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人生経験 仕事 俺の考え 健康 入院日記 2020年夏 日常生活

介護研修日記1、初めは介護の理論から

実は今週の月曜日から、介護職の短期研修を受講している。

最近、NHKで介護の現実を扱っていた。労力のわりには賃金が安いということで、慢性的な人手不足に陥っているのか、有効求人倍率が15倍以上というのは理解しがたい数字。それだけ、大変な仕事だってことだ。その大変さを理解するには、被介護者の家族であるとか、仕事として携わるぐらいしかないのかな。

*テキストは2冊 平均400頁くらいずつかな

2月にデイサービスを見学した。5年前の手術後にも、同じようなことがあった。その時は肩の完治不足で諦めたが、今は状況が違う。完治を目指すがゆえに長い休業を取ってきた。2月にやはり駄目かなと思ったのは、自分の性格と動き方を客観的に見た上でのこと。来月には、限りなく最後に近いMRI検査もある。

ただ、この3ヶ月の間、いろいろと考えることがあったんだ。毎週1回は通院しているわけで、そのたびに若い理学療法士の世話になっている。入院当時からだから、お二人とは去年の7月からのおつき合いになる。いろいろな話を重ねて来た。そのたびに思うのは、若いのに年配者相手によくやっているということ。

*イボイボ健康ポールで毎日 ゴリゴリ

いくら仕事だと言っても、所詮は他人なんだよね。自分自身について言えば、親子であってもぶつかることはいくらでもある。でも、親だから時間が経てばとも思える。それが、他人を相手にした仕事ともなれば、ぶつかっていることなど出来ない。被介護者だって人間、病気や怪我を抱えるがゆえに我儘になりもする。

それを20代の青年達が、祖父母かあるいは親子ほども歳が離れた人を相手に、口と手を同時に動かしながら一日仕事を続ける。手術後にお2人から病院で受けたリハビリは、1日に2回が基本だったから約90回弱。あるかないかのような昼の休憩を挟みながら、自分以外にもたくさん予定を組んであった。大変だよね。

*この機会に目に優しい LEDスタンドに変えた

だから、もう一度自分を見つめ直そうと考えた。介護の仕事をやれるかはわからないが、まずは介護職の理論を知ることから始めてみようと考えた。学んでいる内に、自分の中で何かが変わるかもしれないと。決めれば早い、エージェントを通して、介護職員初任者研修を短期1ヶ月コースで受講することに決めた。

1年間も休業していればさすがに生活費も不安になる、研修を受けるのはもう少し早い方が良かったかもしれない。でも、いろいろと考えて来た上での結果だ。とにかく頑張ろうと思ったら、同じ研修生の方達も皆ものすごく熱心。自宅でやる課題も多いが、再来週に提出する分まで3日目に終了させている方もいた。

*短期なので 通信学習的な課題もある

初日終了後に自分なりの計画を立てていたが、15名のクラスの一人ひとりが熱心だとお互いに声掛けしながら、自分でどんどん先に進めて行こうって気になる。この6日間、テキストを読んだり書きだしたりの毎日。進めていく内に少しでも進みが遅いと、もっと進めないといけない、そんな気持ちで自分に鞭を打つ。

なかなか学び甲斐がある。肩のこともあるから、仮に介護の仕事が出来なくても、役に立つ内容ばかり。自分の中で何となくで終わらせていた知識が、しっかりと理論づけられていく。日常生活に結びついていく内容でリアルだから、なおさらなのかもしれない。B5サイズの分厚いテキストを、読書している気分の毎日。

*近所の田んぼの田植えも終わった

15名中、男性は4人、60歳を超えた方もいる。資格を利用して何かをやるとか。中国籍の方もいる、会話は片言の日本語だがしっかりと話を聴いておられて、わからないところを周りの人が教えてあげてる。介護を学びながら、すでに共助の心が表れている。自分も聞きたいことや話したいことに、積極的に口を開く。

順調に進んで行けば、6月24日までの予定で研修が進んで行く。来週に控えているMRI検査と主治医の診断。その結果次第で進める方向を決めるけど、生活が追いかけてくるから悠長なことは言ってられない。ただ10年20年先のことを考えると、介護に関連づいた仕事が出来ればと思う。そのためにも学ばなくては。

*研修3日目の帰り 近所の住宅街から夕陽を

毎日流れるニュースの中で、介護や医療やコロナという言葉が聞こえてくると条件反射するようになった。まず一週間目、自分の中に、かなり介護についての刷り込みができた気がしている。フォロワーさんがつぶやく『ADL』の意味も理解できた。何ごとも勉強だと思う。しばらく、介護研修日記を書いてみよう。

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人はみなそれぞれ、何かを胸に秘めている。

新入社員研修を終えて、配属された頃は気づかなかった。同じ部署に少し変わった先輩がいた。歳が6歳ぐらい上だったからか、部署の中でも一番権限をもつグループに座っていた。恰幅は良かったがフワッとしたイメージ、どこかしら優しさを感じられる人だった。そういえば、ヘビースモーカーだったな。

仕事の内容が違っていたので、同じ部署にいてもあまり話すことがなかった。休憩時間になると、即座に喫煙場所に向かっていた姿をよく覚えている。自分は煙草を吸わないから、煙草が旨いか不味いかなんて考えたこともない。ただ、その方にとっては、煙草は愛すべき存在で、それはそれは美味しそうに吸っていた。

