カテゴリー
介護の仕事 俺の考え 日常生活

介護の仕事は低賃金か?

一口に言ってしまえば、けっして高くはない賃金ということになるかな。この業界に長くいるわけではないが、夜勤をやらなければ生活が成り立たない、そういう人達も少なくはない。夜勤に就けば深夜手当も付くしね。働くなら夜の方がいいっていう人もいるけれど、まあ仕事内容からすれば他の業種と比べても低いね。

※日本経済新聞のとある日の記事から

僕なんかは介護に関わる資格以外で勉強したいことがあるから、時間を多く取るためには夜勤の方が好都合だ。元来、昼型の人間だから夜はね~とも思っていたが、時間を上手に使うには夜勤の方が都合がいい。翌日に仕事が明けても、自宅の椅子でうたた寝する程度、夜に眠くなるまで何かをやり続けるという考え方だ。

仮に明け番が9時だとして、翌日が休みで明後日の16時過ぎに職場に向かうとする。通勤は徒歩で往復にして40分ほど、9時半には帰宅している。そこから翌日の9時半まで24時間、さらに出勤する当日の9時半まで24時間、職場に出発する16時まで6時間半、合計にして54時間半、これは誠にありがたいこと。

※通勤で通る公園の椿たち

だけど本来、人間っていうのは昼型の生き物だ。朝の陽ざしを受ければ体が目を覚ます。体内の時間を調整して、また夜の睡眠へと向かうべく一日の活動を行う。夜勤に携わる者に、年2回の健康診断が義務付けられている事には、やはり理由があるはず。仮眠などあって無いようなもの、不規則な生活に変わりはない。

まあ、命にも関わる人間相手の仕事には夜勤はつきもの、夜勤を含めての介護の仕事だ。夜勤に付く数千円の手当が必要で、限りなく時間を必要とする人には、夜勤専従の方がいい。体調管理はどんな仕事をするにしても、自己責任が問われるわけで、夜勤し過ぎて体を壊したと言うなら、それは時としては言い訳になる。

※焼きそばの上にベーコンと卵

だが仮にだ、日勤の賃金だけで生活が成り立ち、介護職においても時代に合った働き方が出来るとするなら、僕は昼間だけ働いているかも知れない。しかも時給が高いのであれば、月間労働日数も調整して生活のリズムを作り、勉強の時間を作っているかも知れない。それぐらい、介護職の昼の仕事の時給は低いと考える。

施設の形態や仕事内容の点から、同じ介護の仕事でも賃金に上下があることには理解も出来るが、他業種も含めた同年齢の賃金を単純に比較した場合、平均的に見て低い。遊びたい盛りの若い人達が家賃を払って生活しようものなら、思う存分に遊べるほどには満たされないだろうね。重労働には比例しない賃金と考える。

※通勤途中に見たスカイライナー

まあ、やりたくなければ辞めればいいだけのことだ。若い人にはもっと賃金条件のいい仕事が溢れているし、仕事とは言え、他人の排泄の処理を仕事にする必要もない。日本人お得意のカタカナ書きをすれば排泄ケア?馬鹿馬鹿しい。要は他人の尿と便の処理なんだよ。体が必要としない排泄物の処理をやっているんだよ。

オムツ交換をしている最中に、尿や便が流れ出すこともある。当然だよね、僕だって便器に座っていれば、暫く便が止まらないことがある。排泄に歳は関係ない。でも、自分で後処理が可能だから問題など無いんだけど、それが出来なくなる時も来るんだよ。仕事とは言え、それを淡々とこなす若い人達、立派だと思うよ。

※購入したてのホットサンドメーカーで

僕が今20代だったとしたら、まず介護の仕事には就いていなかっただろうね。介護そのものに目を向けなかったはずだ。親も若いはずだし、現実的に見て介護の世界に目を向ける必要がないだろう。だから望んで介護の仕事に精を出す若い人達を見ると、偉いなと思う。それ故に、賃金はもっと高くあるべきなんだよね。

賃金を上げるために資格を取る必要があるなら、国や自治体はやる気のある人達の背中を、もっと積極的に押すべきだ。少子化対策も大切だけど、子供を増やす政策よりも、少ない人口でも対処できる社会を築くための議論をした方がいい。平均寿命が延びれば子が先に逝くことも普通になる。その時どうすればいいんだ?

