カテゴリー
人生経験 俺の考え 日常生活 映画 男はつらいよ

おおらかな時代だった。

映画「男はつらいよ」第8作、「寅次郎恋歌」の最後の場面。

おおらかな時代を感じない?

*旅の一座がトラックの荷台から宣伝活動を

寅さんが旅の途中で、以前会った旅の一座と再会するところだ。一座は、トラックの荷台に乗りこんで宣伝の途中。寅さんと、偶然に居合わせたって感じ。一座が勧めるままに、寅さんも荷台に乗り込んで、一座との楽しい時間を過ごすって寸法。

荷台に乗っていると言えば、映画「となりのトトロ」の冒頭、さつきとめいの2人が荷台にいた。三輪トラックの荷台の上、引越荷物の間にいるわけだ。警官がいると思ったさつきがめいに隠れてと言う。この頃でも、合法ではなかったってこと?

まあ兎に角、この荷台に乗るという場面があるってことは、実際にもやっていた人がいるってこと。100mとか200mとかの短い距離の話じゃない、長い距離の移動についてだよ。

*荷台にいる姿が はまっている感じ

実は、自分にもその経験があるんだ。もちろん、小さい頃のこと。小学2年生ぐらいの頃だったかな。

ある時、伯父夫婦が代沢の伯父の実家から、神奈川県の大船まで引っ越すことになった。伯父というのは、母親の兄にあたる人。距離にすれば片道で50㎞ぐらい。あの時、距離の感覚なんてあるはずがないけれど、けっこう長い時間乗っていた気がする。

さすがに高速なんかでは行かなかったよ。国道や県道だけ。荷台には祖父と2人だけ。荷台に乗っていこうか、祖父の一言で乗りこむことになった。自分の記憶が正しければ、はなかったと思う。が見えていたし、髪の毛がになびいていたからね。

*ひざ掛けまである 荷台乗車は当然?

都会じゃなければ、今もこんなことをやっているのかな?

引越のトラックには、引越主のお客様でさえも、助手席に乗せてもらえなくなったな。引越の仕事もしていたことがあるけれど、20年ぐらい前なら、まだ大丈夫だった。一緒に乗ることで、いろいろな話ができて、楽しかったのを覚えている。

お客様から差し入れをいただく前に、自分の方から、飲み物をいかがですか?なんて言って、クーラーボックスの中から選んでもらったりしてね。たった一日の関係でも楽しかったよ。

*さあ 楽しい時間のはじまりだ!

何でもかんでも、時代のせいにするつもりはない。当時と比較すれば、車の量も増えた。安全という点からすれば、荷台に乗り合う時代じゃない。ヘルメットでもすればいいかって、そんな冗談が通じる時代でもない。

仕事によっては乗り合うこともあるだろうけど、交通安全を守ることが一番大切だろう。

ただし、一つ言えることがある。「男はつらいよ」にしても「となりのトトロ」にしても、こういう荷台に乗るという場面がなかったら、映画の味も変わっていたってこと。

時代だけでは語れない、なにか温かいものがあったと思うんだ。

おおらかな時代だったよね。

*寅さんの笑顔 一座の笑顔 楽しいが一番大切

カテゴリー
俺の考え 映画 趣味

田中邦衛さん、ありがとう!その2

映画「学校」。夜間中学を舞台にしている。

そもそも夜間中学って何?

