1993年7月1日、大垣本社の労務部労務課に配属された。3ヶ月に及んだ研修もあっという間、やっと仕事を始められる、そんな気持ちで溢れていた。同期の大卒の女性は2人いたが、同じ総合職でも4月に先に配属されている。短大卒も含めた同期の女性達は、1年目から野球部の応援団をやるのが慣例だったからだ。
初めに覚えたセイノー体操のことは、先に話をした。今回は、仕事のようで仕事じゃないような仕事について話をしたい。
当時の労務課は、人事の深いところに踏み込んで仕事をする上層部の賃金班1つと、全国を東部・中部・西部にわけて賃金計算をする3つの計4班に分かれていた。自分は東部班に入れられ、東北と関東及び甲信越の店所の賃金計算をすることになっていた。
おもしろいもんでね、この3つの班は性格がクッキリと分かれていた。西部班は柔らかいイメージ、東部班は堅いイメージ、そして中部班はその真ん中。案外よくあることだ。自分は当然のごとく東部班に入ったわけだが、西部班と中部班に入れられた同期の2人も、各班に性格が一致していた。上はよく人を見ている。
さて、東部班のチーフは自分より5年先輩だったかな。近江出身のお堅い方だった。当時は自分も堅かったから、その班にいたわけだけど。そこで自分が最初に引き継いだことは、班のメンバーと部長の机の雑巾がけをするというもの。8時の始業前までに、確実に終わらせる。ただの慣習に過ぎなかったのだけれど。
翌日から、休み以外は毎日が雑巾がけで始まった。来る日も来る日も雑巾がけ。時間にすれば、どんなにゆっくりやっても15分ぐらいのこと、特に苦にもならなかった。毎朝7時には出社していたかな、合計9つの机を拭いていたね。時には他の班の机まで拭くこともあった。ついでだからっていう気持ちだけで。
ちなみにだけど、他の班の同期は雑巾がけはやらない。東部班だけの、いや東部班のチーフが単独で始めたことで、業務と言われるものではなかった。昔の映画やドラマだったら、よく女子社員がやっていたでしょう。始業前の雑巾がけとかお茶くみとかいろいろ。その雑巾がけを自分がやっていたようなもの。
慣れてくると楽しくなる。元々、掃除が好きな人間だ。もっと早い時間に、ほとんど人が来ない時間に出社して雑巾がけをしたくなった。やがて6時半には会社に行って雑巾がけを済ませ、本社前の弁当屋で買ってあるおにぎりを頬張り、新聞を読んで8時を待つ、そんなパターンが定着した。5年3ヶ月、それは続いた。
当然、後輩も入社してくるわけだが、特に自分は引継ぎをしなかった。でも思っていた。自分の姿を見て、後輩が自分からやりましょうかって言ってこないのかなと。今思えば身勝手な考え方だよね。自分だって先輩に、ごく自然に押しつけられたようなものなんだから。ただ自分は好きだから、続けていただけのこと。
それでも、なんかしっくりこなかったな。それで、昨年20年ぶりに再会を果たした、半年限定で大阪から来ていた課長に聞いてみた。課長は、同じ独身寮を仮住まいにしていた。後輩たちが誰も、私が雑巾がけをやりましょうか?って言ってこないんですけどって。矛盾したような話だったんだけどね。
課長は言った。そんなもんは気づいた奴がやればいいんやって。聞き慣れた大阪弁で。目から鱗が落ちたような気持ちだったな。
自分から始めたことではないけれど、すでに自分の仕事にしていて、自分がやらなくてならない、そんな義務感さえあった。人にお願いする気持ちなどなかったんだ。自分は上下関係とかは、あまり好きじゃない。先輩後輩よりも、自分が率先してやるタイプだ。気づくとかよりも、自分がいいと思えば続けていくだけ。
何よりも、自分の机を綺麗にするのは、やはり自分自身であるべきだ。人にやってもらうよりも、自分で綺麗にした机で仕事をする、その方がずっと気分もいいし仕事に弾みがつくと思うんだ。自分でやるということは、仕事をさせてもらう机に感謝することにもなる。綺麗にしておけば、机も気持ちに応えてくれる。
精神論的だと言う方もいるかもしれないけど、雑巾がけって難しい。松下幸之助氏もおっしゃっているけれど、適度な水分を残して雑巾をしぼるのは、難しいことなんだ。しぼり過ぎれば拭きとれないし、水分が多過ぎれば汚れを広げる。適度に残して綺麗にする、その微妙な感覚を覚えるにしても根気が必要なんだ。
新入社員にとっては案外、一番の勉強になるかもしれない。
「最初にもらった仕事は、雑巾がけだった。」への2件の返信
雑巾がけは深いのですね
私は雑巾がけが苦手なので見習わなくては
率先して雑巾がけをやっていらしたきみさんを尊敬します
魔魚さん、ありがとうございます。
雑巾がけって、慣れると楽しいですよ。
裏表をまんべんなく使うとすれば、小さい雑巾なら4面、大きい雑巾なら8面に分けて使えます。
真新しい雑巾が、初めて汚れをふき取った時は、嬉しくなったりします。