*毎朝飲んでいた アサヒのWONDA

ある時、不思議な光景を見た。その方が額からドッと汗を流していたんだ。そこは暑い場所ではなかった。ハンカチでぬぐおうともせず、汗を流したまま、他の先輩から責められているような状況だった。何か失敗したのかなとも思ったが、それにしても言われるままで、傍から見ていると可哀そうにも思えた。

やがて、自分とも言葉を交わすようになった。仕事を超えたところで仲良くなり、自分のことを『きみちゃん』と呼んでくれるようになった。優しい方だった。何かと気にかけてくれて、メガネの下に見えた細い感じの目が好きだった。でも、いつも言われるままの仕事だけして、責められる時も何も言わなかった。

その事情を、知る時があった。先輩から聞いた話だ。

何年も前に新卒で入社して、自分と同じように研修を受けた。その後、店所に配属になったらしい。その時、店所の悪いところを全部変えてやる、そんな意気込みで赴任したとか。それがまずかった。気持ちは尊重されるべきだったが、店所の人間はその場所だけのたたき上げが多い。気持ちが急ぎ過ぎて、反感を買った。

*当時はまだ 受動喫煙を深く考えなかった

その結果、ちょっとした失敗であっても、極度な緊張感に陥って精神状態が不安定になり、ドッと汗をかくようになったらしい。それを抑えるために、薬も欠かせなくなった。店所では働けないってことで、その方の地元である大垣にバック、本社預かりの身になり、その方ご自身の同期にも顎で使われていた。

自分は本社の中に特に仲の良い同期がいなくて、どちらかと言えば後輩や先輩、それも個性的な人間とつるむことが多かった。よく言えば個性的、悪く言えば唯我独尊的な一風変わった人間たちとね。その方は個性的というわけではなかったが、どことなく下げすまされている感じで、自分はそういう人間が好きだった。

お互いに、分け隔てなく話をするようになった。自分が煙草を吸わなくても、当時はまだ受動喫煙がどうのこうのなど考えもしなかった。休憩時間になると、同じ場所で缶コーヒーを片手に話をしていた。その時は本当に楽しそうで、ギスギスした本社仕事の中で見る笑顔は、ちょっとした良薬になっていた。

後から聞いた話だけど、自分がいなくなって何年かした後、正社員から契約社員に待遇が変わったらしい。働ける場所が他にはないということで、その状況を素直に受け入れたとか。人から聞いた話だけどね。出世とかそんなことは関係ない、生活のために働かせてもらえるなら、待遇よりも昔からの場所でってこと。

*こんな感じのトンカツだったかな

その方と自分には大切な場所があった。そこは年配の夫婦が営んでいた昔ながらのトンカツ屋さん。自分が好きなお店だったんだけど、一度その方を連れて行ったら気に入ってくれた。機会があるたびにお誘いをして、トンカツが大き目の定番メニューを2人で頬張った。親しんだ人間と食べる飯ほど、美味いものはない。

病のせいか、その方は運転もしていなかった。助手席に乗っていても、ちょっと急なブレーキを踏むだけで前方に手を突っ張らせて身を守り、大汗を流していた。だから、トンカツを食べた後の見送りの運転は、安全を心掛けながら思いっきり楽しい話をしていた。その当時、一番心が安らいでいた時だったかもしれない。

トンカツが好きだったのか、トンカツ屋で一緒に食べることが楽しかったのか、今となっては自分にはわからない。

ただ自分に言えることは、人は皆、少なからずも何かを背負っていて、少なからずも胸の中で何かをグッと我慢しながら生きているということ。話したくても話せないまま、独りで抱えて生きている人も少なくない。自分だって、その一人かもしれない。

人は決して独りでは生きて行けない。だから一人でもいい。心を分かち合える相手がいるのなら、その幸せをしっかりと噛みしめた方がいい。少なくとも自分はそうしたい。一人でも、そんな人がいてくれるなら、無理して仲間を探さなくてもいい。その一人を大切にすることの方が、ずっと幸せなことだと思っている。

*単行本の司馬遼太郎「関ケ原」宝物だ

いつだったか、その方が父親の形見としていた本を下さった。大垣を離れて23年が経ち、処分した本は数知れない。でも、頂いた本だけは、これからも一緒に歩き続けていく。

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クロネコヤマトの、母ネコが子を運ぶ思い。

昨夜、久しぶりにNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』を視聴した。初めから終わりまで、まともに見たのは久しぶりだ。

自分はNHKの番組は好きだが、最近の番組は過去のものに比べると民放を意識し過ぎていて、正直に言えばあまり好感をもてない。『進撃の巨人』の放映をNHKが始めた時は違和感さえ感じた。過去のNHKのアニメと言えば、『未来少年コナン』のように、誰が見ても共感できるような人の心に響くものがあった。

https://youtu.be/R9tmXatfWAo
*少しずつ進化しているネコマーク

この『プロフェッショナル 仕事の流儀』という番組、過去の番組『プロジェクトX』の現役版みたいなものだろう。プロジェクトXも始まった頃は感動して、よく涙が流れたものだ。ちょうど自分の仕事が上手く行かなかった頃で、共感しながら自分自身を励ます上でも、もってこいの番組だった。

瀬戸大橋建設にまつわる話や黒部ダム建設にまつわる話、ラグビーを介した泣き虫先生の話やビクターのVHSビデオ開発時の話など、今見直しても素晴らしい出来栄えだった。中島みゆきさんのOPとEDの曲は、その選曲の素晴らしさが胸を打った。ドラマ仕立てだから多少は作り物めいていても、素直に感動できた。