簡単に言えば、公立の中学校夜間学級のことだ。

戦後に義務教育を終了できなかったような方たち。本国で義務教育を終了せずに、日本で生活を始めた外国籍の方たち。あるいは、不登校などの理由で十分に学校に通えなかった方たち。通う理由は様々。学びなおしの場の役割もになっている。

*教室で名馬オグリキャップを熱く語る

そんな生徒たちのひとりを、田中さんは熱演する。授業の途中でオグリキャップを語るイノさん。目の前で競馬を見ながら、実況中継をしているような雰囲気がすごい。

*先生の話を真面目に聞けと注意する
*親身になって教えてくれる先生に恋も

先生の話を真面目に聞けと、紙をまるめて頭をたたく。真面目なひとりの生徒として。親身になって教えてくれる先生に、恋心をわかせる。青春のあまずっぱい雰囲気を隠しきれない、純情な一面をさらけ出す生徒として。自分が中学生だった頃そのもの。

*文字一つ一つに 定規を当てて書いていく
*初めて出した手紙が無事についたことを心から喜ぶ

イノさんは字を書けなかった。だから、手紙を書いて送るって課題のために、文字一つ一つに定規を当てて曲がらないように書いていく。送る相手への誠実さがにじみ出る。その手紙が着いたことに、表情をくずして喜ぶ。田中さんはすでに中学生そのもの。

*思い通りにならなかった恋心に我を忘れ 説教される
*酔っぱらいの扱いで 外につまみ出される

先生に手紙は届いたが、想いは断ち切られた。抑えきれない感情を前に、オモニに殴られ説教される。さらには、店の大男にかかえられて、雨の中に放り出される。反抗的な中学生酔っぱらいのおやじを同時に演じる。その演技の迫力に圧倒される。

*病気がわかって入院 みんなの笑顔にかこまれる
*故郷山形に戻ることを願い 迎えの車の中 道の上

進行性の病気だとわかり入院する。イノさんは、人生で初めての幸せを感じたのかもしれない。やがて、故郷の山形に帰ることになる。その道中、東京を自分の目にやきつけていく。

このシーンを見ていると、いつか自分もこんなことになんて思いもする。ひとり身の自分にはなおのこと、なんど見ても胸にせまるものがあるんだ。東京が見納めだとわかっていたんだろうな。
そう思わせる演技だった。

*修学旅行ではしゃぐイノさん

イノさんは亡くなった。仲間の生徒たちの中で、修学旅行ではしゃぐイノさんが思い出される。心から楽しんでるって感じでしょう?演技が上手いってレベルじゃないんだよね。この人はこの時、本当に中学生だったんだ、自分は今もそう思っている。

この映画だけでも、語りつくせない田中さんがたくさんいる。頭の中に残る作品を語ったら、話を終われない。今日はとりあえず、ここまで。これ以上書くと、涙も止まらない。

田中邦衛さん、本当にありがとうございました。

そして長きにわたり、お疲れ様でした。

どうか、お浄土よりお導き下さい。

カテゴリー
俺の考え 映画 趣味

田中邦衛さん、ありがとう!その1

田中邦衛さんが亡くなった。享年88歳。

昭和生まれの名優がまた一人、逝ってしまった。

自分にとっては、本当に大きな存在だった。寂しさを隠すことはできない。隠すことは逆に、失礼のような気がする。

*もはやデッキはないが テープだけは残してある

ドラマ「北の国から」の主題曲を繰り返し聴いていたら、涙が止まらなくなった。なんでこんなにも、親しみを感じるんだろう。田中さんならではの温かい演技を忘れられない

渥美清、三國連太郎、高倉健、菅原文太、他にもたくさんいた昭和の名優たち。映画の世界に彩りを与えてくれた名優たち。映画を見直して、思い出すことでしか、もう会えなくなってしまった。新しい作品は、二度と生まれてくることはない。

そんな中で、田中さんは脇役としてのイメージが強い。かの有名なドラマ「北の国から」では主役的な立場だったが、映画の中ではほとんど脇役だったと言ってもいい。それでも主役と同じくらいの存在感があったのは、一体なぜだろう。

*フジテレビ系で放映された 知る人ぞ知る名作

演技自体は地味そのもの。街中のどこにでも歩いているようなおじさん、そんな演技だった。その地味さが素晴らしかったんだ。その地味さが、普通に思えた。普通に思えるとういうことは、演技が美しいってことなんだと思う。

