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本音を語れる相手

今日は、人生の先輩と語り合って来た。いや、いつものことではあるが、僕の方が3分の2ぐらい口を開けていたか、あるいはそれ以上だったかも知れない。兎に角、話を聴いて下さる方がいるということは、ありがたいことである。特に、僕のように自己主張が強く、色々と考える事が多い人間には必要不可欠な存在だ。

※雨が降る前の10時頃の手賀沼

この1ヶ月間だけをふり返れば、今日お会いした方を含めて4人の方と語り合った。話を聴いて頂き、話を聴かせて頂いた。非常に内容が豊かで濃い、人とのふれ合いができた1ヶ月だった。それぐらいのことなら日常的だとおっしゃる方もおられるかも知れないが、僕の道に影響を与えたかどうかが一番大切なんだよね。

初めの方は、少し歳が上の大工さんである。Twitter上で知り合ってから、3年半は経っていると思う。僕が住む佐倉市に近い場所が地元の方だが、仕事の範囲は東京まで及ぶ。昨年末頃から3ヶ月近く東京まで往復し、お客に吠えられながら腕を振るっておられる。仕事中心の方かと思ったりもするが、とんでもない。

※牛角の食べ放題で肉を胃に送り続ける

レッドツェッペリンで音楽ライフを始めたらしいが、今はベビメタやけものフレンズを追っかけておいでだ。ベビメタのTシャツを着て、メンバーの一人が脱退した時には気が抜けたどこではなかったらしい。最近、順番待ちした挙句にスーパーカブを購入され、仕事以外の時間は県内を東へ西へ出没しまくっておいでだ。

だが、仕事は仕事で泥くさく汗くさい昔ながらの世界に、もてる技術を惜しまず投入されておられる。丁稚奉公的な名残があった修業時代を過ごしておいでだから、本来、大工を職業とする方達がもっていた技術を身につけておられる。実家のリフォームが必要な時にはお願いして、横浜まで走って頂ければと思う次第だ。

※スーパーカブを楽しむ棟梁殿

二人目の方は、いつも僕の髪を刈って下さる床屋の大マスター。50歳を越えて頭が薄くなったわけではないが、髪自体が細くなる為、同じペースで伸びても以前ほどに伸びた感じがしなくなる。だから最近は、以前より刈る回数も減り、1ヶ月半に一度くらいになっているが、それでも23年近くは刈って頂いている。

この大マスターとの話が又、すこぶる楽しい。いや、この場合でも、僕の方がたまった話をしまくり、聴いて頂いていると言った方が正しい。髪を刈り洗髪無しで2,000円、払うのは当然のことお客である僕だ。だけど、僕の中では話を聴いて頂いたからお支払いするという感覚。何せ、80歳を越えておられる方だから。

※街中の上空にある雲には別の味が

10年以上前だったろうか、ある日突然入院して手術を受けられた。ご子息の小マスターの話によると、脳の血管だったか詰まりものが見つかって即入院になったとか。でも、3週間以内には復帰されて今に至っておられる。鋏を動かすことがライフワークで人生のリズムをとってるわけだ。そのご姿勢は、尊敬に値する。

でも80歳を越えれば、立ちっぱなしの仕事は決して楽ではないと思う。そこへ話好きの僕が話すのを笑いながらお聴き下さり、僕の希望通りの仕上げもして頂いている。ある意味で僕は、得をしているのかも知れない。本当なら代金と別のお礼を支払うべきなのか。店を出る時の僕は、頭と心の両方がスッキリしている。

※旨い焼き鳥を食べると話も弾む

3人目は、つい先週会ったばかりの運輸業時代の友人。よくよく考えてみると、同じ市内に住みながらも、6年半近く会っていなかったようだ。運輸業をしていた頃は、お世話になっていた運送屋さんの助手も請け負っていて、彼の横乗りもしていた。一匹狼的な人間でも、横乗りする時の楽しみは語り合えることだろう。

特に年齢が近く、自分なりの信念をもって仕事をしている人との話は弾むものだ。それは、どんな職業に就いていても同じことだと思うが、運送職人を念頭においていた当時の僕としては、我が強くともポリシーをもって運送する彼の横乗りは楽しかった。二人とも今より若かったから、車内でのイライラも多かったけど。

※餃子の羽根のパリパリを楽しむ

そんな彼と飲食を共にした僕にとっては、2年半ぶりのお酒の席になった。久しぶりの再会もあったからか、久しぶりのお酒も旨さを増して僕の体内に収まっていった。お酒ありきの生活から、お酒はたまに飲むから余計に旨く感じられる、それを実感した席だった。当然、良き相手と語り合うからお酒も旨くなるのだが。

そして4人目が、今日お会いした方。御年70歳を越えていらっしゃるが、まだまだ現役バリバリの農家のご婦人。Twitterを通してお知り合いになり、3年近く経った思う。2年と2ヶ月ぶりにお会いしたが、若返っておられる気が。約束の時間よりずっと早い時間から、手賀沼の風景をカメラに収めまくっておられた。

※ブロンコビリーのステーキに舌鼓

雨が降る前の手賀沼そばの公園で、介護を中心に熱い語りをさせて頂いた。ご家族の介護も経験されておられるから、お互いに共感できる点も多い。僕自身からすれば、今やっていることが、介護において決して特別なことではないのだと実感できる。誰もが順番に経験することで、我が身に置き換え考えるべきことだと。

熱い語りは、ご馳走して頂いた厚いステーキを前にして、更にいっそう熱い内容になった。気温が暑い上に語りも熱く、ランチも厚いというアツイものずくしの6時間。お口直しにコメダでブラックコーヒーを頂き、もう一つ厚いサンドもお土産に持たせて下さった。こうなると、僕の未来を更に熱くする必要が出てきた。

※お土産にお菓子とコメダのサンドを

といった具合で、この4人の方々との熱い語りは、少なからずも僕の道に何かしらの修正を与えた。結局のところ、僕は語れる相手に語りまくって己の内を吐き出し、そこで相手の方々から感じられる何かによって、常に修正を掛け続けたいわけだ。同じ状況に甘んじられないってことかな。それを確かめたいんだろうな。

その為には、自分自身の意見をハッキリと言える方が必要だ。聴く耳をもち、同時に意見を出し惜しみしない。集団の中では本音が出ないことも多い。1対1で2時間3時間あるいはそれ以上語り合えて、核心をついた話が出来る。相手の数は多くなくてもいい。大切なのは、互いの本音を引き出せる相手だと思っている。

※雨の中でも桜は映える🌸
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今考えている僕の未来

介護関係の仕事についてから、合計で1年半になった。昨年末から、今後の目標をよく考慮しながら働き先を探していたら、予定以上に長い1ヶ月半近くの休業をすることになった。覚悟を決めてのことでもあったが、連続での就業が切断されたので、今はこれまで以上に毎日、介護の仕事と真剣に向き合っている状況だ。

