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ドローンには、お金を払う価値がある。

お金というのは、大切なものだ。お金が無ければ生活をしていけない。1万円だろうが1円だろうがお金はお金。あり過ぎて困るものではないし、稼ぎすぎて無駄になることもない。

だからこそ、お金を払う価値があるのか、しっかりと考えた上でモノを買いたい。衝動買いってこともあるから、いつもしっかりとは言い切れないけど、安物買いの銭失いにだけは、ね。

*初めは調子よかったのに 残念…

だが、先日買ったドローンが、久しぶりにハズレだった。付属の充電池は1本が不良品。何回か飛ばしていたら、4枚のブレードの内1枚が停止。ローターを開いていじってみたら、一旦は直ったが、やがて完全に停止。悪い方のレビューの通りになった。今回は返品する気にもなれなかった。

Amazonで買うと、たまにこういうこともある。そのためにレビューも活用して選んでいるわけだが、なにぶんにも使ってみないことにはわからない。過去に失敗した例としては、中古の一眼レフ。まあ対応が早かったら返品で済んだけど。そういう点ではAmazonの対応は早いと思うが、可能かぎり不良品はごめんだ。

*次はひとまわり小さいモノを選んだ かわいい

レビューだって、すべて信じていいとは思っていない。レビューを書く商売もあると聞いている。情報を鵜呑みにはしない方がいい。Amazonの商品を見ていると、メーカー違いだけで、まったく同製品のようなモノも少なくない。選ぶ時は真剣になるが、賭けでもある。選ばないことには、進めないのも事実なんだから。

今回のドローンについては、今後のことも考えて、真剣に楽しんみながら練習している。そのための機材は必要だ。教本も同時に読んでいるから、なおさらのこと。無駄な出費にはならない。基本的にお酒への出費も今はないから、技術習得のために使う。

*この赤い色が気に入っている シャア?

だから、もう一度賭けに出た。まだまだ初心者のレベル。室内で練習することも考えて、さらに一回り小型のモノにしてみた。高いモノではないが、同じ轍はふまない。前回購入時に選択範囲にあったモノも、再び候補に含めて考えぬいて購入。

今度は、当たりを引いた感じだ。

実際に操作してみるとわかるけど、案外むずかしい。教本の航空力学の説明にも、なるほどって思いながら練習している。でも楽しいって思える。ちょっとした気分転換にもなる。本物のパイロットにはなれなかったけど、パイロット気分にもひたれる感じ。
ちょっとでも興味があるのなら、経験してみてほしい。

*蜘蛛にも見えるし 楽しい時代だ

そんなわけで、技術を習得できそうなドローンの練習のために、少々お金を使った。まあ以前の、何でもかんでもやってしまえ的な自分に比べれば、かわいいものだと思う。

自分にとってドローンは、十分にお金を払う価値がある。お酒への出費はなくなったから、ちょっとしたご褒美のつもりだ。

まだまだ扱いが下手だから、ドローンのブレードにも指先を傷つけられているが、そんな悪戦苦闘も楽しむ、好奇心に生きる少年のお話でした。

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「地毛証明書」って何?

NHKのニュースで、「地毛証明書」についてふれていた。

全日制都立高校177校のうち、44.6%に当たる79校が地毛であることを証明する届け出を求めているらしい。

*今まで知らなった自分が恥ずかしくもなる

髪の毛が生まれつき茶色などの黒以外の色や、くせ毛の生徒について、保護者の署名や押印とともに、地毛の特徴などを「地毛証明書」として届け出ることを求めているらしい。地毛であることの証明として、中学時代や幼少期の写真の提出を求めている高校もあるとか。

NHKのホームページでも読めるし、新聞でも取り上げられていたから、話題にすべき内容なのかな。

*日本の首都がある場所でのこと

と言うか、今の時代にこんなことが話題にされなければいけないなんて、日本って一体どういう国なんだろう。本来ならNHKだって、もっと話題にすべき内容があると思うんだよね。髪の毛の色で国が動くなら、大いに話題にすべきだ。感染の再拡大についても、情報提供のようなレベルなのに、髪の話とは恐れ入る。

