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田中邦衛さん、ありがとう!その1

田中邦衛さんが亡くなった。享年88歳。

昭和生まれの名優がまた一人、逝ってしまった。

自分にとっては、本当に大きな存在だった。寂しさを隠すことはできない。隠すことは逆に、失礼のような気がする。

*もはやデッキはないが テープだけは残してある

ドラマ「北の国から」の主題曲を繰り返し聴いていたら、涙が止まらなくなった。なんでこんなにも、親しみを感じるんだろう。田中さんならではの温かい演技を忘れられない

渥美清、三國連太郎、高倉健、菅原文太、他にもたくさんいた昭和の名優たち。映画の世界に彩りを与えてくれた名優たち。映画を見直して、思い出すことでしか、もう会えなくなってしまった。新しい作品は、二度と生まれてくることはない。

そんな中で、田中さんは脇役としてのイメージが強い。かの有名なドラマ「北の国から」では主役的な立場だったが、映画の中ではほとんど脇役だったと言ってもいい。それでも主役と同じくらいの存在感があったのは、一体なぜだろう。

*フジテレビ系で放映された 知る人ぞ知る名作

演技自体は地味そのもの。街中のどこにでも歩いているようなおじさん、そんな演技だった。その地味さが素晴らしかったんだ。その地味さが、普通に思えた。普通に思えるとういうことは、演技が美しいってことなんだと思う。

派手なことをしなくても演技が美しい。俳優の醍醐味ってこういうこと、自分はそう思うんだよね。

数々の賞を得た映画「学校」。監督は山田洋二。「男はつらいよ」シリーズをはじめとして、数々の名作を送り出した名監督だ。一昨年も、満を持して「男はつらいよ」第50作目を公開した。寅さんはいないが、吉岡秀隆が演じる満男の最後の言葉に、深く胸をうつものがあった。

*「学校」の中で 競馬を楽しむイノさんを演じた

その監督がバブル崩壊後に送り出した「学校」。この中での田中さんの演技は本当に素晴らしい。「学校」全体の流れも素晴らしいんだけども、田中さんのための映画じゃないかと思えたぐらいだ。その演技に見とれ、あらためて惚れこんだ。

どちらかと言えば「北の国から」は主役であるけれど、そうじゃない気もした。中心人物なんだけど、周囲の人間を盛り上げていくための存在に思えもした。

田中さんの演技は、きっと生き方そのものだったと思うんだよ。

勝手な想像なんだけど、作ってできる演技ではなかった気がする。もしそうだったとしたら、この方は神様だ。それぐらい自然だと感じられる演技だった。思い出すだけで、温かな気持ちになっていける。

*「学校」の中で 夜間中学の生徒として審判役を

その2では、この映画「学校」について話してみたい。

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俺の考え 健康 日常生活

アキレス腱を、まもれ。

アキレス腱をやってしまった!

切ったわけじゃないんだけど、痛めてしまった。炎症を起こさせてしまったようだ。

その原因になったのは、新しい靴で歩いたこと。まさかと思うかもしれないが、本当の話。かかとの部分がアキレス腱にあたって、歩いている内に食い込んでいたみたいだ。2日ぐらい経ってからのこと、急にかかとに違和感を覚えた。

*冬に履く ハイカットのトレッキングシューズ

冬はハイカットの靴でウォーキングをする。温かいうえに、くるぶしから上を守ってくれるので、とても歩きやすい。

でも、今年は暖冬だったので、早めに春用の靴を準備しようと考え、ローカットの靴を買っておいた。靴屋さんで試した時には、サイズの点では問題がなかった。これはラッキー、うまい具合に手に入ったと思った。それが2月初めのこと。

2月の中頃になって、いよいよ履いてみたくなった。写真を撮りながら歩けば3時間くらいの、新しいコース。試すとなればうれしい。いつもの出発地点、国立歴史民俗博物館から歩き始めた。