※僕を感動させる偉大な作品のひとつ

夜勤専従でパート契約している身ではあるが、正社員でも契約社員でもパートでも、仕事の内容に差は無い。やっていることは全く同じ、違うのは賞与等の待遇面、パートだからそこまでは等と言ってはいられない。まあ仕事と名がつき労働対価が発生するものに、手抜きなど許されるはずもない。真剣な毎日で当然だ。

よくよく考えてみれば、介護のような慢性的人手不足の仕事においてだよ、契約上に正規非正規の差があること自体ズレているんだ。賃金の契約上で、資格保持者と多少の差があるのは仕方ないけれど、センスがない人もいるんだ。言葉を選んで利用者と話が出来ない常識外れより、別の面で優遇されてもいいと思うよ。

※おにぎりは色々な味を試して作る

兎にも角にも、仕事をする日の前後に時間を費やし、僕なりに学びを進めている。夜勤専従だから、出勤前には時間的に余裕がある。1月から介護福祉士実務者研修を始めているから、通信学習のために毎日テキストを開く。テキストだけでは物足りない、介護専門の書物もめくる。読みたい箇所は多く、時間は足りない。

まあ仕事に絡んだことだけが学びではないし、介護に携わるためには外側から幅広く学ぶ必要もある。人間を磨くことが一番大切かも知れない。そのためにも本を読み映画の鑑賞もする。益々時間が足りないことを自覚する。だから計画性が必要だ。DAY BY DAYのような僕が計画のある日常を過ごしている。全く驚きだ。

※いつもと変わらぬ風景に心休まる

こんな僕ではあるが、ひとつ所に留まって仕事を続けられるタイプではない。ましてや一匹狼が信条、独りで出来ることがあるならば、可能な限り独りで出来るやり方を追求したい。施設という箱の中での仕事は安定している。しかし僕は、安定という言葉にあまり魅力を感じない。波に揺られた状況の方が楽しみがある。

確かに苦労は多い。30歳で個人事業主になった時は全くもって計画性がなく、借金返済のために運輸業・建設業に身を置き働いた。汗を流す=お金であって、躍動する筋肉に酔いしれていた。たまらなかったね。食べるだけ食べ飲めるだけ飲んで、それでも体重は反比例して減った。達成感に溢れる充実した毎日だった。

※施設の夕食のひじきを頂いた

僕のような好奇心の塊的な人間は、独りでも己に課題を課せる。運輸業を単純な仕事と見る人もいるが、とんでもないこと。運輸業は走るプロであり、同時に荷物を扱うプロだ。運転には常に事故がつきまとうから安全運転をする上でも技術が必要だし、荷物には様々な形があり、それぞれに合った運びの技術が必要だ。

その形の上からゲテモノと言われる荷物も多いが、荷主様にとっては大切なお品だ。数や金額に関係なく、最善の方法手段で確実に送り届けなければならない。時間があれば運ぶ方法を考え技術を学んだし、車輛の箱の内外に適正な改造を加え、独りで出来る最高のサービスを追求したものだ。己を売るための鍛錬だった。

※京成電車が走る風景は落ち着く

こういう話をすれば、お分かりだと思う。組織や箱の中に収まって仕事をしていると、どこかしらで横並びを求められたり、本当に行いたいサービスが出来なくなったりする。サービスなんてものに上限は存在しない。独りの仕事では、僕の仕事スタイルそのものがサービスであり、常に高い付加価値を加える必要がある。

結果的に採算度外視にもなり、儲かった例はない。お金が多く入ったこともあったが、それは次のサービスの為に道具を揃えたり学びの為に使ったり、結局プラマイゼロが常だった。その反面、お客様からの指名は確実にあった。僕はそこに充実すべきポイントを置いて来た。何よりも、技術のアップに快感を感じていた。

※知人と楽しんだ牛角の焼肉食べ放題

今の僕もその頃と同じ。だから施設の中で、中味の濃い仕事だけが坦々と行われているのならまだしも、常に存在する職員同士の感情のぶつかり合いを見るにつけ、下らないと思うと同時にレベルの低さを感じてしまう。そんな無駄口を叩くよりも、自己犠牲を払ってでも、利用者様への厚いサービスを提供したらどうか。

本来忙しい人間は、無駄口など叩いている暇なんかないはずなんだ。仕事だけに没頭して、気づいた時には時間が流れている。おかしいと思うことは、仕事をしながら変えて行くんだよ。人を責めるより、まずは己で考え実践し、自然な形で人を巻き込んで行くんだよ。それが正しいことならば、誰も文句を言わないはず。

※この不敵な笑いは自信を裏付ける

すっかり前置きが長くなったが、ここで今考えている僕の未来を語ってみる。施設での仕事は2025年1月をリミットと考えている。その時点で、介護福祉士の試験を受ける為の実務面での条件はクリアしている。それまでに、シャア専用ザク並みに人の3倍ぐらいのスピードで介護面での学びを進める。これは楽しみだ。

試験勉強の為の期間は十分にある。計画的に進めるのは当然、この間に、第一級アマチュア無線技士の資格取得にも動く。これも欲しい。今年が勝負だろう。そして施設での仕事の先に見ているのは、同行援護の仕事だ。派遣元への登録は必要だが、視覚障がい者の方の外出時の援護を行いたい。独りの力が試されるはず。

※キャベツ焼きもだいぶ上手くなった

この援護の為には当然、研修を受けなければならない。一般課程と応用課程でまた費用が掛かるが、福祉に関係する仕事の僕の目標はここに置いているから、早い時期に研修を終えて準備をしておきたいと考えている。他にも資格を上乗せしていく予定だが、あくまでも独りの形で仕事をする為に、己の研鑽を重ねていく。

去年、普通二種免許や秘書検定2級を取得したことも、この目的の為の流れの上にある。そしてバイトでもボランティアでもいいから、話し相手になる仕事もしたい。昨年働いた施設に、同じ歳で半身不随の方がいた。同じ歳だと話が出来る。僕は話が好きだし話題も濃く豊富だ。思い出話でも人に役立つことは多々ある。

※松本零士先生、ありがとう!

