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俺の考え 健康 日常生活

本佐倉城の中で、老紳士と語り合う。

週に1度の肩のリハビリを終えてから、酒々井町本佐倉城へ。

目的はいつもと同じ、自然を感じながら歩き回り、陽の光を浴びながら写真を撮ること。「続日本100名城」のひとつに選ばれているにもかかわらず、特に平日は人が少ないということで、自分にとっての憩いの場になっている。

*無料とは思えないぐらい しっかりした作り

4月からは案内所が開かれた。一年前から建物を建て始めて秋には完成。以前の簡易トイレは撤去され、新たに水洗のトイレが完備され、憩いの場としてもふさわしいイメージになった。

ただ、新型コロナウィルスの影響があったのか、案内所はなかなか開かれなかった。どこにでも置かれているような、観光客向けの記念スタンプだけがトイレの前に置かれていた。その案内所がようやく開かれたわけだ。観光案内のボランティアのような方たちが、5人ほどいた気がする。

*雑草がすっかり刈られて 少し興ざめな点も

驚いたのは、平日にもかかわらず、観光客が多かったということだ。団体客個人のお客さんが、係の方達に順路に沿って案内されていた。案内所にはコンパクトながらも壁一面に写真や説明文が貼られ、綺麗な冊子まで出来ている。今日は無料だったが、いずれ有料になるかもしれない。出来がいいので得した気分だ。

だが、ひとつ興ざめだったことがある。

雑草がすっかり刈られて、自然のゴルフ場みたいになっていたんだよ。これには、少々がっかりした。昨年も一昨年も、同じ時期にこんな光景を見たことは無い。

*虫たちは 花のある場所ならどこでもいい

日本全国の数多い城跡の中で、続日本100名城のひとつとして選ばれたわけだ。今後の訪問者の増加を見込んで整備したい、その気持ちを、理解できないわけでもない。

でも、自然がしっかりと残されていることにも、意義があったはずなんだ。これから住宅地にでもなるのかな、そんな気持ちにさえなりそうだった。花が咲く場所があるのかな、そう思ったりもした。案の定、春にもかかわらず、が集中的に咲いている場所は、ほぼ一ヶ所だけになっていた。菜の花は別だけどね。

*菜の花は 例年と同じ場所に咲いている

同じような思いで、写真を撮っていた紳士がいらした。が好きで、この場所で一度しか見たことがないという蝶を追っているらしい。71歳で、交響楽団の副団長をされていらっしゃるとか。一度声を交わして分かれたが、蝶がいそうな場所がひとつしかないとわかり、自分のところに戻っていらした。

こうなると、が始まってしまう。

およそ1時間以上、青空の下、草むらの中、二人で語り続けた。花と虫、政治と経済、コロナと自粛、田舎と都会、車と仕事など話題は多岐にわたった。自然のど真ん中で2人動くこともなく、話すことに夢中になった。

*とても美味しそうな感じがした キイチゴ?

マスク越しだけど、本当に楽しかった。人とまともに話をしたのは久しぶり。それも圧迫感がない青空の下。誰にも邪魔されることがない。他の観光客がいらしても、案内の方につづいて足早に去っていく。大きいと思えた声も、自然の中にとけていくよう。

自然っていうのは、つくづくありがたい存在だ。願わくば、商業的な根性が、丸出しになるような状況にだけはなってほしくない。自然があるゆえに、国の史跡にもなっていると思いたい。

紳士様から、樹が好きなら、風土記の丘にも行った方がいいと提案をいただいた。ぜひとも行ってみよう。

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俺の考え 映画 趣味 食事

忘却のサチコを見て、食べる幸せを感じる。

誰でも自分にとっての定番というものがあると思う。特に映画ドラマについて言えば、自分にとってはこれら。食べる時の幸せを感じられる内容のもの。

*高畑充希は とにかく演技の表情が豊かだ

映画なら「男はつらいよ」。ドラマなら「深夜食堂」と「孤独のグルメ」。そして、最近では「忘却のサチコ」が加わっている。

ちなみに「男はつらいよ」については、自分が求める人としてあるべき姿の方に主題があるけれど、食べることに関しても、とても大切なことを教えてくれる。食事となると、必ず見たくなる。

