る必要はない。他人の経験から学ぶのだってありだ。映画の中の主人公から学んでもいい。経験はどんなところからだって学べるはずだ。

*映画「ROCKY THE FINAL」の小説版

例えば、映画「ロッキー」からもたくさん学んだ。

このロッキーシリーズの最終作「ROCKY THE FINAL」。ロッキーが共に歩んできた愛妻を亡くしている。経営するレストランは順調だが、妻を亡くした後の心の穴を埋められずにいる。もう一度、リングに立とうとする。60という歳で。

焼きが回ったなと笑う世間に耐えられず、息子がロッキーに試合の中止を進言するわけだ。その時、息子に吐いたロッキーの言葉が深い。

*映画のセリフに感動し 小説のこの部分に感銘を受けた

人生は晴れの日ばかりじゃない。リングの上でたくさんのパンチを受けてきたが、人生というパンチほど重いものはない。どんなに打ちのめされても、自分の価値を信じて前に進め。パンチを恐れるな。自分の弱さを他人のせいにするな。卑怯者になるな。

自分はロッキーの言葉をこんな感じでまとめ、大切にすることにした。丁度その頃は、特に歯を食いしばって仕事をしていた時期で、冬でも半袖1枚で十分だったくらいに頑張れた。その時のあだ名は鉄人だ。ポンコツの今とは比較にならない。

映画の中の主人公さえも、その経験の中からたくさんの大切なことを教えてくれる。ましてや命ある人間からなら、もっと学べるかもしれない。常に謙虚な自分であるかぎり、経験は向こうから扉を開いてくれるはずだ。

*人生で受けるパンチは リング上で受けるよりも重い

歴史に学び、経験にも学ぼう。人間ひとりの人生などは、たかが知れている。人の経験を聴くこと自体が、また自分の経験に組み込まれていく。経験の連鎖はエンドレスだ。経験の積み重ねがやがて、ひとつの大きな歴史になる。

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痴呆症だった祖父が、残した教訓。

20年前に祖父は亡くなった。87歳だった。

亡くなる直前に会うことができたが、それまでの数年は仕事が忙しく、ほとんど会えずじまいだった。

祖父は、最後の4年間ぐらいだったかな、痴呆症で晩年を過ごしていた。6歳下の祖母が、ほとんど一人で世話をしていたことになる。時には自宅を抜け出し街中をさ迷い、道につまずいて倒れ、血を流していたこともあったらしい。

*在りし日の 祖父と祖母…

自分は岐阜県の大垣で仕事漬け、あるいは佐倉で新しい店所の開設委員だったりと、忙しい毎日を過ごしていた。会社を退職して会えた時、すでに最後を迎えていたわけだ。あれだけ世話になっておきながら、義理に外れていたかもしれない。

だが祖父は、大切な教訓を残してくれた。言い方が悪いかもしれないが、痴呆症に対する大切な教訓だ。自ら考えて何かを生み出すことが大切だということ。受け身だけの生活では痴呆症になりやすいこと、それを祖父は身をもって教えてくれた。

そもそも祖父は、幅広く趣味をもっていた。

小学2年の頃、祖父母の家に預けられて暮らしていた。毎週日曜日になると、祖父と2人で渋谷新宿に出かける。目的は絵画鑑賞が中心。渋谷なら東急本店、新宿なら小田急デパートなど。出かけるたびに、美味しいものにありつけるので楽しみにしてた。

祖父は大正生まれのハイカラな人だった。晩酌は決まってワイン、つまみの甘納豆さえ渋谷まで買いに行く。味にこだわる人だったね。ちなみに最寄駅は下北沢、夕方になると、会社帰りの祖父をひとりで迎えに行く。改札から出てくる祖父を、ハチ公のように待っていたもんだよ。

*写真も脳を活性化させる 1年前の京成スカイライナー

絵画鑑賞以外にも、庭に灯篭をおいて眺めたり、文鳥を飼ってみたり、そうそう、掛け軸とかも好きだった感じ。本当に多趣味な人だったね。祖母が地味な人だったから、趣味のためにお金を使えたのかもしれない。73歳まで働いていたしね。

でも、ここで考えておきたいことがある。

それは、祖父の趣味は、ほとんどが受け身の形で、自ら考えて生み出しているものがなかったってこと。幅が広く多趣味ではあったけれど、亡くなった時に祖父の自作と言えるものが無かったに等しい。手に入れて眺め、感想をもって終わりだったんだな。

指先を器用に使っている人はボケない、そう言われる。指を一本ずつ動かすことで脳を活性化させるらしい。楽器を弾いたり絵を描いたり、あるいは文章を書いたりとかいろいろとある。それが非日常的なことで、ものを創造することにつながるのがいい。