※休みの夜は夜の歩きを楽しむ

高齢者が増えているから施設が増えている?とんでもない話ですよ。今こうしている間にも、働き手不足で閉鎖している施設も結構あるんだよね。昨年も近くの施設が閉鎖された。実は僕が昨年いた施設も、5年ほど前は別の会社の経営だった。施設を造った会社共々倒産している。理由は様々だが、これが現実なんだ。

若い働き手も少なくはないと言うけど、平均的に見れば40代50代の中年以上が多い。中年以上が多いと、人間関係にしがらみも多くなるしね、親にも叩かれたことがない若い人達には、親しみにくい職場も多いと思う。一方で若い人には掃除もろくに出来ない輩もいるが、いてくれるだけでと注意一つされない甘い状況。

※ローソンのカツサンドが好きだ

長生きをすれば、いずれは皆が同じ道をたどる。90歳を過ぎても、まともに自立している人は稀だ。多くの人達が、どこかで人の手を借りて生きているのが普通。それは、決して恥ずかしいことじゃない。むしろ、そこまで生きて来られたことを誇りにした方がいい。僕なんか、自分で思うよりも早く死ぬかも知れない。

だけど、認知症になったりした時、家族の支えだけでは必ず限界が来る。昨今の悲劇的な事件を見れば、それは顕著なことだ。そういう時に施設が必要になる。賃金が低くて働き手が集まらなければ、せっかく入居された利用者にも不幸が待ち受けているかも知れない。物価が上がる一方の日本、賃金が横滑りでは問題だ。

※闇夜の中にも ひと筋の光を見出したい

介護の崩壊が叫ばれてから久しい。分かっていたことなのに、政策は先延ばしの繰り返しで今に至る。実務者研修で喀痰吸引について勉強していると、講習費用が高くなる理由も分かるが、講習費用が全額個人持ちでは負担が大き過ぎる。人間相手にやるべき事は多く、そして奥が深い。より良い待遇が介護の将来を救う。

カテゴリー
人生経験 俺の考え 日常生活

勉強は楽しく続けたい

勉強をすることが楽しい、こんな気持ちをもてるなんて、高校生の頃の僕には考えられなかったことだ。佐倉市にある歴史ある県立高校に入ったまでは良かったけれど、1年の初っ端から数学で見事に赤点を取った。いきなり職員室に呼ばれた、他の同じ赤点仲間と一緒に。呼ばれた意味さえ理解していなかったかもね。

※昔はこういう発想はなかったかな

数学について言えば、中学生の頃までは問題を繰り返して覚えれば何とかなった。だから、それなりの偏差値を取ることが出来たのだと思う。高校受験も3戦3勝と平穏に終えた。でも、高校の数学は違っていた。深く考えなければ解けなかった。結果的に僕は、2年を終えると同時に数学から逃げるべく数学を捨てた。

30年以上を経て、久しぶりに数式とご対面した。お話ししてきた通り、第二級アマチュア無線技士の資格を取得するためだ。log やら 平方根 やら懐かしい文字と、久しぶりにご対面した。浪人しても文系の大学だけに受験を絞っていたので、数学は必要としなかったが、二アマは数式が必須、逃げる場所はなかった。

※この1年半で介護関係の書籍を多く購入

9月から11月末までの3ヶ月の短期決戦、2ヶ月の間は毎日どこかで数式と向かい合っていた。ノートに書き出して練習することが大切だが、トイレの中であっても口に出しながら頭に入れたりしていた。高い試験費用を払ったこともあり、落とすわけにはいかなかった。ブツブツと口に出しながらの毎日だった。

だが不思議なことに、苦にはならなかった。4月・6月・8月・9月と資格取得を続けてきた年内最後の大一番、やるしかないと言う気持ちと、4戦をクリアして来た勢いがあった。三アマに比べればグンとレベルが上がるわけで、解けない覚えられないと悔しさを剥き出しにしてはいたが、勉強することを楽しめていた。