*こんな色をしたサバの味噌煮がでてくればね

さて、「忘却のサチコ」の主演女優、高畑充希さん、とにかく表現が豊かすぎる。ご飯を食べる時の表情がなんと言ってもうまい!「孤独のグルメ」の松重豊さんも本当にうまいとは思うんだけど、高畑さんの表情はまた違ったうまさがあるんだよね。

*食べた瞬間の 昇天したような表情がうまい

もちろんカメラワークだってうまいし、女性だから可愛く見えるってことも否定はしない。

でも、うまそうに食べるという点で、食べている瞬間を見ていると一緒に食べたくなってくるんだな。劇中で繰り返される幸せ~って言葉、それはこっちのセリフだよ、こう言いたくなってくる。食べることが、本当に楽しいんだってことを教えられる。

*こういったシーンに 特にうまさを感じる

食べることに限らないかもしれない。高畑さんはコミカルな演技もうまい。多部未華子さんの演技なんかも好きなんだけど、似たものがあるのかな。隙がない性格のヒロインだからこそ、そのコミカルな感じとその表現の豊かさに楽しさが爆発する。

*作家先生の思わぬ趣味を前にしても

作家先生に叱られた後、その先生の思わぬ趣味を前にした時の姿と表情。自分もこんな気持ちになるんじゃないかって、確信にもなりそうな演技のうまさ。その後の本人の姿は、脚本を褒めるべきところなのに、脚本も演技力しだいだと思えるんだよね。

*挙句の果てに 主人公みずからこの姿

高畑さんの表現の豊かさに圧倒されながら、食べる幸せを思い出させてもらえる「忘却のサチコ」。何度でも見てしまう。

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人生経験 俺の考え 日常生活

祖父が亡くなったのは、離れた30分の間。

祖父があぶないと聞いた20年前のあの日、東京の病院の中にいた。ちょうど会社を辞めた頃で、暑さが残る9月の日だったかな。準備もそこそこに駆けつけていた。

祖母と伯父の奥さんであるおば、そして自分の3人だけ。もう最後かもしれないって時だったのに、人が集まっていなかった。各地に散らばる親戚への連絡が、遅れていたせいかもしれない。

幼いころから、親戚が一堂に集まるなんて経験は、ほとんどなかった。お盆の季節や正月だからって、親戚の訪問があったわけじゃない。正月元旦を、祖父母の自宅で過ごしていた記憶が、何回あったのかも覚えていない。

*祖父はよく手紙を書いてくれた

当時、両親は兵庫県の神戸市、伯父夫婦は山形県の鶴岡市、叔母夫婦は愛知県の名古屋市。みんな転勤や引越だらけの生活だったから、日本の各地でバラバラに暮らしていたね。

自分は千葉県の佐倉市にいたから、車で行ける距離。すぐに準備して東京まで走った。

祖父は数年前から痴呆症になっていたから、自分のことを、わかっていなかったかもしれない。でも、お爺さん!って呼んだ時、一瞬だけ自分の方を見てうなずいた気がした。目だけが、自分のことを追っていた気がしたんだよね。

呼吸器をつけていたし、言葉を出そうにも、すでに出す力も残ってなかったのかな。それでも、自分を見て名前を呼ぼうとしていた感じ。口元の呼吸器の中が、曇ったり曇らなかったりを繰り返していた。

*祖父が買ってくれたタイマー 現役稼働中

おばが、ご飯だけ食べてきなよと言ったので、じゃあ急いで行って来るってそこを離れた。おそらく30分ぐらいだったと思う。とにかく急いで戻ってきたから、もっと早かったかもしれない。

だが、祖父はすでに息を引き取った後だった。命の儚さってやつを思い知らされた瞬間だったね。

ほんの少しばかり席をはずしただけ。でも、命に休憩は許されなかった。あまりにも一瞬のことだったから、その場では涙を流すこともできなかった。

事後処理をすすめる看護師たちが、すでに忙しく動き回っている。亡くなったことが確認されれば、後は機械的に処理が進んで行くだけ。葬式が終わるまで、あっという間に時間も流れた。

