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俺の考え 日常生活

楽しいを求めて、もう一度。

自分の性格が我儘なのだろうか?それとも、ただの性格なんだろうか?誰にでも言えることなのだろうか?いつも、あることを始めた時はすごく勢いがいい。あっという間に時間も過ぎて、満足感を覚えることも少なくない。でも、ある時点を過ぎると、これでいいのかなんて思い始めたりする。

無理してやろうとするから、どこかしらで壁にぶちあたってしまうのかな。無理してやっているつもりはないんだけど、性格なんだろうか。もっと若いころのように、完璧完全を求めるような生き方は既にやめている。そういう気持ちは脇に置いて、ある程度のゆとりをもって過ごしているつもりだ。

*朝イチの配達で こんな富士を見られたり

でも、その気がなくても、物事を進めている内にだんだんと完璧を求め始めているのかな?ここは直して、あそこも直す。あれも直して、こっちも直す。結局、ゆとりがないやり方に自分を落としているのか。俗に言う完璧主義者なのかな?それが職人さんなら歓迎されることだけど、一つの道を行く職人ではない。

長く続けていることは、自分としても持っているつもり。でも傍から見ると、ただの飽きっぽい人間なんだろうか?仕事には関係ないけど、たとえば腕立て伏せ。何度か話をしたけれど、ロッキーに目覚めた日から入院生活以外は、腕立て伏せを欠かしたことがない。もちろん、主治医の許可が出なかった時は除いて。

*台風の被害が出て 走り回っていた車輛

やらなければ一日が始まらないし、一日が終わることもない。やれないことが寂しいとういう気持ちは、他人様からは想像できないだろうな。腕立て伏せを原点にして、大学時代のバイトも新卒時の就職先も、個人として経験して来た仕事も行ってきたわけだからね。趣味で始めたことが、今までの原点になっている。

でも待てよ、と言うことはだ、仕事も趣味の延長線上に存在していることになるのか?だから、やってこられたのかな?5年前の手術後の3年間、事務職に戻っていたのは完治のためだったのは確か。その中で3つも職場を変えたのは、座ってやる仕事が合わなかったから?座って頑張るのが、無理だったってこと?

*現場までのドライブはワクワク感があった

そう、きっとそうなんだ。座って黙々と仕事をしていられるタイプではないんだ。自宅でPCに向かっていることと、職場でPCに向かっていることは全くの別物。組織の利益のために動いていることと、自分がやりたいことのために動ていること、当たり前だけど全く意味が違う。好きなことはジッとしてでもやれる。

ただし、それを言ってしまうと、自分は組織では働けない人間ということになる。実際のところ、組織立って行う仕事に向いていないのは確かだ。指示通りに動いたり、古臭くても我慢してやってみるということが苦手なのかも。でも、おかしいな、大卒新人の頃はそれができていたはずなのに。

*仕事帰りにお参りも 成田山新勝寺にて

そうか、組織を辞めた理由はそこにあったんだな。時間が経つにつれて自分ならこうやる、この気持ちは誰にでもあると思う。でも、自分の中にある完璧主義的な気持ちが、もっともっとを求めて行って、最終的に疲れがたまっておかしくなったんだ。気づいた時には、退職願いを出していたわけだ。

事務職の3年間を除けば、独りになってからは気持ちが楽になって、その疲れを感じなかった。お金が足りなくて辛い時でも、不思議とやめる気が起こらなかった。借金があっても道具をそろえることだけは続けていたんだから、今思えば笑える話だ。でも楽しかったことは事実、会社で学んだ以上に学び、思い出も深い。

*ビックマックと記念撮影をしたり

趣味は楽しいから続けられる。それは、仕事についても同じことなんだ。会社にいた時楽しく思えたのは、仕事が一番の趣味になっていたからだ。休みに楽しむドライブや映画は、あくまでも仕事の隙間を埋めるためのモノだった。それでも今よりずっと時間を費やしてドライブもできた。仕事に充実感があったからだ。

いくつかの仲介業者さんと話をもっている。さすがにプロだと思う。今日は電話で2人の方とお話ししたけど、1人の方とは70分も話をしていた。相手に対しての仕事のツボを、しっかりと抑えていらっしゃる。故に自分も、軽はずみなことは出来ない。彼らは仕事を楽しんでいる。仲介の仕事が合っているのかな。

組織を離れた人間が、また組織に戻ろうとしている?そうじゃない。可能な限り自主的に動ける場所を探している。せっかく長い休みをとって完治を目指したんだ、もう一度体を動かして、楽しい気持ちを実感したい。もちろん大切なことを忘れない。誰かの役に立っているということが、自分には一番楽しいってこと。

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人生経験 仕事 俺の考え 日常生活

答えはいつも、未来にだけ存在する。

東海地方までは梅雨入りしたのかな?いつもの年よりも、早いのだろうか?沖縄が早いのは天気の素人でも知っている。日本と言っても、かなり南の方に位置していて、石垣島ともなれば本州よりも台湾の方がずっと近い。近いと感じるのは、日本が島国であって、他国との国境線が海の上にしかないからだろう。

南北に長い島国だからこそ、北の北海道と南の沖縄とでは気候にも大きな差があるわけで、それが日本の季節感を豊かにさせているのかもしれない。でも、ここ数年は、強い風が吹くことも多くなった。10年前に現場で働いていた頃に比べると、明らかに気候変動を感じる。大袈裟のようだけど、大袈裟とは思えない。

