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あの日、彼の死は、突然やってきた。

2019年10月のある日、1本の電話が入った。第2次運輸業時代に、一緒に仕事をしていた仲間からだった。

15年以上前に、資格を取って運転手から通関士になった古い仲間が死んだって言うんだ。40歳半ばくらいだったかな、歳は詳しくは覚えていない。自分よりは若くて、通関士としても夫としても親としても頑張っていた。いや、頑張っていたらしいと言った方がいい。仕事を替えてから、つき合いは途絶えていたから。

それにしても、あまりに突然のことで驚く暇なんてなかったよ。仲間から必要なことを聞き、お通夜だけは出席することができた。亡くなった方の顔を見た時、いつも同じことを思う。本当に死んでしまったの?って。寝ているだけじゃないの?って。死化粧がそう見せるんだろうね。安らかに美しく見えるように。

*成田空港の貨物地区の仕事が好きだった

亡くなった彼とは、約20年前に出会った。先だって話をした佐倉市の地元の運送会社さん、そこに所属していた運転手。平ボディのトラックに乗り、建材を運んで現場に荷を下ろす毎日だったかな。トラックが入って行けない時など、木材を担いで現場まで歩き荷を下ろしていた。そのわりには、線が細い人だった。

自分が1人で仕事を始めて、ちょうど5年目ぐらいの頃だった。彼はその会社の運転手から事務職に変わり、成田空港の事務所で配車担当者になっていた。空港の輸出入の貨物や佐川急便の仕事を運転手に割りふるわけ。傭車扱いでよく仕事をもらった。一番思い出深いのは、東京から愛媛の松山まで走りぬけたこと。

佐川急便の貸し切りの仕事。東京は港区で、午後から2か所で絵画を70枚ほど積み、翌日の8時までに松山に運ぶ。当日は雨で、走り始めたら東名で西から向かってきた台風に突っ込み、そのまま中心を抜けて関西を横切り瀬戸大橋をわたる。さらに走り続けて6時くらいには松山着。荷下ろしは昼まで待ちぼうけしたが。

*つぎ足しだらけの空港施設 複雑になった

そんな彼が、ある時期からよく遅刻をしていた。なんでも深夜遅くまで勉強していたとか。離婚後におつき合いしていた相手の影響もあったのかな、資格を取って通関の仕事をしたかったとか。明け方近くまで勉強をして、空港近くに住んでいたから油断もあったのか、9時の出社にも間に合わないぐらい頑張っていた。

自分が辞めた時もそうだったけど、社長さんは去る者を追わないタイプで、そんな彼を応援していた。後日、彼が働く会社から、かなり仕事を依頼されていたようだから、人間関係はやはり、持ちつ持たれつだよね。彼は見事に、通関士に一発で合格、半年だったから最短コースだ。まもなく5,000人規模の会社に移った。

もうひとつ彼について印象深かったのは、トランペットが大好きだったってこと。運転手をやっていた頃にひとつのトランペットを見つけた。お金はないが欲しくてたまらない。社長さんに借金をしてまで手に入れていた。市内の楽団に入り、再婚した奥さんと知り合った。棺の中の彼は、トランペットを抱いていた。

*青い屋根の部分が当時の貨物地区

亡くなった原因は特に聞いていない。ただ、通関士の仕事をこなし、奥さんと子供3人を育てながら親の介護を行い、大好きなトランペットの練習にも励んでいた、これだけは仲間から聞いた。

40歳半ばと言えば、西濃運輸を辞めた1年後、お世話になったリーダー格の方が亡くなっている。前日に上司とお酒を飲み、朝のお風呂に入っていた時に倒れたまま逝ってしまった。脳卒中心臓の両方に原因があって、倒れた時は既に遅かったとか。再会したのは荼毘に付された後だった。あの時も残念だった。

トランペットは主人を失った。奥さんは夫を失い、子供たちは父親を失った。会社は大切な社員を失い、楽団は熱心な仲間を失った。運送の仕事から離れていた自分は、長く会えていなかった分だけ思い出が駆けめぐった。

*この頃のJALの747が好きだった

何度も同じことを話すけれど、生身の体であるかぎり、人生100年なんて自分は信じていない。健康への努力が実るかもしれないけれど、長生きできるというのは偶然に過ぎないと思っている。

は案外、突然やってくる。それが歳の順番通りであれば納得もできるけれど、そうではないことも多々ある。それゆえに人は、今できること、今やりたいことに真剣に夢中になった方がいい。後悔できるのは生きている時だけ。亡くなった人間に対して悲しみをもてるのも、生きている人間だけだ。本人ではない。

きっと今頃、新しいトランペットを見つけていることだろう。

「あの日、彼の死は、突然やってきた。」への2件の返信

きみさん、こんばんは。
さやかです。

私事ですが…、
今日知ったのですが、10代の頃に1ヶ月間ですが、一緒にバイトをした同じ歳の方が亡くなったと聞きました。
お子さんもいて、これからだと言う時に残念でなりません。
1日1日を大切に生きなければと思いました。

さやかさん、こんばんわ。

残念なお話ですね。
人の命も、決して特別なものではないってことですね。

1ヶ月間だけのおつきあいだったとしても、
さやかさんが相手の方を覚えていらしたことが、
その方にとって、せめてもの救いだったかもしれません。

仮にそうだとしても、あまりにも若すぎました。

明日は我が身などという言い方をしたくはないですけど、
その日その日を大切に生きて行きたいですね。

その方のために、お祈りいたしましょう。

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