それにしても、時代錯誤もはなはだしい。

自分は地毛が黒だ。染めたこともないし、染める必要もまったく感じないから地毛のまま。そもそも51歳の今、髪の毛が残っていること自体が神秘的な話なんだ。父親は20代後半で、中の島型に髪が薄くなっていたから、自分も学生の頃から覚悟していたぐらいだ。今でもよく伸びるのは、祖父の血かもしれない。

*こんな選択肢もあるらしい

そんなわけで、仮に今、高校生だとしても指摘されることは何もないはず。でも、ドライヤーがよく当たるところは、少し茶色くも見える。そうなると、角度を変えて透かして確認されて、地毛を証明するように求められるのかな。入学早々、教師に目をつけられるのが嫌だから、証明書を提出するのかな。

学校側は、黒髪がなぜ大切なのか、それが学生生活にどんな影響を与えるのか、しっかりと説明した方がいい。進学校だった自分の母校でも、こんな証明書の提出は求めなかった。黒髪でも成績は悪すぎた。もし自分に子供がいて、高校進学を考える時には、証明書の提出を求めない高校をさがす必要もありそうだ。

*軍隊の入隊みたい 今時の軍隊でも…

先日、祖父の痴呆症の話をした。祖父が家を抜け出して徘徊、道端で倒れて血を流していた話だ。これには続きがある。

祖母が駆けつけた時、祖父の周りには金髪の兄さんたちがいたらしい。お爺さん大丈夫か?って声をかけて、手を貸してくれてたらしい。後日、祖母はその時のことを思い出して話していた。近所の人は誰も声をかけてくれなかったけど、彼等だけが手を貸してくれた。人は外見じゃないって、本気でそう思ったわって。

大正生まれの祖母には、髪の毛を金色に染めるなんてことは、遠い世界のことだ。もし祖母が、金髪の人はお爺さんにふれないでなんて言っていたとしたら、あなたはどう思う?

必要な校則もあると思うけど、身体的な特徴を申告させる証明書は、プライバシーを否定してるように感じる。卒業してから許されるとかなら、やる意味がない。

それよりも、上手い染め方でも教えた方が、子供の個性を成長させられるように思う。案外、世界的なヘアメイクアーティストも生まれたりするかもよ。

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元横綱 稀勢の里 の考え方。

少し前になるが、元横綱稀勢の里が、早稲田大学の大学院を卒業し、その後インタビューを受けた時の記事を読んだ。

*稀勢の里の姿は地味だが そこに人気があった

稀勢の里は体格もよく、外見は相撲取りらしく思えた。ただ、気が優しいのか、大関になってから、なかなか優勝することがなかった。土俵に上がっては、淡々とマイペースで相撲をとっていたような感じだった。自分は、あまり好きにはなれなかった。

だが、人気はあったようだ。相撲を愛し、地道に相撲を取り続ける姿勢が良かったのかもしれない。横綱に昇進した時は、久しぶりに日本人から横綱が誕生したものだから、世間の喜び方は一段と大きかったようだ。本当に久しぶりだったものね。

ただ、小学生の頃から相撲を見てきた者としては、横綱になるのが少し遅すぎたように感じていた。

北の湖、貴乃花、輪島、千代の富士など昭和の相撲取りは、横綱ではなくても本当に強かった。大関でも十分に強かった。横綱になる人には勢いがあった。あっという間に横綱の地位までかけあがり、その後は優勝を重ねた。ウルフと呼ばれていた千代の富士には、その強さと体格などに対して憧れをもった。