ただ胸にグッとにきた瞬間が一度だけあったよ。火葬される直前だったな。祖父の姿をこの世で二度と見ることができない、そう思った時、本当のお別れに思えたんだ。命が尽きたことはわかっていたけど、体が目の前に存在する限り、まだ生きているように感じていたのかもしれない。

後日、が言うんだ。お兄さん偉いと思ったわ、あの時、お兄さんだけが泣いていなかったもの、って。たとえ血を分けた妹であっても、わからないこともあるんだよ。兄妹であっても別々の人格、それが当たり前だとも思っている。

あの30分を離れることがなかったなら、思いきり泣いていたのかもしれない…。

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仕事 俺の考え 日常生活

佐川急便の、フットワークの軽さ。

佐川急便が、2022年9月を目途に、保有する軽自動車をすべてEVにシフトしていくことを決めた。しかも、その調達先は中国のメーカー。両方の点から時代の流れを感じる。

いまや佐川急便は、ヤマト運輸と並んで、社会のインフラの一端を担っている巨大運輸会社だ。宅配便の数では、まだヤマト運輸に及ばないが、そのフットワークについて言えば、組織の大きさを忘れてしまうぐらいの素早さ、即効性を感じられる。

*昔に比べると 優しいイメージだ

系列会社も含めて、佐川急便にはたくさん仕事を頂いた。間接的にではあるけれど、運賃も良かったし鍛えられた上、何よりもなにくそって感じで、受けた仕事には熱意をもつことができた。

ほとんど貸し切りの仕事だったけれど、佐川急便は責任をもってやりさえすれば、後は受けた本人にすべて丸投げ、自分で考えるという点では大いに学ぶことができた。その反面、ミスをしたことへの追及の仕方は半端じゃない。ある意味では執拗だった。

何年も前に、貨物機を2機準備して、自ら航空貨物の世界にも参入した。2年ぐらいで撤退したかな。昼間のライトアップも佐川急便が組織的に始めた。欧米では義務化されていることを、先頭に立ってやる姿には好感をもてた。でも、リーマンショックの後ぐらいだったかな、無駄を感じたのか費用削減のためか、今ではライトアップもやめた感が強い。

とにかく、まず勢いでやるようなイメージが強い。同時に無駄だとわかれば、即座に撤退するイメージも自分の中にはある。

*現代的なスマート?なマークになった

だが、このEV車へのシフトについて言えば、世界の流れでもある。世界の流れであるからこそ、やっていく価値がある。当然のこと、多額の資金も必要。巨大企業ゆえに可能なことなのかもしれないが、現在7,200台軽自動車を、2030年までとはいえ、すべてEVに切り替えるというのは大変なことだと思う。

CO₂(二酸化炭素)の排出量を減らす取り組みは、日本は世界の流れから遅れている。EVシフトについては、欧米中国と比べればさらに遅れている。日本ではハイブリッドがもてはやされるけれど、時代はその先にあるわけだ。

だからこそ、佐川急便の姿勢は大いに歓迎されるべきだと思う。願わくば、今回の計画が確実に実行されることを願いたい。利益だけを優先するのではなくて、長期的な視野地球全体の環境問題としてとらえ、先頭を走りつづけてもらいたい。

*赤いふんどしにふれると お金がはいる?

かつて、佐川急便の飛脚マークにふれると、特に赤いふんどしにふれると、お金が入ってくると言われた時代もあった。それぐらい、お金のイメージが先行していた時代もあったわけで、佐川急便も今はその姿を変えたらしい。

そのフットワークの軽さが、常に良い方向へと進むように、期待をこめて見守ってみたい。

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人生経験 俺の考え 健康 日常生活

MRI検査の機械は、眠気をさそってくれる。

昨年の秋以来だ、久しぶりに「MRI検査」を受けてきた。45分ぐらいだったけど、熟睡してしまった。

今回は、昨夏に手術した左肩の、経過を診るための検査ではなかった。2月に痛めた左足首の、痛みの原因を探すための検査だ。場所も手術した病院ではなくて、掛かりつけの街の外科さんだ。