派手なことをしなくても演技が美しい。俳優の醍醐味ってこういうこと、自分はそう思うんだよね。

数々の賞を得た映画「学校」。監督は山田洋二。「男はつらいよ」シリーズをはじめとして、数々の名作を送り出した名監督だ。一昨年も、満を持して「男はつらいよ」第50作目を公開した。寅さんはいないが、吉岡秀隆が演じる満男の最後の言葉に、深く胸をうつものがあった。

*「学校」の中で 競馬を楽しむイノさんを演じた

その監督がバブル崩壊後に送り出した「学校」。この中での田中さんの演技は本当に素晴らしい。「学校」全体の流れも素晴らしいんだけども、田中さんのための映画じゃないかと思えたぐらいだ。その演技に見とれ、あらためて惚れこんだ。

どちらかと言えば「北の国から」は主役であるけれど、そうじゃない気もした。中心人物なんだけど、周囲の人間を盛り上げていくための存在に思えもした。

田中さんの演技は、きっと生き方そのものだったと思うんだよ。

勝手な想像なんだけど、作ってできる演技ではなかった気がする。もしそうだったとしたら、この方は神様だ。それぐらい自然だと感じられる演技だった。思い出すだけで、温かな気持ちになっていける。

*「学校」の中で 夜間中学の生徒として審判役を

その2では、この映画「学校」について話してみたい。

カテゴリー
アニメ 俺の考え 日常生活 趣味

ガンダムは、スポ根の延長か?

*ガンダムに関する書籍は数限りない

機動戦士ガンダム。

これは、巨大ロボット隆盛の時代に、彗星のごとく現れた新しいロボットアニメの形だった。そして、劇中の人間関係は人間味があふれている。巨人の星やアタックNo.1のような、スポ根の延長にあったような気もする。

ガンダムはこの国で、あるいは世界で、最も有名なロボットではないかと思う。その機動力については、言うに及ばない。戦闘マシーンとしては劇中で常に進化を遂げ、その豊富なデザインはガンプラを常に進化させている。

子供の頃のガンダムブームはすごかった。映画3部作が上映された頃から、ガンプラを求めてモデルセンターは列ができた。並んだってその場で買えるわけがない。みんな、予約するためにも並んでいた気がする。

どちらかと言えば、自分はあまり興味がなかった。天邪鬼というわけではないけれど、宇宙戦艦ヤマトの方が好きだったのかもしれない。かえって大人になってからの方が、深く興味が湧いた。

ガンダムシリーズはかなり派生している。その時代に合った作品になっているのも魅力だ。

だが、自分にとっての一番をつけるとしたら、やはり、ファーストガンダムだろう。アムロとシャアが中心の世界だ。これに続くZガンダムガンダムZZ、そして映画「逆襲のシャア」。ファーストの流れが一番好きだ。

そもそもガンダムの世界観は、子供が簡単に理解できるとは思えない。富野由悠季監督の考えていたことは、かなり深いと思う。

*この時アムロは15歳 人生で初めての平手打ち

現代版のガンダムの中では、大人が子供を叱るのに手を上げることがあまり、いやほとんどない。アムロがブライトに殴られるこのシーン、間をおいて2回平手打ちされている。

タイムリーにガンダムを見ていた時、このシーンを否定する人はいなかったと思う。殴られるシーンは、ごく自然に劇中におりこまれていた。見る側もそれを普通に見ていた。

たくましい女性陣もたくさん出演するけれど、連邦軍に身を寄せるシャアの妹のセイラは、第1話でカイを殴って説教をする。そのシーンも、自然な形で受け入れていた。

結局、スポ根って言うか、大人が子供を叱る時には、殴るという過程が当たり前だったんだ。殴ることで気づかせ、殴られることで気づいたんだ。それが、大人にも子供にもできたんだ。