*ちょうど1年前に出会ったアマガエル

こんな地球全体の気候変動が感じられるような天気の中、6月から先にある自分の生活のことを考えている。もちろん生活のことがあるから、仕事が中心になってくる。5年前は手術の後、2ヶ月以内に仕事を決めたことは話した。でも当然のことだけど、歳も重ねたわけで、実感は薄いが既に51歳になっている。

先日も話をしたが、ある紳士にお話を頂いたように、この歳ならまだ3つも4つも新しいことが出来るのかもしれない。でも、この11ヶ月の間、リハビリを続けて来て思ったことがある。一度を開けられた体は、二度と元には戻らないってことだ。前回の手術からも5年が経ち、前回の方が確実に治り勢いがあった。

*1年前には 何を考えていたんだろうか

誰もが等しく歳を重ね、体力が落ちていくのは、個人差こそあれ誰もが経験していくことだ。左から右の肩へと順番に手術をしたが、世の中にはもっと辛い目に合いながら、懸命に生きている人もたくさんいる。そういう方達に比べれば、いくら用意周到だったとは言え、休業が長いだけの人間だったのかもしれない。

今こうして現実の世界に戻っていく前に、社会に出てからのことをふり返っている。まだ、ふり返る時期ではないかもしれない。でも、この先どう生きて行くかを考える上では、必要な時間だったと思う。前回の手術後は事情があっていろいろと急いだが、今回はしっかりと自分自身を客観的に見つめ直すことができた。

*大学卒業時には 詩集制作の真似事も

個人で仕事をするようになってから20年以上が経ち、自分が強くなったつもりでいた。確かに、大企業という傘の下で守られていた頃に比べれば、かなり打たれ強くなった。何とかなるだろうという楽観的な考え方、これが身についたのは大きい。寅さんを好きでいるのは、寅さんの中に似たものを見ているからか。

ただ同時に、自分で自分の背中を勢いよく押せなくなっている。自分ではこれをやると決めていながら、どこからか出てくる弱さを、いつのまにやら社会や他人のせいにしている。一番嫌いだった他人のそんな姿に、今の自分が似始めている。これがわかり始めた時、今の自分と正面から向き合う必要を感じた。

*いい歳の大人達が 真剣に再就職を目指す

ブログに自分をさらけ出している内に、小さな自分がたくさんあることがよくわかった。だから、いろんな音楽を聴いたり聴き直したり。自分が、無心で頑張っていた頃に聴いていた曲を、何度も繰り返し聴いてみた。ますます、今の自分がつまらない存在になっていることに気がついた。楽観的なようで楽観的じゃない。

どうも理屈っぽくなってる。借金がなくなったことに安心感をもってしまい、やってやるの根性が萎え始めている。古くても良いモノは、ずっと大切にすればいい。でも、古いモノの方が良く見え始めたら、未来に対する真剣さが足りないと思った方がいい。どんなにあがいても、答えは未来にしか存在しないんだから。

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俺の考え 日常生活 食事

お酒はやっぱり、居酒屋で飲みたい。

ブログの記事を100本書いたら、独りで乾杯しようと思っていた。目標通り4月30日に達成したから、その日にグイグイと胃の中に注ぎ込んでいるはずだった。また飲める日が来ることが楽しみにしていたからね、何の銘柄にするかもいろいろと考えていたんだ。久しぶりにビールでまとめようとかさ。

でも、飲まなかった。1月5日以来、アルコールを口にすることをやめてから、すでに4ヶ月以上が経っていたんだ。そうなると不思議な話、ここで飲んでしまうと記録が途切れる、飲まないで済んでいる記録にこだわってしまった。去年までは、あれだけ飲むことが楽しい毎日を送っていたのに、おかしな話だよね。

*久しぶりに飲んだのが Alc.0.5%とは

高血圧への対策として、飲酒の量を減らそうと考えたのは昨年の11月。12月になったら、完全に飲酒しない毎日へと移っていった。1月5日に大阪に行った時だけ、元上司と席を共にしたりしてあれだけ飲んだのに、千葉に戻ってから飲まなくなった。あれだけ飲み食いしたことが、かえって我慢のへ引き金になった。

血圧管理がどうも思い通りにいかない。それも原因だったかな。8年くらい前にも高血圧対策のために1年を費やしたことがあった。でも、その時はお酒をやめていない。毎日ひと袋、365日欠かさず食べていた柿ピーをやめた。お酒はやめなかった。毎日毎日、大汗をかいて仕事をしていたから水分代わりのつもりで。

*このチップスター 美味しかった

でも1年後には、内科の先生から血圧や血液検査の結果に対しての、お褒めの言葉を頂いた。真面目な話、素晴らしいって言われたから嬉しかったな。今でも柿ピーは、人様からおやつにでも出されない限りは食べていないが、それと同じ。血圧の調子がよくなってくると、飲酒もからんでいると思い込むようになった。

去年の入院前日まで、1日に350ml2~3本飲んでいたんだから、1月からお酒をやめている自分が信じられない。信じられない気持ちでいるから、今回も不思議と飲めなくなっていたんだよね。まいったまいった、本当にまいっているんだ。仕事をしていないんだから、飲まないのも当然と思ってはいたけれど。

