戦前の公募で生まれた標語、娘の名で応募したある父親の作品。あまりにも有名な標語だ。昨年、新型コロナウィルスの感染が騒がれ始めた頃、再び世に出回った。句読点を入れて読んでみる。
戦争当時と今の状況下での我慢とを、単純に比較はできないが、我慢が必要なことには変わりがない。感染が始まって緊急事態宣言が出された昨年から既に1年、状況は好転していないようだ。
好転するどころか、第4波がきた上、もっと始末の悪い変異ウィルスなるものが、世の中を脅かし始めている。正月明けに始まった2度目の緊急事態宣言を、いとも簡単に解除した理由をしっかりと聞いてみたい。
1年間かけて、いったい何を学んでるんだろうか。決断すべき立場にいる人間が、厳しさを前面に出すのは一体いつなんだ。必要な時に親が子をたたけない時代、その結果がこの優柔不断さなのか。
まん延防止って何なんだ。緊急事態宣言を早々に解除してしまった責任逃れ、そのために言葉遊びをしているようにしか思えない。テレビや新聞で毎日繰り返される、頭への刷り込みのようなニュース。自分たちはいったい、どうすればいいんだ。
長い休業中とは言っても、先週は7日間の内5日間を自宅で過ごした。体を動かさないわけには行かないから、自分なりにリハビリも兼ねたエクササイズもしている。できる範囲で。お世話になっている先生や若いリハビリの先生たちを、感染などでがっかりさせるわけにもいかない。可能な限りの自己防衛をしているよ。
でも、世の中は違って見える。仕事は必要だ、当たり前。
ただ、週末になれば人が多く出るとわかっている場所に、なぜ人が集まるんだ。インタビューを受けて気をつけますって、そこは密集している場所だからインタビュー受けているんだろう。おかしいと思わないのか。矛盾だらけの答えを口にするなら、インタビューなんか受けない方がいいと思うよ。
何も学んでいないんだよね、1年かかっても。日本という国自体がコロナのことで、いかにDXに出遅れた国であるか明確になったんだ、個人のことなら仕方がないとあきらめるべきか。でも個人が集まったのが国家なんだ。やはり、同じことのくりかえし?
何度も話すけど、昨年の長い入院生活の時もずっと看護師の方達の苦労を見てきた。通院で正面玄関を通るたびに、隙のない防護服を来た係員の方が、検温をお願いします、消毒をお願いしますって口が乾いてしまうぐらいに繰り返している。
例えそれが、今は仕事であったとしても、同じ場所に立ち続けて首を前後に振り続ける姿は、まるでロボット。でも彼等も人間だ。疲れだって覚えるよ。余計な感染者を増やして、首を振る回数が増えたらと思うと、やはり感染対策には我慢も必要だよね。
我慢が長引けば生活にも支障が出る。子供たちはエネルギーの置き所がなくなる。精神的負担も増す。いいことはない。でも感染を広げるわけにはいかない。
DXも含めた、仕事や生活のトランスフォームを断行するしかないだろうね。感染が収まったと思えた時に元通りでは、意味がないと思うんだよ。
欲しがりません勝つまではの結果、日本は戦争に負けた。東京は焼け野原になり、広島と長崎には原爆が落ちた。その敗戦の先にはさらに我慢の時代が続く。その結果として今の日本がある。
自分が出来る我慢は、当時の我慢とは比較にもならないが、少なくとも屋根があるところで、ご飯を食べることはできている。
「欲しがりません、勝つまでは。という標語」への4件の返信
マスクなしに安心して外に出られる日がいつかは訪れるのかな
せめて2年後にはそうであってほしいと心から願います
自由気ままな鴨さんに癒されました
いもちゃんさん、こんばんわ。
いつもコメントを頂き、ありがとうございます。
鴨は自由にわが道をだけを行く、そんな毎日なのかな。
それでも自然の中で生きて行くには、人間の想像が及ばないこともたくさんあるでしょうね。
外見だけなら可愛すぎますけど、一度でいいので、本音を聞いてみたいですね。
でも、癒しの姿を与えてくれることに、深く感謝です。
きみさん、お疲れさまです。
さやかです。
『欲しがりません、勝つまでは』のフレーズを聞いたり見たりする時は、東京事変のキラーチュンの歌詞で『もっと欲しがります 負けたって』をどうしても思い出します、不謹慎かなと思いますが…。
まるまる1曲聞き終えると、精神世界の事を歌ってるんだろうと思います。
私はなかなか本を読みませんが、歌詞でいろんな事を考えてます。
さやかさん、こんばんわ
いつもコメントを頂きまして、ありがとうございます。
とても、いい歌詞だと思います。
人間の欲望を「言い得て妙」ってとこですね。
実際、それが一般的な人間の姿だと思います。
欲しがりません~は、欲望を力づくで抑え込んでも戦争に勝つ、
そんなイメージがありますから、人の欲望を許さないことが前提ですよね。
平和な時であれば、限られた人生、欲しい物は欲しい、
やりたいことはやりたい、求めなければ人生はつまらないと思います。
生きている限り、我慢の場面にはいくらでもぶち当たります。
でも、我慢の先には、必ず楽しいって気持ちをもてると信じていたいですよね。