殴るっていうのは暴力とは違う。そこを間違えてはいけない。

自分の父親にしてもそうだけど、大人たちはきちんと殴る加減を知っていた。殴るべき時も知っていたんだ。子供にすれば、その時は?であっても、後日大人になって、理解し感謝すらできた。

ブライトはアムロに言う。殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか、と。

この時のアムロは15歳でブライトは19歳、セイラは16歳でカイは17歳だった気がする。未成年が未成年を殴って、生き延びようと戦っていたわけだ。すごいよね。平和な今では考えにくい。でもこのシーンがないと、ファーストの世界観は成り立たない。

*幼馴染のフラウの方が ずっと大人に思えた

殴るということを肯定しているわけじゃない。時と場合によっては必要だということ。この後のアムロは、戦闘で目覚ましい活躍をした。でもまだ甘える。その後も殴られ、先輩の死によって本当の成長を遂げていく。逆襲のシャアの頃は、ブライトとの信頼関係は絶対的なものになっていた。

ガンダムがスポ根の延長にあったと思うのは自分の考え。

ただ殴られることによって、殴られる痛みを知る。殴られる痛みを知れば、簡単に人を殴ることはできない。殴られることによって、気づきを得ることも多い。気づきを得れば、人は成長する。

頭ごなしに殴るという行為を否定せず、ガンダムでも見て学んでほしい。ガンダムを見るだけでも、人は成長すると思っている。

カテゴリー
俺の考え 日常生活 趣味

ホームセンターの工夫。

これ、わかります?

ペダルを踏みこむと、液体が出るようになっているんだ。

*ペダルを踏みこむと プッシュされて液体が出る

ホームセンターの方が制作したのかどうか、そこまで聞いたりはしなかった。入り口ですぐに目にはいってきた。ペダルを踏んで液体を手にのせて思ったことは、良くできてるってことだ。

自分は特にDIY、すなわち Do it Yourself 、趣味的な大工さんをしているわけじゃない。でも、いろいろと工夫して作ることは大好きだ。部屋のデスクも実は、過去の引越作業の時に、お客さんが捨てるのをいただいてきた。

仲間に聞いたら、元の値段はかなり高いっていうもんだから、じゃいただいちゃおうって感じでね。ガッチリしていて出来がいいし、背中側に細工をして長く愛用することにもなっている。

*この右側の机 いまだに愛用している元廃棄物

話が飛んだ。まあそんなわけで、ゴミからでも工夫をしようって考え方、工夫に対する好奇心をもちあわせているつもり。

この手作りのプッシュマシン、簡単に作れるようだけど難しい。特に細かい調整ができるわけではなさそう。となれば、この大きさのボトルのためだけに作られたと見ていい。

強く踏まないでくださいって、注意書きがあった。頑丈そうに見えても、適度な力でってこと。ただ一番のポイントは、液体の出る量だ。ワンプッシュで適当な量が必要。

大人の手にも子供の手にも、ちょうどいいぐらいの量って、案外難しい。少なすぎればワンモア、多すぎれば手に余る。

*素直に よくできているなって感心した

手にのった量は多すぎず少なすぎず、まさに適量だった。子供の手なら多すぎるかもしれないが、子供は手でもむことを楽しむかもしれないから、これでいいと思えた。

プッシュ部分を上部の木が下げる間隔を、良く計算してあるんだ。ホームセンターならではだね。この手のお店には、DIYが好きな人も多いんだろうな。

手作りの醍醐味があった。機械が計算して、3Dプリンターで作られているとは思えない。それも時代の流れではあるけど、手作りの良さってあるよね、やっぱり。

カテゴリー
俺の考え 日常生活 趣味

車の個性が、見えない。

ホームセンターに買い物に行ったら、懐かしい車が目にはいった。バブル経済崩壊前後、1990年代の初めの頃にデビューした、トヨタの車。両側に、ガルウィングを備えたセラだ。

*上に向かって跳ね上がるドア

ガルウィングっていうと、子供の頃に憧れたスーパーカー、ランボルギーニー・カウンタックを思い出す。もちろん、ガルウィングを備えた車は、他にもいくつかある。

だが、スーパーカーブームの時代だ、カウンタックの存在は大きかった。平べったいフォルムのボディから、ドアが空に向かって跳ね上がる。カッコ良かった!

