カテゴリー
人生経験 仕事 俺の考え 日常生活

人間としての尊厳、一方だけのものではない

言い訳がましいが、7月から始めた仕事が忙しくて文章をまとめる時間が取れず、すっかりブログの更新が出来ずにいた。自分はブロガーを職業として生活費を稼ぐ人間ではないから、書きたい時に書ければいいと思っているが、9月中旬から次のステップを踏むことにしたので、ひとつのまとめとして書いてみた。

*どこで見ても 夕陽に一日の終わりを感じる

前回にも話をした通り、今の仕事は、仕事自体は大切なことだと思っているし、自分なりに頑張っている。いや、自分なりにを超えてしまっているかな。毎日、大便を手にした相手と向かい合って語りかけたり便まみれの部屋を掃除したり、それは凄まじい毎日だよ。誰が見ても、ホームで生活する相手じゃないんだから。

つい先日、とうとう部屋の壁を足で蹴とばして破壊し、体を石膏ボードまみれにしながら笑っていた。ここまでくると、すでに常人ではない。自分たちは施設開所と同時に雇われた初心者ばかりで、視察に来た役所の人間もさすがに驚き、相談員たちは自分らの頑張りを、過去の例と比べても最高だと褒めていったほどだ。

*赤と白のモノは青い空によく映える

一番の問題は、障害者虐待防止法を盾にする人間がいるということだ。利用者が大便を手に迫って来ても、ウィンドブレーカーを着て盾にして相手を抑えるなと言う。虐待防止法があるからまずいと言うんだな、施設側は。もっとひどいのは彼を守る親たち。自分らにはプロ意識が足りず、努力が足りないと言うんだな。

さすがに呆れてしまうよ。彼らにも、虐待防止法にも両方に対してだ。子を思う一生懸命な親たちにもたくさん会ったし、そういう方々には親としての本当の愛を感じる。だが一方で、虐待防止法を都合よく盾にして、彼らの体裁だけを守ろうとする人間たちがいることも確かだ。この仕事を皆さんが自らやればわかる。

*人気のない街も夕焼け一つで世界が変わる

先日、何でもかんでも虐待だと叫ぶ親の話を受け、また役所の人間がやって来た。その時、利用者の壁への破壊がタイムリーで起こったから、彼らは即座に写真を撮った。その彼らだって実はわかっている、虐待などあり得ないんだと。以前に来た時に、彼らも大便をつけられまくっているからだ。親だけが我儘を言う。

先日、大きなガラスを割った利用者もいる。割り始めたらとことんまで割ろうとするから、抑えるこちらも大変だ。だが、親は拘束を認めていない。一旦病院に入ることにも承知しない。そのため本人が施設で静かに暮らすための薬が増え、彼の顔も変わっていく。親が自分の体裁を守ろうとして、悪循環が繰り返される。

*この季節の田んぼがある風景が好きだ

その利用者たちを目の前で見ていたある母親が言った。あの人たちはここにいる人たちではないでしょ、と。その方のお子さんも障がいがあるんだが、お子さんに障がいがあるとわかった時に旦那さんと二人で大学に行って学びなおし、両親がそろって支援員の仕事をなさっているということだった。立派だと思ったね。

自分自身にも言えることだけど、一般的に子は親よりも長く生きる。障がいがあっても、障がいの重さが命の長さに必ずしも比例するわけではない。だとすれば親は、辛いかもしれないが自分たちが死んだ後のことを考えた上で、子に何かを伝えていかなければならない。日常生活の基本だけでもできるなら可能にしたい。

*こういう雲のモクモク感が大好き

大便をもって迫る利用者を見ていると、親の甘さがあまりにも目につく。親たちも大便をつけられているのに叱らない。また来るからとなだめるだけ。それを30歳を過ぎている利用者に長いこと繰り返してきたのだから、本人が今変われるなら奇跡に近いと考える。常軌を逸した行動は、便つけだけではないからね。

先日、ある利用者が亡くなった。ご飯をゆっくりと時間をかけて噛み続ける穏やかな方だった。その一週間前に、お母様が他界されていた。彼は葬式に行き、それから毎日毎朝、窓を開けて空を見ていた。何かを探し、何かに誘われるように。そして突然亡くなってしまった。お母様が呼んだのかなって自分らは思った。

*どら焼きって 子供の頃から全く飽きない

自分は障がいをもたない。障がいのある自分の子供がいるわけでもない。そもそも結婚さえしていないけど。でも、障がいがあることが大変だというのは、この短期間を通してだって十分に理解できている。と言って、障害者虐待防止法なるものがすべて正しいとは思えない。時として、それは矛盾を生み出しもする。

大便をもって迫って来る相手に無防備でいろ、暴力を振って来る相手に無防備でいろ、なぜなら彼らは障害者だから。親や後見人の了解がなければ、手で制止することは拘束になり、彼らを傷つける行為になって許されない。ちょっとした行為が、虐待だと訴えられる。そのために、施設を守るために我慢しろ。

*でんでん虫 子供の頃からの遊び相手

では、自分の人間としての尊厳はどう保証してくれるのか。

どこの世界に、大便をつけられて喜ぶまともな人間がいるのか尋ねてみたい。汚いから不要だから体から排出されるはずのもの、それをつけられて喜ぶ人間がいるのなら、おつき合いはご勘弁願いたい。せめて大便を手にしないように教えてくるべきだった。それが親としての人間としての務めだったのではないだろうか。