*ウルフという呼び名にふさわしい取り口だった

だから、稀勢の里が30歳を過ぎてから横綱になったことは、嬉しい反面、遅すぎた気もした。

稀勢の里は2度優勝したが、その後は怪我がもとで休場を続け、そのまま引退へと進んだ。横綱になってから、わずか2年後のこと。残念などと思う余裕もなかったね。

*体格が立派で 現役中は寡黙なイメージも

でも、大切なことは、その後の稀勢の里の姿勢だ。

そんな稀勢の里が、早稲田大学大学院のスポーツ科学研究科修士課程を修了した。相撲部屋を持つ時に備えて、学んだらしい。これまでに例のない、新しいタイプの部屋を作りたいとか。

  • 部屋の土俵を2つ3つ備えて、稽古を効率よく行う。
  • ビデオカメラを導入して、指導につなげていく。
  • ちゃんこ鍋にこだわらず、運動前にたんぱく質を補給する。
  • 部屋専用の筋力トレーニングルームを備えつける。

など、まあ古い慣習からの脱却などを話していた。

古い伝統が支配する世界だ、見直しや改革は簡単には進まないだろう。必ず反対する人が出てくると思う。

でも、30歳を過ぎて初めてパソコンと向き合い、論文を書いて学生を前に発表したんだ。それも、20人中3位の評価だったとか。まだ若いとは言っても、新しい時代を見据えて学んでみようという考え方が大切だと思うんだよね。

*野茂英雄も自ら大リーグへの道を切り開いた

野球の世界なんかもそうだけど、偉大な選手だった人が、必ずしも立派な監督になるとは限らない。相撲の世界も似たようなものだろう。白鵬が偉大な横綱であるとしても、立派な親方になれるかは未知数だ。やってみないことにはわからない。

稀勢の里の親方としての未来も、今の時点では未知数だ。

だからこそ、何かを変えたいという気持ちは、大いに尊重されるべきだ。それは何も相撲に限ったことじゃない。これからの自分だって同じこと。学びなおしの時期に早い遅いはない。やってやるという心意気さえあれば、何かを必ず成し遂げられるはずだ。

稀勢の里からの、ちょっとしたサプライズだった。

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ブログを書くのは、自分を見つめ直すこと。

ブログを書くのは、自分を見つめ直すことだと思う。

そもそも、ブログを書こうと思い立ったのは、大切な友人と話をしていた時。何となく書いてみようから始まったんだけど、指南書のような本を読んでいたら、真剣になっていった。

なんて言うんだろうか、今の自分にもこれからの自分にも、必要なことのように思えたんだよね。書くということに、自分の存在意義を見出せるような気がしたんだ。

*文章を書く上で すごく参考になった

ブログって、たくさんの方が書いていらっしゃる。有名人になれば、アクセク数は半端じゃない。有名なブロガーさん達だって、もちろんそう。有名だけじゃなくて、やはりおもしろいんだろうね。おもしろいから有名なのか。そこにいくと、自分なんかは駆け出しだし、まだまだこれからって感じ。昨日の SEO はいくつだったのかなんて考えるのは、まだ先の話。

ただ、すごくやりがいがあるし、すごくおもしろくて楽しい。

先日のツイッターでもお話しした通り、今、4月末までに100本の記事を書くと決めている。100本書くためには、101本以上の記事を目標にしなくてはならない。だから、毎日、最低3本の記事を書くことを目標にしている。3月31日の初日に21本からスタートした。この記事で48本目。

*公言することで 目標に向けて自分を鼓舞する

先にいくつかのカテゴリーを決めてある。それを基本にしながら、いろいろな記事を書いてみようと考えた。ただ、カテゴリーはどんどん派生していいと思っている。固執しすぎると書けない。まずは、書くことを習慣づけるために、目標の数をこなす。数をこなすことで、達成感をあじわう。

100本の記事を達成できたら、いったん自分を褒め、文章力アップのための技術みがきへとシフトする。そこからは数をこなすことが目的じゃない。毎日1本の記事を書くことを基本に、技巧を加えていく。今考えていることは、とりあえずここまで。