少々粗削りな話になったが、これが今考えている僕の近未来だ。そして2025年の6月には、予定されている大阪万博に行き、空飛ぶ車を見てみたい。それが、これから2年間の僕自身への褒美になるだろう。そこで未来を感じて、次の未来への目標を固める節目にする。僕のドキドキは、この先も止まることを知らない。

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「待てない」ということ

買い物をしていると、必ずと言っていいほど、イライラしている人がいる。特にレジ待ちの列の中で。なぜイライラするかって?なかなか、自分達のレジの順番が来ないからだ。前の順番に、たくさん買い物をする人がいたとしたら余計にイライラしている。他人の買い物かごをチラ見しては、イライラを助長させている。

※毎日見慣れた風景も味があるもの

そこに更に拍車をかけるのは、レジ打ちの店員さんが新人研修生の時。独りで打ってはいても、レジ打ちの速さに問題なしとは言えない。研修中は特に注意力を研ぎ澄ましているから、本人が思っている以上に、レジ打ちのペースは遅くなっているのかも知れない。だが、研修中から間違うよりはいい。遅いのが当たり前。

慣れてくれば、普通にペースも速くなっていくはず。個人によって差はあるとは思うが、その人に仕事への意欲があれば自然とペースも速くなっていくものだ。何をやるにしても、初めから速かったり上手に出来るのであれば、誰も苦労はしない。覚えていく過程自体が学びであり、教える側にとっても再確認の場になる

※半額で買っても美味しさは同じ

問題は、そういう人を前にして、待てない人達がいるということだ。まあ、人それぞれに性格は違うのだから、待てない人がいても当然かも知れない。ただ、いい大人達が、待てない気持ちを顔にありありと浮かべている姿は、目にした者にとって気分が悪いものだ。あなた方に、研修していた時代はなかったのだろうか?

それにね、そういう顔をしていると、レジを打っている研修生は緊張を高めてしまい、焦りも生じて混乱を来たすことだってあり得る。それなりに人生経験を積んだ人間なら、例えお客の立場であっても、相手を応援するぐらいの気持ちで、ドンと構えて見守っている方が、ずっとカッコよく見えるのではないだろうか?

※マンガがついていると勉強も捗る

まあ、こんな風に偉そうに話している僕ではあるけれど、もっと若い頃は、僕自身もイライラする側にいたのかも知れない。もっと融通を利かせて速くやれよ、なんて心の中で叫んだりしながらね。でも、こういう時の僕は案外控えめな性格になったりする。相手の気持ちを考えてしまう、僕自身を同じ立場に置き換えて。

どちらにせよ、まだ世の中が分かっていない子供ならまだしも、いい大人が腰に手を当てたりして、まだかよ!みたいな態度でイライラしている姿はみっともないものだよ。子供をもつ親であるような人なら、子供の動きの遅さに毎日イライラしながら過ごしているのかな。世に言うタイパが、すべてに及んでいるのかな。

※この映画は心がホンワカする

でも、この待てないという態度は、介護の世界では致命傷になり兼ねないね。なぜかって?当然だろう、待ってもらわなければ、先に進めない人達の世界で仕事をしているんだもの。速くしろ速くしろなんて心で思っていたら、己が気づかぬ内に介助の中にそれが表れて、気づいた時には相手が呼吸困難になっているかも。

だから正直に言えば、初め僕には介護が向かないと考えていた。運輸業や建設業という時間が勝負の世界で若い頃を過ごした僕が、食事介助を必要とする利用者さんを前に、皆さんのペースに合わせて口元にゆっくりとスプーンを運べるのか、僕は自分自身に自信を持てなかった。窒息させてしまうかもなんて考えたり。

※巨大おにぎりの具はハンバーグ

初任者研修の講習時、いろいろな講師に問いを繰り返していた。僕みたいな性格をしている人間が、食事介助など出来るんでしょうか?相手のペースの遅さに、すぐにイライラしてしまうんじゃないでしょうか?講師の方々は、頷きながらも話された。仕事として割り切れるのであれば、決して性格だけではないですよと。

実際に仕事を始めた頃は、右も左も分からないから戸惑いの中で焦りも生まれ、僕自身のペースの中に落ち込んでしまうこともあった。だが、3つ目の施設で仕事を始めた今、僕は自分をコントロール出来ている。個々の高齢者のペースに合わせて、自分のペースをアップダウンさせている。あくまでも利用者様が主体だ。

※こういうモクモク感の雲がいい

だから余計に、日常風景の中で待てないという現実を見るにつけ、それを僕自身を客観的に見る機会と捉え、反面教師的な学びの場とさせてもらっている。待てない気持ちを顔にありありと浮かべている姿が、いかに醜いものなのか。人間は神様ではないから完璧などはあり得ないが、感情のコントロールは大切な事だ。

それ故に思うんだよね。介護の世界において資格は大切だし性格も大切だけれど、まずは人間としての器を磨くことが大切ではないかと。利用者の方達だって、本当に思い切り体を動かしたいんだよ。それが様々な理由で出来ない。そこに来て介助まで本人が望むペース以外のものなら、生きる楽しみは下がる一方だろう。

※ローソンの巨大コロッケは美味

こんなことを話してみようと思ったのは、このレジ打ちのような話が日常茶飯事だからで、近頃ますます増えているような気がするからなんだ。時間を切り詰めることばかりが求められて、人を育てることに時間を費やそうとしない。それを取り巻く外側の人間も、少しぐらい我慢をして見守ろうという余裕が消えている。

人を育てるには時間がかかり、費用もかかる。だから費用を抑える為に最短の時間で人を育てようとする。でも、そこには必ず無理が生じてくるものだよ。基本が完成しないところに、応用もまともに成長はしない。長い目で見れば時間的な余裕は大切。その余裕をもつためにも、人間としての器を育てる必要があるんだ。

※京成電車に似合う臼井の風景

人ひとりの成長さえ余裕をもって見守れない社会に、明るい未来など考えられない。人の成長は、社会に出てからの方が本番になる。誰もが待ってもらいながら、自分を成長させてきたはずだ。少しでも自分が成長出来た時、次に成長していく人達が現れる。そんな時こそ原点に戻り、気長に待てる僕でありたいと思う。

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認知症の世界を学ぶ

初めて認知症の方と向き合った時、それは驚いたものだった。これが認知症というものか、と。徘徊だけならまだいい方だ。今食べたはずの食事を食べたことを忘れる。今行ったはずのトイレに行ったことを忘れる。挙句には、排泄とういう行為があること自体を忘れ失禁を繰り返す。それはそれは、別世界のようだった。

※ 仕事の日は大きなおにぎりを持参

だから、ある程度は達観した生き方を覚えているはずの僕自身でさえも、その対処の仕方には戸惑った。ましてや他人だ、その方達の人生については人づてに聞くか、あるいは記録されていることでしか知りようがない。その方が重ねてきた人生が分からなければ、話の聴き方も分からない。まずは、観察あるのみだった。

観察だなんて言い方をすると、まるで動物園で檻の中を覗いて観察をしているようで、あまりいい感じはしない。だけど、仕方がない。仕事のためには、いい意味で観察をするしかない。綺麗ごとだけで、他人の人生の手助けなど出来るはずがない。その方が何を求めて言葉を発し動こうとしているのか、知る必要がある。

