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国破れて山河在り、城春にして草木深し…

久しぶりに歴博がある佐倉城の中を歩いた。梅や桜の季節は過ぎて、今は緑が中心の世界になっている。花壇を手入れする方や草刈りをする方が働いている。平日の午前中で人もまばら、小さい子を連れたお母さんや、年配のご夫婦、ウォーキングをする方や写真を撮っている方、思い思いに城内の雰囲気を楽しんでいる。

*綺麗に広がる絨毯のような草

昨年の秋から今年の冬にかけては、竹や木の森を中心にウォーキングを楽しんでいた。今はもっぱら歴博を中心にして、城内から佐倉の旧市街を回り、また城内に戻る歩き方。自然の中だけを行くのもいいが、旧市街をコースに含めると情緒があるので、近頃はこちらが中心だ。最後に寄る肉屋さんの揚げものが楽しみ。

*どうしたら こんな根っこになるのか

佐倉城内で一番魅力を感じるのは、様々な姿をした樹々だ。手入れをされた城内と言うよりも、自然の中で佐倉城が生かされているような印象を受ける。江戸時代の初めに完成した譜代大名の居城、日本100名城の一つに選ばれているが、天守閣などは跡地だけ。かえってそれが、自然にはいい感じもする。

*ポツンと低木があるとホッとしたり

佐倉城は戦前まで旧日本陸軍の駐屯地だった。だから城内には公衆トイレ跡などが、緑に溶け込んで残っていたりもする。かえって侍の時代のものより、陸軍の時代の史跡の方が目立つかもしれない。まあ現在の一番の主役は歴博、すなわち国立歴史民俗博物館だと思うけど、自然を楽しむという意味での主役は樹かもね。

*幾何学的な木の枝 角ばっている

あくまでも自分の考え方だし、興味の持ち方は人それぞれだと思うけれど、城内の樹をすべて拝むには根気が必要だと思う。以前来た時に見たはずなのに、見つけたはずなのにと思っても、足を踏み入れていないジャングルのような所が、今もたくさん残っている。次はあそこを歩いてみるかとか、ワクワクが止まらない。

*自然にトンネルのようになったのかな

樹が多いだけあって、いろいろな鳥もいるようだ。自分なんかは綺麗な鳥だなとか、いい声で泣くなとかで、写真を撮ってみようって気持ちになるが、鳥の追いかけ専門者は考え方が違う。先日なんか、珍しい鳥がいるから写真撮りたい、その場所を譲って欲しいなどと言われた。樹を撮る自分は、珍しいみたいな感じだ。

*撮り方ひとつで魅力も変わる

でも樹だって、人や鳥を撮るのと同じくらい面白いと思うんだよね。撮る場所を変えたり撮る角度を変えてみたりすれば、樹がいかにたくさんの表情をもっているかよくわかる。根っこはどんなことにも動じませんって感じで、枝は自由に伸びるのが当たり前みたいな感じ。撮り方次第で、その表情は様々に変化していく。

*お城の樹は 手頃な防御壁だったのかな

猫も撮るし鳥も撮る。可愛いから上手く撮れれば、ますます楽しくなる。同じように気に入った樹を上手く撮れれば、やはり嬉しい。近頃は、モデルになりたがっている樹が、わかるような気がもする。この樹は撮られたがっているみたいに思えたら、猫に近づくように、少しずつ距離を縮めてベストの構図を探す感じ。

*この池までくると 城内の散策が終わる

いつも思うことは、太い幹や根っこや枝をもった樹齢が長い樹は、どんな思いを内に秘めているんだろうかってこと。

自分がふれた幹と同じ場所を、かつて侍がふれていたかもしれない。樹が記憶した侍の心と自分の心が結ばれるような、ファンタジックな世界が現実になればとも思う。城は消え草木がしげり、樹々の中にとじこめられている思いだけが息づいている。

国破れて山河在り 城春にして草木深し」、杜甫は上手いことを言った。今も昔も、それは変わらない。

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