*ローカットのトレッキングシューズを選んだ

1時間くらい歩いた頃、右足のかかとに違和感を覚えた。違和感というか、よくある靴ずれをおこしたんだ。かかとの部分をすりむいている。紐を少しだけ緩めて、また歩き出す。

ゆっくり目に歩いた。肉屋さんによって惣菜を買う。この時買った串カツは美味しかった。歴史的建築物を見学。悠久の時を感じて気持ちが豊かになる。そんな楽しい時間を過ごして帰宅する。うまく歩いたつもりが、右足のかかとは、今でも傷跡が残るくらいにすりむいていた。

ところが、2日経ってから痛み出したのは、反対側の左足。かかとの上、アキレス腱の部分。初めは靭帯を痛めたのかなって思った。どちらにせよ痛い、歩きにくい。触れると内側がゴムのように伸びている感じ。かかりつけの外科に行った。

とりあえず、レントゲン撮影を行う。骨に異常はなかった。

だが、レントゲンに写るのは基本的に骨。左肩の時もそうだったけれど、細かく知りたいのであれば、やはりMRI検査が必要だと思う。

先生の診断結果は、アキレス腱の炎症。湿布を貼って様子をみましょうということに。昨年の左肩の時と同じような流れ。

*奥のハイカットと比べると かかと部分の角度に差が

結局のところ、原因になったのは何か?

トレッキングシューズっていうのは、作りが硬い。ハイカットのかかと部分は、上に向かって緩やかな曲線を描く。一方のローカットはかかと部分が短いから、曲線もきつくなる。思っている以上に、かかと部分がアキレス腱に食い込む形になる。

右足はすりむいただけで済んだが、すりむいた方が良かった。

1ケ月半経った今、ふくらはぎに影響が出始めている。かかとが着地した瞬間に、ふくらはぎが圧迫される。歩きにくい。ウォーキングにも影響が出始めている。感染対策を強化する中でも、ウォーキングはしたい。MRI検査をするべき時かもしれない。

新しい靴で歩き、少しでも合わないと感じたら、無理して歩くことはやめた方がいい。

後遺症が残るような感じもしている。左肩に続いて、悪い結果にならないことを願い、歩くことにも気を遣う毎日。アキレス腱を、まもられなければ。

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アニメ 俺の考え 日常生活 趣味

ガンダムは、スポ根の延長か?

*ガンダムに関する書籍は数限りない

機動戦士ガンダム。

これは、巨大ロボット隆盛の時代に、彗星のごとく現れた新しいロボットアニメの形だった。そして、劇中の人間関係は人間味があふれている。巨人の星やアタックNo.1のような、スポ根の延長にあったような気もする。

ガンダムはこの国で、あるいは世界で、最も有名なロボットではないかと思う。その機動力については、言うに及ばない。戦闘マシーンとしては劇中で常に進化を遂げ、その豊富なデザインはガンプラを常に進化させている。

子供の頃のガンダムブームはすごかった。映画3部作が上映された頃から、ガンプラを求めてモデルセンターは列ができた。並んだってその場で買えるわけがない。みんな、予約するためにも並んでいた気がする。

どちらかと言えば、自分はあまり興味がなかった。天邪鬼というわけではないけれど、宇宙戦艦ヤマトの方が好きだったのかもしれない。かえって大人になってからの方が、深く興味が湧いた。

ガンダムシリーズはかなり派生している。その時代に合った作品になっているのも魅力だ。

だが、自分にとっての一番をつけるとしたら、やはり、ファーストガンダムだろう。アムロとシャアが中心の世界だ。これに続くZガンダムガンダムZZ、そして映画「逆襲のシャア」。ファーストの流れが一番好きだ。

