中学2年になった時、クラス替えがあった。同じクラスになった友達もいれば、まったく知らなかった人もいた。ただ、自分を目の敵にしていた人物と、よく手を出してきた人物は別のクラスになった。運が良かったのかもしれない。後日、相手の目が、変に恨めしそうにも見えたのは不思議だった。
担任の先生は1年の時と同じ。実はこの先生がなかなかの人物だった。人間的にどうのこうのだけじゃない。そんなことは、中学2年レベルではわかっても直観がいいところ。すごかったのは、その外見だ。背丈は低めで少しお腹が出た体格と短髪の角刈りに近いヘアスタイル、何よりも、右手にいつも竹刀を握っていた。
右手に握られた竹刀が、いつも肩に担がれていた。まるで昔の漫画の世界のよう。根性と精神論で、生徒を叩き伏せるみたいなイメージがあったよ。ただ、そんなにインパクトがあったのに、1年の時はあまり身近に感じていなかったな。生徒同士のこととして、ギリギリのところで見ていたのかも知れない。
とにかくクラス替えになって、2年の生活が始まった。
思いがけないことが起きた。クラスの学級委員長を決める時のことだった。立候補する人なんかいなかったから、先生がこう言った『先生はな、やらせたい奴がいるんや』と。みんなが口々に言う『先生それは誰や』。それが何と、自分のことだったとは。自分でもさっぱり理解できなかったが、その日から級長になった。
後日、母親を入れた3者面談があった。その時に先生が言ったんだ。○○君なら大丈夫でしょ、たったそれだけ。先生ははたぶん、わかっていたんだ。自分がどんな状況に置かれていて、何をやらせたら自信がつくのかってことを、考えていてくれたんだ。今だからはっきりと言える、あの先生は、立派な先生だった。
竹刀をもって歩くような先生だったから、不良と呼ばれていた生徒にも一目置かれていた。何よりも同じクラスに、2年で一番喧嘩が強い生徒がいた。もちろん不良呼ばわりされている。当時は普通だった長い学ラン、すなわち長ランを着て歩いていた。今の時代なら無理?公立の中学校で堂々と長ランで登校できたんだ。
その生徒も、先生の前ではおとなしい。だから、先生が決めた級長である自分の言うことを、しっかりと聞いてくれた。同時に守ってくれたんだよね。びっくりするよね。しかも、1年の時に自分に手を出してきた不良と呼ばれる生徒が、彼よりも弱い立場にあったから、それまでのイジメがすべて消えてしまったんだ。
それからの自分は、少しずつ自信を持ち始めた。特に何かに結果を出せたわけじゃない。ただ、成績がすごく上がったね。実は千葉の中学校では成績も下の方だった。それが、2年生400人以上の中で10番前後に入った。どうも自分の成績は山と谷が激しいようだ。まるで、気分だけで勉強しているみたいな感じ。
小学校の時は良かったけど、中学校入学と同時にガタ落ち。福岡に行って上昇して、その後に戻った中学校でも良いまま進学校の高校に進学。そこで又ガタ落ち。浪人までしたけど、大学ではそこそこに良かった。どうも浮き沈みの激しい成績ライフだけど、浮き沈みの激しさが、自分を育ててくれた気もしている。
良い先生との巡りあわせは大切だ。この時の先生は、成績優秀で大学を卒業したようには見えないタイプ。だけど、子供を導くという姿勢には、芯が通っていた気がする。今だから難しい言い方も出来るけれど、子供をしっかりと見ていた。あの不良のボス的な同級生も、先生とはよく笑い合っていたのを覚えているよ。
自分は今、あの時の先生の歳を、ひとまわり以上も上回ってしまった。けれども、まだ何も残せていない。親に対してはもちろんのこと、亡くなった祖父母にも伯父にも何も返せなかった。
だから、今ブログに書いていることを、自分より若い方たちが読んで下さっているなら、参考になるものは参考にして欲しい。特に、反面教師の参考にして欲しい。50歳を超えても、中途半端を超えられない未熟者としてとらえ、皆さんの未来に活を入れて欲しい。自分もきっと、ブログにしたことに満足できるだろう。