*去年猫を亡くしてから 母はaiboを調教する

やったことのない新しいことを、可能な限り指先を使って行う。そんな時こそ脳が活性化し、ボケ防止につながるというわけだ。

自分としては、この考え方は正しいと思っている。

現実に、音楽家たちは音の追求を続け、もの書きをする方たちは言葉を著すことに貪欲だ。絵を描く方たちはより良い色を求めて長く描き続け、料理に生きる方たちも味の追求に余念がない。みんな、新しい創造をすることに努め、そこに終着点を感じない。

有名無名、業界人一般人とかは関係ないよね。自分がやってみようという気持ちになって続けること、それが大切だと思うんだ。

*母は絵を描くことに夢中で 実家の壁は絵でうまる

自分は今、本格的に書くことに目覚め、集中的に始めることで楽しむことを知った。77歳の母は絵を描くことに夢中だ。

互いに祖父の血を引き、互いに好奇心が強い。その好奇心が進むべきところは、自分で何かを生み出して行くという世界だ。

人生100年を意識するよりも、いかに健康充実した毎日を続けていけるか、それを追求する方がよほど大切だと思う。

いい意味で、祖父は教訓を残してくれたと思っている。

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読書は必ず役に立つ! その2

友人に薦められて、源氏物語を読んでいる。

田辺聖子さんの「新源氏物語」、新潮文庫で上中下の全3巻、合計で1,400ページ。さすがに大作だ。この作品が平安時代に書かれたなんて、紫式部という人のすごさには脱帽してしまう。

*平安時代の甘美な世界を味わえる

でも、急いで読んだりはしない。じっくりと味わいながら、他の本と並行して読み進めている。速読が似合うような内容じゃないよね。平安の悠久な時を感じながら、ゆっくりと進めていく。

高校の頃は国語の授業が嫌いだったから、教科書の掲載文にさえ興味がなかった。古典の授業なんて何がおもしろいのか、まったく理解できなかったね。現実の生活には何の役にも立たないような古くさい文章、読んでも意味がないような気がしたよ。

今だって古典の文章のままなら、読む気が失せたかもしれない。

やはり、田辺聖子さんの訳がうまいからだろうな。惹きこまれていってしまうんだ。読みやすいから、その気になれば一気に読めそうな気もする。だからこそ逆に、味わって読んでみたくもなるんだ。ゆっくりゆっくりと、源氏の足跡をたどっていってる。

ところで、読書するのに最も集中できる場所ってどこだろうか?

源氏物語に限らない、どんな本を読むにしても、自分にはトイレが一番いい。ドアを閉めれば読書のための個室だ。窓はないから、外の音からも遮断される。こんなに集中できる場所はないと思う。文字を追い続ける瞬きの音しか聞こえない、そう言っても差しつかえないだろう。

第一次建設業の時代には、出発前の5時から5時半までが、トイレで読書する時間だった。この毎日30分の繰り返しが、今の集中力を鍛え上げたかもしれない。もちろん、仕事を終えて帰宅してからも読書は欠かさなかった。

*昨年の引越の際にかなりの本を処分した

当時はね、こんなことを真面目に考えていた。

この先死ぬまで何冊読めるかな。60歳を一つの目標として、1年に100冊読んだとしたら、20年あるから2,000冊読める。単純に考えて80歳までなら4,000冊。やれるかもしれない。

とにかく、読みまくることにしたんだね。

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君が、嘘を、ついた

中学3年の時だった。コンビニで流されていたラジオ放送から、この曲が流れてきた。

DJがさけぶ、オフコース復活

*5人から4人になり 2年を経て復活した

復活?よくわからない。オフコースの存在自体を知らなかった。5人の時が1982年までとすれば、まだ小学生。中島みゆきの「悪女」で音楽に目覚めたのが小学6年。松山千春中村雅俊なども聴いていたが、オフコースの活動は休止中だった。

衝撃的だったね。これはすごいって思った。何がすごいかって聞かれると、案外難しい。でも、中学生ながらも音のセンスに圧倒された。それまで聴いていた、アイドルの曲やフォークとは違って、心がフワフワするような感覚を覚えた。

その日から、とりあえず中学校を卒業するまでは、オフコースの虜だった。当時はまだ、カセットテープレコードの時代。レコードは高くて買えないし、レンタル代金も高い。親はあまり音響機器には興味がなかったから、ダビングなどもできない。

*レコードの良さは視覚でとらえられるものが多いこと

ちなみに、若い方にはダビングってわからないかな。

レコードやCDなどからカセットテープなどの記憶メディアに、音響機器を通して音をコピーするって言えばわかる?