この1年の間、ツイッターを通して、限られた文字数で記事を書くことには慣れた。文字数が限られれば、記事も筋肉質にならなざるをえない。140字の制限には、かなり鍛えられたね。去年の夏に入院していた時などは、朝ご飯を食べ終わった時点でもう文章を考え始めていた。夕方にツイをUPするためにだよ。

*日記を書き始めて 13年目に入っている

実は13年前から日記をつけている。つける理由があったわけじゃない。これこそ、ただつけてみるかって理由だけ。

でも、人間っていうのは不思議なものでね、つけ始めるとやめられなくなる。性格なのかな。5年前に入院していた時なんか、右肩の手術だったから、1ヶ月書けなかったんだよ。日記や手紙については手書きを主義にしているからね。

じゃあ、どうしたかって?スマホに箇条書き程度に日々あったことをタイトルで入力しておいた。固定の装具が取れた1ケ月後に、そのタイトルから思い出しながら、1ヶ月分の日記を書き起こした。けっこう覚えていて、お蔭で日記にブランクは無いよ。

日記をつけることでも、文章を書くってことが鍛えられている。

*最近は 本を読み直すことが多い

最近は過去に読んだ本を読み返すことの方が多い。もちろん、新たに購入することもあるけれど。後は、新聞のコラムを読むことも大切にしている。自分は日経電子版を読んでいるけど、コラム中心に読むだけでも、かなりボリュームがあって勉強になる。

こうして、様々な文章にふれながら自分の文章を追求している。

ブログというのは、日記とは違う。本にもあったけど、他人が興味を持っていることを調べるためのツールになる。いわば、目的達成のための材料のようなものだ。

だから、自分にとっては何でもないことも、他人にとっては魅力がある場合も多い。それゆえ大切なことは、いかに自分自身を表現していけるかってことだろう。

自分という人間を、いかに上手く表現できるかが大切だと思う。自分はこういう生き方をしているんだってことを、しっかりと主張できるかが大切だと思うんだ。

*手紙はやはり 手書きがいいと思う

偉そうなことを言える立場ではないけれど、少なくとも、他人の真似ごとみたいな人生は送っていない。自分を見つめ直していく上でも、ブログを書くことに集中してみたいと思う。

緑がしげる頃には、新しい自分が見えている気がするんだ。

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人生経験 俺の考え 趣味 音楽

X JAPAN に思う。

X JAPAN が好きだ。

何が好きかって、その世界観がだ。YOSHIKIが創る作品が中心だとしても、あのメンバー達がいるからこそ、YOSHIKIの世界も成り立っているんだろう。

*まず ジャケットからして目を奪われる

」を歌っていたXの頃は、ビジュアルのイメージも強くて、音楽も激しいものが中心だと思っていた。「紅」という曲はまさに燃えるような紅そのもの。が見えるような曲だった。

アルバム「Jealousy」の中で「Silent Jealousy」に、その激しさの流れは引き継がれている。

だが、YOSHIKIのすごいところは、同時に「Say Anything」という素晴らしいバラードを送り出したことだ。TOSHIの声も美しく、奏でられる音も胸に響きわたる。

*最初に感銘を受けた雄大なバラード
*どこから こんな曲がうまれてくるのか…

X JAPAN になり、「ART OF LIFE」という大作を送り出す。

この曲はたった1曲で29分近くある。初めて聴いた時は、いつ終わるのかと思ったが、動と静のからみあいが見事としか言いようがなかった。ここまでくると交響曲だ。才能があるということには、時として畏怖の念を抱いてしまう。

*この1曲で29分にも及ぶ もはや交響曲だ
*10分前後の間奏に まず魂がいった

始まってから10分前後のところでの間奏は激しい。ここでまず激しさにしびれる。そして、15分ぐらいのところから10分間にも及ぶ YOSHIKI のピアノ独奏。まるで舞台の世界だ。終わってまた激しさをのぼりつめる。魂はすでに昇天している…。