そもそもガンダムの世界観は、子供が簡単に理解できるとは思えない。富野由悠季監督の考えていたことは、かなり深いと思う。

*この時アムロは15歳 人生で初めての平手打ち

現代版のガンダムの中では、大人が子供を叱るのに手を上げることがあまり、いやほとんどない。アムロがブライトに殴られるこのシーン、間をおいて2回平手打ちされている。

タイムリーにガンダムを見ていた時、このシーンを否定する人はいなかったと思う。殴られるシーンは、ごく自然に劇中におりこまれていた。見る側もそれを普通に見ていた。

たくましい女性陣もたくさん出演するけれど、連邦軍に身を寄せるシャアの妹のセイラは、第1話でカイを殴って説教をする。そのシーンも、自然な形で受け入れていた。

結局、スポ根って言うか、大人が子供を叱る時には、殴るという過程が当たり前だったんだ。殴ることで気づかせ、殴られることで気づいたんだ。それが、大人にも子供にもできたんだ。

殴るっていうのは暴力とは違う。そこを間違えてはいけない。

自分の父親にしてもそうだけど、大人たちはきちんと殴る加減を知っていた。殴るべき時も知っていたんだ。子供にすれば、その時は?であっても、後日大人になって、理解し感謝すらできた。

ブライトはアムロに言う。殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか、と。

この時のアムロは15歳でブライトは19歳、セイラは16歳でカイは17歳だった気がする。未成年が未成年を殴って、生き延びようと戦っていたわけだ。すごいよね。平和な今では考えにくい。でもこのシーンがないと、ファーストの世界観は成り立たない。

*幼馴染のフラウの方が ずっと大人に思えた

殴るということを肯定しているわけじゃない。時と場合によっては必要だということ。この後のアムロは、戦闘で目覚ましい活躍をした。でもまだ甘える。その後も殴られ、先輩の死によって本当の成長を遂げていく。逆襲のシャアの頃は、ブライトとの信頼関係は絶対的なものになっていた。

ガンダムがスポ根の延長にあったと思うのは自分の考え。

ただ殴られることによって、殴られる痛みを知る。殴られる痛みを知れば、簡単に人を殴ることはできない。殴られることによって、気づきを得ることも多い。気づきを得れば、人は成長する。

頭ごなしに殴るという行為を否定せず、ガンダムでも見て学んでほしい。ガンダムを見るだけでも、人は成長すると思っている。

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俺の考え 日常生活 趣味

ホームセンターの工夫。

これ、わかります?

ペダルを踏みこむと、液体が出るようになっているんだ。

*ペダルを踏みこむと プッシュされて液体が出る

ホームセンターの方が制作したのかどうか、そこまで聞いたりはしなかった。入り口ですぐに目にはいってきた。ペダルを踏んで液体を手にのせて思ったことは、良くできてるってことだ。

自分は特にDIY、すなわち Do it Yourself 、趣味的な大工さんをしているわけじゃない。でも、いろいろと工夫して作ることは大好きだ。部屋のデスクも実は、過去の引越作業の時に、お客さんが捨てるのをいただいてきた。

仲間に聞いたら、元の値段はかなり高いっていうもんだから、じゃいただいちゃおうって感じでね。ガッチリしていて出来がいいし、背中側に細工をして長く愛用することにもなっている。