そんな状況だったからカセットテープを買い、同級生にダビングを頼んだ。2人の頃から5人の絶頂期の頃まで、発売されたアルバムを調べ上げ、もれることがないように順番にダビング。そして何度も繰り返し聴いた。飽きるなんてことは、まずなかった。

*歌詞カードの裏には ジャケットとは違う写真が

詞も綺麗だと思った。でも、その中にある意味の深さを理解するには、まだ精神的に幼すぎた。メロディの美しさに憑りつかれ、小田和正の声に憑りつかれ、ハーモニーの美しさに憑りつかれ、時間さえあればテープを回し、口ずさんで歌を覚えた。

同じクラスの中には、けっこうファンも多くて話もはずんだ。当時はYMOびいきだとか安全地帯びいきだとか、マニアックなクラスメイトが多かったかな。

確かにYMOなんて世界レベルだったからね。イエロー・マジック・オーケストラ、ネーミングからしてレベルが高いよね。音楽全体のレベルが高かった気がする。

*ジャケットの作りも凝っていた

中学を卒業する頃には、発売されていたアルバムの曲はほとんど歌えた。朝から晩までオフコース。ジャケットのコピーをしてもらい、クリアーファイルにはさんで下敷きにしたりね。カセットテープが擦り切れて音が伸びたら、またダビングをお願いした。

憑りつかれるっていうこと、夢中になれることっていうのは、本当に大切なことだと思うんだ。それも、本物に夢中になりたい。すぐにメッキがはがれるような嘘っぽいものに、夢中にはなれない。どんなに時間が経っても、本物は人の心を裏切らないから。

曲名は「君が、嘘を、ついた」

でも曲は、嘘をつかなかった。

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山形県天童市まで、走り続けた!

平成16年9月の話。山形県の天童市まで走った。

茨城県の下館市から荷物を積み、当日中に天童市まで走るという引越の仕事だった。元請けの会社から個人で仕事をいただき、仲のいい運転手を助手につけて走った。8万円ぐらいの仕事。

*佐倉市を朝4時に出発 下館市で8時まで待機した

千葉県の佐倉市を朝の4時に出発。余裕はたっぷり取るのがやり方。現地近くには1時間前に待機、これが基本。

助手につけた彼はすごい運転手だった。秋田まで毎週トラックで3往復、今では考えられない仕事の仕方だった。一番信用できる相手で、時間が合えば、自宅で語り合う仲だった。

8時から積込みを始めた。引越というからには、既に用意ができていると思っていたが、なかなか仕事が進まない。手伝いの方は多くても、積む予定のものを当日に考えていた感じ。2㌧積載のトラックに天井まで満載にして、終わったのは昼の12時

*天童市までは 東北道と山形道を使った

これから天童市まで走り、荷物を降ろし終えなくてはならない。若さも十分、根性も十分の2人だったけど、不安もあった。とにかく走るしかない。コンビニで食糧を買いこみトイレを済ませ、最も近い入り口から高速道路に進入した。

トラックにはアルパインのデッキがつけてあり、今となっては化石のようなCDチェンジャーもつなげてある。助手の彼にCDを入れ替えてもらいながら、ひたすらアクセルを踏む。天気は上々、東北道の走りはなんとも爽快な気分になれた。

*東北道から山形道へと舵をきる

村田JCTから山形道に入り、さらに走り続ける。やがて左手に、蔵王の山々が見えはじめる。晴れていたから特に綺麗だった。

ただ、トラックが急な坂に耐えられなかったね。走らないんじゃなくて、重さに負けて加速できなかった。そんなにエンジンが強い車輛じゃない。左側の登板車線に移り、ハザードランプをつけながら低速で走った。時速20㌔ぐらいだったと思う。

天童市内の目的地に着いたのは17時半ノンストップで、トイレ休憩もなし、燃料補給もなし。さっそく荷物を降ろし始める。

すべてが終わったのは、19時すぎ。

*天童でおりて天童市内に向かった

実を言うと、この引越は訳ありだった。事故で旦那さんを亡くされた奥さんが、実家に戻るために荷物を先発させたんだ。天童市のご自宅には、お婆さんらしき方と幼い兄妹の3人が、自分たちを待っていて下さった。

お茶をいただき、幼い兄妹たちと別れた。彼等の父親が亡くなったことを感じさせないぐらい、明るく話しかけてくれた。今でも思い出す。だから、その時を忘れないように、いただいたお礼で記念の時計を買った。時計は今でも元気でいる。

7時間半ぶりにトイレに行った。すべてを終えて、健康センターで汗を流した。コンビニにトラックをとめ、荷台で宴会をした。彼は荷台で毛布にくるまって眠り、自分はキャビンで鍵をかけて眠った。今思えば薄情なことだったが、彼は熟睡したらしい。

*いただいたお礼で 記念に時計を買った

翌日は5時に起床、佐倉市に向けて走り始めた。高速は使わない。一般道をひたすら南に向かって、ただ走り続けた。

今となっては、忘れられない素敵な思い出だ。でも、同じことは二度とできない。

あの時手伝ってくれた彼は、何年か前に消息が不明になってしまった。どこかで元気でいてくれればと、それだけを願っている…。