*ノンアルもこれが一番飲みやすいかも

ただ、後もう暫くは思うように体を動かせないことへの我慢、高血圧対策への我慢、それに伴うお酒への我慢、コロナ感染対策への我慢など、我慢だらけの毎日だからね、知らず知らずの内にストレスがたまり始めていたのかもしれない。好きなことをやっているようだけど、貧乏性には案外つらい毎日なのかも。

意を決した昨晩、とうとうアルコールを口にした。久しぶりだから、1本で200円前後に手を出した。ただし、最近出たアルコール0.5%微アルコール飲料。結局こんなところに落ちがつく。また見えないストレスが生まれそう。長く飲まなかったせいなのか、これでも十分にお酒を感じてしまったから悲しい。

*豆乳の味もバラエティに富んでる

でも、さすがに日本のメーカー。研究熱心さがいい商品を生んでいると思った。ビールから発泡酒、発泡酒から第3のビール、第3のビールからノンアル、よくよく日本のメーカーは商品開発に熱心だ。ノンアルもかなり美味しくなってる。アルコールの味を知らなければ、ただの飲み物として飲んでもおかしくない。

ただ、これも不思議な話んだけど、近頃はノンアルさえ飲まなくなっている。アルコールを口にしないと、ノンアルと比較する必要がなくなるからノンアルさえ飲まなくなる。さらに豆乳緑茶中心の毎日。グダグダと理屈っぽいことを考えるようになていること自体、見えないストレスがたまっていたりしてね。

*早くこんな日が来ることを望む

やはり、雰囲気は大切なんだろうね。ほんのたまに飲むんでもいい。良き友たちと向き合いながら、雰囲気があふれる居酒屋で飲む。飲める楽しさはそこにあるんだと、心から思う自分がいた。

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俺の考え 健康 写真 日常生活 趣味

鹿島川を背に、佐倉を肌で感じてみる。

1ヶ月半ぶりの歯医者さんへ。歯の健康を考えて、昨年の手術前から定期通院している。いわば、歯の定期健康診断というわけだね。世の中には、8020運動なるものがある。80歳になっても自分の歯を20本以上保とうという運動だ。歯は体のバロメーターでもある。ちょっとした痛みが頭痛にもつながることも多いから、ケアを怠らない方がいい。

*うすい青をした空と田植えが終わった田んぼ

自分は昨年の入院直前に、長期にわたる入院のことを考えた上で歯の神経を1本抜いてしまった。抜いてしまうと痛みはなくなるが、虫歯になっても痛みを感じなくなる。そこで普段から細やかなケアが必要になってくる。そこで、定期通院することにした。

*この電車はに西馬込まで行くんだね

退院してから神経を抜いた歯にかぶせモノをし、20年の通院歴がある先生の指示に従い、ちょっとした違和感も見逃すことがないようにケアに暇がない。かぶせモノが隣り合う歯とのバランスもよくなったし、ここのところは虫歯も発生していない。

*やはり蛙は平泳ぎが似合う

歯並びが悪いから、歯ブラシもいろいろな種類のモノを使い、歯間ブラシも隙間に合わせて使い分ける。先生たちから指示があった磨くのが難しい場所については、特に念入りにケアをする。前回に比べて、歯周ポケット2㎜浅くなったところもあった。

*潜っては顔を出して見ている別の蛙

自分については、血圧のことも含めて管理すべきことが多い。血圧はかなり低いところに安定してきたが、ケアも過剰になり過ぎるとストレスになり、かえって悪影響を及ぼすこともある。それゆえに楽しく進めることが大切で、生活とのバランスが必要だ。

*橋のたもとには釣り人たちが多い

帰宅する前に、ウォーキングしながら写真を撮った。5月中旬でも気温はかなり高い、直射日光が体に重い。でも、外での仕事が多かった自分だ、陽に腕が焼けていく様子には、不思議と快感さえも覚えていく。陽の光は、やはり気持ちよくありがたい。

*景観を考えて建てるべきだった

去年の2月まで19年間も暮らしていた場所に近いところ。勝手知ったる場所に車をとめ、よくウォーキングしていた道を歩きながら写真を撮る。本佐倉あたりと似ているようで、また違った雰囲気がある田んぼ。何よりも京成電鉄の線路が目の前を走る。

*アメンボはいつ見ても気持ち良さげだ

水を引いたばかりの田んぼもいいが、田植えが終わり苗が整然と並んでいる田んぼも又いい。雲が映っていたり、樹が映っていたり、何よりも水は様々な生物にとってのオアシスになる。アメンボが水面をスイスイと進み、蛙が水中に向かってダイブする。

*都営浅草線の赤は緑によく映える

印旛沼にそそぐ鹿島川と京成電鉄の線路の間をベースにして、歩き回ってみる。この辺りで見ていると、京成電鉄はカントリーレールロード。上野都営浅草線周辺とはまるで違う世界を走っている。でも、都会と田舎の二面性にこそ味があるんだ。

*指揮者のような 1羽だけの白鳥

いつもと変わらないウォーキング。でも、ただの田舎ウォーキングにも、突然の瞬間はやって来る。川の方から大きな音がして、1羽の白鳥が岸の近くで水浴びを始めた。この時期に白鳥?とも思ったが、首の動きや太さに惹かれて、暫く見入っていた。

