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ワクワクがあれば、仕事にも花が咲く。

仕事にワクワクできるって、大切なことだよね。

どんな仕事だっていいんだ、自分がやりたくてやっている仕事なら、可能な限りたくさんのワクワクをもちたい。たくさんのワクワクをもって楽しく仕事をしたい。淡々と惰性に任せた仕事を続けていても、楽しい気持ちは生まれない。楽しい気持ちがあるからこそ新しい発見も生まれ、仕事自体が進化していく。

岐阜の大垣で仕事を始めた頃、たくさんのワクワクがあった。これから始まろうとしている仕事に、ワクワクを持ていないはずがない。3ヶ月の新入社員研修を終えたばかりなんだ、研修は新人にを持たせてくれるもの、ワクワクはピークに達していた。最初の挨拶をした時、それはそれはやる気がこぼれていた。

*入社前に渡されて 入社前に読み込んだ

そんな自分の最初の仕事は、従業員カードを書くことだった。

令和3年の今年は平成にすれば33年、入社した平成5年は28年前の話になる。西暦で話した方が世紀を超えて、時間の流れを感じられてわかりやすいかな。平成5年は20世紀の1993年で、今年は21世紀の2021年、随分と時間が流れたものだ。
だが、28年前でも、従業員カードのシステムは古臭かった。

そのカードというのは、A5サイズで見開きA4サイズの紙製。裏表に記入欄があり、すべて手書きで記入していく。しかも入社だとか退職だとかは、ゴム印を押していくことになっていた。平成5年にあって、昭和会社設立当時の頃のような雰囲気が残っていた。でも、自分にとってはただの仕事に過ぎなかった。

配属初日からまず3日間、朝から夕方まで毎日、カードの記入を続けていた。電話をとることと先輩社員から頼まれること以外、ひたすら記入だけ続けた。全国にある全店所の従業員のカードが本社で集中管理されている。店所では連日、運転手の入社と退職が繰り返されていたから、記入する数も半端じゃなかった。

でも、それはただの仕事に過ぎない。そもそも、配属されたばかりの新入社員に、どんな仕事が大切だとか必要だとか理解できるはずもない。目の前に与えられたものはただの仕事記入とゴム印を押すことだけが自分がやるべきことだった。古臭いなどと考える時間も、考える必要もなかった。こなすしかない。

*どんなことでも 自分の手で始めなくては

その仕事そのものは、3日間で終わるものじゃない。入社と退職が繰り返されるかぎり、当時は半永久的に続いて行くように思えた。それでも、処理していけば数が増える。そんなことにさえワクワクを感じていた。数をこなすことが楽しく、右手はインクで黒くなり、擦れてツルツルしていたように思う。

たぶん、今の時代の新卒者がそれを見たら、驚くどころか入社する会社を間違えたと思うだろうね。自分が入社した年から4年ぐらい後の社員でさえ、その古臭さに嫌気がさしていたみたいだったから。自分でもよくやったと思うよ。配属初日から3日間、初日から残業してカードの記入とゴム印を押し続けていたんだ。

処理した数が増えることに、ワクワクを感じることができた。

もし今でも、その仕事が残っていたとしたら、当時は仕事と思っていた自分も仕事として肯定しないだろう。ペーパーレスの時代だ、それを仕事として残しているのなら、そういう会社の未来には疑問符をつけるだろう。それがたとえ、自分がお世話になった会社だったとしてもだ。さすがに今、カードはないかな。

*こんな気持ちになるように働きたい

ただ、忘れてはいけないこともあると思っている。

たとえ時代遅れでも、それが仕事であるかぎりは仕事である理由が存在し、誰かがそれをこなす必要がある。まずはやり遂げる必要がある。古臭いなどと考えるのは後のことだ。ワクワクを持てないなら、ワクワクを持てるような仕事の方法を考えればいい。自分自身が一番ワクワクできれば、仕事自体にも花が咲く

古臭いものを古臭いと思ってやれば、ますます古臭くなるだけ。やっている自分まで古臭く見えて、自分自身まで腐っていく。少しでもワクワクをもって仕事に向き合いたい。時には気持ちが萎えることもある。でもワクワクがあるかぎり、仕事から楽しさは失われない。自分自身の気持ちの持ち方がすべてを変えていく。

仮に今でも、従業員カードを記入する仕事があるのなら、もう一度やってみたい気持ちがある。紙に記入していく仕事は案外心が落ち着き、そして温かいものがある。それが毎日、日記を書いている理由であるのかもしれない。

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