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松下幸之助から、今も学びきれていない。

自分は、松下幸之助という大人物から、直接学んだわけではない。関係する会社で働いたわけでもない。よくあるように、巷にあふれている氏にかかわる書籍を多く読んで学んだだけ。

正直に話せば、手元に残る氏の書籍は「道をひらく」「続・道をひらく」の2冊だけ。残りは昨年の引越の際、すべて処分した。

*この2冊は 絶対に手放せない

読める時にかなり読んだつもりだが、結局この2冊に収まった。いや収まったというよりも、特にこの2冊が大切だと思えた。

何度も話しているが、とにかく読みやすい。読みやすいからスッと頭に入る。でも実践することは難しい。氏だから書けた文章であり、それゆえに尊くもある。

この2冊では、間接的な言い回ししかしていないが、氏が考える上に立つ者の姿とは、大きく分けて3つある。

すなわち、①「才将」②「賢将」③「徳将」の3つだ。

①「才将」とは、他者がこの人には適わないと感じるような人。

②「賢将」とは、戦略や他者の使い方で成功を収めるような人。

③「徳将」とは、人徳によって他者が自然と集まり、持ちあげてもらえるような人。

この3者の内、氏が最もなりたかったものは「徳将」。

自分の人徳を慕って、自分よりも能力を持つ他者が自然と集まる。自分自身が指示を出さなくても、彼等が自ら気づいて考え、判断して行動し、自分を盛り上げて会社を発展させてくれる。
そんな人物が「徳将」と言われる。

*人を引きつけられる魅力がほしい

極論を言えば、人徳をもつことで他者が集まり、彼等はこの人のためならと働き、自分はすわってるだけでいいってことだ。

一般的に考えて、こういう人物はほとんど存在しない。存在しないがゆえに、氏が「経営の神様」と言われるゆえんだ。

でも、どんな仕事をしていようとも、たとえ一人で働いていようとも、目標として目指すのなら「徳将」になるのがいい。

ただ、忘れてはいけないことがある。「徳将」でありたいなら、集まった他者に任せるという気持ちが大切だということ。せっかく集まってもらっても、任せきれないんだったら意味がない。

上に立つ者がやるべきことは、成功しても失敗しても最後の責任をとるということだけ。後は任せる。それが集まってくれた他者への最大限の敬意にもなると思う。俺が俺がの気持ちが残っていたら、せっかく集まってくれた彼等も、失望して離れていく。

*自分の非を先に認めた方が楽になる?

さて、昨今の新型コロナウィルスがまん延している状況の中で、どれほどのリーダー達が他者を使い切れているのだろうか?

下手にを焦ったり人気取りをするよりも、自分にない知識や知恵を持った人物をしっかりと使いこなし、的確な判断を下せるように内面を磨きなおした方がいいように思う、そんな人が多い。

俺がやらねばという気持ちも大切だろうけど、人間はその人自身が思っているほどには案外、期待されていないものだよ。

選ばれた立場に酔いしれるよりも、その立場を有効に使えているのかどうか、今一度、自分自身を見つめ直すことも大切。決断を焦ると、いつまで経ってもウィルスとのいたちごっこになる。

*いくつになっても 失ってはならない学ぶ心

松下幸之助氏の「道をひらく」は昭和40年代に世に出ている。自分が生まれる以前のことだ。時は流れて世の中は進歩したように見えて、人間自体はあまり進歩していないってことだろう。

松下幸之助氏ひとりにさえ、学びきれないことが多すぎるってことだね。

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文章を書くのは、体力勝負の世界だった。

文章を書くのは、本当に体力勝負の世界だと思う。

自分みたいな素人が、偉そうに言うことではないけれど、肉体労働をやっているからとか、スポーツをやっているからとか、何もを張ってやることだけが体力を必要とするわけじゃない。

*池波先生は どういう体力をしていたんだろう?