*ウォークスルーの発想が素晴らしかった

近頃のNHKの番組は、何かがおかしくなっている。例えば気象情報の時間、ちょっとした時間差をつけてタレントまがいの気象予報士たちがに登場してくる。以前は人数も少なく、お堅いと言えばお堅かったかもしれないが、情報を伝える者の真剣さが伝わって来て、役者が変わるような雰囲気はなかった。

これじゃ民放と変わらないじゃないか、何のために放送受信料を払っているんだと思い始めたりもしていた。受信料を払っても特典があるわけでもない。アニメはますます民放化して来たし、どこに差があるのかと問われると、極論を言えばCMがないことぐらいかもしれない。CMに近いモノも多くなっているけど。

*権力は嫌い 新しいことが好き 素敵だ

昨夜の番組にしても、たまたまテレビのスイッチを入れただけ。ただ、ヤマト運輸の姿が映れば、やはりチャンネルはそのままになる。創業者の小倉昌男さんへの思いは、お世話になった西濃運輸へのそれよりも大きい。氏の考え方や行動の仕方は、今なお尊敬できる経営者の1人として、自分の中に生き続けている。

時代が変わり、ヤマト運輸を取り巻く状況もかなり厳しいものがあるが、決算の結果が過去最高益と聞けば、底力の違いを思い知らされる。その基礎を創ったのが小倉さんだから、ヤマト運輸が取り上げられていると知れば、NHKではなくても視聴したくなってしまう。とにかく、久しぶりにじっくりと視聴した。

*言葉のひとつひとつに好感を持てる

結果として、素晴らしい内容だっと思う。もちろんドラマ仕立てだし、ここは創り過ぎだろうと思う点もあった。でも、紹介されていたトップクラスの営業ドライバーの姿勢は、小倉さんの考え方に準ずるものがあって嬉しかった。この方の個人としての考え方も立派だった。お客様のためにという思いが溢れていたね。

歳は30歳よりも前、自分が同じ歳だった頃に比べると、出来すぎとも思えるぐらいの人物だ。一日に走る距離配達件数仲間への思いリーダーとしての立場。必ず紹介される過去の挫折経験を聴いていて改めて思った。挫折から這い上がってきた人間は強いなってことと、人生はタイミングだなってこと。

*どこにでもいる猫だからこそ 親しみを持てる

人生がすべてスムーズにいくのなら、時間に無駄も生じないから良いことばかりにも思える。でも、そういう人生はまずあり得ないし、何よりもつまずけるって大切だと思う。つまづくのは真剣になっている証拠だ。何でも無難にこなそうとすれば、どこかで無理が生じる。それよりも失敗をして、教えを乞う方が学べる。

それと、タイミング。自分なんかタイミングが悪すぎてね、恋愛にからむ事なんか恥ずかしい結果ばかりで、寅さんを地で行く。でも頑張っていると、タイミングよく幸運が向こうからやってくることだって。人間関係もそう。この方はタイミングよく人間関係に恵まれて、それを浮上のきっかけにして頑張ったんだ。

*何をやるにしても 志を高くもって生きる

この方は若くして、すでに立派なリーダーだった。仕事に対する考え方を聴いていると、さらに貪欲に学んでもっと立派なトップになっていける人物に思えた。小倉さんが見たら喜ぶだろうな。利益も後からしっかりとついてきている感じ。宅急便が始まった頃の考え方みたいで、原点をしっかりと背負っていた。

ヤマト運輸という会社が、いっそう好きになれた。大きな組織だから、すべての人が一律に同じ姿勢だとは思っていない。それでも絶対数が多いから、気持ちの持ち方ひとつで様々なことを貪欲に学べる。母ネコが子供を運ぶ思い、時代を超えて受け継がれて行ってほしい。ファンの1人として、あらためて思った。

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俺の考え 日常生活

楽しいを求めて、もう一度。

自分の性格が我儘なのだろうか?それとも、ただの性格なんだろうか?誰にでも言えることなのだろうか?いつも、あることを始めた時はすごく勢いがいい。あっという間に時間も過ぎて、満足感を覚えることも少なくない。でも、ある時点を過ぎると、これでいいのかなんて思い始めたりする。

無理してやろうとするから、どこかしらで壁にぶちあたってしまうのかな。無理してやっているつもりはないんだけど、性格なんだろうか。もっと若いころのように、完璧完全を求めるような生き方は既にやめている。そういう気持ちは脇に置いて、ある程度のゆとりをもって過ごしているつもりだ。

*朝イチの配達で こんな富士を見られたり

でも、その気がなくても、物事を進めている内にだんだんと完璧を求め始めているのかな?ここは直して、あそこも直す。あれも直して、こっちも直す。結局、ゆとりがないやり方に自分を落としているのか。俗に言う完璧主義者なのかな?それが職人さんなら歓迎されることだけど、一つの道を行く職人ではない。

長く続けていることは、自分としても持っているつもり。でも傍から見ると、ただの飽きっぽい人間なんだろうか?仕事には関係ないけど、たとえば腕立て伏せ。何度か話をしたけれど、ロッキーに目覚めた日から入院生活以外は、腕立て伏せを欠かしたことがない。もちろん、主治医の許可が出なかった時は除いて。

*台風の被害が出て 走り回っていた車輛

やらなければ一日が始まらないし、一日が終わることもない。やれないことが寂しいとういう気持ちは、他人様からは想像できないだろうな。腕立て伏せを原点にして、大学時代のバイトも新卒時の就職先も、個人として経験して来た仕事も行ってきたわけだからね。趣味で始めたことが、今までの原点になっている。

でも待てよ、と言うことはだ、仕事も趣味の延長線上に存在していることになるのか?だから、やってこられたのかな?5年前の手術後の3年間、事務職に戻っていたのは完治のためだったのは確か。その中で3つも職場を変えたのは、座ってやる仕事が合わなかったから?座って頑張るのが、無理だったってこと?