前回の右肩の手術をした時も、前後で3回ぐらいMRI検査を行った。今まで受けてきたMRI検査の回数は、合計10回くらいになったのかな。

*オープン型のMRI 今回はこのタイプ

まあ数はいいとして、このMRI検査を受けている時って、本当によく寝られるんだよね。麻酔なんかしていない。始めますよ~っていう技師さんの言葉と同時に、検査が始まる。始まると、ジージーって独特な音がが鳴り始め、機械が坦々と動き続ける。

このジージーっていう音がくせ者。すごく眠気をさそうんだよ。

今日なんか、45分くらいかかりますからって言われていたけれども、始まって5分くらいで寝始めていたみたい。終わって時計を見たら、12時15分を過ぎいていた。確かに45分流れていたから、40分は寝ていたわけだ。

ここのところ睡眠不足だから、本当によく寝られた。終わりましたよって言葉が、お目覚め下さいませ、なんて聞こえていたのかもしれない。

MRI検査の機械は、今日まで2種類を経験した。

*トンネル型のMRI こちらの経験は多い

今回のモノは、ベッドを検査機械の下に横滑りさせるオープン型のMRI。部屋の天井も見えていて、圧迫感がない。一方で、手術した病院のモノは、円筒の機械の中に体を入れるトンネル型のMRI。体がスッポリと包まれて、耳を守るために耳栓もする。かなり圧迫感を感じる。

オープン型のモノは、狭いところが苦手な人に向いている感じだね。トンネル型のモノだと、体のすべてを見透かされるような気がする。お棺の中に入れられるのは、こんな感じなのかななんて、検査中に考えたりもしていた。

どちらにしても、自分は良く寝てしまう。

真面目な話、過去の検査中でも寝なかったことがない。地震なんか起きたらとも思うけれど、自宅で寝ていても地震があったのかい?ぐらいの人間だからね。まあ検査中に寝られるなんて、平和な証拠かもしれないね。つくづく、幸せな人間だと思っている。

*もっと おもしろい樹をさがしてみたい

お蔭さまで、検査の結果は良好。まだまだ湿布に頼る様子見の毎日が続くけれども、とりあえず又、歩き始めようと思う。

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人生経験 俺の考え 日常生活 読書 趣味

文章を書くのは、体力勝負の世界だった。

文章を書くのは、本当に体力勝負の世界だと思う。

自分みたいな素人が、偉そうに言うことではないけれど、肉体労働をやっているからとか、スポーツをやっているからとか、何もを張ってやることだけが体力を必要とするわけじゃない。

*池波先生は どういう体力をしていたんだろう?

現実に、どんな仕事をしていたっておなかは減るよね。自分は、朝ご飯をしっかりと食べるタイプだけど、ずっとPCに向かっているだけで、お昼頃にはおなかがグーグー鳴っている。

ましてや近頃は、おなかが減り過ぎて困ることも多い。

基本的にお酒はやめて、たんぱく質を多く摂れる食生活にしているんだ。大豆、豆腐、納豆、豆乳、牛乳、卵などを中心にね。夜ご飯が終われば、またPCに向かうわけ。

*血圧対策のためにも 食材を考えているつもり

すると深夜0時頃にはおなかが鳴り始める。の摂り方が足りないのか、嚙み方がたりないのか。とにかく、寝るためにもかなりエネルギーを必要とするというのに、頭で考えては指先を動かす作業を繰り返すだけで、体力を消耗している感じだ。

結局のところ、をかかずともエネルギーは消費される。エネルギーが消費されるってことは、体力を消耗しているってことだ。

*豆乳なしの晩酌はありえなくなった

4月末までに、100本の記事を書くという目標を立てた。

1日3本書くことを基本にすると、今の自分のレベルではトータルで7~8時間はかかる。文章を書いては修正、写真を選んでは添付をする。写真が足りなければ撮り足しをする。

こんなことを繰り返しているだけで時間は過ぎる。深夜に1本書いて翌日2本書くペース。現場で働いていた頃よりも、時間に追われている感じだ。作家気取りの酔いどれドン・キホーテだ。

*料理をしない自分には天国だった病院食

記事を公開したからと言って、そこで終わりじゃない。ツイッターの文章と違って、後から修正が効く。そこで公開した後に読み直しては、目についたところを手直しをしている。公開してから可能な限り1~2時間以内にやっている。

公開した時に納得できる内容であって、誤字脱字は無いのが一番の理想だけど、そこはまだまだ未熟。だから気づいた時に、直すように心がけている。初心者マークをつけている以上は、手を抜いてはいけないところだ。

*池波先生のエッセイは本当におもしろい

そんなわけで、文章を書くことが体力勝負の世界だとよくわかった。今さらながら、昭和の大作家、池波正太郎先生のすごさを思い知らされる。

ただ初心者の自分にも、これだけは言える。

書くことって、本当に楽しい!