*この白鳥 釣り人とほどよい距離を保つ

2時間弱だったが、昨日陽に焼けた腕がさらに焼けた感じ。半袖の下にある白い肌とのツートンを、心地よく思える季節が近づいている。いろいろとある毎日だが、下を見ているばかりでは歩くことはできない。空を見上げて気持ちいいと思うなら、上を向いて歩いていれば、この先きっと楽しい何かが待っているだろう。

鹿島川に吹く風が、気持ちいいと思えた佐倉の土曜日。

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俺の考え 写真 日常生活 趣味

本佐倉城を歩き、初夏の中で自然と遊ぶ。

リハビリを終えてから、久しぶりに本佐倉城を歩いて来た。前回訪れた時は、草を刈ったばかりだったので残念な思いもしたけれど、やはり自然の力はすごい、あっという間に元通りになっていた。少し写真を多めにして、歩いた順に話をしてみようか。

*空にはほどよいくらいの雲が浮かんでいた

去年の8月に退院した後、9月からリハビリのために通院を開始した。この方向から、なんど空を見上げたことだろう。残暑の季節に始まり、冬を通り抜けて春を迎え、今すでに梅雨の直前のところまで来ている。あらためて1年の早さを感じている。

*大きな車ではすれ違いは難しい

本佐倉城の駐車場に入るまでには、いったん田んぼ横の細い道を通る必要がある。主要道路から入って来た道は、最近になって広く整備する工事が終わった。でも、直前の道を整備するには少々無理があるし、できればこの景観は残して欲しいと思っている。

*すでに田植えが終わっていて 綺麗だ

お城の周りの田んぼは、すっかり田植えを終えていた。自宅に近いところの田んぼもそうだけど、基本的に何処に行っても、田植えを終えた時の日本の風景は似ている。同じお米を栽培していても、中国や東南アジアの風景とは異なる日本独特の風景だ。

*いつもの木のベンチは 気持ちが休まる

前回に来た時は、この辺りの草が刈り取られていた。あれから1ヶ月は経っていないはずだが、夏に向かっていく時の草花の成長はかなり早い。うすい緑色をした草と、その上に顔を出す一面の黄色い花たち。木で作られたベンチが野に溶け込んでいる。

*ただの野に咲く花が案外親しみをもてる

花壇に整然と咲いている花は綺麗だと思う。ただ野の中で、ありのままの姿で咲く花には別の趣がある。どこにでも咲いているような花だけど、少しでもその命を奪わないように歩く時はかなり気を遣うようにする。自然の世界への畏敬の念をこめて歩く。

*城内の遊歩道の真ん中を占領してた

いつもの遊歩道に何か見えると思って近づいたら、人が歩くのを邪魔するように、真ん中の位置にタケノコが生えていた。確か去年はなかったはず。他にも生えてきて道に壁を作ってしまいそうだけど、人の心は不思議なもの、このままがいいとも思える。

*一旦逃げたのに いつのまにか見られていた

おっ、猫がいる!と思って近づいたら逃げてしまった。残念なことをしたと思って離れてふり返ったら、ジッとこちらを眺めていた。なかなか結構な面構えをしている、少し警戒を解いたのかもしれない。かなり近づいて過ごした、久しぶりの楽しいひと時。

*樹は根の姿同様 枝も味わいがある

樹を見ていると、特に根っこに魅力を感じる。地面から顔を出しては、潜るようにして地面の中に戻っていく姿は力強い。でも枝にも別の魅力がある。太く伸び伸びとした枝もいいけれど、細いながらも伸びる方向が定まらない枝には別の魅力がある。

*今年初めて 緑のアマガエルを見た

お城の周りの道に出て、田んぼをのぞきながら歩いてみる。何処で鳴いているのか、蛙の声があちこちから聞こえる。ようやく1匹が姿を見せた。こうなると追いかけたくなる性分。右へ左へ飛んでいくのをカメラで追う。いつ見ても、可愛い姿に心が和む。

*おたまじゃくしの動きも活発だ

まだ蛙になる前のお仲間もたくさんいる。子供の頃に、おたまじゃくしから蛙に変わっていく過程を観察していた記憶が。自分に子供がいれば、そんなことを又やっていたのしたかもしれない。まあ、自然の中で育っていくのが一番いいとは思うけれど。

*獲物をねらうザリガニの動きはすばやい

最後はザリガニとのご対面が叶った。おたまじゃくしを追いかけていたのか、進んでは止まって隠れるの繰り返し。ハンティングするところを見たかったが、こちらを気にしているのかあっという間に視界から消えた。この季節は、心が躍って本当に楽しい。

*初対面だったが 親しみをもってしまった

もう一度、猫さんに会いたかったなと思いながら、今日のお城を後にした、初夏の週末、金曜日。

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人生経験 仕事 俺の考え 日常生活

ワクワクがあれば、仕事にも花が咲く。

仕事にワクワクできるって、大切なことだよね。

どんな仕事だっていいんだ、自分がやりたくてやっている仕事なら、可能な限りたくさんのワクワクをもちたい。たくさんのワクワクをもって楽しく仕事をしたい。淡々と惰性に任せた仕事を続けていても、楽しい気持ちは生まれない。楽しい気持ちがあるからこそ新しい発見も生まれ、仕事自体が進化していく。