*この右側の机 いまだに愛用している元廃棄物

話が飛んだ。まあそんなわけで、ゴミからでも工夫をしようって考え方、工夫に対する好奇心をもちあわせているつもり。

この手作りのプッシュマシン、簡単に作れるようだけど難しい。特に細かい調整ができるわけではなさそう。となれば、この大きさのボトルのためだけに作られたと見ていい。

強く踏まないでくださいって、注意書きがあった。頑丈そうに見えても、適度な力でってこと。ただ一番のポイントは、液体の出る量だ。ワンプッシュで適当な量が必要。

大人の手にも子供の手にも、ちょうどいいぐらいの量って、案外難しい。少なすぎればワンモア、多すぎれば手に余る。

*素直に よくできているなって感心した

手にのった量は多すぎず少なすぎず、まさに適量だった。子供の手なら多すぎるかもしれないが、子供は手でもむことを楽しむかもしれないから、これでいいと思えた。

プッシュ部分を上部の木が下げる間隔を、良く計算してあるんだ。ホームセンターならではだね。この手のお店には、DIYが好きな人も多いんだろうな。

手作りの醍醐味があった。機械が計算して、3Dプリンターで作られているとは思えない。それも時代の流れではあるけど、手作りの良さってあるよね、やっぱり。

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俺の考え 健康 日常生活

新型コロナウィルス、感染対策に思う。

世の中に、新型コロナウィルスの感染が広がり始めて、既に1年弱が経った。もう1年だ、あっという間。時間というのは、本当に早い。光陰矢の如しとは、よく言ったもの。良い意味でも悪い意味でも、時間の早さに抵抗することはできない。

*昨年の春には 国が支給したマスクもあった

そもそも感染について騒ぎ始めたのは、いつ頃からだったかな?
豪華客船が、日本の港に着いた頃だったかな?自分の中ではそのように覚えている。

正直に話すと、初めはそんなに重く考えていなかった。新種のインフルエンザなのかなって、その程度だったんだ。現場仕事の身、春とはいっても新陳代謝が激しく、吐く息も多い自分、マスクが邪魔なものに思えた。

昨年の3月中旬頃、ドコモショップさんにおじゃました際、周りの人達がほとんどマスクをしていた。仕事帰りの自分は、何も考えずに事務手続きを進めていたんだけど、担当の方にしてもマスクをしているわけで、やはり気まずさがあったよね。

注意をされることはなかった。まだ、感染対策には緩さがあったのかな。

でも、その翌日から早速マスクをつけた。自分に甘さがあることを実感したからね。以来、人前でマスクをつけない日はない。ゴミ捨てだけでも、誰に会うかわからないからマスクをつける。

1年が過ぎ、今年もまた春がやってきた。街頭でテレビ局のインタビューを受けた大人達が答える。政府が市町村が誰々が、もっと感染対策をしてくれなくちゃ困るって内容で。

こういうのを他力本願っていうのかな?

*好奇心もあっていろいろなマスクを試した

確かに自分だって、そう思わないこともない。トップがもっとしっかりと指針を示してくれたら、こんなことにはならなかった。そう思わずにいられないことは、たくさんあるよ。

これは、感染対策に限ったことじゃない。昭和の政治家を引き合いに出せばきりがないけど、やはり器がでかかった。現代の指導者=国の指揮者たちは、決断力が弱いしスピードも遅いと思う。

ただ、ひとつ聞いてみたい。感染が再拡大している中で、誰もがみな、個人でできる感染対策を徹底できているのかって?

を避けてなんて、昨年から何度聞いただろう。マスクの徹底、うがいと手洗いの徹底、人と人の距離の徹底。1年も聞き続けていれば条件反射で出来ていいぐらいだよね。

でも街中を歩いていると、それが徹底されているとは思えないんだ。先日、子供たちが4人ぐらいいて、誰もマスクをつけていなかった。放課後の小学校のそば。大人としての親たちは何も言わないのかなって、真剣に考えてしまったよ。

*10ケ月以上かけて このマスクに落ち着いた

これだけ毎日毎日、感染の情報が流れている上、入院患者も減らない。医療従事者は疲れているよね。プライベートの時間を我慢してでも、医療に従事している人も多い。余計な仕事を増やさないためにも、一人一人ができることってあるはずだ。

それが限界まで出来ていないのに、ただお願いします、しっかりして下さいって言うのはどうなんだろうか?