それをトヨタが採用して、一般大衆車として世に送り出してきた。いろいろな形の車がデビューした時代だ、新しい車種には興奮したね。スバルのアルシオーネSVX、三菱のGTOなど様々。

バブル経済が許していたのかもしれない、メーカーが様々な車に挑戦することを。車の話題に尽きない時代だったし、雑誌やカタログを見ているだけで興奮していた。F1も大盛況の時代だ。

*スバルのアルシオーネSVX ジウジアーロのデザイン
*三菱のGTO 横幅があってデカかった!

とにかく、車1台1台に個性があった。車の名前の数だけ、個性が存在した。だから、新車が出る日が待ち遠しかった。ネット検索なんて存在しない時代、車雑誌が情報源。後はショールームで見るか、街中で見かけるまで待つか、そのどちらかだった。

そんな時に、このセラがデビューしたんだ。

*この頃 丸みをおびたデザインが出始めていた

久しぶりに見かけて興奮した。持ち主さんに頼んで、写真を撮らせて頂いた。買ったばかりの植物用の肥料を積んでる最中でね、開けていた左側は手で支えていないと落ちて来るとか。

作業中にもかかわらず、わざわざ運転席側を跳ね上げてくれた。時間をとりすぎてはいけないから、急いで3枚ほど撮ってお別れした。持ち主さんと車の両者と。

*かわいくて個性的だった

写真を撮っている時の、嬉しそうな笑い方がとても気持ち良かった。ものを大切にする人達の愛着は、どんなものに対してでも深いものがある。この車のように、2度と生み出されないような個性をもつものに対してなら、なおいっそうのことだろう。

車の形が好きだから乗ってみたい。その車に乗りたいから免許が欲しい。そんな興奮をもたせてくれる車を、見つけられない。

今、車の個性が見えなくなっている。

カテゴリー
俺の考え 日常生活 映画 男はつらいよ 趣味

心のありか。

*寅さんの笑顔が大好きだ!

映画、「男はつらいよ」。

言わずと知れた、この国が誇っていい国民的な映画

寅さんこと、渥美清さんが亡くなって久しい。

でも、このシリーズを見ない日がない。寅さんはいまでも、自分に話しかけてくれる。亡くなっても、その存在意義は大きい。

「男はつらいよ」はシリーズで、全50作にものぼる。もちろん1作目から順番に見るのが一番いい。

でも、何かを学ぶという点では、どの作品から見ても問題がないと思う。自分で切り取りたくなるところが、必ずあるはずだから。

*当時の映画のチラシ

今回は、第8作「寅次郎恋歌」から。

寅さんの妹さくら、そのさくらの旦那、博の母親が亡くなる。岡山でのお葬式に、旅先から寅さんも参列する

*腕に喪章をつけて焼香する寅さん

旅先だから喪服がないので、喪章をつけて飛び入り参加する。それを咎めるさくら。火葬中の待合室で自然とふざけてしまう。写真撮影ではいつもの調子でつい、「はい、笑ってぇ」「はい、泣いてぇ」の言葉が飛び出す。

*ついいつもの調子で…
*「はい、笑ってぇ」「はい、泣いてぇ」…

だけど、ここが寅さんのいいところ。

親族みなが帰った後に、商売の帰り道、独りになった博の父親を訪れる。寂しい思いをしているのでは、そう考えた上でのこと。そこで博の父に、説教めいたことを言われるのだが。感化されやすい寅さんは、その話を聞いて感動、柴又に戻っていく。

振られるたびに、あるいは喧嘩っ早いから、そのたびに寅さんの周りには騒動が絶えない。でも思うんだ。事が済めば仕事を理由に帰ってしまう親族と、父親を気遣う寅さん、一体どちらが人間らしいんだろうかって?