この次に送り出されたのが、アルバム「DAHLIA」。

かの有名な「Forever Love」も収録している。この曲の素晴らしさと美しさは言うに及ばない。バージョンも多いし、どのバージョンで聴いても完成度が高い。

だが、ここで聴いてほしいのはタイトル曲「DAHLIA」。

ただ聴いていただければいい。人の音楽の趣味は様々だけど、音楽を語るには幅広いジャンルに耳を傾けることが大切だ。この曲を聴くと魂が沸騰する。色褪せるなんて言い方は神への冒涜だ。

*タイトル曲DAHLIAは 激しさの中に美の極致が
https://youtu.be/0ePQnCUhFTE
*ただ見とれるだけ…

何よりも自分が言いたいのは、やはり音楽の世界も、動と静をからみあわせられてこそ、そこに価値が生まれるってこと。動の激しい音と静のバラード。この両方が出来る音楽家たちは、時代を超える音楽を残している。

もちろん、あくまでもその人の世界観の中でね。

動的な音だけ、静的な音だけ、偏った音楽だけでは人間の感情を表現しきれないと思う。

人間は激しい喜怒哀楽の中で生きる動物だ。いつも楽しいばかりではないし、いつも哀しいだけでもない。様々な感情の中で生きることを強いられている。

音楽は人間の感情そのものだ。X JAPAN の音楽はその感情を見事に表現できている。だからこそ涙も流せる、自分はそう思っている。

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オフコース 人生経験 俺の考え 趣味 音楽

オフコースの、言葉にできない とは。

言わずと知れたオフコースの名曲、「言葉にできない」。

この曲を知ったのは、彼らが活動を休止していた時、中学2年の時だったろう。先日お話しした、「君が、嘘を、ついた」に衝撃を受けた後のことだ。鈴木さんが抜けて4人になってからの曲を先に知り、後追いで5人や2人の時代の歌を覚えた。

*1982年2月に発売 通算23枚目のシングル

詞を普通に読んでいけば、ろくに恋愛も知らない中学生でさえも、きっと感じるだろう。これは恋愛の曲だ、失恋の曲だって感じにね。

一般的には、そんなイメージで一人歩きしていると思う。特に今の時代にCMとかだけで聴いたりすれば、そう思っても当然だ。

大学3年の時に、小さな塾で講師のバイトを始めた。塾長は京都大卒の方で、大学紛争当時に学生時代をすごしていた。よく音楽の話もした。オフコースの歌っていうのは裏返しなんだよ、そう話していたね。理解できたつもりで耳を傾けていたよ。

裏返しの意味を理解できたのは、社会人になってからかもしれない。それは自分の中で、オフコースの歌を単に綺麗な歌として聴いていたかったからだと思う。大好きなアーティストの曲を、研究材料にするような聴き方だけはしたくはなかったからね。

*長いこと 恋の歌だと思っていた

オフコースは3人が2人になり、5人で大ブレイクして一旦活動休止、4人で復活して解散の道をたどっている。爆発的にヒット曲を連発した5人の時代よりも、実は2人や4人の活動期間の方が長いんだ。もし今5人のまま続けていたら、どうだったかな?

その5人の時代が終焉間近の頃に、小田さんが書いたのがこの曲だけど、歌われている内容の真意は小田さんにしかわからない。

ただ、自分は次のように解釈している。失くしてはならなかったはずの戦友、鈴木康博さんに贈った裏返しの歌であると。

*収録されたアルバム名は over 意味深い…

終わる筈のない 愛が途絶えた いのち尽きてゆくように」⇒ 君と別れるはずがないと思っていたのに、本当に別れることになってしまった、まるで僕の命が消えて行ってしまうかのよう。