*現場までのドライブはワクワク感があった

そう、きっとそうなんだ。座って黙々と仕事をしていられるタイプではないんだ。自宅でPCに向かっていることと、職場でPCに向かっていることは全くの別物。組織の利益のために動いていることと、自分がやりたいことのために動ていること、当たり前だけど全く意味が違う。好きなことはジッとしてでもやれる。

ただし、それを言ってしまうと、自分は組織では働けない人間ということになる。実際のところ、組織立って行う仕事に向いていないのは確かだ。指示通りに動いたり、古臭くても我慢してやってみるということが苦手なのかも。でも、おかしいな、大卒新人の頃はそれができていたはずなのに。

*仕事帰りにお参りも 成田山新勝寺にて

そうか、組織を辞めた理由はそこにあったんだな。時間が経つにつれて自分ならこうやる、この気持ちは誰にでもあると思う。でも、自分の中にある完璧主義的な気持ちが、もっともっとを求めて行って、最終的に疲れがたまっておかしくなったんだ。気づいた時には、退職願いを出していたわけだ。

事務職の3年間を除けば、独りになってからは気持ちが楽になって、その疲れを感じなかった。お金が足りなくて辛い時でも、不思議とやめる気が起こらなかった。借金があっても道具をそろえることだけは続けていたんだから、今思えば笑える話だ。でも楽しかったことは事実、会社で学んだ以上に学び、思い出も深い。

*ビックマックと記念撮影をしたり

趣味は楽しいから続けられる。それは、仕事についても同じことなんだ。会社にいた時楽しく思えたのは、仕事が一番の趣味になっていたからだ。休みに楽しむドライブや映画は、あくまでも仕事の隙間を埋めるためのモノだった。それでも今よりずっと時間を費やしてドライブもできた。仕事に充実感があったからだ。

いくつかの仲介業者さんと話をもっている。さすがにプロだと思う。今日は電話で2人の方とお話ししたけど、1人の方とは70分も話をしていた。相手に対しての仕事のツボを、しっかりと抑えていらっしゃる。故に自分も、軽はずみなことは出来ない。彼らは仕事を楽しんでいる。仲介の仕事が合っているのかな。

組織を離れた人間が、また組織に戻ろうとしている?そうじゃない。可能な限り自主的に動ける場所を探している。せっかく長い休みをとって完治を目指したんだ、もう一度体を動かして、楽しい気持ちを実感したい。もちろん大切なことを忘れない。誰かの役に立っているということが、自分には一番楽しいってこと。

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人生経験 仕事 俺の考え 日常生活

答えはいつも、未来にだけ存在する。

東海地方までは梅雨入りしたのかな?いつもの年よりも、早いのだろうか?沖縄が早いのは天気の素人でも知っている。日本と言っても、かなり南の方に位置していて、石垣島ともなれば本州よりも台湾の方がずっと近い。近いと感じるのは、日本が島国であって、他国との国境線が海の上にしかないからだろう。

南北に長い島国だからこそ、北の北海道と南の沖縄とでは気候にも大きな差があるわけで、それが日本の季節感を豊かにさせているのかもしれない。でも、ここ数年は、強い風が吹くことも多くなった。10年前に現場で働いていた頃に比べると、明らかに気候変動を感じる。大袈裟のようだけど、大袈裟とは思えない。

*ちょうど1年前に出会ったアマガエル

こんな地球全体の気候変動が感じられるような天気の中、6月から先にある自分の生活のことを考えている。もちろん生活のことがあるから、仕事が中心になってくる。5年前は手術の後、2ヶ月以内に仕事を決めたことは話した。でも当然のことだけど、歳も重ねたわけで、実感は薄いが既に51歳になっている。

先日も話をしたが、ある紳士にお話を頂いたように、この歳ならまだ3つも4つも新しいことが出来るのかもしれない。でも、この11ヶ月の間、リハビリを続けて来て思ったことがある。一度を開けられた体は、二度と元には戻らないってことだ。前回の手術からも5年が経ち、前回の方が確実に治り勢いがあった。

*1年前には 何を考えていたんだろうか

誰もが等しく歳を重ね、体力が落ちていくのは、個人差こそあれ誰もが経験していくことだ。左から右の肩へと順番に手術をしたが、世の中にはもっと辛い目に合いながら、懸命に生きている人もたくさんいる。そういう方達に比べれば、いくら用意周到だったとは言え、休業が長いだけの人間だったのかもしれない。

今こうして現実の世界に戻っていく前に、社会に出てからのことをふり返っている。まだ、ふり返る時期ではないかもしれない。でも、この先どう生きて行くかを考える上では、必要な時間だったと思う。前回の手術後は事情があっていろいろと急いだが、今回はしっかりと自分自身を客観的に見つめ直すことができた。

*大学卒業時には 詩集制作の真似事も

個人で仕事をするようになってから20年以上が経ち、自分が強くなったつもりでいた。確かに、大企業という傘の下で守られていた頃に比べれば、かなり打たれ強くなった。何とかなるだろうという楽観的な考え方、これが身についたのは大きい。寅さんを好きでいるのは、寅さんの中に似たものを見ているからか。