※ 今の方が福澤諭吉を理解できる

ある男性は、未だに自分が経営者だと思い続けていた。経営している会社を親族に任せて、自分はのんびりしている。その親族には経営能力がないから、早く帰らなければならない。自分が行かなければ会社が潰れる。今晩は電話をして、話を聴いてやらなければならない、でも電話が繋がらない…。会社は清算済みだが。

ある女性は、昼と夜が逆転していた。トイレの場所は分かっていても、行ったことを忘れる。でも男女の話は覚えている。若い頃、水商売をしていたらしい。様々なお客の相手をしてきたのだろう。入浴中には、こんな婆さんの相手よりも若い人の方がいいべ等と、その手の話には事欠かない。そんな時に顔が一番輝く。

※ キャベツ好きの僕にはたまらない

ある男性は、兎に角帰宅をしたがった。かかあが待っているから帰らなくちゃいけない。かかあが迎えに来ているはずだ。かかあの奴は先に帰ってしまったかな。俺が帰らないと家の仕事が回らない。夕方が来ると施錠された入り口の傍で、独り椅子に座り太陽を見ていた。言葉巧みに誘導する僕、少々後ろめたささえも。

変わって今働いている施設では、重度な認知症の方が少な目である。一方では、利用者の方が平均的に認知を落としているようにも感じる。そうなると数年経った時、皆さんが平均して認知を落としている可能性もある。そうなった時に介助する側には、更に掘り下げたモノの見方や知識や知恵が必要になってくるだろう。

※ 地道に介護に関する知識を学ぶ

でもね、今現在だって観察力は必要とされるし、観察するためには知識や知恵が必要だ。認知症の方にダメだよと頭ごなしに話している人がいるけど、何がダメなのか理解できない場合も多い。それよりも、その方の視線の先や心の先、その道筋を理解できるように寄り添い傾聴できる技術を身につけることの方が大切だ。

例えは悪いかも知れないが、先年亡くなった実家の猫さんについて話してみよう。彼とはたまにしか会えなかったが、僕は彼と話をするのが好きだった。彼は賢く、脳の大きさからすれば、彼の知力の方が僕よりも上に思えたりもして。追いかけて遊ぼうものなら、いつの間にやら、僕の方が追いかけられていたりしてね。

※ 通勤途中いい感じの雲に出会う

そんな彼と話す時、僕の目線を彼の目線かそれ以下に落として話をした。彼の話を聴くにあたり、僕が彼と同じ立ち位置にあり、互いに平等であることを伝えた。彼はじっと僕を観察しては時折、その手を僕の頭の上に置いた。まるで僕を慰めたり、僕の話に理解を示すかのように。それは僕にとって至福の時間だった。

認知症という病を持った方達は、ただ認知症という状況に入ったに過ぎない。80代や90代のお歳にもなれば、皆それぞれに深く生を重ねてきている。それを、ただの病人扱いして、子供を諭すような言葉遣いで話をすることは、その方達の長い人生への冒涜にも成り得る。猫さん目線より低くするぐらいの気持ちが必要。

※ 職場で頂いた大阪のお土産

そんなわけで、認知症の方と接する日々の中で、僕自身は認知症というものに抵抗が無くなった。いや、抵抗なんてものは元から無かったと思う。接した経験が無く、知識や知恵が不足していただけに過ぎない。自主的に勉強して来た今現在、もっと長い経験をしている専門職には適わなくても、更に学べると考えている。

どちらにせよ、認知症を患う人の数が2025年には700万人を超えると推計されている。65歳以上の高齢者のうち、5人に1人が認知症に罹患するという計算だ。家族の介護だけでは、家族そのものが病む可能性も出てくる。より多くの施設が必要とされ、真摯に向き合って仕事をこなせる専門職が必要とされるだろう。

※ 介護に関する書籍を並べ直した

介護や医療の仕事に就いていなければ、認知症の現実を知る機会は限られている。その現実を突きつけられた時、初めてその重さを実感するはず。仕事で向き合うのは赤の他人、だから仕事にできる。だが実の親だとしたら、事はもっと難しくなると思う。そこには、切っても切れない血の繋がりが存在しているからだ。

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勉強は楽しく続けたい

勉強をすることが楽しい、こんな気持ちをもてるなんて、高校生の頃の僕には考えられなかったことだ。佐倉市にある歴史ある県立高校に入ったまでは良かったけれど、1年の初っ端から数学で見事に赤点を取った。いきなり職員室に呼ばれた、他の同じ赤点仲間と一緒に。呼ばれた意味さえ理解していなかったかもね。

※昔はこういう発想はなかったかな

数学について言えば、中学生の頃までは問題を繰り返して覚えれば何とかなった。だから、それなりの偏差値を取ることが出来たのだと思う。高校受験も3戦3勝と平穏に終えた。でも、高校の数学は違っていた。深く考えなければ解けなかった。結果的に僕は、2年を終えると同時に数学から逃げるべく数学を捨てた。

30年以上を経て、久しぶりに数式とご対面した。お話ししてきた通り、第二級アマチュア無線技士の資格を取得するためだ。log やら 平方根 やら懐かしい文字と、久しぶりにご対面した。浪人しても文系の大学だけに受験を絞っていたので、数学は必要としなかったが、二アマは数式が必須、逃げる場所はなかった。

※この1年半で介護関係の書籍を多く購入

9月から11月末までの3ヶ月の短期決戦、2ヶ月の間は毎日どこかで数式と向かい合っていた。ノートに書き出して練習することが大切だが、トイレの中であっても口に出しながら頭に入れたりしていた。高い試験費用を払ったこともあり、落とすわけにはいかなかった。ブツブツと口に出しながらの毎日だった。

だが不思議なことに、苦にはならなかった。4月・6月・8月・9月と資格取得を続けてきた年内最後の大一番、やるしかないと言う気持ちと、4戦をクリアして来た勢いがあった。三アマに比べればグンとレベルが上がるわけで、解けない覚えられないと悔しさを剥き出しにしてはいたが、勉強することを楽しめていた。

※職場までの途上にある公園で

そうなんだ、楽しめるということがきっと、一番大切なことなんだと思う。高校の頃の勉強は楽しめなかった。受験のためだけの勉強に思えた。数学をやる意味を見いだせなかった。何のために数式を解くのか分からず仕舞い。大学に入るためと割り切れれば良かったけど、大学受験も漠然と考えているだけだったからね。

それでも、たった一つ楽しめたのが世界史だった。そもそも歴史を好きになったのは小学5年の時。塾で勉強を始めて楽しいと思えた。中学生の時には世界史も少しかじり、高校に入って教科書を覚えるぐらいに読み込んだ。そのせいか、今の世界情勢にも過去の歴史を繋げて向かい合える。世界史は今でもおもしろい。