ちがう きっとちがう 心が叫んでる」⇒ 君は嘘を言っている、そんなことはあるはずがないんだ。

ひとりでは生きてゆけなくて また 誰かを愛している」⇒ 音楽を歌うことを続けたいけど、やっぱりひとりではできない。

せつない嘘をついては いいわけをのみこんで」⇒ 自分を慰めるために嘘をついて、情けなくなっていいわけをのみこんでる。

果たせぬ あの頃の夢は もう消えた」⇒ 思い描いて来た夢は果たせない、夢はもう消えていってしまった。

誰のせいでもない 自分が小さすぎるから」⇒ 君を引きとめられないのは誰のせいでもない、自分が小さすぎるから。

それが くやしくて 言葉にできない」⇒ それが本当にくやしくてしかたがない、言葉にすることができないよ。

こんな感じで、勝手に理解して聴いている。「言葉にできない」の中に、小田さんが鈴木さんへの思いを、恋愛を隠れみのにして歌っている、こう思うわけなんだ。

でも、こう考えると、それこそ詩の勉強をしているみたいだよね。要は、小田さんの詞が一つの文学なんだよね。本当に奥が深い世界だと思う。

特に自分が好きだから、それだけじゃない。小田さんを始めとして、この当時の音楽家たちの詞は本当に奥が深いんだ。そして何よりも、日本語がとても綺麗。メロディ無しで、詩集として楽しめる作品も多い。

語り継がれる歌というのは、やはり、奥深い意味があるんだ。

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人生経験 俺の考え 健康 入院日記 2016年冬 日常生活

健康であるために、考えてみた8つの心得。

2016年に、右肩の手術で入院した時は、スマホに頼らない生活をしていた。というよりも、SNSとのつきあいはまだ浅く、ツイッターにも登録していなかった。自宅でのネットの使い道も、音楽鑑賞や映画鑑賞、それと通販ぐらいだった。

41日間もの入院期間中、何をしていたのか。思い出されるのは、と話をしていたことと、を読んでいたことの2つかな。そして、健康であるために考えた心得がある。

*仲が良かったトラック修理屋さんから

去年の夏の入院時は新病棟で生活したが、前回は旧病棟集団部屋で生活をした。隣のベッドとの間隔は少し狭く、けっこう気を使っていた気がする。その分、患者同士の距離も近く感じられ、いろいろな人と話をすることができた。

新型コロナウィルスの影響みたいなものはなかったし、口を大きく開けて語り合えたね。今回の入院時のように、気を遣って話すなんてことはほとんどなかった。話をしたい人間は見晴らしのいいところに集まり、誰かしらと話をしていた。

*旧病棟からは真正面に日の出を見られた

その中に、80歳の奥さんがいらした。元気すぎて仕方ないって感じの。自分より1週間以上は後に手術したのに、早く退院したいが口癖だった。スポーツ好きで、肉食むきだし。他の奥さんたちも交えての話は、朝昼晩と続いていたと思う。

41日間の入院中に、その方も含めて41人と話をしていたと言ってもいいぐらいかな。看護師さんやヘルパーさんを含めればそれ以上になる。院内の生活に、それほど充実感を味わっていた。人との生のふれあいは、今回とは比較にならない。

*退院前に仲の良かった方達から

自分は人見知りをしないから、誰とでも話をする。話をして相性が合わないと思えば、距離を取ればいいだけの話。とにかく、人の関係は話すことから始まると思っている。まず話をすることから始まる。

ただ患者さんは、大体の人がを持て余している。話しかけられて、真っ向からいやな気持になることはないかもね。

そんな毎日のまとめとして、自分のために「元気なための8つの心得」を作ってみた。話をした皆さんから自分が感じたことを、簡単にまとめてみたらこうなったわけだ。

*当時 手元にあった名刺に速攻で書いた

1.適度な筋肉をもつ
2.好奇心をもつ
3.前向きな気持ちをもつ
4.数字と向き合う
5.何かを生み出す
6.やりたいことをやる
7.他人と比較しない
8.生涯、現役の精神


順番に意味があったのかは思い出せない。

でも、5年近くたって読み直してみても、何かしら役に立ちそうな気はしている。言葉にして残すことは、大切だと思う。

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俺の考え 日常生活 食事

やきとり缶で、炊き込みご飯を作る!