岐阜の大垣で仕事を始めた頃、たくさんのワクワクがあった。これから始まろうとしている仕事に、ワクワクを持ていないはずがない。3ヶ月の新入社員研修を終えたばかりなんだ、研修は新人にを持たせてくれるもの、ワクワクはピークに達していた。最初の挨拶をした時、それはそれはやる気がこぼれていた。

*入社前に渡されて 入社前に読み込んだ

そんな自分の最初の仕事は、従業員カードを書くことだった。

令和3年の今年は平成にすれば33年、入社した平成5年は28年前の話になる。西暦で話した方が世紀を超えて、時間の流れを感じられてわかりやすいかな。平成5年は20世紀の1993年で、今年は21世紀の2021年、随分と時間が流れたものだ。
だが、28年前でも、従業員カードのシステムは古臭かった。

そのカードというのは、A5サイズで見開きA4サイズの紙製。裏表に記入欄があり、すべて手書きで記入していく。しかも入社だとか退職だとかは、ゴム印を押していくことになっていた。平成5年にあって、昭和会社設立当時の頃のような雰囲気が残っていた。でも、自分にとってはただの仕事に過ぎなかった。

配属初日からまず3日間、朝から夕方まで毎日、カードの記入を続けていた。電話をとることと先輩社員から頼まれること以外、ひたすら記入だけ続けた。全国にある全店所の従業員のカードが本社で集中管理されている。店所では連日、運転手の入社と退職が繰り返されていたから、記入する数も半端じゃなかった。

でも、それはただの仕事に過ぎない。そもそも、配属されたばかりの新入社員に、どんな仕事が大切だとか必要だとか理解できるはずもない。目の前に与えられたものはただの仕事記入とゴム印を押すことだけが自分がやるべきことだった。古臭いなどと考える時間も、考える必要もなかった。こなすしかない。

*どんなことでも 自分の手で始めなくては

その仕事そのものは、3日間で終わるものじゃない。入社と退職が繰り返されるかぎり、当時は半永久的に続いて行くように思えた。それでも、処理していけば数が増える。そんなことにさえワクワクを感じていた。数をこなすことが楽しく、右手はインクで黒くなり、擦れてツルツルしていたように思う。

たぶん、今の時代の新卒者がそれを見たら、驚くどころか入社する会社を間違えたと思うだろうね。自分が入社した年から4年ぐらい後の社員でさえ、その古臭さに嫌気がさしていたみたいだったから。自分でもよくやったと思うよ。配属初日から3日間、初日から残業してカードの記入とゴム印を押し続けていたんだ。

処理した数が増えることに、ワクワクを感じることができた。

もし今でも、その仕事が残っていたとしたら、当時は仕事と思っていた自分も仕事として肯定しないだろう。ペーパーレスの時代だ、それを仕事として残しているのなら、そういう会社の未来には疑問符をつけるだろう。それがたとえ、自分がお世話になった会社だったとしてもだ。さすがに今、カードはないかな。

*こんな気持ちになるように働きたい

ただ、忘れてはいけないこともあると思っている。

たとえ時代遅れでも、それが仕事であるかぎりは仕事である理由が存在し、誰かがそれをこなす必要がある。まずはやり遂げる必要がある。古臭いなどと考えるのは後のことだ。ワクワクを持てないなら、ワクワクを持てるような仕事の方法を考えればいい。自分自身が一番ワクワクできれば、仕事自体にも花が咲く

古臭いものを古臭いと思ってやれば、ますます古臭くなるだけ。やっている自分まで古臭く見えて、自分自身まで腐っていく。少しでもワクワクをもって仕事に向き合いたい。時には気持ちが萎えることもある。でもワクワクがあるかぎり、仕事から楽しさは失われない。自分自身の気持ちの持ち方がすべてを変えていく。

仮に今でも、従業員カードを記入する仕事があるのなら、もう一度やってみたい気持ちがある。紙に記入していく仕事は案外心が落ち着き、そして温かいものがある。それが毎日、日記を書いている理由であるのかもしれない。

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イスラエルを見て、日本の状況を考える。

いまさらだが、イスラエルという国はすごいんだなと思った。

この新型コロナウィルスへの感染対策について、ワクチン接種への動きが迅速だった。現在では感染もほぼ終息し、市街地でもマスクをせずに歩く国民の映像が流れている。ワクチンの確保には、当初からが動いたとか。これも常に準有事の状況の中にある国がなせる業なんだろうか。

イスラエルは常に準有事の状態にある。長く周辺のアラブ諸国との対立が続いているわけで、それは自分が小学生の頃から変わっていない。今回のコロナ対策についても、すぐに国の準有事と位置づけ、軍が対策の前面に立ったわけだ。それによって、ワクチンの確保接種の仕組みづくりの両面で成功したらしい。

その動きはかなり早い。ワクチン確保のために世界の製薬会社の開発状況をいち早く把握し、情報収集イスラエル国防軍が行った。政府は軍の情報機関の人材を集め、コロナ関連の情報を集約する場所を設け、感染状況と世界のワクチン開発の情勢を調査した。それを政府に報告し、ワクチンの早期確保につなげた。

*メルカバを 後ろからみたところ

戦後の日本の状況とは対極にあるわけだから、単純に比較をすることはできない。ただ日本には、緊急事態宣言と言っておきながら、緊急事態に直面しても即座に対応していけるシステムが存在していないようだ。要は、準有事に対応できる心構えがないということだろう。どうだろうか?