※税込み50円の偶然に喜びが溢れる

そんな世界史も学校の授業では、近代を過ぎたぐらいで授業は終わった。教科書を中途半端で終えるわけだ。だから浪人してから初めて、本格的に近現代史まで勉強した。世界史地図も横において楽しんだ。浪人しても文系3教科の内、英語も国語も駄目だったから、世界史パワーだけで合格に引っかかったようなものだ。

それが今になって、資格試験のためとは言え楽しめるんだ。解けないことが悔しいんだよね。今解けるなら、もっと頭が柔らかかったはずのあの頃に、素直に向かい合うことさえ出来ていれば。後悔先に立たずってことなんだろうけど、あの頃は後悔するなんて考えるわけがない。出来ないものは、ただ捨てるだけだった。

※帰宅時の空をスマホで楽しむ

そんなわけで、今の僕は勉強を楽しんでいる。世に言う学び直しということじゃない。ただ単に、今やりたいから勉強し、そして楽しんでいるということなんだ。こういう時は勢いがつく。次から次へと目標をもって進めていると、ひとつ終わるたびに次が欲しくなる。次が無いと不安になってしまうんだ。

まあ実際のところ、勉強は机上だけのものじゃない。仕事をしていれば何かを学ぶ。新聞や書物を読めば何かを学ぶ。人と会えば何かを学ぶ。生きている限り、毎日が勉強の中にある。僕が決めた勉強は人生のほんの一部に過ぎない。貪欲な気持ちをもち、学びへの素直な気持ちさえあれば、すべてが勉強の場に成り得る。

※かつて不思議な面白さを感じた漫画

こうなってくると、長生きしたくなる。なぜかって?勉強したいことが次から次へと出てくるからかな。上を見ればキリがないけれど、上があるから勉強したくなる。凡人であると自覚しているから、猶のこと勉強が必要になる。そうなると、勉強の世界は無限に広がり終わりが見えなくなる。これは幸せなことだと思う。

でも当然ながら、得た資格や知識や知恵などは使ってなんぼのことでもある。宝の持ちぐされでは勿体ない。使い方も又、次なる勉強になるのだろう。ますます終わりが見えなくなる。願わくは脳内の細胞に健康でいて欲しいと思う。僕が望む限り元気でいて欲しい。そして好奇心をもって貪欲に、楽しく勉強を続けたい。

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高齢者施設での仕事開始

1月12日から予定通り、高齢者施設での仕事が始まった。まあ、仕事とは言っても研修が始まったにすぎないが。僕は夜勤専従者として雇用されたわけで、今月は9回の日勤と2回の夜勤で研修を行い、問題が無ければ2月から独り夜勤の仕事が始まる。そんなわけで、この3日間はノートにメモ書きする毎日だった。

※ 足元に霜を感じながら歩いて行く

今度の施設は某会社が運営する、高齢者向け施設のひとつ。佐倉市内の自宅(ここは賃貸が始まって4年目)からの距離は片道およそ2.0㎞ぐらい、徒歩で片道20分ぐらいだろう。往復したところで丁度いいぐらいの距離になる。京成電鉄が見える田圃の間を抜け、大きな公園を横切って到着。今は霜もいい具合に降りる。

この施設では、1階と2階に各9名ずつの利用者さんが共同で生活されている。僕は1階の担当として働くことになった。現状では1階の方々はかなり自立されており、会話を重視する時間の方が多いだろう。90代の男性2人が将棋を指しておられるのを、見守るのも仕事。耳が遠くて相手の王手を伝えるために、だ。

※ この公園を歩き始めたのはつい最近

だが3日目にして、施設内の面白い状況が分かった。この施設内では、各階のスタッフ同士の交流がほとんど無いらしい。ある職員曰く、上と下でまるで別会社みたいとか。昨年働いた施設では仲間意識に重きをおく風潮もあって、それと真逆に近い。仲間意識が強すぎると、愚痴の温床に成り易いことは否定できないが。

このたび、30歳の職員が2階に配置転換になるらしいが、10年もの間を1階で勤めたらしい。幹部以外は交流が少ないことを思えば、未知の世界へと仕事に行くわけだ。この話には心の中で苦笑した。10年もあれば人間の可能性は、かなりのモノになる。考え方はそれぞれだが、若ければ若いほど可能性は無限なのに。

※ 子供が楽しむには十分な遊具

良い面もある。職員を固定化することで、利用者さんとのふれあいは厚いものになるだろうし、互いの信用を築くにはいいかも知れない。そこに上手い具合に、業務の改善改革を加えて行けるなら別会社的でも悪くはないが、得てして上手く行かないことも多い。1階の状況は、とりあえず今は好印象で映ってはいる。

話を戻そう。そんなわけで、自立した方が多いこの施設の1階では、見守りの時間もかなり長い。見守りが必要だってことは、結局のところ、何か不測の事態が起こり得るということ。80代や90代の方ばかりなら、転倒だって突発的に起こる。それを予防するのが仕事だが、自立度が高くなるほど予防の穴は比例する。

※ これは山茶花なのかな?

当たり前じゃないかと言われるだろうが、ここに当たり前のように認知症という病気が加わるわけ。自立していても、口にされていることや行動されていることを、本人が意識できずにおられることも多い。必ずしも、自立=本人ではない。そこはいい意味で、口八丁も大事な見守りの為の手段になる。語彙は豊かにだ。

今の90代の方々は、昭和の戦前生まれということになる。太平洋戦争の戦火をくぐり抜け、今日に至っている。他人であれ、人生の先輩方として大切にすべき存在だろう。そんな方達が何かの縁で一つ所に集まり、性格が合う合わないの中で毎日を過ごされている。手助けすべきことって、本当は何なんだろうか?