ただ同時に、自分で自分の背中を勢いよく押せなくなっている。自分ではこれをやると決めていながら、どこからか出てくる弱さを、いつのまにやら社会や他人のせいにしている。一番嫌いだった他人のそんな姿に、今の自分が似始めている。これがわかり始めた時、今の自分と正面から向き合う必要を感じた。

*いい歳の大人達が 真剣に再就職を目指す

ブログに自分をさらけ出している内に、小さな自分がたくさんあることがよくわかった。だから、いろんな音楽を聴いたり聴き直したり。自分が、無心で頑張っていた頃に聴いていた曲を、何度も繰り返し聴いてみた。ますます、今の自分がつまらない存在になっていることに気がついた。楽観的なようで楽観的じゃない。

どうも理屈っぽくなってる。借金がなくなったことに安心感をもってしまい、やってやるの根性が萎え始めている。古くても良いモノは、ずっと大切にすればいい。でも、古いモノの方が良く見え始めたら、未来に対する真剣さが足りないと思った方がいい。どんなにあがいても、答えは未来にしか存在しないんだから。

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俺の考え 日常生活 食事

お酒はやっぱり、居酒屋で飲みたい。

ブログの記事を100本書いたら、独りで乾杯しようと思っていた。目標通り4月30日に達成したから、その日にグイグイと胃の中に注ぎ込んでいるはずだった。また飲める日が来ることが楽しみにしていたからね、何の銘柄にするかもいろいろと考えていたんだ。久しぶりにビールでまとめようとかさ。

でも、飲まなかった。1月5日以来、アルコールを口にすることをやめてから、すでに4ヶ月以上が経っていたんだ。そうなると不思議な話、ここで飲んでしまうと記録が途切れる、飲まないで済んでいる記録にこだわってしまった。去年までは、あれだけ飲むことが楽しい毎日を送っていたのに、おかしな話だよね。

*久しぶりに飲んだのが Alc.0.5%とは

高血圧への対策として、飲酒の量を減らそうと考えたのは昨年の11月。12月になったら、完全に飲酒しない毎日へと移っていった。1月5日に大阪に行った時だけ、元上司と席を共にしたりしてあれだけ飲んだのに、千葉に戻ってから飲まなくなった。あれだけ飲み食いしたことが、かえって我慢のへ引き金になった。

血圧管理がどうも思い通りにいかない。それも原因だったかな。8年くらい前にも高血圧対策のために1年を費やしたことがあった。でも、その時はお酒をやめていない。毎日ひと袋、365日欠かさず食べていた柿ピーをやめた。お酒はやめなかった。毎日毎日、大汗をかいて仕事をしていたから水分代わりのつもりで。

*このチップスター 美味しかった

でも1年後には、内科の先生から血圧や血液検査の結果に対しての、お褒めの言葉を頂いた。真面目な話、素晴らしいって言われたから嬉しかったな。今でも柿ピーは、人様からおやつにでも出されない限りは食べていないが、それと同じ。血圧の調子がよくなってくると、飲酒もからんでいると思い込むようになった。

去年の入院前日まで、1日に350ml2~3本飲んでいたんだから、1月からお酒をやめている自分が信じられない。信じられない気持ちでいるから、今回も不思議と飲めなくなっていたんだよね。まいったまいった、本当にまいっているんだ。仕事をしていないんだから、飲まないのも当然と思ってはいたけれど。

*ノンアルもこれが一番飲みやすいかも

ただ、後もう暫くは思うように体を動かせないことへの我慢、高血圧対策への我慢、それに伴うお酒への我慢、コロナ感染対策への我慢など、我慢だらけの毎日だからね、知らず知らずの内にストレスがたまり始めていたのかもしれない。好きなことをやっているようだけど、貧乏性には案外つらい毎日なのかも。

意を決した昨晩、とうとうアルコールを口にした。久しぶりだから、1本で200円前後に手を出した。ただし、最近出たアルコール0.5%微アルコール飲料。結局こんなところに落ちがつく。また見えないストレスが生まれそう。長く飲まなかったせいなのか、これでも十分にお酒を感じてしまったから悲しい。

*豆乳の味もバラエティに富んでる

でも、さすがに日本のメーカー。研究熱心さがいい商品を生んでいると思った。ビールから発泡酒、発泡酒から第3のビール、第3のビールからノンアル、よくよく日本のメーカーは商品開発に熱心だ。ノンアルもかなり美味しくなってる。アルコールの味を知らなければ、ただの飲み物として飲んでもおかしくない。

ただ、これも不思議な話んだけど、近頃はノンアルさえ飲まなくなっている。アルコールを口にしないと、ノンアルと比較する必要がなくなるからノンアルさえ飲まなくなる。さらに豆乳緑茶中心の毎日。グダグダと理屈っぽいことを考えるようになていること自体、見えないストレスがたまっていたりしてね。

*早くこんな日が来ることを望む

やはり、雰囲気は大切なんだろうね。ほんのたまに飲むんでもいい。良き友たちと向き合いながら、雰囲気があふれる居酒屋で飲む。飲める楽しさはそこにあるんだと、心から思う自分がいた。

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俺の考え 健康 写真 日常生活 趣味

鹿島川を背に、佐倉を肌で感じてみる。

1ヶ月半ぶりの歯医者さんへ。歯の健康を考えて、昨年の手術前から定期通院している。いわば、歯の定期健康診断というわけだね。世の中には、8020運動なるものがある。80歳になっても自分の歯を20本以上保とうという運動だ。歯は体のバロメーターでもある。ちょっとした痛みが頭痛にもつながることも多いから、ケアを怠らない方がいい。