学生の頃だったと思う、以前に話をした仲間たちとの飲み討論会での話。イスラエルの戦車の話になった。メルカバって言うんだけど、こいつがすごいって。敵にやられてもやられても、パーツを付け替えるだけで蘇ってくる不死鳥めいた戦車だって。現実には走行不能にもなるんだけど、乗員の生存第一で設計されてる。

日本に比べれば狭い国土少ない人口。国が戦い続けるためには無駄に人を死なせるわけにいかない。普通なら後ろにあるエンジンを前に置き、被弾時に装甲の一部として機能させる。他にも車内のあらゆるモノが、乗員と弾薬に対する防護として働くように配置されている。すべてが生存第一の思想に基づいている。

*メルカバについて 参考として

これは自分がよく考えていることだけど、日本経済新聞にも同じような内容のコラムがあった。

1867年に明治維新を迎えた日本は、1945年の敗戦に至るまで、多くの戦争を経験している。日清戦争日露戦争第一次世界大戦への参戦、そして日中戦争に始まる太平洋戦争。常に戦時体制の有事の中にあったことになるが、戦後から現在に至るまでの76年間、平和を維持している。アメリカ軍という傘のお蔭で。

その結果、日本は平和が続く平時を前提にした体制しかなく、緊急時の状況にはいっても頭の中を切り替えることができないでいる。イスラエルをはじめアメリカイギリスは、当初は多くの死者を出したが、その後の緊急時への切り替えが早くワクチン接種で先を走る。法的な強制力も持たない日本はもろさを露呈した。

*こんなマスクなら 限りなく完璧か

今日のニュースを聞いていると、65歳以上の方のワクチン接種さえ、7月までに終えられるかどうかという感じ。51歳の自分が受けられるのは秋以降だと考えている。

そうなると、ますます自己防衛を強化していく必要がある。去年の春の話だが、現場の大工さん達と話していたこと。本当に自分の身を守りたかったら、軍隊用の毒ガスマスクでもしないといけないかもねって。笑い話のようだけど、真面目に話していたのを覚えているよ。現実に、1年経っても収束しないんだからね。

コロナ対策における優先順位をもたない戦略、縦割り組織の弊害による遅々として進まないワクチン接種、明確な根拠をもたない何とかなるだろうという楽観的思考地震や台風への対応は早いが戦争などの有事への危機管理意識の欠如。今後の日本のためにも、根本から改善すべきことがたくさんあると思える。

現在のイスラエルの状況を見ていて、素人ながらも日本と言う国を考えてみたよ。

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100歳の女性、V字回復が教えたこと。

素直に驚いた。聞いてビックリ、見てビックリだ。

皆さんは見ただろうか?テレビ画面に映っていた、ご婦人のつやつやした顔を。前屈運動をしている様子を。これがV字とか言って椅子の上で、お尻を軸に手足をV字にしていた元気な姿を。

同居していた次女にあたる方と1月にコロナに感染、1ヶ月近い入院を経て回復、昨日の記者会見に至ったとか。パスポートの有効期限が102歳までなので、あと1回ワクチンの接種をして又旅に出たいとか。このご時世だから、現実的ではないにしても、何とも元気があふれていて、こちらが元気をもらったぐらい。

*青魚の鯖は健康に良いと言うが

映像を見た時、なんて表現したら良いのかわからなかった。前屈運動をしている姿は、自分よりも体の柔らかさを感じた。あそこまで曲がるとういうことは、日々の努力は相当なものだろうね。相当って言うのは、1回に行うエクササイズの量が多いとか激しいとかではなく、長く地道に努力をしてきたってことだ。

当たり前の話だけど、100歳まで生きるというのは100年、すなわち1世紀だからね。子供が生まれて孫も生まれる、それは重なるようにしてつながっていくわけ。今は21世紀、100歳で亡くなった時に1人生まれるとしたら、この世には21人しかいないことにも。少し可笑しなことも考えてみたり。

*祖父母も父母も 芋で戦前戦後を生きた

昨年、102歳直前で亡くなった祖母は大正生まれ。関東大震災の年に生まれて生きて来たことになる。でも、最後は寝たきりだった。このご婦人は自力で、普通に歩いて普通に笑って普通に運動していて、そして今なお海外旅行への願望までもっている。もはや願望ではないよね、いい意味で野望にも感じた。

いい意味で世界を制覇するような印象まで受けた。入院中は積極的にコミュニケーションもとっていたとか。驚きを隠せなかったな。元気の源を、自分でハキハキと説明できる、誰もが真似できる姿ではないよね。世の中では人生100年などと言い始めているけど、それを万人に望みたいのであれば学ばないとね。

江戸時代の平均寿命は40歳前後?まあ、長生きした人だっていただろうけど、日本人の平均寿命が延びたのは戦後からのこと。生きてい行く上での条件が良くなったのかな。それでも、自分の知らないところでは若くして亡くなっている方も多い。あくまでも平均の話であって、現実には尊い命がたくさん失われている。