現実に、どんな仕事をしていたっておなかは減るよね。自分は、朝ご飯をしっかりと食べるタイプだけど、ずっとPCに向かっているだけで、お昼頃にはおなかがグーグー鳴っている。

ましてや近頃は、おなかが減り過ぎて困ることも多い。

基本的にお酒はやめて、たんぱく質を多く摂れる食生活にしているんだ。大豆、豆腐、納豆、豆乳、牛乳、卵などを中心にね。夜ご飯が終われば、またPCに向かうわけ。

*血圧対策のためにも 食材を考えているつもり

すると深夜0時頃にはおなかが鳴り始める。の摂り方が足りないのか、嚙み方がたりないのか。とにかく、寝るためにもかなりエネルギーを必要とするというのに、頭で考えては指先を動かす作業を繰り返すだけで、体力を消耗している感じだ。

結局のところ、をかかずともエネルギーは消費される。エネルギーが消費されるってことは、体力を消耗しているってことだ。

*豆乳なしの晩酌はありえなくなった

4月末までに、100本の記事を書くという目標を立てた。

1日3本書くことを基本にすると、今の自分のレベルではトータルで7~8時間はかかる。文章を書いては修正、写真を選んでは添付をする。写真が足りなければ撮り足しをする。

こんなことを繰り返しているだけで時間は過ぎる。深夜に1本書いて翌日2本書くペース。現場で働いていた頃よりも、時間に追われている感じだ。作家気取りの酔いどれドン・キホーテだ。

*料理をしない自分には天国だった病院食

記事を公開したからと言って、そこで終わりじゃない。ツイッターの文章と違って、後から修正が効く。そこで公開した後に読み直しては、目についたところを手直しをしている。公開してから可能な限り1~2時間以内にやっている。

公開した時に納得できる内容であって、誤字脱字は無いのが一番の理想だけど、そこはまだまだ未熟。だから気づいた時に、直すように心がけている。初心者マークをつけている以上は、手を抜いてはいけないところだ。

*池波先生のエッセイは本当におもしろい

そんなわけで、文章を書くことが体力勝負の世界だとよくわかった。今さらながら、昭和の大作家、池波正太郎先生のすごさを思い知らされる。

ただ初心者の自分にも、これだけは言える。

書くことって、本当に楽しい!

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ブログを書くのは、自分を見つめ直すこと。

ブログを書くのは、自分を見つめ直すことだと思う。

そもそも、ブログを書こうと思い立ったのは、大切な友人と話をしていた時。何となく書いてみようから始まったんだけど、指南書のような本を読んでいたら、真剣になっていった。

なんて言うんだろうか、今の自分にもこれからの自分にも、必要なことのように思えたんだよね。書くということに、自分の存在意義を見出せるような気がしたんだ。

*文章を書く上で すごく参考になった

ブログって、たくさんの方が書いていらっしゃる。有名人になれば、アクセク数は半端じゃない。有名なブロガーさん達だって、もちろんそう。有名だけじゃなくて、やはりおもしろいんだろうね。おもしろいから有名なのか。そこにいくと、自分なんかは駆け出しだし、まだまだこれからって感じ。昨日の SEO はいくつだったのかなんて考えるのは、まだ先の話。

ただ、すごくやりがいがあるし、すごくおもしろくて楽しい。

先日のツイッターでもお話しした通り、今、4月末までに100本の記事を書くと決めている。100本書くためには、101本以上の記事を目標にしなくてはならない。だから、毎日、最低3本の記事を書くことを目標にしている。3月31日の初日に21本からスタートした。この記事で48本目。

*公言することで 目標に向けて自分を鼓舞する

先にいくつかのカテゴリーを決めてある。それを基本にしながら、いろいろな記事を書いてみようと考えた。ただ、カテゴリーはどんどん派生していいと思っている。固執しすぎると書けない。まずは、書くことを習慣づけるために、目標の数をこなす。数をこなすことで、達成感をあじわう。

100本の記事を達成できたら、いったん自分を褒め、文章力アップのための技術みがきへとシフトする。そこからは数をこなすことが目的じゃない。毎日1本の記事を書くことを基本に、技巧を加えていく。今考えていることは、とりあえずここまで。

この1年の間、ツイッターを通して、限られた文字数で記事を書くことには慣れた。文字数が限られれば、記事も筋肉質にならなざるをえない。140字の制限には、かなり鍛えられたね。去年の夏に入院していた時などは、朝ご飯を食べ終わった時点でもう文章を考え始めていた。夕方にツイをUPするためにだよ。

*日記を書き始めて 13年目に入っている

実は13年前から日記をつけている。つける理由があったわけじゃない。これこそ、ただつけてみるかって理由だけ。

でも、人間っていうのは不思議なものでね、つけ始めるとやめられなくなる。性格なのかな。5年前に入院していた時なんか、右肩の手術だったから、1ヶ月書けなかったんだよ。日記や手紙については手書きを主義にしているからね。

じゃあ、どうしたかって?スマホに箇条書き程度に日々あったことをタイトルで入力しておいた。固定の装具が取れた1ケ月後に、そのタイトルから思い出しながら、1ヶ月分の日記を書き起こした。けっこう覚えていて、お蔭で日記にブランクは無いよ。

