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人生経験 俺の考え 健康 入院日記 2016年冬 日常生活

健康であるために、考えてみた8つの心得。

2016年に、右肩の手術で入院した時は、スマホに頼らない生活をしていた。というよりも、SNSとのつきあいはまだ浅く、ツイッターにも登録していなかった。自宅でのネットの使い道も、音楽鑑賞や映画鑑賞、それと通販ぐらいだった。

41日間もの入院期間中、何をしていたのか。思い出されるのは、と話をしていたことと、を読んでいたことの2つかな。そして、健康であるために考えた心得がある。

*仲が良かったトラック修理屋さんから

去年の夏の入院時は新病棟で生活したが、前回は旧病棟集団部屋で生活をした。隣のベッドとの間隔は少し狭く、けっこう気を使っていた気がする。その分、患者同士の距離も近く感じられ、いろいろな人と話をすることができた。

新型コロナウィルスの影響みたいなものはなかったし、口を大きく開けて語り合えたね。今回の入院時のように、気を遣って話すなんてことはほとんどなかった。話をしたい人間は見晴らしのいいところに集まり、誰かしらと話をしていた。

*旧病棟からは真正面に日の出を見られた

その中に、80歳の奥さんがいらした。元気すぎて仕方ないって感じの。自分より1週間以上は後に手術したのに、早く退院したいが口癖だった。スポーツ好きで、肉食むきだし。他の奥さんたちも交えての話は、朝昼晩と続いていたと思う。

41日間の入院中に、その方も含めて41人と話をしていたと言ってもいいぐらいかな。看護師さんやヘルパーさんを含めればそれ以上になる。院内の生活に、それほど充実感を味わっていた。人との生のふれあいは、今回とは比較にならない。

*退院前に仲の良かった方達から

自分は人見知りをしないから、誰とでも話をする。話をして相性が合わないと思えば、距離を取ればいいだけの話。とにかく、人の関係は話すことから始まると思っている。まず話をすることから始まる。

ただ患者さんは、大体の人がを持て余している。話しかけられて、真っ向からいやな気持になることはないかもね。

そんな毎日のまとめとして、自分のために「元気なための8つの心得」を作ってみた。話をした皆さんから自分が感じたことを、簡単にまとめてみたらこうなったわけだ。

*当時 手元にあった名刺に速攻で書いた

1.適度な筋肉をもつ
2.好奇心をもつ
3.前向きな気持ちをもつ
4.数字と向き合う
5.何かを生み出す
6.やりたいことをやる
7.他人と比較しない
8.生涯、現役の精神


順番に意味があったのかは思い出せない。

でも、5年近くたって読み直してみても、何かしら役に立ちそうな気はしている。言葉にして残すことは、大切だと思う。

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人生経験 入院日記 2016年冬

2016年の冬、右肩の手術へ。

*人生初の入院 これが初日の晩餐メニュー

2020年の夏に左肩の手術をしたが、実はその4年半ぐらい前に、右肩の手術をしている。その時は腱板の部分断裂で、手術をするかしないかの選択権を先生からいただいていた。

第2次運輸業の時代、かなり重いパレットを右手だけで投げたことに原因がある。まあ、それだけでもない。それまでの、無理の積み重ねの結果でもあったかな。

仕事のところで話をするが、個人事業主になってからは運輸業と建設業、この2本立てでやってきた。特に第1次運輸時代と第1次建設業の時代、重量物を扱う際にかなり無理をしてきた。

力についてはかなり自信があったから、無理を無理とも思っていなかった。荷物や部材を目の前にすれば、可能な限りひとりで限界に挑戦、限界の存在を認めていなかった。

この時は成田空港の貨物地区で、トラックに輸入貨物を積んでいた。からになったパレットを、荷台の上から地面にむかって投げて落とした。その瞬間、右肩にグキって違和感を感じたんだ。

空港の貸し切り運送の仕事は、往々にして走る距離も長い。場所はすでに忘れたけれど、荷物を積んで即出発。

でも何かがおかしかった。肩の中がギコギコとすれるのを感じた。ハンドルをにぎる上では特に問題はなかったから、目的地まで走り続けて荷物を下した。戻る時も同じ、ただ走り続けた。

それからしばらくしても、変な感覚が消えなかった。荷物を持つことはできるのに。気になって、かかりつけの外科に行く。MRI検査をしたら、腱板の断裂だと判明した。

2020年の夏に、手術をしてくださった先生には、この時からお世話になっている。ただ、手術をするかしないかは、選ぶことができた。当時45歳、2015年の秋。先を考えて手術しようと決めた。