言うは易く行うは難しだ。

夏に2ヶ月近く入院していた自分だって、まだ徹底できていないこともある。完璧は存在しないけれど、自分でできる感染対策は、可能な限り確実にやっていきたい。

感染者がまた増え始め、変異ウィルスも力を増してきた。

子供の見本であれるように、大人としてあるべき姿を、今一度見つめなおしてみたい。

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俺の考え 日常生活 趣味

車の個性が、見えない。

ホームセンターに買い物に行ったら、懐かしい車が目にはいった。バブル経済崩壊前後、1990年代の初めの頃にデビューした、トヨタの車。両側に、ガルウィングを備えたセラだ。

*上に向かって跳ね上がるドア

ガルウィングっていうと、子供の頃に憧れたスーパーカー、ランボルギーニー・カウンタックを思い出す。もちろん、ガルウィングを備えた車は、他にもいくつかある。

だが、スーパーカーブームの時代だ、カウンタックの存在は大きかった。平べったいフォルムのボディから、ドアが空に向かって跳ね上がる。カッコ良かった!

それをトヨタが採用して、一般大衆車として世に送り出してきた。いろいろな形の車がデビューした時代だ、新しい車種には興奮したね。スバルのアルシオーネSVX、三菱のGTOなど様々。

バブル経済が許していたのかもしれない、メーカーが様々な車に挑戦することを。車の話題に尽きない時代だったし、雑誌やカタログを見ているだけで興奮していた。F1も大盛況の時代だ。

*スバルのアルシオーネSVX ジウジアーロのデザイン
*三菱のGTO 横幅があってデカかった!

とにかく、車1台1台に個性があった。車の名前の数だけ、個性が存在した。だから、新車が出る日が待ち遠しかった。ネット検索なんて存在しない時代、車雑誌が情報源。後はショールームで見るか、街中で見かけるまで待つか、そのどちらかだった。

そんな時に、このセラがデビューしたんだ。

*この頃 丸みをおびたデザインが出始めていた

久しぶりに見かけて興奮した。持ち主さんに頼んで、写真を撮らせて頂いた。買ったばかりの植物用の肥料を積んでる最中でね、開けていた左側は手で支えていないと落ちて来るとか。

作業中にもかかわらず、わざわざ運転席側を跳ね上げてくれた。時間をとりすぎてはいけないから、急いで3枚ほど撮ってお別れした。持ち主さんと車の両者と。

*かわいくて個性的だった

写真を撮っている時の、嬉しそうな笑い方がとても気持ち良かった。ものを大切にする人達の愛着は、どんなものに対してでも深いものがある。この車のように、2度と生み出されないような個性をもつものに対してなら、なおいっそうのことだろう。

車の形が好きだから乗ってみたい。その車に乗りたいから免許が欲しい。そんな興奮をもたせてくれる車を、見つけられない。

今、車の個性が見えなくなっている。

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俺の考え 日常生活 映画 男はつらいよ 趣味

心のありか。

*寅さんの笑顔が大好きだ!

映画、「男はつらいよ」。

言わずと知れた、この国が誇っていい国民的な映画

寅さんこと、渥美清さんが亡くなって久しい。

でも、このシリーズを見ない日がない。寅さんはいまでも、自分に話しかけてくれる。亡くなっても、その存在意義は大きい。

「男はつらいよ」はシリーズで、全50作にものぼる。もちろん1作目から順番に見るのが一番いい。

でも、何かを学ぶという点では、どの作品から見ても問題がないと思う。自分で切り取りたくなるところが、必ずあるはずだから。

*当時の映画のチラシ

今回は、第8作「寅次郎恋歌」から。

寅さんの妹さくら、そのさくらの旦那、博の母親が亡くなる。岡山でのお葬式に、旅先から寅さんも参列する

*腕に喪章をつけて焼香する寅さん

旅先だから喪服がないので、喪章をつけて飛び入り参加する。それを咎めるさくら。火葬中の待合室で自然とふざけてしまう。写真撮影ではいつもの調子でつい、「はい、笑ってぇ」「はい、泣いてぇ」の言葉が飛び出す。