博の父親との談笑する寅さん

人にはそれぞれの理由があるから、一概に何が正しいとか間違っているとか、それは言えないし言ってはいけないだろう。

でも、説教していた博の父親が、寅さんと過ごして楽しくなかったとは思えない。自分がその立場なら、あり得ないと思う。迷惑だと言うさくらの心配とは逆に、心の中では感謝するだろうな。

寅さんのように、自然な形で相手の気持ちを思いやってあげたい。押しつけがましくするのではなく、相手の心に、そっと寄りそってあげたい。何よりも人として、いつもこういう気持ちでありたい。

こんなふうに思うのは、はたして自分だけだろうか。

カテゴリー
俺の考え 日常生活 読書 趣味

読書は必ず役にたつ! その1

本を読むのが大好きだ。生きていく上で、本が役に立つ場面が多いことは間違いない。

とは言っても、以前みたいに、読んだ本の数に執着するような、読書の仕方はしていない。今はもっぱら、気に入った本の再読にこだわっている。

*繰り返し読む 愛読書の一部

それでも、やはり地道に読んではいる。読めば読むほどに、本の魅力にとりつかれていく。本は、自分の知らない知識を、作者が経験談として語ってくれる。それもコンパクトにわかりやすく!

だから読む側は、得しているんだと思った方がいい。

読み進めていくうちに、自分にとって役に立つと思えることが、必ずあると思うんだ。少なくとも自分にはあった。それも少しじゃない、抱えきれないほどたくさんだ。

*ブログを立てるために 文章力も高めたい!

高校の頃は、ほとんど本を読まなかった。きっと、そのせいだと思う。国語の成績が悪いなんてもんじゃない。5段階評価ではの常連者。英語の成績が悪いって言うのなら、世界共通語と言ったって他国の言語だからね、まあ仕方がないとも思う。

でも、自国の言語の成績が悪いなんて、やはり恥ずかしいことだよね。当時はあまり深く考えていなかった。他の教科の成績も悪くて、出来の悪さが平均化していたからね。

古典とかは別としても、なんであそこまで成績が悪かったんだろう。思い返すたびに苦笑いも。試験の時の、この登場人物は何を考えているんでしょう?なんて問いには、答などまったく浮かばない。文章の読み方がわからない。問題文さえ?の状態。

読書の習慣って、やはり大切なんだと思うよ。

読書を繰り返すことで、文章の前後の流れがスムーズに頭に入って来る。登場人物の考えていることを、予想しながら読むことができる。登場人物の考え方によりそうこともできる。

*友人のお薦め 田辺聖子さんの新源氏物語

そうなれば、しめたものだ。好奇心が、読書のペースをどんどん上げてくれる。あの頃、こんな気持ちであれたら、国語の成績ももう少し良かったと思う。今だからこそ、言えるんだけどね。

量をこなすのもいいし、同じ本を何度読むのでもいい。

要は、自分にとって必要だと思える本を見つけること、これが一番大切じゃないかな。自分にとって大切なら、何度でも読みなおすでしょう?読み直すことで愛着も湧く。愛着が湧けば、本の楽しさを知って、もっと多くの本を読みたくなる。最高の瞬間だ。

カテゴリー
俺の考え 日常生活 趣味 音楽

音楽は生きるための、最高の食事。

*オフコースに夢中だった自分のために母親が

音楽なしの生活を、あなたは想像できますか?