*うすい青をした空と田植えが終わった田んぼ

自分は昨年の入院直前に、長期にわたる入院のことを考えた上で歯の神経を1本抜いてしまった。抜いてしまうと痛みはなくなるが、虫歯になっても痛みを感じなくなる。そこで普段から細やかなケアが必要になってくる。そこで、定期通院することにした。

*この電車はに西馬込まで行くんだね

退院してから神経を抜いた歯にかぶせモノをし、20年の通院歴がある先生の指示に従い、ちょっとした違和感も見逃すことがないようにケアに暇がない。かぶせモノが隣り合う歯とのバランスもよくなったし、ここのところは虫歯も発生していない。

*やはり蛙は平泳ぎが似合う

歯並びが悪いから、歯ブラシもいろいろな種類のモノを使い、歯間ブラシも隙間に合わせて使い分ける。先生たちから指示があった磨くのが難しい場所については、特に念入りにケアをする。前回に比べて、歯周ポケット2㎜浅くなったところもあった。

*潜っては顔を出して見ている別の蛙

自分については、血圧のことも含めて管理すべきことが多い。血圧はかなり低いところに安定してきたが、ケアも過剰になり過ぎるとストレスになり、かえって悪影響を及ぼすこともある。それゆえに楽しく進めることが大切で、生活とのバランスが必要だ。

*橋のたもとには釣り人たちが多い

帰宅する前に、ウォーキングしながら写真を撮った。5月中旬でも気温はかなり高い、直射日光が体に重い。でも、外での仕事が多かった自分だ、陽に腕が焼けていく様子には、不思議と快感さえも覚えていく。陽の光は、やはり気持ちよくありがたい。

*景観を考えて建てるべきだった

去年の2月まで19年間も暮らしていた場所に近いところ。勝手知ったる場所に車をとめ、よくウォーキングしていた道を歩きながら写真を撮る。本佐倉あたりと似ているようで、また違った雰囲気がある田んぼ。何よりも京成電鉄の線路が目の前を走る。

*アメンボはいつ見ても気持ち良さげだ

水を引いたばかりの田んぼもいいが、田植えが終わり苗が整然と並んでいる田んぼも又いい。雲が映っていたり、樹が映っていたり、何よりも水は様々な生物にとってのオアシスになる。アメンボが水面をスイスイと進み、蛙が水中に向かってダイブする。

*都営浅草線の赤は緑によく映える

印旛沼にそそぐ鹿島川と京成電鉄の線路の間をベースにして、歩き回ってみる。この辺りで見ていると、京成電鉄はカントリーレールロード。上野都営浅草線周辺とはまるで違う世界を走っている。でも、都会と田舎の二面性にこそ味があるんだ。

*指揮者のような 1羽だけの白鳥

いつもと変わらないウォーキング。でも、ただの田舎ウォーキングにも、突然の瞬間はやって来る。川の方から大きな音がして、1羽の白鳥が岸の近くで水浴びを始めた。この時期に白鳥?とも思ったが、首の動きや太さに惹かれて、暫く見入っていた。

*この白鳥 釣り人とほどよい距離を保つ

2時間弱だったが、昨日陽に焼けた腕がさらに焼けた感じ。半袖の下にある白い肌とのツートンを、心地よく思える季節が近づいている。いろいろとある毎日だが、下を見ているばかりでは歩くことはできない。空を見上げて気持ちいいと思うなら、上を向いて歩いていれば、この先きっと楽しい何かが待っているだろう。

鹿島川に吹く風が、気持ちいいと思えた佐倉の土曜日。

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本佐倉城を歩き、初夏の中で自然と遊ぶ。

リハビリを終えてから、久しぶりに本佐倉城を歩いて来た。前回訪れた時は、草を刈ったばかりだったので残念な思いもしたけれど、やはり自然の力はすごい、あっという間に元通りになっていた。少し写真を多めにして、歩いた順に話をしてみようか。

*空にはほどよいくらいの雲が浮かんでいた

去年の8月に退院した後、9月からリハビリのために通院を開始した。この方向から、なんど空を見上げたことだろう。残暑の季節に始まり、冬を通り抜けて春を迎え、今すでに梅雨の直前のところまで来ている。あらためて1年の早さを感じている。

*大きな車ではすれ違いは難しい

本佐倉城の駐車場に入るまでには、いったん田んぼ横の細い道を通る必要がある。主要道路から入って来た道は、最近になって広く整備する工事が終わった。でも、直前の道を整備するには少々無理があるし、できればこの景観は残して欲しいと思っている。

*すでに田植えが終わっていて 綺麗だ

お城の周りの田んぼは、すっかり田植えを終えていた。自宅に近いところの田んぼもそうだけど、基本的に何処に行っても、田植えを終えた時の日本の風景は似ている。同じお米を栽培していても、中国や東南アジアの風景とは異なる日本独特の風景だ。

*いつもの木のベンチは 気持ちが休まる

前回に来た時は、この辺りの草が刈り取られていた。あれから1ヶ月は経っていないはずだが、夏に向かっていく時の草花の成長はかなり早い。うすい緑色をした草と、その上に顔を出す一面の黄色い花たち。木で作られたベンチが野に溶け込んでいる。