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俺の考え 健康 日常生活

血圧計は据え置き型が、携帯型より数値も安定。

去年の夏に手術をして、血圧管理を指導された。このことについては話をしたと思う。そのために、機種の選択に悩んだ末、手首に巻いて血圧を測る携帯型の血圧計を購入した。

だが、どうも出て来る数値に納得が行かなかった。

いくら高血圧だって言われていても、どうにも数値が高すぎる。毎日1錠、朝食の後には薬を飲み、体を動かしてもいないし興奮もいしていない状態で測って、それでこんな数値になるのか?

*手首に巻いてはかるだけ 携帯には便利だ

高いところで140台、低いところで90台。不安になった。

病院では看護師さんが毎朝毎晩、規則正しく測ってくれた。薬も飲んでいたが、退院する頃には数値も安定病院食が良かったせい?塩分も少なかったし?いやいや、それだけではなかったと思うね。やはり看護師さんの測り方の技術や、器具の良さなどもあったと思う。それにしても数値が高かった。

1週間使った結果、駄目だと判断した。据え置き型が必要だと思い、すぐに行動にうつした。またAmazonの出番になる。携帯型に決めた時にも候補にした、オムロンの据え置き型。いくつかピックアップして機種を決めた。

*本来 機械ものはシンプルが一番だと思っている

自分は研究心が強い上、長く使いたいと考えるので、多少高めのモノを選ぶ癖がある。

でも、あまりにも種類が多いので、今回は一番の売れ筋で、良いレビューが多い機種を選んでみた。レビューの数が極端に多い時は、信用度もそれなりに高いと考えている。ただし、100のレビューがあって100が全部5つ星なら信用しないけどね。

選んだ機種は半年経った今、当たりだったと確信している。

*支給された手帳だと 測り忘れも多かった

血圧は朝晩の2回測っているが、忘れることもあった。特に夜の方を忘れてしまうんだ。別のことに夢中になっていて、つい時間をやり過ごしてまう。

朝は大丈夫なんだよ。起きてすぐに測る習慣にしておけば、ほとんど忘れない。夜は夜までの生活の流れがあるから、案外忘れてしまうことがあったね。

*左側が3月から使い始めた年間血圧手帳

なぜあったと過去形なのか。実は3月から、これもAmazonで探しまくった結果だが、1年間使用できる血圧手帳に変えたんだ。

この手帳がまたまた当たった。とある先生が監修しているものなんだ。同じように数値を記入していくだけでも、絶対に測らなければいけないようなマジックにかかってしまうんだよ。

でも長い話になるから、この続きは次の機会にしたいと思う。

*左は入院当時からの薬 今は右のものに

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人生経験 俺の考え 健康 日常生活

相手が先生でも関係ない、自分の考えは言う。

どうもアキレス腱まわりの具合が悪い。外科さんに行ってきた。

2月9日に左足首を痛めてから、ほぼ2ヶ月。アキレス腱というよりも、歩くたびにふくらはぎが張ってしまって、更にすねの方までが回転するようにして張ってくる。いい加減、うんざりだ。

15年以上お世話になっている街の外科さん。整形外科としては信用できるんだけど、とにかく待ち時間が長い。たまにはセカンドオピニオンしてみるかって、そんな気分にもなっていた。

*このかかとが恨めしい 今さら遅いけど

でも、やはり長く記録が残っているからね、結局、いつも通りに診察券を出しに行ったんだよ。順番的には今日が再診察でMRIの予約をお願いする。後日、MRIを撮ってから当日に再々診察。仕事がら外科に慣れているし、こちらの外科さんの性格はしっかりと把握してある。