※ 少なめの街頭に緑も映える

まあ、施設で暮らすと言っても、個々の人間である以上はそれぞれの生活習慣もあるわけで、過剰すぎる関わり方はご法度だ。誰だって触れて欲しくないスペースがあって、感情のぶつかり合いが起きるようなことは避けたいもの。近すぎず遠すぎずを守りながら観察力も生かし、まずは今月を計画通りに過ごしてみよう。

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心機一転、ブログを再開します

皆さん、こんにちは。お久しぶりです。
長いこと、大変にご無沙汰しました。
次を書こう書こうと思っている内に、思っているだけで時間だけが流れてしまい、あれよあれよという間に2023年を迎えています。およそ1年半のブランクからの Come Back です。

※2021年はハンバーガーに挑戦していた

この期間に僕は、①障がい施設から②高齢者施設へと職場を渡り歩きました。①は半年の契約を半年で打ち切り更新せず、②は自分の中での1年の予定を、職場の諸事情も含めて11月末日をもって打ち切りました。12月初めから今日まで、いい機会だと思い生活費そっちのけで施設を訪問して面接を受ける日々でした。

ネットで見ただけでの現場の数は数えきれず、応募しただけなら数十か所、訪問施設は10幾つか、その中で不合格と面接中の辞退はおよそ半分、昨年中の内定辞退は2つ、そして現在は内定2つに結果待ちが1つの状況です。兎に角、53という歳を考えれば最後の機会であるかなとも考え、一点集中してきたわけです。

※昨年の元旦明けは雪で始まった

過去2つの施設について正直に話せば、いささか幻滅が先行した気がします。利用者様を金儲けの手段としか考えない経営のあり方、生活の場のはずの施設内の行き届いていない管理、主体が利用者のはずが経営側とスタッフ間の意思のぶつかり合いに始まるサービスする側の醜い争いなど、見るに堪えないものでした。

確かに、介護業界は慢性的な人手不足です。理想ばかり言っていては綺麗ごとにしか聞こえないのが現状、働き手はより良い待遇を求めて左へ右へと動いています。それは、僕も同じかも知れない。僕自身について言えば、人間関係での悩みはありませんけれど、より多く学ぼうとすればするほど物足りなさを感じました。

※京成電車を見ていると不思議と和む

高齢者向施設では、小規模多機能の棟で夜勤専従を務めていました。一昨年の契約時のお話では、昨年中に利用者様はMAXまで増えるとのことでしたが、11月上旬に利用者様は0になり閉鎖、今年からは業務形態も変わるとのこと。契約時の話はよく分からない内にすべて白紙に、公言していた通りの円満退職です。

小規模多機能とは言え同じ施設内、夜間中には特養ホームのケアの手伝いに入り、朝の退勤前には入浴介助を行いました。ごく一般的なケアのあり方です。中でも一番勉強になったのは、認知症の利用者様としっかりと向き合って話が出来た時ですね。自分としてもかなり勉強しましたけど、観察力を更に磨き上げました。

※カラスの賢さには魅力を感じる

初めて接した時は驚きました、未知の経験でしたから。だから勉強しました、指南書を読み漁ったりネットで調べたりして。勉強するには便利な時代です。そもそも認知症は過去ならボケとして扱われ、今に始まったことじゃない。専門家の研究や介護者の経験談を知識として積み重ねると、現場の知恵として役立ちます。

実はもう一つ並行してやってきたことがありました。障がい者施設にいた青年が一昨年末に退所し、昨年はその彼の外出時のお手伝いをさせて頂きました。月に2~3回程でしたが、1回につき平均7時間前後で、保護者の方の補助でした。その彼は重度の自閉症で、好奇心の塊です。詳しくは別の機会にお話しします。

※ネコの後ろ姿に哀愁を感じる

こんな感じで、僕の1年半は過ぎて行きました。介護の現場に関わった年数はまだ短いですが、持ち前の探求心や好奇心に観察力を駆使して、かなりの知識や知恵を吸収することが出来ました。そして思った、介護の現実は大変だなと。国が未来を見据えた明確な政策を出せない限り、現場はいずれ崩壊するだろうなと。

また現場側にも課題があると思いました。人手不足と分かっていても人間の手に拘り過ぎる、あるいは資金不足で拘らざるを得ない状況に甘んじている。介護は人の手でという考えは分かりますけど、高齢の働き手も多く力仕事はいつまでも出来ません。若い働き手が少なければ、引退者が先行する日が目に見えています。

※花のひとり咲きに魅かれる

結局のところ、綺麗ごとだけでは働けないんですよね。何度も話しますけど、労働の対価はお金だけですから。いい仕事が出来たと満足を繰り返しても、生活が追いつかなければストレスだけが溜まっていく。当然、それ相応の報酬が必要だ。特に若い人は遊びたいこともたくさんある。仕事が趣味なら別ですけどね。

今回訪問して来た中で、利用者様にとっても働き手にとっても、理想的な条件がすべて揃っている施設はまずありません。利用者様は入居しなけば分からないし、働き手も働いてみなければ分からない。ある種の賭けですよね。人間関係も触れなければ分からない。良い点もあれば悪い点もあり、ある意味では運も必要だ。

※ここで見るスカイライナーがいい

その中で、上手く対処していけるのが社会人の働き方なんでしょうか。その点で僕は、まだ理想が先行しているのかも知れない。ですが、言われた通りのことだけやってくれればいいという考えでは満足できないし、何よりも悪い点が分かっていても改善できなければ、一番不幸になるのは利用者様の皆さんだと思います。

このひと月を通して僕は、介護の仕事を続けた場合、限りなく自分に合った働き方を探ってみました。結果的に、施設の規模や利用者様の数はしっかりと向き合える範囲内であること、常に問題意識をもって取り組み且つ改善改革に積極的であること、そして通勤に要する時間が短いこと等を条件に据えました。

※佐倉城址公園内のいい感じの道

今、内定を頂いている2つの施設は限りなく条件に近いです。結果待ちの施設は最近始まったばかりのグループホームで、一から始められるという点で仕事として面白いかも知れません。結局たどり着いたのは、小規模少人数型の場所でした。自分を客観的に見つめ直すという点で、この機会は有効だったと思っています。

有効だったのですが、生活はいつまでも悠長な時間を許してはくれません。仕事を再開一歩前の最後の週末を有効に活用し、最終的に今後を決めていければと思います。こんなことを話していること自体が贅沢で、ガツガツしていた20代30代に比べると、今の僕自身のあり方に驚きさえ感じます。時は人を変えますね。

※資格の取得に明け暮れた一年だった

そんなわけで心機一転、本日からブログを再開します。毎日は書きませんが、週に1回あるいは不定期で、程よいペースで書いていければと考えています。あいかわらずの地味で真面目なだけの内容ですが、少しでも感じて頂ける点があれば幸いです。皆さんのご来訪をお待ちしています。宜しくお願い致します。

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人間としての尊厳、一方だけのものではない

言い訳がましいが、7月から始めた仕事が忙しくて文章をまとめる時間が取れず、すっかりブログの更新が出来ずにいた。自分はブロガーを職業として生活費を稼ぐ人間ではないから、書きたい時に書ければいいと思っているが、9月中旬から次のステップを踏むことにしたので、ひとつのまとめとして書いてみた。

*どこで見ても 夕陽に一日の終わりを感じる

前回にも話をした通り、今の仕事は、仕事自体は大切なことだと思っているし、自分なりに頑張っている。いや、自分なりにを超えてしまっているかな。毎日、大便を手にした相手と向かい合って語りかけたり便まみれの部屋を掃除したり、それは凄まじい毎日だよ。誰が見ても、ホームで生活する相手じゃないんだから。