新入社員の頃、同期の仲間に教えてもらった炊き込みご飯。用意する材料は、お米2合とやきとり缶を1つだけ。楽ちんだよ!

1.HOTEIやきとり缶たれ味を用意する。HOTEIの缶詰とは長いつきあいをしている。

2.たれ味を選ぶのは、濃さがちょうどいいからだ。ふたを開けた時の香りに食欲がUP。

3.具を少しこまかく刻んでおく。スプーンなどでおおざっぱにやっておけば十分だ。

4.缶詰1缶に対して、お米は2合がちょうどいい。はちょっと少なめに思えるぐらいがいい。

5.やきとり缶の中味をすべて入れる。具は量はそんなに多くないので使い切る。

6.缶の中に水を少しだけ入れてかき混ぜる。缶の中にたれが残らないように使う。

7.やきとり缶の中味とお米が、よく混じりあうようにしっかりとかき混ぜる。

8.白米と同じように普通に炊きあげる。シンプルなお釜だから余計なボタンは無い。

9.よくかき混ぜてほぐす。かき混ぜると全体の色がうっすらと茶色になればいい。

10.お茶碗にもって、いただきます!少し薄口なので、醤油をたらしするのもいい。

HOTEIのやきとり缶種類が多いので、他に試してみるのもいいかもしれない。

終・わ・り。

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俺の考え 日常生活 食事

街の肉屋さんで、コロッケにホクホク。

今年になって、京成佐倉駅の近くにある肉屋さんに、よく行くようになった。店名は武田肉店さん。歩いて行ってもいいし、車で行っても大丈夫。目の前の道路は、駅に向かって下り坂の一方通行、かなり広く、短い時間なら停車も問題なし。

目印は馬のマークと店名。わかりやすい場所にある。肉屋さんなんだけど、今なら旬のタケノコもおいてある。馬のマークからもわかるが、馬刺しも売りのようだ。実はまだ食べていない。次回は買ってみる予定だ。どうも揚げ物ばかりに目がいってね。

*すっかり常連の一人になった感じだ

通常は、年配のご夫婦だけがいらっしゃる。ご主人は温厚そうな感じの方で、奥さんは日舞をやるような気品のある方だ。お二人とも、いつもニコニコして迎えて下さる。

*自宅で開けた時に 型崩れしていたことがない

まず、このお店で気に入っていることは、包み方だ。スーパーのお惣菜売り場とは違って、その場で包んでくれる昔ながらのやり方。この包み方に長年にわたる、経験の積み重ねを感じる。自宅に戻って開いた時に、まず型崩れしていることがない。

*店主がお薦めする 栗コロッケ

一番のお薦めは、栗コロッケらしい。値段は他の揚げ物よりも少しだけ高め。薄く紫がかった中心に、が入っている感じ。甘い味がさっぱりしていて何とも美味しい。

*メンチカツも手作り感があって美味しい

メンチカツは少し薄く感じるけど、熟練の昔気質な味だね。適度に柔らかくて、口の中でとけるような感じかな。油は多過ぎず、上手く揚げられている。

*ハムカツはかなりぶ厚く 直径が13㎝くらい

このハムカツ、直径が13㎝くらいあって、けっこう大きい方じゃないかな。ハムは噛みごたえがあって、フォークとナイフを使って食べても似合いそうな感じだ。

*自分としては やっぱり牛肉コロッケが好きだ

でも一番好きなのは、やはり牛肉コロッケ。牛肉というよりもジャガイモコロッケって感じもするが、細かいことは気にしない。食べた瞬間に自分のイメージするコロッケそのもの。口の中に広がるホクホクしてくる感じが好きだ。