*ただの野に咲く花が案外親しみをもてる

花壇に整然と咲いている花は綺麗だと思う。ただ野の中で、ありのままの姿で咲く花には別の趣がある。どこにでも咲いているような花だけど、少しでもその命を奪わないように歩く時はかなり気を遣うようにする。自然の世界への畏敬の念をこめて歩く。

*城内の遊歩道の真ん中を占領してた

いつもの遊歩道に何か見えると思って近づいたら、人が歩くのを邪魔するように、真ん中の位置にタケノコが生えていた。確か去年はなかったはず。他にも生えてきて道に壁を作ってしまいそうだけど、人の心は不思議なもの、このままがいいとも思える。

*一旦逃げたのに いつのまにか見られていた

おっ、猫がいる!と思って近づいたら逃げてしまった。残念なことをしたと思って離れてふり返ったら、ジッとこちらを眺めていた。なかなか結構な面構えをしている、少し警戒を解いたのかもしれない。かなり近づいて過ごした、久しぶりの楽しいひと時。

*樹は根の姿同様 枝も味わいがある

樹を見ていると、特に根っこに魅力を感じる。地面から顔を出しては、潜るようにして地面の中に戻っていく姿は力強い。でも枝にも別の魅力がある。太く伸び伸びとした枝もいいけれど、細いながらも伸びる方向が定まらない枝には別の魅力がある。

*今年初めて 緑のアマガエルを見た

お城の周りの道に出て、田んぼをのぞきながら歩いてみる。何処で鳴いているのか、蛙の声があちこちから聞こえる。ようやく1匹が姿を見せた。こうなると追いかけたくなる性分。右へ左へ飛んでいくのをカメラで追う。いつ見ても、可愛い姿に心が和む。

*おたまじゃくしの動きも活発だ

まだ蛙になる前のお仲間もたくさんいる。子供の頃に、おたまじゃくしから蛙に変わっていく過程を観察していた記憶が。自分に子供がいれば、そんなことを又やっていたのしたかもしれない。まあ、自然の中で育っていくのが一番いいとは思うけれど。

*獲物をねらうザリガニの動きはすばやい

最後はザリガニとのご対面が叶った。おたまじゃくしを追いかけていたのか、進んでは止まって隠れるの繰り返し。ハンティングするところを見たかったが、こちらを気にしているのかあっという間に視界から消えた。この季節は、心が躍って本当に楽しい。

*初対面だったが 親しみをもってしまった

もう一度、猫さんに会いたかったなと思いながら、今日のお城を後にした、初夏の週末、金曜日。

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ワクワクがあれば、仕事にも花が咲く。

仕事にワクワクできるって、大切なことだよね。

どんな仕事だっていいんだ、自分がやりたくてやっている仕事なら、可能な限りたくさんのワクワクをもちたい。たくさんのワクワクをもって楽しく仕事をしたい。淡々と惰性に任せた仕事を続けていても、楽しい気持ちは生まれない。楽しい気持ちがあるからこそ新しい発見も生まれ、仕事自体が進化していく。

岐阜の大垣で仕事を始めた頃、たくさんのワクワクがあった。これから始まろうとしている仕事に、ワクワクを持ていないはずがない。3ヶ月の新入社員研修を終えたばかりなんだ、研修は新人にを持たせてくれるもの、ワクワクはピークに達していた。最初の挨拶をした時、それはそれはやる気がこぼれていた。

*入社前に渡されて 入社前に読み込んだ

そんな自分の最初の仕事は、従業員カードを書くことだった。

令和3年の今年は平成にすれば33年、入社した平成5年は28年前の話になる。西暦で話した方が世紀を超えて、時間の流れを感じられてわかりやすいかな。平成5年は20世紀の1993年で、今年は21世紀の2021年、随分と時間が流れたものだ。
だが、28年前でも、従業員カードのシステムは古臭かった。

そのカードというのは、A5サイズで見開きA4サイズの紙製。裏表に記入欄があり、すべて手書きで記入していく。しかも入社だとか退職だとかは、ゴム印を押していくことになっていた。平成5年にあって、昭和会社設立当時の頃のような雰囲気が残っていた。でも、自分にとってはただの仕事に過ぎなかった。

配属初日からまず3日間、朝から夕方まで毎日、カードの記入を続けていた。電話をとることと先輩社員から頼まれること以外、ひたすら記入だけ続けた。全国にある全店所の従業員のカードが本社で集中管理されている。店所では連日、運転手の入社と退職が繰り返されていたから、記入する数も半端じゃなかった。

でも、それはただの仕事に過ぎない。そもそも、配属されたばかりの新入社員に、どんな仕事が大切だとか必要だとか理解できるはずもない。目の前に与えられたものはただの仕事記入とゴム印を押すことだけが自分がやるべきことだった。古臭いなどと考える時間も、考える必要もなかった。こなすしかない。

*どんなことでも 自分の手で始めなくては

その仕事そのものは、3日間で終わるものじゃない。入社と退職が繰り返されるかぎり、当時は半永久的に続いて行くように思えた。それでも、処理していけば数が増える。そんなことにさえワクワクを感じていた。数をこなすことが楽しく、右手はインクで黒くなり、擦れてツルツルしていたように思う。

たぶん、今の時代の新卒者がそれを見たら、驚くどころか入社する会社を間違えたと思うだろうね。自分が入社した年から4年ぐらい後の社員でさえ、その古臭さに嫌気がさしていたみたいだったから。自分でもよくやったと思うよ。配属初日から3日間、初日から残業してカードの記入とゴム印を押し続けていたんだ。