自分には絶対にできないよ、断言してもいい。

音楽がなかったら、暗闇を手さぐりで這いずるようなものだ。

音楽は生きるための、最高の食事だと思っている。

様々なジャンルの音楽があるけれど、何を聴いたっていいんだ。自分が聴きたいと思う音楽に、じっくりと耳を傾けて味わえばいい。自分のにふれた時、音楽は絶大な力をもつことになる。

もし、ラジオから一曲も音楽が流れてこないとする。DJがずっと話だけしているんだ。どんな世界になるんだろう?

*ラジオでふれた岡村孝子の優しい声

想像するだけでも、暗闇をさまよいそうだ。1時間枠のプログラムだとして、放送されている間、延々と話し続けることになる。DJの声だけしか聞こえない、こわい…。CMが流れる瞬間を、待ちわびるかもしれない。本末転倒だね、それじゃ

でも、そのCMにも音楽が流れなかったとしたら…。

こんなことを想像してみるだけ、時間の無駄だよね。

それだけ音楽は、人間の生活の一部になっている。毎日毎月毎年、たくさんの音楽が生まれる。新しく生まれた音楽の中には、必ずと言っていいほど、自分が気に入る曲もある。

そして何よりも、音楽に目覚めたころからずっと、自分を支えてきてくれた曲もあるはずだ。その曲は、どんなに新しい曲が生まれてきたとしても、自分の中ではゆるぎない地位を築いている。最後には必ず、その曲を聴きたくなる。言わば、人生の一曲だ。

そういう曲が、あなたにもあるだろうか?

*今 この歌詞は いっそう心に響く

自分にとっては、この一曲。

オフコース の「NEXTのテーマ~僕等がいた」。

生涯にわたって欠かせない、自分にとっての最高の食事。

カテゴリー
人生経験 仕事 俺の考え 日常生活

初めて働いたのは、巨大な運輸会社!

平成5年、西暦にすれば1993年の4月、岐阜県大垣市に本社をおく、西濃運輸株式会社の社員になった。

*西濃運輸のボンネットトラック型チョロQ

大学の就職活動では、ほとんど運輸会社だけを回った。なぜそうしたのか、正直言って明確な答え方ができない。在学中のバイトが、特に1年と2年の時には肉体労働が中心だったから、自然と自分の中でそれを求めていたのかもしれない。

いくつかの運輸会社を回っているうちに、西濃運輸さんだけがスムーズに最終面接まで進んで行った。そのままの流れで、6月には翌年の就職先が決まっていた。その時は素直にうれしかった。

でも恥ずかしい話、本社が大垣にあることを知らなかった。面接がすべて東京の浜町だったから、そこを本社だと思い込んでいたんだ。面接がスムーズに進み過ぎたことに加えて、今思えば、就職活動自体に真剣さが足りなかったのかもしれない。

不真面目だったなんて、そんなことは決してない。まだ深く世間をわかっていない学生だとしても、活動自体の大変さはよくわかっていたよ。日本の世の中はバブル経済がはじけたばかりで、新卒と言えども、就職は大変な時代に入りつつあったんだから。

それでも、スムーズに最終面接が通ってしまったものだから、それ以上は詳しく調べるつもりはなかった。就職活動自体は終了。残り半年は2つの単位のために通学、後はバイトで春を待った。

4月1日の入社式は、大垣で行われた。前日、千葉県八千代市から京成電車に乗り、青春十八きっぷを使ってJRを乗り継ぎながら大垣に向かった。合計で約10時間かかったと思う。

*大垣駅周辺は 今もあまり変わっていない

会社は赴任手当として、交通費の全額を支給してくれるはずだった。そこを、あえて青春十八きっぷを使い、各駅と快速だけで大垣に向かったのはなぜか?

自分の中にあった旅をしたいという気持ちと、会社の負担を減らしたいという気持ちの2つからだったかな。

笑えるよね。まだ、入社式もすませてなかったのに、すでに愛社精神みたいなものをもっていたんだから。でも本人は、いたって真剣だったよ。とにかく無事に大垣について、めでたく入社することができたってわけ。