お世話になった社長さんから離れ、個人で仕事を始めた。内容は運送業。新卒で入社した西濃運輸から始まり、地元の運送会社で見たこと、自分の中にあった肉体労働への思い、合わせて考えていったら、やはり運送業に収まった。事務的な仕事ばかりだったから、本格的な肉体労働中心の仕事は初めて。
でも、勢いだけの無計画、資金もなし。そこで知人からトラックを借りることにした。平成5年製の、距離数があまりのびていなかった状態のいいもの。荷台の箱は三和シャッター製で出来が良かったが、箱の中の装備は長距離を考慮していない簡単な装備。まず何が出来るのか?考えたのは建材を運ぶということ。
同じ形をした箱ものや袋状のもの、ほとんどが重量物で個数をこなすことが中心。積載をオーバーしない範囲で積込み、千葉県内の現場を中心に運ぶことにした。自分で直接荷物を取れる立場ではなかったから、少し前からお世話になっていた老舗の運送会社さんを通して、毎日のように仕事を頂くことにした。
初めは重さも感じたけれど、慣れて来ると、この重さが快感になって来る。それと数をこなす楽しさ。トラックの扉がシャッターだとガッチリしていた反面、開けて押し上げた分だけ荷台のスペースも取られる。天井まで満載で積むには工夫が必要だった。数をこなす必要があったから、とにかく頭をひねったよ。
納品先は建設現場が中心で、工務店さんの倉庫に入れることもあった。現場ではヘルメットをかぶるのが基本。現場で頭をぶつけた大工さんが血を流しているのを見たこともあったので、頭を守ることの大切さはよくわかっていた。現場に着いたら、反射的にかぶるようにしていた。かぶるたびに、気が引き締まったね。
現場に組まれた足場の間をくぐり抜け、室内の指定された場所に十字に組んで積み上げる。現場内は基本的に土足厳禁。脱いだ後に靴に履き替える時間が惜しくて、靴下のまま歩いていたから裏はいつも汚れまくり。とにかく、商品の数と回る現場の数をこなすことが大切。運ぶ際にひねられた腹筋が硬く鍛えられていた。
ほぼ同時期に、納品をする人達がいた。内壁に使う石膏ボードを運ぶ運転手たちだ。彼らの仕事がまた、力と搬入技術を必要とされるものだった。たたみ一畳分ぐらいあるボードを、独特の持ち方で数枚同時に搬入。長さがあるから、足場をくぐるにも技術が必要。さらにボードは重い上に雨にも弱い。時間との勝負だね。
良く鉢合わせする運転手も増え、仲良くなったりもする。狭い現場だったりすれば、トラックを停めるにしても気を遣いあう。持ちつ持たれつの世界。黙って手を貸しあうことも少なくない。仲良くなれば話もはずみ、情報を共有できる。ネットよりも、口で伝え合えることに味がある、生身の人間の世界だった。
一番燃えたのは、銚子駅横まで1日に2往復していた時。前日に積み込んだものを、7時半には降ろし始めて9時までに終了。75㎞戻って工場で積み直し、また同じ現場に戻って降ろす。高速道路は使わない。すべて一般道で夜には翌日分の積込みが待つ。休憩なしで走るか降ろすかだけ。走ることの楽しさを実感できた。
初めの2年間は、ひたすら走りつづけた。心身ともに解放されたのかもしれない。ちょうど30代に入った頃で、まだ未熟者ではあったけど、人の役に立つことが本当に楽しいと思えていた。