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文章のぜい肉、引き算するのは難しい。

電子版で新聞を読むことが、すっかり定着した。紙には紙の良さもあるが、電子版にはたくさんの良いところがある。どこにいても持ち歩くことが出来る上、保存しておいた記事をいつでも何処にいても読めるということ。活用したいと思った時、たくさんの保存してある過去の記事を、瞬時に読めるのはありがたい。

昨日のコラムに、興味深い内容があった。読みながら少しずつ納得してしまうから、なかなか進まない。読み終わった時には内容がすべて頭に入っていたぐらいで、満腹な気持ちだった。

*無駄にはならない 引き算不要のモノ 1

タイトルは、「現代人は『引き算』が苦手」。

一般的に、ベッドは脚が4本だ。その脚が3本はずれてベッドが傾き寝心地が悪くなった。あなたならどうしますか?って内容。

3本の脚を付け直そうと思ったとしたら、何かを見落としていることになる。すなわち、残った1本の脚もはずすという考え方が欠如しているとか。寝心地の改善だけなら、残る1本もはずしてしまえばベッドは平らになるし問題は解決する。人間は足し算を意識し、引き算を軽視する傾向にある。ある大学の研究だとか。

多くの人が足し算的な考え方をしたとか。3本の脚を付け直すには手間がかかる。ベッドが傾いているわけだから、支えながら平行にして付け直す必要がある。一方で、1本の脚をはずした方が支える手間もなくはずすだけ。でも人は、引くよりも追加することで解決をする傾向にあるというんだ。

*無駄にはならない 引き算不要のモノ 2

日常生活を考えてみた時、同じようなことがないのか考えた。

昨年19年ぶりに引越をしたけれども、移動時にかなり捨てたつもりだったが、手術後に感じたのは、捨てきれていなかったということ。休業で長く自宅にいて、どれほど使うものがあっただろう。メインの部屋にあるものだって、すべてに手をつけているわけじゃない。モノが増えていることが、今では疑問にも思える。

必要だと思った時はかなり真剣に考えて買っているから、捨てるのがもったいないと考えるのが当たり前。でも使わなくなっているなら処分したいが、売っても微々たる金額。それならいっそのこと、このままにしておこうと考える。部屋が無駄とシェアを始めることになる。それが積み重なり、気づいた時にはもう遅い。

今は物欲もそんなにないが、必要なものはある。そこで又、追加されて行く。必要だと思い込んでいるだけで、本当は必要ないのかもしれない。だからこそ、今使わないものが存在しているのかも。追加することができても引くことができない。増えたら増えっぱなし、部屋がさらに無駄をシェアしていくことになる。

*無駄にはならない 引き算不要のモノ 3

ここまで考えて来ると、自分の頭がおかしいんじゃないかと考え始める。新聞の内容から脱落しているんじゃないか。いったい自分は何を言いたいんだ。モノを増やすことは簡単だが減らすことは難しい。買うことは出来ても捨てることは出来ない。足し算は出来ても引き算的な思考は難しい。間違ってはいない。

要するに今日のこの文章全体が、ぜい肉が多すぎて哲学めいたものになってしまっている。ぜい肉を落として筋肉質な文章にしていくことが、いかに難しいことか。文章を書く上で、追加し過ぎたぜい肉を、いかに上手く引き算しながら、文章をひきしめるたらいいのか。コラムにからめて考えるつもりが引き算できない。

さて、言いたかったことが伝わっっていますでしょうか?

「文章のぜい肉、引き算するのは難しい。」への4件の返信

うん、伝わりますよ
確かに私も含め、人は何かにつけ足し算に走る傾向があるって改めて気付きました

たすひくかけるそして割るさん、こんばんは。

コメントを頂きまして、ありがとうございます。
伝わって良かったです。
少しちぐはぐになって、落ちがついたような文章になってしまいました。
引き算して生活するというのは、案外と難しいものですね。

きみさん、こんばんは。
さやかです。

文章を作る事が苦手な私からすれば、
「文章のぜい肉、引き算するのは難しい。」のタイトルに驚き、勉強になります。
私はいつもTwitterのコメントを書くだけでも時間がかかります。
言葉を知らない、いろんな知識や文章を作る技術もないので、いつも一辺倒な文章になります。

最近料理をしてますが、その足し算と引き算は少しずつですが分かってきてます。
この料理にはこのぐらいの分量の調味料を入れようとか、火を通そう等です。
でも自分好みになりますが…。

何事も極めようとする事は難しいことなのでしょうか。

さやかさん、ありがとうございます。

正直言いますと、タイトルばかり立派な感じで、中身が伴っていないことがお恥ずかしいです。
書き始めは、頭の中では整理されていたんです。書いていく内に、コラムで話されていたことからズレていったようで、自己嫌悪することになりました。

料理も、楽しさが削がれないように頑張ってくださいね。

でも、さやかさんにしても僕にしても、少しずつでも書き続けることが大切だと思います。今回は別としても、100本を超えた頃には少しずつ慣れてきて、さらに勉強したくなっています。勉強と言っても、やっぱり書くことを繰り返すのが一番ですよね。

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