日記をつけることでも、文章を書くってことが鍛えられている。

*最近は 本を読み直すことが多い

最近は過去に読んだ本を読み返すことの方が多い。もちろん、新たに購入することもあるけれど。後は、新聞のコラムを読むことも大切にしている。自分は日経電子版を読んでいるけど、コラム中心に読むだけでも、かなりボリュームがあって勉強になる。

こうして、様々な文章にふれながら自分の文章を追求している。

ブログというのは、日記とは違う。本にもあったけど、他人が興味を持っていることを調べるためのツールになる。いわば、目的達成のための材料のようなものだ。

だから、自分にとっては何でもないことも、他人にとっては魅力がある場合も多い。それゆえ大切なことは、いかに自分自身を表現していけるかってことだろう。

自分という人間を、いかに上手く表現できるかが大切だと思う。自分はこういう生き方をしているんだってことを、しっかりと主張できるかが大切だと思うんだ。

*手紙はやはり 手書きがいいと思う

偉そうなことを言える立場ではないけれど、少なくとも、他人の真似ごとみたいな人生は送っていない。自分を見つめ直していく上でも、ブログを書くことに集中してみたいと思う。

緑がしげる頃には、新しい自分が見えている気がするんだ。

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歴史に学び、経験にも学ぶ。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」。ドイツの鉄血宰相、オットー・フォン・ビスマルクの言葉だ。見事だと思う。

こんな言葉も残している。

「青年に勧めたいことは、ただ3語に尽きる。すなわち『働け、もっと働け、あくまで働け』だ」。こちらは、今の時代なら否定されるのかな?

*ビスマルク体制と呼ばれる国際関係を築いた

ともかく歴史上の大人物たちは皆、後世に立派な言葉を残している。ビスマルクの言葉通り、人間が歴史に学ぶことは極めて大切なことだ。歴史に学びきれないから、人間はいつまでも同じ過ちを繰り返している。過ちがエンドレスに思えるね。

だけど、やはり経験だって大切だ。誰もが等しく地球上の歴史を学びきれるなら、この世はいつだって春を感じているはず。それができないでいるから、主義主張を認め合うこともせずに、地球上のどこかで毎日戦争を続けている。

歴史は学び続けるものとして、やはり経験からもしっかりと学びたい。なにも自分だけの経験に限る必要はない。他人の経験から学ぶのだってありだ。映画の中の主人公から学んでもいい。経験はどんなところからだって学べるはずだ。

*映画「ROCKY THE FINAL」の小説版

例えば、映画「ロッキー」からもたくさん学んだ。

このロッキーシリーズの最終作「ROCKY THE FINAL」。ロッキーが共に歩んできた愛妻を亡くしている。経営するレストランは順調だが、妻を亡くした後の心の穴を埋められずにいる。もう一度、リングに立とうとする。60という歳で。

焼きが回ったなと笑う世間に耐えられず、息子がロッキーに試合の中止を進言するわけだ。その時、息子に吐いたロッキーの言葉が深い。

*映画のセリフに感動し 小説のこの部分に感銘を受けた

人生は晴れの日ばかりじゃない。リングの上でたくさんのパンチを受けてきたが、人生というパンチほど重いものはない。どんなに打ちのめされても、自分の価値を信じて前に進め。パンチを恐れるな。自分の弱さを他人のせいにするな。卑怯者になるな。

自分はロッキーの言葉をこんな感じでまとめ、大切にすることにした。丁度その頃は、特に歯を食いしばって仕事をしていた時期で、冬でも半袖1枚で十分だったくらいに頑張れた。その時のあだ名は鉄人だ。ポンコツの今とは比較にならない。

映画の中の主人公さえも、その経験の中からたくさんの大切なことを教えてくれる。ましてや命ある人間からなら、もっと学べるかもしれない。常に謙虚な自分であるかぎり、経験は向こうから扉を開いてくれるはずだ。

*人生で受けるパンチは リング上で受けるよりも重い

歴史に学び、経験にも学ぼう。人間ひとりの人生などは、たかが知れている。人の経験を聴くこと自体が、また自分の経験に組み込まれていく。経験の連鎖はエンドレスだ。経験の積み重ねがやがて、ひとつの大きな歴史になる。