*近頃食べていないせいか 無性に食べたい

要するに長生きしていると言われても、介護のいらない元気な期間としての健康寿命を延ばすことは、容易なことではない。寝たきりになれば当然だけど介護が必要。祖父母もその例にもれなかった。祖父は祖母が中心になって介護され、祖母は介護を職業にする方達が中心になって介護された。

今は自分も元気だけど、仮に歩くペースが遅くなっても、自分の力で歩き続けられるかは未知の世界になる。自分の体のことは自分が一番知っているなどと言っても、それを保証できるものはない。5年前に伯父すい臓がんで亡くなったが、前年に会った時は元気だった。がんが見つかってから半年弱で亡くなっている。

こうして考えると、昨日のご婦人の元気な姿は見事だった。元気でいるだけではなく、コロナの感染から回復したということがすごいことだった。介護が必要な部分もあるのだろうけど、見た目にはそんな素振りを感じさせなかった。これこそが奇跡だなんて思ってもおかしくない。

*シンプルなコロッケに魅力を感じる

だから又考えさせられた。このご婦人のように、健康で長生きを続けるにはどうしたらいいのか。人は一度しか死ぬことがないから、やはり死ぬことは怖いと思うんだよね。死ぬのが怖くないって言う人がいるけど、最初で最後の経験を怖くないと言えるのかな。その瞬間を迎えなければ、わかるはずがない。

もう思い残すことはないって、映画やドラマのセリフにはあるけど、心からそう思える人がいるとしたら、それこそ健康寿命を全うできて、やり残したことがないんだろう。それならば自分などは、やり残しだらけで死を恐怖で迎えることになる。やはり今のままでは心残りが多すぎる。もっと積極的に生きなくては。

100歳まで生きることが、人生の目標ではない。

だが、このご婦人が見せてくれた元気な姿は、生きることの楽しさ生きられることへの喜びを、あらためて教えてくれた気がする。この先、何をやっていくにしても、ますます楽しいと感じられるような生き方をした方が良い、素直にそう思えた。人生の大先輩達は、その姿をもって多くのことを教えてくれている。

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文章のぜい肉、引き算するのは難しい。

電子版で新聞を読むことが、すっかり定着した。紙には紙の良さもあるが、電子版にはたくさんの良いところがある。どこにいても持ち歩くことが出来る上、保存しておいた記事をいつでも何処にいても読めるということ。活用したいと思った時、たくさんの保存してある過去の記事を、瞬時に読めるのはありがたい。

昨日のコラムに、興味深い内容があった。読みながら少しずつ納得してしまうから、なかなか進まない。読み終わった時には内容がすべて頭に入っていたぐらいで、満腹な気持ちだった。

*無駄にはならない 引き算不要のモノ 1

タイトルは、「現代人は『引き算』が苦手」。

一般的に、ベッドは脚が4本だ。その脚が3本はずれてベッドが傾き寝心地が悪くなった。あなたならどうしますか?って内容。

3本の脚を付け直そうと思ったとしたら、何かを見落としていることになる。すなわち、残った1本の脚もはずすという考え方が欠如しているとか。寝心地の改善だけなら、残る1本もはずしてしまえばベッドは平らになるし問題は解決する。人間は足し算を意識し、引き算を軽視する傾向にある。ある大学の研究だとか。

多くの人が足し算的な考え方をしたとか。3本の脚を付け直すには手間がかかる。ベッドが傾いているわけだから、支えながら平行にして付け直す必要がある。一方で、1本の脚をはずした方が支える手間もなくはずすだけ。でも人は、引くよりも追加することで解決をする傾向にあるというんだ。

*無駄にはならない 引き算不要のモノ 2

日常生活を考えてみた時、同じようなことがないのか考えた。

昨年19年ぶりに引越をしたけれども、移動時にかなり捨てたつもりだったが、手術後に感じたのは、捨てきれていなかったということ。休業で長く自宅にいて、どれほど使うものがあっただろう。メインの部屋にあるものだって、すべてに手をつけているわけじゃない。モノが増えていることが、今では疑問にも思える。

必要だと思った時はかなり真剣に考えて買っているから、捨てるのがもったいないと考えるのが当たり前。でも使わなくなっているなら処分したいが、売っても微々たる金額。それならいっそのこと、このままにしておこうと考える。部屋が無駄とシェアを始めることになる。それが積み重なり、気づいた時にはもう遅い。

今は物欲もそんなにないが、必要なものはある。そこで又、追加されて行く。必要だと思い込んでいるだけで、本当は必要ないのかもしれない。だからこそ、今使わないものが存在しているのかも。追加することができても引くことができない。増えたら増えっぱなし、部屋がさらに無駄をシェアしていくことになる。

*無駄にはならない 引き算不要のモノ 3

ここまで考えて来ると、自分の頭がおかしいんじゃないかと考え始める。新聞の内容から脱落しているんじゃないか。いったい自分は何を言いたいんだ。モノを増やすことは簡単だが減らすことは難しい。買うことは出来ても捨てることは出来ない。足し算は出来ても引き算的な思考は難しい。間違ってはいない。

要するに今日のこの文章全体が、ぜい肉が多すぎて哲学めいたものになってしまっている。ぜい肉を落として筋肉質な文章にしていくことが、いかに難しいことか。文章を書く上で、追加し過ぎたぜい肉を、いかに上手く引き算しながら、文章をひきしめるたらいいのか。コラムにからめて考えるつもりが引き算できない。

さて、言いたかったことが伝わっっていますでしょうか?