だからこそ、考えるんだ。無駄な支出はしたくないと。

「今日の診察を見送っていただき、まずはMRIを撮ってください。予約さえできれば日にちは空いている時で結構です。MRIを撮った上で診察をお願いします。この2ヶ月、努力しましたけど、よくなりません。良くならなかった以上、精密検査が必要です。レントゲンでは何も見えませんので、お願いします!」

*樹の枝がつくりだす影 けっこう好きだ

こんな内容を、受付の方から先生に伝えていただき、明日のMRI検査の予定を取った。筋道を立てて話をすれば何の問題もない。明日は11時から診察をし、流れで30分のMRI検査、そして検査後に先生の所見を聞く。

考えていた通りになり、今日の診察料も不要になったし、明日の予定にも無駄がなくなった。やはり、言うべきことは言わなくてはいけない。今はネットでいくらでも調べられる時代だからね、しっかりと知識の武装をして、患者側の立場でも主張していくべきだと思っている。

これは外科さんに限らない。歯医者さんでも、皮膚科医院でも、内科医院でも、眼科医院でも、自分のかかりつけの病院についてはすべて同じこと。

ただ、偉そうにするわけじゃない。先生という立場を十分に尊重しているし、先生の勧めることについては確実に実行している。たとえば歯医者さん。行くたびに良く磨かれていると言われるし、同時に、もっと頑張りなさいとさらに指導を受ける。双方向での、積極的なコミュニケーションの結果だと思っている。

*医者の帰りには いつも空がみたくなる

先生たちは皆、日々の診察を繰り返す中で、それ相応に努力をしている。患者数が多いところは、それなりの価値があるからだ。

でも、先生だってお金をとる商売。こちらもただ払うだけではもったいない。診てもらう時には、自分なりに知識も得たい。ハイハイだけしていては、駄目だと思う。

まずは自分の意見をしっかりと告げ、その時の先生の答え方から、金を払う価値がある先生なのかを、しっかりと見極める必要もあると思うんだよね、自分は。

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西濃運輸の目安箱に投函、社長に呼ばれた。

入社4年目ぐらいの頃、大垣の本社目安箱が置かれた。

目安箱というのは、自分が勝手につけた呼び名。江戸時代の8代将軍徳川吉宗の目安箱になぞらえて呼んでみた。要は、会社に意見がある方、聞かせてくださいってやつだ。意見箱だね。

大垣の本社と言えば、西濃運輸の本拠地だ。1代目がいらした頃には、目の前の国道258号を、トラックがパレードしたとも聞いている。その頃は、全国から人が集まって、地元の社員の割合は30%ぐらいだったらしいが、自分が入社したころには真逆。岐阜県外から集まった人間の方が30%になっていた。

*三菱のパジェロが パリダカを席巻していた時代

そうなると本社なんかでは、面と向かって社長にモノを言う人間なんかいない。当時の2代目会長が正面玄関を通る時には、隠れて姿を見せるなって言われたぐらいだ。摩訶不思議な世界だよ。社員が会長に挨拶するんじゃなくて、挨拶よりも姿を見せないことの方が大切のような雰囲気だったんだから。

そんな本社に目安箱が置かれたわけだ。

案の定、ほとんど意見の投函はなかったようだ。後で聞いたところによると、10人分ぐらいしかなかったとか。名前を明かしていたのは、自分と仲間の2人だけ。他はすべて匿名

平成8年当時には、すでに時代遅れは否めなかった。その理由が意見が通るような風通しが無かったこと。陰で愚痴は言うが、いざ意見を求められればだんまりを決め込み、はいはいそうですねの繰り返し。入社当時は吠えていた社員も、に染まってやがて言わなくなる。そんな状況だから、匿名なんか当たり前のこと。

*当時 何度もくりかえし読んだ

でも、自分は吠えまくっていた時期だからね。毎日が畜生!のくりかえし。名前を出すのが当たり前。出せないなら意見するな。それで、A4にして10枚くらい書いたかな。喜んで投函したんだ。結果が楽しみで仕方なかった。何も怖くなかったね。