つい先日、とうとう部屋の壁を足で蹴とばして破壊し、体を石膏ボードまみれにしながら笑っていた。ここまでくると、すでに常人ではない。自分たちは施設開所と同時に雇われた初心者ばかりで、視察に来た役所の人間もさすがに驚き、相談員たちは自分らの頑張りを、過去の例と比べても最高だと褒めていったほどだ。

*赤と白のモノは青い空によく映える

一番の問題は、障害者虐待防止法を盾にする人間がいるということだ。利用者が大便を手に迫って来ても、ウィンドブレーカーを着て盾にして相手を抑えるなと言う。虐待防止法があるからまずいと言うんだな、施設側は。もっとひどいのは彼を守る親たち。自分らにはプロ意識が足りず、努力が足りないと言うんだな。

さすがに呆れてしまうよ。彼らにも、虐待防止法にも両方に対してだ。子を思う一生懸命な親たちにもたくさん会ったし、そういう方々には親としての本当の愛を感じる。だが一方で、虐待防止法を都合よく盾にして、彼らの体裁だけを守ろうとする人間たちがいることも確かだ。この仕事を皆さんが自らやればわかる。

*人気のない街も夕焼け一つで世界が変わる

先日、何でもかんでも虐待だと叫ぶ親の話を受け、また役所の人間がやって来た。その時、利用者の壁への破壊がタイムリーで起こったから、彼らは即座に写真を撮った。その彼らだって実はわかっている、虐待などあり得ないんだと。以前に来た時に、彼らも大便をつけられまくっているからだ。親だけが我儘を言う。

先日、大きなガラスを割った利用者もいる。割り始めたらとことんまで割ろうとするから、抑えるこちらも大変だ。だが、親は拘束を認めていない。一旦病院に入ることにも承知しない。そのため本人が施設で静かに暮らすための薬が増え、彼の顔も変わっていく。親が自分の体裁を守ろうとして、悪循環が繰り返される。

*この季節の田んぼがある風景が好きだ

その利用者たちを目の前で見ていたある母親が言った。あの人たちはここにいる人たちではないでしょ、と。その方のお子さんも障がいがあるんだが、お子さんに障がいがあるとわかった時に旦那さんと二人で大学に行って学びなおし、両親がそろって支援員の仕事をなさっているということだった。立派だと思ったね。

自分自身にも言えることだけど、一般的に子は親よりも長く生きる。障がいがあっても、障がいの重さが命の長さに必ずしも比例するわけではない。だとすれば親は、辛いかもしれないが自分たちが死んだ後のことを考えた上で、子に何かを伝えていかなければならない。日常生活の基本だけでもできるなら可能にしたい。

*こういう雲のモクモク感が大好き

大便をもって迫る利用者を見ていると、親の甘さがあまりにも目につく。親たちも大便をつけられているのに叱らない。また来るからとなだめるだけ。それを30歳を過ぎている利用者に長いこと繰り返してきたのだから、本人が今変われるなら奇跡に近いと考える。常軌を逸した行動は、便つけだけではないからね。

先日、ある利用者が亡くなった。ご飯をゆっくりと時間をかけて噛み続ける穏やかな方だった。その一週間前に、お母様が他界されていた。彼は葬式に行き、それから毎日毎朝、窓を開けて空を見ていた。何かを探し、何かに誘われるように。そして突然亡くなってしまった。お母様が呼んだのかなって自分らは思った。

*どら焼きって 子供の頃から全く飽きない

自分は障がいをもたない。障がいのある自分の子供がいるわけでもない。そもそも結婚さえしていないけど。でも、障がいがあることが大変だというのは、この短期間を通してだって十分に理解できている。と言って、障害者虐待防止法なるものがすべて正しいとは思えない。時として、それは矛盾を生み出しもする。

大便をもって迫って来る相手に無防備でいろ、暴力を振って来る相手に無防備でいろ、なぜなら彼らは障害者だから。親や後見人の了解がなければ、手で制止することは拘束になり、彼らを傷つける行為になって許されない。ちょっとした行為が、虐待だと訴えられる。そのために、施設を守るために我慢しろ。

*でんでん虫 子供の頃からの遊び相手

では、自分の人間としての尊厳はどう保証してくれるのか。

どこの世界に、大便をつけられて喜ぶまともな人間がいるのか尋ねてみたい。汚いから不要だから体から排出されるはずのもの、それをつけられて喜ぶ人間がいるのなら、おつき合いはご勘弁願いたい。せめて大便を手にしないように教えてくるべきだった。それが親としての人間としての務めだったのではないだろうか。

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熱意を動かすものは、継続的な熱意しかない。

何度も同じことを話すけれど、熱意ほど大切なものはない。誰かに対して語っているようだけど、実際のところ、自分に対する叱咤激励のつもりで話している。人は、後になってふり返ってみれば、ちょっとしたことでつまずくことも多い。超えてしまえば何でもないことなのに、超える前に考えてしまうことが多い。

*晩酌は晩酌でも 定着したノンアル晩酌

夢に大きい小さいは関係ない。その夢を実現するためにしっかりと前を見据えて進んでいれば、どんな壁もぶち壊して行ける、そう思わせてくれるのが夢のはずなんだ。だけど、やはり恐怖心というものは必ず生まれてくる。行けると思っていても、壁が予期せぬほどに大きければ、尻込みだってするのが人間だ。

でもね、恐怖心がないことが正しいとは思わない。恐怖心があるからこそ、恐怖心を打ち砕くために人間はまた考え行動して一歩ずつ大きくなって行ける、成長して行けるんだ。恐怖心こそが自分を励ましてくれる、一番の友達になる時だってある。恐怖心を認めて受け入れることが、人間を成長させる近道だとも思う。

*仕事前に楽な気持ちでスマホでパチリ

恐怖心と言っていいものか、まあとりあえず恐怖心としておこうか。7月1日から始まった障がい者施設での仕事、毎日が戦いと言えば戦いだ。戦いと言うと語弊もあるかもしれないが、毎日毎日、本人が自分の大便を手にしてこちらに向かってくれば、これを戦いと言ってもいいだろう。決して綺麗事で語れはしない。

大便を手にするなんて、一般常識の中では考えられない。大便はあくまでもトイレで流す汚物だ。大便は汚物ゆえに、体内から吐き出されるべきものであり、それを手の平で握りしめるなんて常人には考えられない。だが、ある種の人たちにとっては、これが汚物ではなく、ただのモノとして認識されるようだ。

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モノとして認識されるから汚物ではなく、臭いさえもクサいものとして感じられないようだ。それを手にして遊び、手にして相手を威嚇して自分の進路を開けさせようともする。それを突きつけられれば、ひるんで一歩後ろに引くのが常人のあり方だろう。後ろに引けば、相手は一歩ずつ前に進んで来る。