*ついいつもの調子で…
*「はい、笑ってぇ」「はい、泣いてぇ」…

だけど、ここが寅さんのいいところ。

親族みなが帰った後に、商売の帰り道、独りになった博の父親を訪れる。寂しい思いをしているのでは、そう考えた上でのこと。そこで博の父に、説教めいたことを言われるのだが。感化されやすい寅さんは、その話を聞いて感動、柴又に戻っていく。

振られるたびに、あるいは喧嘩っ早いから、そのたびに寅さんの周りには騒動が絶えない。でも思うんだ。事が済めば仕事を理由に帰ってしまう親族と、父親を気遣う寅さん、一体どちらが人間らしいんだろうかって?

博の父親との談笑する寅さん

人にはそれぞれの理由があるから、一概に何が正しいとか間違っているとか、それは言えないし言ってはいけないだろう。

でも、説教していた博の父親が、寅さんと過ごして楽しくなかったとは思えない。自分がその立場なら、あり得ないと思う。迷惑だと言うさくらの心配とは逆に、心の中では感謝するだろうな。

寅さんのように、自然な形で相手の気持ちを思いやってあげたい。押しつけがましくするのではなく、相手の心に、そっと寄りそってあげたい。何よりも人として、いつもこういう気持ちでありたい。

こんなふうに思うのは、はたして自分だけだろうか。

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俺の考え 健康 日常生活

高血圧対策のために、血圧計を購入!

昨年の夏に手術をした夜のこと、かなり血圧が上がった。入院生活のところでも話をしたと思う。手術した夜なんだから、身動きなんかとれない。機械の警告音がうるさすぎて、おちおち目を閉じてもいられなかった。

そんなことがあったから、入院生活を終えた後も、自宅で高血圧を抑えることに取り組んでいる。

*左が最近使い始めた手帳 右2冊は病院からの支給品

病院から支給された血圧手帳に、毎朝毎晩、測った血圧を記入していく。血圧計は以前も持っていたが、壊れたまま放置していたので、去年の引越の際に処分。退院してから再び買うことにした。

初めに考えるべきこと。据え置きタイプにするか、それとも携帯タイプにするかだ。旅行する時のことなどを考えると、携帯に向く小型のものがいい。据え置きタイプには安定感を感じる。同時に買うのはもったいないので、携帯タイプを買うことにした。

次にメーカーをどこにするか。すぐに浮かんだのはオムロン。他に、テルモ・タニタ・シチズンなどなど。さっそくAmazonで検索する。

最近は、いやもうかなり長いこと、電化製品を量販店で買うことがほとんどない。Amazonか楽天、あるいはショップ直売の通販で買うのがほとんど。中でも、Amazonに頼るのが圧倒的だ。

*初めに購入したオムロンの携帯型血圧計

それでわかるの?手に取らなくてもわかるの?そう思う方もいるだろうけど、そこは研究心と経験がものをいう。このことは、別のところで書いてみよう。今は、血圧計の話をしなくては。

まあ結局のところ、頭の中でもAmazonの中でも、オムロンのシェアが圧倒的なんだ。携帯タイプでも据え置きのタイプでも同じこと。信頼と実績、種類の多さ。オムロンは強いよね。ある商品が気に入って、マウスをクリックして血圧計を決めた。

でも、この商品を選んだことで、後々かなり悩まされることになったんだ。

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俺の考え 日常生活 読書 趣味

読書は必ず役にたつ! その1

本を読むのが大好きだ。生きていく上で、本が役に立つ場面が多いことは間違いない。

とは言っても、以前みたいに、読んだ本の数に執着するような、読書の仕方はしていない。今はもっぱら、気に入った本の再読にこだわっている。

*繰り返し読む 愛読書の一部

それでも、やはり地道に読んではいる。読めば読むほどに、本の魅力にとりつかれていく。本は、自分の知らない知識を、作者が経験談として語ってくれる。それもコンパクトにわかりやすく!

