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介護研修日記3、認知症から考えること。

介護職初任者研修の受講を始めて、昨日で8回目の折り返しを迎えた。連日、教室の中では教師が熱弁をふるい。自分たち生徒はうなずいたりペンを動かしたりを繰り返しながら、遅れまいと集中力を高めて聴く。講義だけの時は、昼が過ぎれば眠気も襲ってきたりしたが、実技が続く今は眠気よりも汗が気になる毎日。

講義の3回目ぐらいの時、認知症のことを学んだ。昨日のニュースによると、アルツハイマー型認知症に対する薬がまた一段と進歩を遂げたようだ。自分の祖父が認知症だったことは、何度か話をした。昨日のニュースの中で、若年性認知症の母親を長く介護している方の映像が流れていた。切実な問題だと思う。

*ちょうど1年前 本佐倉城の野良猫と戯れた

自分の両親について考えてみようか。特に今になって考え始めたことでもない。10年くらい前から、積み重ねるようにして考えてきたことだ。今年、父は82歳を迎え、母は78歳を迎える。二人とも頭を働かせてよく考えるし、それぞれのペースでよく歩いているから、今のところは元気と言える。

母は父の見なくてもいいような、あるいは思い出さなくていいような負の部分だけが気になって愚痴をこぼす。それを電話で自分が聞くことになる。さすがに疲れもする。愚痴をこぼせば母は楽になるかもしれないが、一番肝心なことを忘れているんだ。愚痴をこぼせる相手がいることが、ありがたいってことをね。

医学的な視点からどうのこうのって話じゃない。自分自身が感じていることだ。要は、愚痴を言うってことは、何か対象になることに対して考えているわけで、母にとっては頭を働かせることができているからいい。粗さがしをやっていれば、次から次へと考え続けるわけで、内容が新しければなおのこといいわけ。

*1年前に出会った 引っ越し先付近の野良猫

父の側からすれば、また今日も始まったのかという嫌な気持ちになりもするだろう。だが、父自身のやり方で上手く流しながら受けて立っていれば、こちらも家庭内の儀式みたいなもので頭は衰えない。2人が互いの存在を認識できている限り、頭の中は活性化されていて、認知症には遠いと思っている。自分の考えだ。

20代の会社員時代、30歳で父親を亡くした先輩がお葬式の後に話していた。親が生きている内に、親からたくさん借金しておけ。親は借金を返してもらえてない限り、こいつにはまだ借金を返してもらってない、ここで死んでなるものか。こう考えて長生きしようと思うんだと。早稲田大学出身の優秀な先輩だった。

ぶっちゃけた話、お金の勘定をしている人は長生きする、間違った考え方ではないと思う。何と言っても生活はお金があってこそ成り立つ、社会で生きていく上では常識。現物でもネット上でも何でもいい。1円でもずれてはいけないのが金勘定であり商売なんだ、細かい計算に憑りつかれていれば脳は働き続ける。

*現場で仕事前に出会った 可愛い野良猫

話を戻して、両親を例にした話の続き。結局のところ一番の問題は、どちらかに何かあった時、状況が一変するということ。

縁起でもないという人もいるかもしれないが、縁起でもないことが日常的に起きるのが当たり前なんだから、真剣に考えておく必要がある。自分自身だって、両親と一緒に歳を重ねている。もう少し歳をとった時には、もっと状況は難しくなる。少しずつでも考えた方がいい。誰にでも考える時がくるなら早い方がいい。

戦後の日本は核家族化が進み、現在では高齢者の単身世帯も増えている。子は親と離れて暮らすことも多いから、介護という職業が益々大きな役割をもつようになる。今、自分の両親の一方が認知症と診断された、あるいは大きな病をもったとする。離れたところで暮らす両親だけで、老々介護をするのは不可能だ。

老々介護が可能なほどには体力も残っていない。父は10年以上前に心臓弁膜症の手術をしており、人工弁の寿命の残りも減ってきている。介護をする体力などあるわけがない。母は長く足腰を鍛えてはいるが、介護できる程には体力がない。妹夫婦は離れたところで暮らし、これから高校生・中学生になる子供がいる。

*現場側から見た 室内で寝ていた飼い猫

当然のこと、独身の自分が一番動けると考える。でも、わずかな年金も、今後は70歳過ぎまでもらえないと考えれば、今仕事をリタイヤして介護に専念なんてできるはずがない。現実的に無理な話。親のためにという気持ちは大切だが、綺麗ごとだけで生活が成り立つはずはない。そうなると、介護という仕事が重要。

特に認知症と診断された時、薬が出来てきても、その効力はまだまだ未知の世界だ。今現在の状況はまだ続く、そう思っておいた方がいい。それなら、自分に近いところに高齢の2人を引越させようと考えたりもするが、いくら引越なれした人達であっても、場所が移動するだけで根本的な解決にはならず疲弊するだけ。

それじゃ施設に入る?2人で入る?それとも認知症が重くなった一方の親だけ?親にも今までの慣れた暮らしがあるから、やはり訪問介護や通所介護を受ける?でも24時間の介護を受けられるわけではないから、親はどちらが介護側でも心身ともに疲弊し、ストレスもたまる。無意識の中で家庭内虐待だってありえる。

*前のアパートの大家さんの飼い猫 柱が似合う

それなら自分が一緒に住む?母はそれが嫌だと言う。長く離れて暮らして来た親子だ、それこそ互いにフラストレーションが爆発するかもしれない。近くに自分が移り住む?少し現実的かな?でも、仕事はアルバイトをするわけには行かないし、自分にだって環境的基盤が必要だ。考えれば考えるほど難しくなってくる。

認知症ひとつでこれだから、他に病気が重なっていくといよいよ難しくなる。両親は自分たちが亡くなった後のことは、遺言にして残してある。でも一番大変なのは、2人がさらに歳を重ねながら病気も重ね、通院や入院が必要になる時だ。親といえどもつきっきりで介護するのは難しい。これが歳を重ねるという現実だ。

先日、少し強い口調で母親に話した。親の時代と違って現役世代やこれから社会に出る人は、長く働くことになる。子供や新しい世代に対して、素直にハイと言える気持ちも大切だろう。自分たちは働いて来たと言うけど、今は働いた分だけ金になる時代でもない。時間の早さも生活の内容も違うことを理解すべきだ、と。

*黒猫ゆえか 赤い鳥居が似合っていた

介護の研修を受けるだけで、認知症について考えることが多くなった。だが、知らないよりは知っておいた方がいい。2025年には65歳以上の5人に1人が認知症になるとか。誰にでも起こりうる。食べたものを忘れるのはもの忘れ、食べたこと自体を忘れるのは認知症の始まり。本人はそれさえも気づかないのかな?

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