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最近の曲は、イントロが短くなった。

最近の曲はイントロがかなり短い。10秒も無いような曲も多いようだ。70年代や80年代の昭和の音楽、90年代の平成の音楽が好きな自分からすれば、何とも物足りなさも感じている。当時の音楽を聴きなおすほどに、その気持ちが大きくなることも。なぜかなって考えてみたら、丁度いい番組が放映されていた。

https://youtu.be/RWkPVC0EKc8
*イントロが約38秒 1秒目で曲がわかる

番組の中で、イントロが短くなっているのは、故意に短くしているみたいな答えも聞いた。要は、定額で音楽を聴けるサブスクリプションが全盛になっている今、イントロが長いことは致命的にもなると言う。長過ぎると視聴者がすぐに次の曲に進んでしまって、その曲を聴いてくれなくなる可能性があると言うんだね。

もうひとつ答えがあった。以前は歌番組が多かった。トップテンとかベストテンとか、かなり楽しみにしていたものだ。番組の中で、歌手がインタビューを受けてから歌う準備が必要で、そのためにはイントロが長い方が良かった、そんなことも話していたんだよね。準備のための時間稼ぎには、イントロも長くか。

どちらの答えにせよ、一理あるなとは思った。番組の中での実験のように、最近はイントロが6秒や8秒の曲が多く、中には0秒に近い曲もあった。短ければすぐに詞を聴けるわけで、視聴者もその曲の中に入っていってくれるというわけだ。すべての曲が短いわけではないよ、あくまでも多いって話。

でも待てよ、オフコースにもイントロが短い曲はあったな。

https://youtu.be/X5z2h_A1SVo
*オフコースの曲はイントロだけでも価値が

まあ、答えを1 つにまとめようとすれば、こんな感じにもなるんだろう。実際のところ、最近の曲は確かにイントロが短い。だからなんだろうか、平均的にみて同じような曲に聴こえてしまうんだよね。自分だけがそう感じているのかな。いや、そうでもないみたいだよ。同じことを言っている人は、結構いるようだ。

今、日経の夕刊の「明日への話題」というコラムを、アルフィー高見沢俊彦さんも担当している。先日の記事でこんな話をしていた。最新シングルではイントロは34秒ある。前奏が美味であればあるほど、メインディッシュのメロディや歌詞が生きてくる、だから今後もイントロを短くするつもりはないってこと。

さすがだなって思った。さすが、音楽界の大御所のおひとり。この高見沢さんの言葉の中に、自分が感じていることへの答えもあるように思えた。

あくまでも自分の考えだが、昔の曲は全体を通してドラマチックだったと思う。イントロAメロBメロサビ大サビも、そしてアウトロも、どれも欠けてはいけなかった。どれもが歌全体を構成する大切なパーツだった。イントロはその曲の名刺がわりみたいなもので、イントロが始まればすぐに曲名がわかった。

*酔いしれた名曲 イントロは25秒くらい

それが今やイントロ自体があってないようなもの。たまに長いなと思える曲に出会えても、あまりインパクトを感じないんだよ。イントロのこともさることながら、全体的に音が軽く感じられるんだ。詞もどこかで聴いたよう内容が多い。素敵な曲はたくさんあるんだけど、聴き直したくなるのは昔の曲が多い。

自分がその時代に青春をしていたからじゃない。青春なら今でも真っ最中だ。なんだかな、深いんだよね、詞も音も。

TKこと小室哲哉さんが、悪い話でマスコミの話題になったことがある。そういう時のマスコミは、こぞって粗を探すようなことをして記事にする。TKの音楽はつなぎ合わせの音だって言う輩もいた。とんでもない話だ。TMNTRFgloveの曲、渡辺美里に書いたMy Revolution、TKには数知れずない名曲がある。

つなぎ合わせの楽曲なら既に飽きていて、20年以上経った今になって引っ張り出してまで聴いたりはしない。TKサウンドが好きでたまらないって人も多いんだ、音楽の世界を混同して考えるようなことはやめて欲しい。Get Wildなんて今聴いたって新鮮だし元気も出てくるよ。イントロを聴くだけでも満足できる。

*イントロのアレンジがすごすぎる 約2分弱

20年も30年も前の曲が、なんで今も新鮮に聴こえるんだろう。

やはり、全体の作りに人間らしさがあるのかな。作りこまれているって感じるんだ。考え方は人それぞれだろうけど、イントロひとつにも手抜きを感じられない。そして、この人ならではの、このバンドならではのオリジナリティというものが、しっかりと曲に反映されていた気がするんだよね。似てるを感じなかった。

これからの時代は、様々な分野で自動化も進む。機械に任せられるところは任せることになる。そうした時、人はもっと創造の世界を中心に生きることを迫られる。音楽の世界もきっと同じだろう。だからこそ、音楽の才能にあふれる人たちには、つねに人間くさい音の追求を続けてほしい。そういう音楽は必ず、時代を超えて歌い継がれていくと思っている。