20年前に祖父は亡くなった。87歳だった。
亡くなる直前に会うことができたが、それまでの数年は仕事が忙しく、ほとんど会えずじまいだった。
祖父は、最後の4年間ぐらいだったかな、痴呆症で晩年を過ごしていた。6歳下の祖母が、ほとんど一人で世話をしていたことになる。時には自宅を抜け出し街中をさ迷い、道につまずいて倒れ、血を流していたこともあったらしい。
自分は岐阜県の大垣で仕事漬け、あるいは佐倉で新しい店所の開設委員だったりと、忙しい毎日を過ごしていた。会社を退職して会えた時、すでに最後を迎えていたわけだ。あれだけ世話になっておきながら、義理に外れていたかもしれない。
だが祖父は、大切な教訓を残してくれた。言い方が悪いかもしれないが、痴呆症に対する大切な教訓だ。自ら考えて何かを生み出すことが大切だということ。受け身だけの生活では痴呆症になりやすいこと、それを祖父は身をもって教えてくれた。
そもそも祖父は、幅広く趣味をもっていた。
小学2年の頃、祖父母の家に預けられて暮らしていた。毎週日曜日になると、祖父と2人で渋谷か新宿に出かける。目的は絵画鑑賞が中心。渋谷なら東急本店、新宿なら小田急デパートなど。出かけるたびに、美味しいものにありつけるので楽しみにしてた。
祖父は大正生まれのハイカラな人だった。晩酌は決まってワイン、つまみの甘納豆さえ渋谷まで買いに行く。味にこだわる人だったね。ちなみに最寄駅は下北沢、夕方になると、会社帰りの祖父をひとりで迎えに行く。改札から出てくる祖父を、ハチ公のように待っていたもんだよ。
絵画鑑賞以外にも、庭に灯篭や石をおいて眺めたり、文鳥を飼ってみたり、そうそう、掛け軸とかも好きだった感じ。本当に多趣味な人だったね。祖母が地味な人だったから、趣味のためにお金を使えたのかもしれない。73歳まで働いていたしね。
でも、ここで考えておきたいことがある。
それは、祖父の趣味は、ほとんどが受け身の形で、自ら考えて生み出しているものがなかったってこと。幅が広く多趣味ではあったけれど、亡くなった時に祖父の自作と言えるものが無かったに等しい。手に入れて眺め、感想をもって終わりだったんだな。
指先を器用に使っている人はボケない、そう言われる。指を一本ずつ動かすことで脳を活性化させるらしい。楽器を弾いたり絵を描いたり、あるいは文章を書いたりとかいろいろとある。それが非日常的なことで、ものを創造することにつながるのがいい。
やったことのない新しいことを、可能な限り指先を使って行う。そんな時こそ脳が活性化し、ボケ防止につながるというわけだ。
自分としては、この考え方は正しいと思っている。
現実に、音楽家たちは音の追求を続け、もの書きをする方たちは言葉を著すことに貪欲だ。絵を描く方たちはより良い色を求めて長く描き続け、料理に生きる方たちも味の追求に余念がない。みんな、新しい創造をすることに努め、そこに終着点を感じない。
有名無名、業界人一般人とかは関係ないよね。自分がやってみようという気持ちになって続けること、それが大切だと思うんだ。
自分は今、本格的に書くことに目覚め、集中的に始めることで楽しむことを知った。77歳の母は絵を描くことに夢中だ。
互いに祖父の血を引き、互いに好奇心が強い。その好奇心が進むべきところは、自分で何かを生み出して行くという世界だ。
人生100年を意識するよりも、いかに健康で充実した毎日を続けていけるか、それを追求する方がよほど大切だと思う。
いい意味で、祖父は教訓を残してくれたと思っている。
「痴呆症だった祖父が、残した教訓。」への8件の返信
拝見しながら切なくなりました
ハイカラでグルメで芸術を愛する素敵なおじい様との思い出は…
今も色褪せることなくきみさんの心のアルバムで輝いているのでしょうね
渋谷でハチ公のようにおじい様を待っていらした幼いきみさんの姿が浮かんでほっこりしました
お母様の絵画、素晴らしいですね!