キテレツ大百科の「お料理行進曲」を思い出してしまったよ。

帰り際に奥さんが笑顔で言う、「いつもありがとうね」。コロッケのホクホク感を感じるような嬉しい一言。この一言だけでも十分に満足。いつまでも元気に商売を続けて欲しい。

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人生経験 仕事 俺の考え 日常生活

新人研修の仕上げは、お寺の中で。

1993年4月1日、西濃運輸株式会社に入社した。

入社式は、岐阜県大垣市にある本社で。実際には、垂井町にある研修センターで行った。のどかな場所にあったよ。

父が転勤族だったこともあり、引越が多かった自分。母方の実家は東京の世田谷区にあったが、都会すぎて故郷というには遠い場所だった。今思えば岐阜は、自分が初めて経験した、故郷と感じられるような場所だった。赴任当時は気づかなかったけどね。

*西濃運輸のカンガルー便 夜の高速を彩った

研修は4月から6月末までの3ヶ月間だった。細かい内容は省いて、最後のお寺での研修について話したい。

当時はまだバブル経済が崩壊したばかりで、企業は新人研修にお金もかけた。その代表が、お寺自衛隊での研修だ。高校時代の親友が、卒業と同時に海上自衛隊の幹部の道に進み、自分が社会人になった頃には、自衛隊研修の教官をやっていたぐらいだ。

西濃運輸はお寺研修を行った。先輩いわく、この先味わえないかもしれないぞと。確かにそうだった。この歳になっても、2度目の経験をしてないからね。俗な話だけど、2泊3日の研修に会社は80数万円支払うとか。同期40人弱の研修代金としてね。

*ボンネットトラックのチョロQと独身寮の鍵

初めての経験とは言え、驚くことばかり。時間を知る必要はないからと時計は取り上げられた。起床時間も就寝時間も謎。音も出してはいけないから、おしゃべりも禁止。朝から晩まで座禅の繰り返し。肩を叩かれたら首を傾けて強く打ってもらう。

音を出してはいけないからシェーバーも使えない。カミソリを持ち合わせていなかったから、研修が終わった時にはまるで別人。お風呂はグループごとで一人平均5分だけ。どこを洗っていたのか記憶もない。もちろんドライヤーなんか使えない。短髪万歳!

時計を隠し持っている奴がいて、朝は3時から起こされて座禅を組んでいたらしい。食事は薄口。最後まで必ずたくあんを1枚残し、それをたわし替わりにして水をつけて茶碗を洗う。洗った水は飲み干す。夜中になると、多くの仲間が腹をこわした。

2日目の昼からは、闘犬みたいな犬を連れた、あたかも山伏のような坊さんと山登り。登り切った時は、さすがに気分良かった。3日目の昼までで研修は終了。その日の午前中に、住職の御母堂さまの指導で書経を行う。もう終わりだってわかっていたせいかな、筆先への集中力が高まって、文字も踊っていた感じ。

*ここまでやるとは 研修時には思わなかった

まあ終わってみれば、楽しかったって思えた。本当に二度と経験しないんじゃないか、そうも思えた。寮までの帰りのバス、盛り上がったね。戻って2日ぶりにひげを剃った時は、この世の天国を感じた。その晩に仲間と飲んだお酒は、本当に美味かった。

お寺の研修は、今もあるんだろうね。企業も余裕がない時代だから、研修に組み込んだりはしないかもね。

*映画「ファンシイダンス」を思い出した

でも、経験できる時があるなら、経験した方が自分のためになると思う。あの時ほど、俗世間から切り離されたことはなかった。どんなに綺麗ごとを並べても、日常生活は邪念に囲まれている。研修に限らず、時には日常から自分を切り離し、客観的に自分を見つめ直すことは大切だと思う。