※職場までの途上にある公園で

そうなんだ、楽しめるということがきっと、一番大切なことなんだと思う。高校の頃の勉強は楽しめなかった。受験のためだけの勉強に思えた。数学をやる意味を見いだせなかった。何のために数式を解くのか分からず仕舞い。大学に入るためと割り切れれば良かったけど、大学受験も漠然と考えているだけだったからね。

それでも、たった一つ楽しめたのが世界史だった。そもそも歴史を好きになったのは小学5年の時。塾で勉強を始めて楽しいと思えた。中学生の時には世界史も少しかじり、高校に入って教科書を覚えるぐらいに読み込んだ。そのせいか、今の世界情勢にも過去の歴史を繋げて向かい合える。世界史は今でもおもしろい。

※税込み50円の偶然に喜びが溢れる

そんな世界史も学校の授業では、近代を過ぎたぐらいで授業は終わった。教科書を中途半端で終えるわけだ。だから浪人してから初めて、本格的に近現代史まで勉強した。世界史地図も横において楽しんだ。浪人しても文系3教科の内、英語も国語も駄目だったから、世界史パワーだけで合格に引っかかったようなものだ。

それが今になって、資格試験のためとは言え楽しめるんだ。解けないことが悔しいんだよね。今解けるなら、もっと頭が柔らかかったはずのあの頃に、素直に向かい合うことさえ出来ていれば。後悔先に立たずってことなんだろうけど、あの頃は後悔するなんて考えるわけがない。出来ないものは、ただ捨てるだけだった。

※帰宅時の空をスマホで楽しむ

そんなわけで、今の僕は勉強を楽しんでいる。世に言う学び直しということじゃない。ただ単に、今やりたいから勉強し、そして楽しんでいるということなんだ。こういう時は勢いがつく。次から次へと目標をもって進めていると、ひとつ終わるたびに次が欲しくなる。次が無いと不安になってしまうんだ。

まあ実際のところ、勉強は机上だけのものじゃない。仕事をしていれば何かを学ぶ。新聞や書物を読めば何かを学ぶ。人と会えば何かを学ぶ。生きている限り、毎日が勉強の中にある。僕が決めた勉強は人生のほんの一部に過ぎない。貪欲な気持ちをもち、学びへの素直な気持ちさえあれば、すべてが勉強の場に成り得る。

※かつて不思議な面白さを感じた漫画

こうなってくると、長生きしたくなる。なぜかって?勉強したいことが次から次へと出てくるからかな。上を見ればキリがないけれど、上があるから勉強したくなる。凡人であると自覚しているから、猶のこと勉強が必要になる。そうなると、勉強の世界は無限に広がり終わりが見えなくなる。これは幸せなことだと思う。

でも当然ながら、得た資格や知識や知恵などは使ってなんぼのことでもある。宝の持ちぐされでは勿体ない。使い方も又、次なる勉強になるのだろう。ますます終わりが見えなくなる。願わくは脳内の細胞に健康でいて欲しいと思う。僕が望む限り元気でいて欲しい。そして好奇心をもって貪欲に、楽しく勉強を続けたい。

カテゴリー
人生経験 介護の仕事 俺の考え

高齢者施設での仕事開始

1月12日から予定通り、高齢者施設での仕事が始まった。まあ、仕事とは言っても研修が始まったにすぎないが。僕は夜勤専従者として雇用されたわけで、今月は9回の日勤と2回の夜勤で研修を行い、問題が無ければ2月から独り夜勤の仕事が始まる。そんなわけで、この3日間はノートにメモ書きする毎日だった。

※ 足元に霜を感じながら歩いて行く

今度の施設は某会社が運営する、高齢者向け施設のひとつ。佐倉市内の自宅(ここは賃貸が始まって4年目)からの距離は片道およそ2.0㎞ぐらい、徒歩で片道20分ぐらいだろう。往復したところで丁度いいぐらいの距離になる。京成電鉄が見える田圃の間を抜け、大きな公園を横切って到着。今は霜もいい具合に降りる。