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読書は必ず役に立つ! その2

友人に薦められて、源氏物語を読んでいる。

田辺聖子さんの「新源氏物語」、新潮文庫で上中下の全3巻、合計で1,400ページ。さすがに大作だ。この作品が平安時代に書かれたなんて、紫式部という人のすごさには脱帽してしまう。

*平安時代の甘美な世界を味わえる

でも、急いで読んだりはしない。じっくりと味わいながら、他の本と並行して読み進めている。速読が似合うような内容じゃないよね。平安の悠久な時を感じながら、ゆっくりと進めていく。

高校の頃は国語の授業が嫌いだったから、教科書の掲載文にさえ興味がなかった。古典の授業なんて何がおもしろいのか、まったく理解できなかったね。現実の生活には何の役にも立たないような古くさい文章、読んでも意味がないような気がしたよ。

今だって古典の文章のままなら、読む気が失せたかもしれない。

やはり、田辺聖子さんの訳がうまいからだろうな。惹きこまれていってしまうんだ。読みやすいから、その気になれば一気に読めそうな気もする。だからこそ逆に、味わって読んでみたくもなるんだ。ゆっくりゆっくりと、源氏の足跡をたどっていってる。

ところで、読書するのに最も集中できる場所ってどこだろうか?

源氏物語に限らない、どんな本を読むにしても、自分にはトイレが一番いい。ドアを閉めれば読書のための個室だ。窓はないから、外の音からも遮断される。こんなに集中できる場所はないと思う。文字を追い続ける瞬きの音しか聞こえない、そう言っても差しつかえないだろう。

第一次建設業の時代には、出発前の5時から5時半までが、トイレで読書する時間だった。この毎日30分の繰り返しが、今の集中力を鍛え上げたかもしれない。もちろん、仕事を終えて帰宅してからも読書は欠かさなかった。

*昨年の引越の際にかなりの本を処分した

当時はね、こんなことを真面目に考えていた。

この先死ぬまで何冊読めるかな。60歳を一つの目標として、1年に100冊読んだとしたら、20年あるから2,000冊読める。単純に考えて80歳までなら4,000冊。やれるかもしれない。

とにかく、読みまくることにしたんだね。

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読書は必ず役にたつ! その1

本を読むのが大好きだ。生きていく上で、本が役に立つ場面が多いことは間違いない。

とは言っても、以前みたいに、読んだ本の数に執着するような、読書の仕方はしていない。今はもっぱら、気に入った本の再読にこだわっている。

*繰り返し読む 愛読書の一部

それでも、やはり地道に読んではいる。読めば読むほどに、本の魅力にとりつかれていく。本は、自分の知らない知識を、作者が経験談として語ってくれる。それもコンパクトにわかりやすく!

だから読む側は、得しているんだと思った方がいい。

読み進めていくうちに、自分にとって役に立つと思えることが、必ずあると思うんだ。少なくとも自分にはあった。それも少しじゃない、抱えきれないほどたくさんだ。

*ブログを立てるために 文章力も高めたい!

高校の頃は、ほとんど本を読まなかった。きっと、そのせいだと思う。国語の成績が悪いなんてもんじゃない。5段階評価ではの常連者。英語の成績が悪いって言うのなら、世界共通語と言ったって他国の言語だからね、まあ仕方がないとも思う。

でも、自国の言語の成績が悪いなんて、やはり恥ずかしいことだよね。当時はあまり深く考えていなかった。他の教科の成績も悪くて、出来の悪さが平均化していたからね。

古典とかは別としても、なんであそこまで成績が悪かったんだろう。思い返すたびに苦笑いも。試験の時の、この登場人物は何を考えているんでしょう?なんて問いには、答などまったく浮かばない。文章の読み方がわからない。問題文さえ?の状態。

読書の習慣って、やはり大切なんだと思うよ。

読書を繰り返すことで、文章の前後の流れがスムーズに頭に入って来る。登場人物の考えていることを、予想しながら読むことができる。登場人物の考え方によりそうこともできる。

*友人のお薦め 田辺聖子さんの新源氏物語

そうなれば、しめたものだ。好奇心が、読書のペースをどんどん上げてくれる。あの頃、こんな気持ちであれたら、国語の成績ももう少し良かったと思う。今だからこそ、言えるんだけどね。

量をこなすのもいいし、同じ本を何度読むのでもいい。

要は、自分にとって必要だと思える本を見つけること、これが一番大切じゃないかな。自分にとって大切なら、何度でも読みなおすでしょう?読み直すことで愛着も湧く。愛着が湧けば、本の楽しさを知って、もっと多くの本を読みたくなる。最高の瞬間だ。