美しい色彩に斬新な感覚に感動して暫し作品に魅入ってしまいました
aiboちゃんが着ているお洋服にもセンスの良さと暖かい愛情が感じられてキュンとします
素敵なご家族ですね
そして芸術家の血はしっかりときみさんに受け継がれている…
ものを創造することの楽しさと達成感は生きている証のように人の心を輝かせ生き生きとさせてくれます
私もこれから出逢える新たな創造との一期一会に期待しつつ文字を躍らせる指を置くと致しましょう
いもうとさん こんばんわ。
今日もコメントを頂き、ありがとうございます。
今は小田急線が地下にもぐったので、当時の面影はありませんが、井の頭線と交差する駅の雰囲気はとても好きでした、あの頃は、あか抜けた感じではなく、庶民の町って感じで、ゲート下のアーケイド街に、よく買い物に行った記憶があります。
自分のセンスがあるかはわかりませんけど、祖父は確かにセンスが良かったですね。傘一本にもこだわりがあって、それはそれは大きくて持ち手もがっしりした傘でした。
母親は、マイペースで毎日を楽しんでいます。歳を重ねても、自分で楽しみを見つけられるのが、一番いいのではないかと思います。それだけ、こちらの心配はないということになりますから。
お互いに、ものを創造する楽しさを追求し続けたいですね。
こんにちは
痛いですね…
僕の母は2年くらい認知を患いました。
僕が居る or 遊技場で遊んでる
ずっと二択でした。
母を亡くし、ずっと一緒に居てあげたかった。
後悔然りです。
皆が幸せになれますように
こんにちは
痛いですね…
僕の母は2年くらい認知を患いました。
僕が居る or 遊技場で遊んでる
ずっと二択でした。
母を亡くし、ずっと一緒に居てあげたかった。
後悔然りです。
皆が幸せになれますように
ふぉっくすさん こんにちわ。
ご丁寧にありがとうございます。
そうだったんですね。
悲しくも大切な思い出ですね。
お蔭さまで僕の両親は、高齢の割には元気に暮らしておりますが、先のことはわかりません。
皆、等しく歳をとっていきますから、可能な限り元気でい続けてくれればと思います。
本当に、皆が幸せになれればと願います。
辛いですね…
きみさん、お疲れ様です。
さやかです。
趣味に受け身がある事を知りませんでした。
私の祖父母は今年で88歳です。
祖母は軽い認知がありますが、無趣味の人です。
今は2日に1回デイケアに行ってますが、体操やパズル、塗り絵をするようで、いつも作品を持って帰ってきて飾っています。
毎日行きたいと言ってるので、楽しいんだろうなと思っています。
私は最近16年ぶりにピアノを弾きました。
分かりきったことでしたが、指が思うように動かないので、今、毎日弾いて、以前のようになりたいと思っています。
ジャズやタンゴ、フュージョンをよく弾いてたので、CDを引っ張り出してきて、改めて聴くようになりました。
ありがたい事に楽しみが増えました。
マイペースに頑張ります。
さやかさん こんばんわ。
いつも、コメントを頂きまして、ありがとうございます。
まず、おばあさんのことですが、体操・パズル・塗り絵、すべて大切ですよね。
本日もリハビリに行きましたが、横では年配の方が絵を描いたら貼り絵をしたりしています。
いつもそれとなく見ていますが、皆さん熱心にやっておられて楽しそうです。
僕の祖父もデイサービスに通い、同じようなことをしていました。皆、同じですね。
飾っておくというのは、自分の作品を見て人にも見てもらうことになるわけですから、何か良い方へと意味があるように思います。楽しく続けて欲しいですね。
さやかさん、ピアノがお出来になるんですね。
せっかく始めたんですから、まず思い出すまで頑張ってください。
僕は歌うのはいいんですが、ギターも持っていながら楽器はどうも練習が進みません。
指先の運動にも脳の働きにもいいと聞きます。ぜひ、楽しいを感じながら続けて下さい。
音楽は幅広く聴いた方がいいかもしれませんね。
僕自身は今、こうして書くことの楽しみができましたけど、他にも色々と挑戦したいと思っています。
ドローンははまりそうです。