相手は長年の経験で、こちら側に恐怖心があることを理解している。理解した上で、進路を開くために向かってくる。こちらだって自分の身を守らなくてはならないが、防御もやり過ぎれば虐待になってしまう。だから、ギリギリのところで防御しながら、相手を押し戻すように体を動かす。一進一退の攻防だ。

*ゴム無しの軍手使用は久しぶりだ

攻防なんて言うと本当に戦闘をしているみたいだけど、実際にその現場を見ることがあれば、戦闘をしていると思うだろう。自分の大便なら毎日トイレで見ているのに、見知らぬ他人が大便を手にして進んでくれば恐怖心さえ生まれる、初めて経験する不思議な感覚が生まれる毎日だ。この恐怖心を克服することが重要だ。

こんなことが恐怖心と言っていいものか、自分でも可笑しいなとは思うよ。自分が赤ん坊の頃、いくら我が子とは言っても母親の毎日は大便の処理に追われていたわけだ。特にその頃はおむつで洗っては繰り返し使っていたんだから、手は大便まみれだったろうしね。ただ、大便も迫って来れば恐怖心にもなるんだよ。

*どこで見ても いつ見ても 空はいい

ただね、物事には慣れってものがある。人間の臭覚も一番慣れやすい。そういう行動を起こすって分かっていれば、初めから防御のための装備をする。マスクをしていても臭いは突き刺さって来るが、仕事への熱意があれば活路を見出すために考えぬく。お蔭で脳みそは毎日フル回転の状態、次から次へと知恵が生まれる。

結局のところ、熱意なんだよね、必要なものは。熱意があれば活路が見えてくるんだ。同時に同じように熱意をもてる仲間が必要なんだ。この相手は、力も相当強い。限界まで力を出してねじ伏せていいと言うなら一人でも可能だが、虐待防止を念頭においているのだから一人では無理だ。防御も分担作業が必要になる。

*今まさに 映画『学校Ⅱ』の世界にいる

自分を採用した取締役は身をもって熱意を示す。その熱意に動かされて、若い女の子さえも踏みとどまって頑張っている。さらに熱意に同調して、巨大な力をもった人物も参加してきた。今いる人間のベクトルが少しずつ同じ方向に向き始めた。熱意こそが原動力だ。この継続的な熱意が、さらに大きな熱意を生むだろう。

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人生経験 仕事 俺の考え 日常生活

無知を知り、克服する努力をする。

何をするにせよ、まずは己の無知を認めることが大切だ。

障がい者のグループホームでの仕事について、早くも一週間が過ぎた。毎日が格闘をしているようで、既に1ヶ月も2ヶ月も経ってしまったような気もしている。実際のところ、本当に時間が早い。勤務はまだ5回だが、7時間の日勤を3回と16時間の夜勤を2回、実質7回分ほど働いたことになるのだろうか。

人としての個々の尊厳を大切にしながら相手と向き合う、この歳になれば教科書など読まずとも頭の中では理解できている。しかしだ、やはりいつもの仲間を相手に話すのとは根本から違っている。彼らの思考を理解するには、正面からしっかりと向き合わなくてはならない。どんな状況でもだ。それが仕事なんだから。

*きゅうりは酒の席には欠かせない

それでもね、やはり戸惑いを覚えないことの方が難しい。彼らが自分たちに向けて来る行為は、決して普通じゃない。普通じゃないと考えてしまうのは、自分が普通だと、自分の生活の仕方が普通だと思い込んでいるからなんだけどね。彼らにとっては、彼ら自身が普通であって、彼ら自身の世界がすべてなんだから。

それでも、つい普通じゃないと考えてしまうから、まずは、ここから頭の中を置き換えて行かなくてはいけない。

昨日の朝まで続いた夜勤の中で、多くのことを一気に学んだ。夜勤は2回目だったにも拘らず、施設に来たばかりの同年代の相棒と2人きり。このこと自体も驚きだが、取締役がしっかりと基本を教えてくれたし、後は2人で連携して考えを出し合いながら乗り切った。共に51歳の年齢、知恵だってたくさん備えている。

*ステーキのような肉厚たまごの料理

障がい者のお子さんをもつに至った親御さんたちは、決して楽な気持ちで暮らしてはこれなかったと思う。障がいあるとわかった時の気持ちは、ご本人たちにしかわからないだろう。ただ、子供たちはよほどのことがない限り、普通に歳を重ねて生きて行く。だからこそ、悲しい目で彼らを見て生活させてはいけない。

可哀そうだからと甘えさせながら生活させると、大きくなった時には我儘が手に負えなくなる。そのことが、この一週間でよくわかった。彼らの人としての尊厳をしっかりと認めるなら、障がいを理由に甘えさせるのは厳禁だ。彼らひとりひとりにあったペースで、地道に教育を与えていく必要がある。それが本人のため。

*料理の名前よりも まずは美味いかどうか

取締役が素晴らしいことを話していた。

今の時点で、我儘が手に負えない利用者が一人いる。その我儘の原因はと言えば、教育の始め方に間違いがあったということ。だが彼はまだ、20年も30年もこの先を生きなければならない。今扱いに苦労しても、1年で我儘を直させられれば、彼の長い人生のためには苦労を苦労とは思わない、と。

この話を聴きながら同時に、その利用者に対する取締役の接し方を1時間半以上見続けた。そして、自分を恥じたね。自分には無理かもしれない、その内に相手に対して手が出てしまうかもしれない、そんな思いばかりが頭の中を走り始めていた。まあ、会社の最初の説明の仕方も悪かったから、誰もが不安にもなるよ。

*唐揚げの料理もバラエティーが豊かだ

でも聴いて見てしまえば、自分だって決して馬鹿でない。培ってきたポジティブ根性を重ねてみたら、自分にも出来る!って思えた。そして、出来れば仕事が考えている以上におもしろくなるって思えた。だから自分を恥じ、自分なりに勉強しようと考え本も注文した。先に始めている、別の通信教育と合わせて勉強する。

こんな感じで仕事を始めない限りは、障がいをもつ方たちとの接点は生まれなかったと思う。街で見かけても、ちょっと手を貸すぐらいのことだけで終わり、彼らと正面から向き合うこともなかったはずだ。自分が知らいないところで、こんなにもたくさんの障がいをもつ方たちがいたということ、このことにも驚いた。

*たかがコロッケされどコロッケ 創造ひとつ

まったく無知とは恥ずかしいことだ。無知であるのに、偉そうなことを口にしてはいけない。この世界で頑張る人の思いは、同じ土俵に立たなければ分からない。分からないくせに偉そうなことは言えない。まずは自分で、とことんやった上で理解してからの話になる。無知を克服する努力に、終わりはない。