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俺の考え 日常生活

美しいという言葉。

*宗吾霊堂に咲いていたさくら

美しいという言葉を、よく口にする。別にカッコをつけているわけじゃない。美しいものを美しいと感じたのであれば、素直に美しいと言いたい、そう思うから美しいという言葉を口にする。

あるいはそれを、キザだと思う人もいるかもしれない。

仮にそうだとしたら、美しいものを見た時に、どう表現すればいいんだろうか?すばらしい、きれい、かわいい、おくゆかしい…。類義語はたくさんあるけど、どれもしっくりいかない。

やはり美しいと感じた時は、素直に美しいと言いたい。

*さくらはどんな形でも美しい

この世にもし、美しいものが存在しないとしたら、かなり寂しい毎日を、果ては一生を送ることになるだろう。美しいと感じることがなかければ、未来にも夢をもてない気がする。

空が美しい、花が美しい、樹が美しい、音楽が美しい、人の心が美しい…。自分自身がそう感じたものは、すべてが美しいと表現されていい。そして、美しいからこそ、憧れが生まれてくる。

憧れが生まれると、それをまねしたい、自分もそうありたいと思ってをもつことにもなる。その夢をかなえるために、希望をもって、明日を生きようとする。毎日への活力が生まれる。

ずいぶんと大げさなことを言っている、そう思うかな?

でも、歳をかさねればかさねるほどに、素直に美しいって言えなくなってないかな?誰かに聞かれると恥ずかしいから?もったいないよね。美しいって素直に言えたら、気持ちがいいと思うよ。

*あわただしく花粉や蜜をあつめる蜂

花の写真を撮っていたら、があわただしく飛び回っていた。足の周りに花粉をたくさんつけて、あちらの花からこちらの花へと、それはもう忙しそうだった。邪魔なんかしようものなら、お叱りを受けそうな雰囲気だったよ。

その蜂たちが、花の中に頭を突っ込んでいる姿をみた時、美しいと感じた。何が美しいかって?生きるために、花粉や花蜜を必死で集めている、その姿にだよ。

人も動物も植物も虫も、命あるものすべてについて、生きているということが、一番美しいことなのかもしれない。

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