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人はみなそれぞれ、何かを胸に秘めている。

新入社員研修を終えて、配属された頃は気づかなかった。同じ部署に少し変わった先輩がいた。歳が6歳ぐらい上だったからか、部署の中でも一番権限をもつグループに座っていた。恰幅は良かったがフワッとしたイメージ、どこかしら優しさを感じられる人だった。そういえば、ヘビースモーカーだったな。

仕事の内容が違っていたので、同じ部署にいてもあまり話すことがなかった。休憩時間になると、即座に喫煙場所に向かっていた姿をよく覚えている。自分は煙草を吸わないから、煙草が旨いか不味いかなんて考えたこともない。ただ、その方にとっては、煙草は愛すべき存在で、それはそれは美味しそうに吸っていた。

*毎朝飲んでいた アサヒのWONDA

ある時、不思議な光景を見た。その方が額からドッと汗を流していたんだ。そこは暑い場所ではなかった。ハンカチでぬぐおうともせず、汗を流したまま、他の先輩から責められているような状況だった。何か失敗したのかなとも思ったが、それにしても言われるままで、傍から見ていると可哀そうにも思えた。

やがて、自分とも言葉を交わすようになった。仕事を超えたところで仲良くなり、自分のことを『きみちゃん』と呼んでくれるようになった。優しい方だった。何かと気にかけてくれて、メガネの下に見えた細い感じの目が好きだった。でも、いつも言われるままの仕事だけして、責められる時も何も言わなかった。

その事情を、知る時があった。先輩から聞いた話だ。

何年も前に新卒で入社して、自分と同じように研修を受けた。その後、店所に配属になったらしい。その時、店所の悪いところを全部変えてやる、そんな意気込みで赴任したとか。それがまずかった。気持ちは尊重されるべきだったが、店所の人間はその場所だけのたたき上げが多い。気持ちが急ぎ過ぎて、反感を買った。

*当時はまだ 受動喫煙を深く考えなかった

その結果、ちょっとした失敗であっても、極度な緊張感に陥って精神状態が不安定になり、ドッと汗をかくようになったらしい。それを抑えるために、薬も欠かせなくなった。店所では働けないってことで、その方の地元である大垣にバック、本社預かりの身になり、その方ご自身の同期にも顎で使われていた。

自分は本社の中に特に仲の良い同期がいなくて、どちらかと言えば後輩や先輩、それも個性的な人間とつるむことが多かった。よく言えば個性的、悪く言えば唯我独尊的な一風変わった人間たちとね。その方は個性的というわけではなかったが、どことなく下げすまされている感じで、自分はそういう人間が好きだった。

お互いに、分け隔てなく話をするようになった。自分が煙草を吸わなくても、当時はまだ受動喫煙がどうのこうのなど考えもしなかった。休憩時間になると、同じ場所で缶コーヒーを片手に話をしていた。その時は本当に楽しそうで、ギスギスした本社仕事の中で見る笑顔は、ちょっとした良薬になっていた。

後から聞いた話だけど、自分がいなくなって何年かした後、正社員から契約社員に待遇が変わったらしい。働ける場所が他にはないということで、その状況を素直に受け入れたとか。人から聞いた話だけどね。出世とかそんなことは関係ない、生活のために働かせてもらえるなら、待遇よりも昔からの場所でってこと。

*こんな感じのトンカツだったかな

その方と自分には大切な場所があった。そこは年配の夫婦が営んでいた昔ながらのトンカツ屋さん。自分が好きなお店だったんだけど、一度その方を連れて行ったら気に入ってくれた。機会があるたびにお誘いをして、トンカツが大き目の定番メニューを2人で頬張った。親しんだ人間と食べる飯ほど、美味いものはない。

病のせいか、その方は運転もしていなかった。助手席に乗っていても、ちょっと急なブレーキを踏むだけで前方に手を突っ張らせて身を守り、大汗を流していた。だから、トンカツを食べた後の見送りの運転は、安全を心掛けながら思いっきり楽しい話をしていた。その当時、一番心が安らいでいた時だったかもしれない。

トンカツが好きだったのか、トンカツ屋で一緒に食べることが楽しかったのか、今となっては自分にはわからない。

ただ自分に言えることは、人は皆、少なからずも何かを背負っていて、少なからずも胸の中で何かをグッと我慢しながら生きているということ。話したくても話せないまま、独りで抱えて生きている人も少なくない。自分だって、その一人かもしれない。

人は決して独りでは生きて行けない。だから一人でもいい。心を分かち合える相手がいるのなら、その幸せをしっかりと噛みしめた方がいい。少なくとも自分はそうしたい。一人でも、そんな人がいてくれるなら、無理して仲間を探さなくてもいい。その一人を大切にすることの方が、ずっと幸せなことだと思っている。

*単行本の司馬遼太郎「関ケ原」宝物だ

いつだったか、その方が父親の形見としていた本を下さった。大垣を離れて23年が経ち、処分した本は数知れない。でも、頂いた本だけは、これからも一緒に歩き続けていく。

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