処理した数が増えることに、ワクワクを感じることができた。

もし今でも、その仕事が残っていたとしたら、当時は仕事と思っていた自分も仕事として肯定しないだろう。ペーパーレスの時代だ、それを仕事として残しているのなら、そういう会社の未来には疑問符をつけるだろう。それがたとえ、自分がお世話になった会社だったとしてもだ。さすがに今、カードはないかな。

*こんな気持ちになるように働きたい

ただ、忘れてはいけないこともあると思っている。

たとえ時代遅れでも、それが仕事であるかぎりは仕事である理由が存在し、誰かがそれをこなす必要がある。まずはやり遂げる必要がある。古臭いなどと考えるのは後のことだ。ワクワクを持てないなら、ワクワクを持てるような仕事の方法を考えればいい。自分自身が一番ワクワクできれば、仕事自体にも花が咲く

古臭いものを古臭いと思ってやれば、ますます古臭くなるだけ。やっている自分まで古臭く見えて、自分自身まで腐っていく。少しでもワクワクをもって仕事に向き合いたい。時には気持ちが萎えることもある。でもワクワクがあるかぎり、仕事から楽しさは失われない。自分自身の気持ちの持ち方がすべてを変えていく。

仮に今でも、従業員カードを記入する仕事があるのなら、もう一度やってみたい気持ちがある。紙に記入していく仕事は案外心が落ち着き、そして温かいものがある。それが毎日、日記を書いている理由であるのかもしれない。

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俺の考え

イスラエルを見て、日本の状況を考える。

いまさらだが、イスラエルという国はすごいんだなと思った。

この新型コロナウィルスへの感染対策について、ワクチン接種への動きが迅速だった。現在では感染もほぼ終息し、市街地でもマスクをせずに歩く国民の映像が流れている。ワクチンの確保には、当初からが動いたとか。これも常に準有事の状況の中にある国がなせる業なんだろうか。

イスラエルは常に準有事の状態にある。長く周辺のアラブ諸国との対立が続いているわけで、それは自分が小学生の頃から変わっていない。今回のコロナ対策についても、すぐに国の準有事と位置づけ、軍が対策の前面に立ったわけだ。それによって、ワクチンの確保接種の仕組みづくりの両面で成功したらしい。

その動きはかなり早い。ワクチン確保のために世界の製薬会社の開発状況をいち早く把握し、情報収集イスラエル国防軍が行った。政府は軍の情報機関の人材を集め、コロナ関連の情報を集約する場所を設け、感染状況と世界のワクチン開発の情勢を調査した。それを政府に報告し、ワクチンの早期確保につなげた。

*メルカバを 後ろからみたところ

戦後の日本の状況とは対極にあるわけだから、単純に比較をすることはできない。ただ日本には、緊急事態宣言と言っておきながら、緊急事態に直面しても即座に対応していけるシステムが存在していないようだ。要は、準有事に対応できる心構えがないということだろう。どうだろうか?

学生の頃だったと思う、以前に話をした仲間たちとの飲み討論会での話。イスラエルの戦車の話になった。メルカバって言うんだけど、こいつがすごいって。敵にやられてもやられても、パーツを付け替えるだけで蘇ってくる不死鳥めいた戦車だって。現実には走行不能にもなるんだけど、乗員の生存第一で設計されてる。

日本に比べれば狭い国土少ない人口。国が戦い続けるためには無駄に人を死なせるわけにいかない。普通なら後ろにあるエンジンを前に置き、被弾時に装甲の一部として機能させる。他にも車内のあらゆるモノが、乗員と弾薬に対する防護として働くように配置されている。すべてが生存第一の思想に基づいている。

*メルカバについて 参考として

これは自分がよく考えていることだけど、日本経済新聞にも同じような内容のコラムがあった。

1867年に明治維新を迎えた日本は、1945年の敗戦に至るまで、多くの戦争を経験している。日清戦争日露戦争第一次世界大戦への参戦、そして日中戦争に始まる太平洋戦争。常に戦時体制の有事の中にあったことになるが、戦後から現在に至るまでの76年間、平和を維持している。アメリカ軍という傘のお蔭で。

その結果、日本は平和が続く平時を前提にした体制しかなく、緊急時の状況にはいっても頭の中を切り替えることができないでいる。イスラエルをはじめアメリカイギリスは、当初は多くの死者を出したが、その後の緊急時への切り替えが早くワクチン接種で先を走る。法的な強制力も持たない日本はもろさを露呈した。

*こんなマスクなら 限りなく完璧か

今日のニュースを聞いていると、65歳以上の方のワクチン接種さえ、7月までに終えられるかどうかという感じ。51歳の自分が受けられるのは秋以降だと考えている。

そうなると、ますます自己防衛を強化していく必要がある。去年の春の話だが、現場の大工さん達と話していたこと。本当に自分の身を守りたかったら、軍隊用の毒ガスマスクでもしないといけないかもねって。笑い話のようだけど、真面目に話していたのを覚えているよ。現実に、1年経っても収束しないんだからね。

コロナ対策における優先順位をもたない戦略、縦割り組織の弊害による遅々として進まないワクチン接種、明確な根拠をもたない何とかなるだろうという楽観的思考地震や台風への対応は早いが戦争などの有事への危機管理意識の欠如。今後の日本のためにも、根本から改善すべきことがたくさんあると思える。

現在のイスラエルの状況を見ていて、素人ながらも日本と言う国を考えてみたよ。