でも、書いてみるもんだよ。

後日、秘書課から呼び出しがかかった。社長が呼んでるって。自分が所属してた労務課は社長室のすぐそば。社長室は扉がないから、いつも社長の姿はまる見え、声もまる聞こえ、その入り口に立ったよ。ただ、後輩に言っておいた、今日でクビだからって。内容は伏せるけど、それぐらいハッキリと意見していたからね。

当時は、1代目の田口利八さん次男にあたる方が社長。実質3代目。親譲りの立派な体格で180㌢はあったかな。

社長室に入った瞬間、一言目に「よう言った!」って言われた。そして、二言目に「会社には出来ることと出来ないことがある。でも、夢をもって頑張りなさい」、そう言われ、大きな手で握手をしていただけた。ただ、感動あるのみだった。

*生涯 この駅名は頭からはなれそうにない

後日、独身寮長としての申請が足踏みしていた稟議書の決済が下りた。額は増額されて800万円を超えていた。元々、この稟議書を通すためにも意見したもの。また感動がやってきた。

つくづく思った。言わなければ、行動しなければ何も始まらないって。それも若い時ほど、そういう気持ちは大切だと思う。

それから3年後に会社を辞めたことについては、後悔はしていない。

ただ、何年か前に当時の社長が亡くなったことを知った時、ありがとうございましたって、心の中でつぶやいたね。いい時代を与えて下さって、本当にありがとうございましたって、ね。

駄目だな、書きながら思い出していたら、涙が出てしまった…。

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人生経験 俺の考え 健康 日常生活

人のふんどしを借りずに、自分のスタイルで。

自分を売りたいと思った時、表舞台に立ちたいと思った時、あなたはどのように頑張るだろうか?

まずは、自分が好む誰かの真似ごとから始める。とことん真似をして、だんだん真似だけで満足できなくなる。やがて、自分の形へと変えてみたくなる。本格的に行動を開始する。行動を開始したら、他人の真似などはしない。ひたすら自分のスタイルだけを追求して、ブレイクできる日を夢見て進む。

これが一般的な、夢を追う形かな。

*木は自然と共に自分のスタイルだけで生きてる?

他人の真似ごとから始めずに、初めから自分のスタイルを追求していけるなら一番いいけどね。

でも基本的に、それは難しいかな。その真似をしたい対象が、遠い存在の人でも身近な人でも、誰かに憧れて始めているのがほとんどだものね。真似をしていないなんて、まずはあり得ない話。憧れゆえに、自分もやってみようと思うんだから。

自分なんか、憧ればかりが多くて、やってみようと思うことばかりが多くて、中途半端になってることがなんて多いことか。この歳になって悔やまれることばかりだね。

*空のスタイルはいつもあるがまま

ただ、何をやるにしても、自分のスタイルを追求しようって、その気持ちだけはいつも大切にしているよ。

自分が上手くいかない時には、誰かの真似をしてみたいと思う、そういう気持ちを絶対に持たないとは言えない。

それでも、自分のスタイルを追求することだけは忘れない。他人を参考にして勉強させてもらう。その上で、もう一度、とことん自分のスタイルを追求する、その繰り返し。

自分が上手くいかないからって、他人のふんどしを借りてまで土俵に立って、それで相撲をとろうとは思わない。

自分が成功したければ、手段を選ばないというのも一つの考え方かもしれない。割りきって生きるなら、それは一つの手段になるかもしれない。プライドなんか捨てさって、成功さえすればいいんだってことだね。プライドに固執したからと言って、成功するとは限らないからね。

*池の中と言えども 鯉は自由に生きる

でも、一度捨てたプライドは、なかなか戻るものじゃないよ。

他人のふんどしを借りて相撲をとるのもいいけど、甘えすぎると戻れなくなるよ。そこまで落ちるぐらいなら、夢なんか持たないで、楽に生きる道を選んだ方がいいとも思う。

少なくとも自分は、そんな恥ずかしい姿を見せてまで夢を追いたくはない。夢を追いかけるなら、とことん自分の力で追いかけて、もう駄目だなと思ったら、さっさと次の道を探しにいくよ。

365日なんてあってないようなもの。100回来たって、100回しかないと思えば、自分が思っているより、人生はずっと短いものだ。人のふんどしをつけて踊る時間よりも、可能なかぎり自分の力で踊れる時間を増やしていきたいね。