だから読む側は、得しているんだと思った方がいい。

読み進めていくうちに、自分にとって役に立つと思えることが、必ずあると思うんだ。少なくとも自分にはあった。それも少しじゃない、抱えきれないほどたくさんだ。

*ブログを立てるために 文章力も高めたい!

高校の頃は、ほとんど本を読まなかった。きっと、そのせいだと思う。国語の成績が悪いなんてもんじゃない。5段階評価ではの常連者。英語の成績が悪いって言うのなら、世界共通語と言ったって他国の言語だからね、まあ仕方がないとも思う。

でも、自国の言語の成績が悪いなんて、やはり恥ずかしいことだよね。当時はあまり深く考えていなかった。他の教科の成績も悪くて、出来の悪さが平均化していたからね。

古典とかは別としても、なんであそこまで成績が悪かったんだろう。思い返すたびに苦笑いも。試験の時の、この登場人物は何を考えているんでしょう?なんて問いには、答などまったく浮かばない。文章の読み方がわからない。問題文さえ?の状態。

読書の習慣って、やはり大切なんだと思うよ。

読書を繰り返すことで、文章の前後の流れがスムーズに頭に入って来る。登場人物の考えていることを、予想しながら読むことができる。登場人物の考え方によりそうこともできる。

*友人のお薦め 田辺聖子さんの新源氏物語

そうなれば、しめたものだ。好奇心が、読書のペースをどんどん上げてくれる。あの頃、こんな気持ちであれたら、国語の成績ももう少し良かったと思う。今だからこそ、言えるんだけどね。

量をこなすのもいいし、同じ本を何度読むのでもいい。

要は、自分にとって必要だと思える本を見つけること、これが一番大切じゃないかな。自分にとって大切なら、何度でも読みなおすでしょう?読み直すことで愛着も湧く。愛着が湧けば、本の楽しさを知って、もっと多くの本を読みたくなる。最高の瞬間だ。

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俺の考え 日常生活 趣味 音楽

音楽は生きるための、最高の食事。

*オフコースに夢中だった自分のために母親が

音楽なしの生活を、あなたは想像できますか?

自分には絶対にできないよ、断言してもいい。

音楽がなかったら、暗闇を手さぐりで這いずるようなものだ。

音楽は生きるための、最高の食事だと思っている。

様々なジャンルの音楽があるけれど、何を聴いたっていいんだ。自分が聴きたいと思う音楽に、じっくりと耳を傾けて味わえばいい。自分のにふれた時、音楽は絶大な力をもつことになる。

もし、ラジオから一曲も音楽が流れてこないとする。DJがずっと話だけしているんだ。どんな世界になるんだろう?

*ラジオでふれた岡村孝子の優しい声

想像するだけでも、暗闇をさまよいそうだ。1時間枠のプログラムだとして、放送されている間、延々と話し続けることになる。DJの声だけしか聞こえない、こわい…。CMが流れる瞬間を、待ちわびるかもしれない。本末転倒だね、それじゃ

でも、そのCMにも音楽が流れなかったとしたら…。

こんなことを想像してみるだけ、時間の無駄だよね。

それだけ音楽は、人間の生活の一部になっている。毎日毎月毎年、たくさんの音楽が生まれる。新しく生まれた音楽の中には、必ずと言っていいほど、自分が気に入る曲もある。

そして何よりも、音楽に目覚めたころからずっと、自分を支えてきてくれた曲もあるはずだ。その曲は、どんなに新しい曲が生まれてきたとしても、自分の中ではゆるぎない地位を築いている。最後には必ず、その曲を聴きたくなる。言わば、人生の一曲だ。

そういう曲が、あなたにもあるだろうか?

*今 この歌詞は いっそう心に響く

自分にとっては、この一曲。

オフコース の「NEXTのテーマ~僕等がいた」。

生涯にわたって欠かせない、自分にとっての最高の食事。