この施設では、1階と2階に各9名ずつの利用者さんが共同で生活されている。僕は1階の担当として働くことになった。現状では1階の方々はかなり自立されており、会話を重視する時間の方が多いだろう。90代の男性2人が将棋を指しておられるのを、見守るのも仕事。耳が遠くて相手の王手を伝えるために、だ。

※ この公園を歩き始めたのはつい最近

だが3日目にして、施設内の面白い状況が分かった。この施設内では、各階のスタッフ同士の交流がほとんど無いらしい。ある職員曰く、上と下でまるで別会社みたいとか。昨年働いた施設では仲間意識に重きをおく風潮もあって、それと真逆に近い。仲間意識が強すぎると、愚痴の温床に成り易いことは否定できないが。

このたび、30歳の職員が2階に配置転換になるらしいが、10年もの間を1階で勤めたらしい。幹部以外は交流が少ないことを思えば、未知の世界へと仕事に行くわけだ。この話には心の中で苦笑した。10年もあれば人間の可能性は、かなりのモノになる。考え方はそれぞれだが、若ければ若いほど可能性は無限なのに。

※ 子供が楽しむには十分な遊具

良い面もある。職員を固定化することで、利用者さんとのふれあいは厚いものになるだろうし、互いの信用を築くにはいいかも知れない。そこに上手い具合に、業務の改善改革を加えて行けるなら別会社的でも悪くはないが、得てして上手く行かないことも多い。1階の状況は、とりあえず今は好印象で映ってはいる。

話を戻そう。そんなわけで、自立した方が多いこの施設の1階では、見守りの時間もかなり長い。見守りが必要だってことは、結局のところ、何か不測の事態が起こり得るということ。80代や90代の方ばかりなら、転倒だって突発的に起こる。それを予防するのが仕事だが、自立度が高くなるほど予防の穴は比例する。

※ これは山茶花なのかな?

当たり前じゃないかと言われるだろうが、ここに当たり前のように認知症という病気が加わるわけ。自立していても、口にされていることや行動されていることを、本人が意識できずにおられることも多い。必ずしも、自立=本人ではない。そこはいい意味で、口八丁も大事な見守りの為の手段になる。語彙は豊かにだ。

今の90代の方々は、昭和の戦前生まれということになる。太平洋戦争の戦火をくぐり抜け、今日に至っている。他人であれ、人生の先輩方として大切にすべき存在だろう。そんな方達が何かの縁で一つ所に集まり、性格が合う合わないの中で毎日を過ごされている。手助けすべきことって、本当は何なんだろうか?

※ 少なめの街頭に緑も映える

まあ、施設で暮らすと言っても、個々の人間である以上はそれぞれの生活習慣もあるわけで、過剰すぎる関わり方はご法度だ。誰だって触れて欲しくないスペースがあって、感情のぶつかり合いが起きるようなことは避けたいもの。近すぎず遠すぎずを守りながら観察力も生かし、まずは今月を計画通りに過ごしてみよう。

カテゴリー
人生経験 介護の仕事 俺の考え

心機一転、ブログを再開します

皆さん、こんにちは。お久しぶりです。
長いこと、大変にご無沙汰しました。
次を書こう書こうと思っている内に、思っているだけで時間だけが流れてしまい、あれよあれよという間に2023年を迎えています。およそ1年半のブランクからの Come Back です。

※2021年はハンバーガーに挑戦していた

この期間に僕は、①障がい施設から②高齢者施設へと職場を渡り歩きました。①は半年の契約を半年で打ち切り更新せず、②は自分の中での1年の予定を、職場の諸事情も含めて11月末日をもって打ち切りました。12月初めから今日まで、いい機会だと思い生活費そっちのけで施設を訪問して面接を受ける日々でした。

ネットで見ただけでの現場の数は数えきれず、応募しただけなら数十か所、訪問施設は10幾つか、その中で不合格と面接中の辞退はおよそ半分、昨年中の内定辞退は2つ、そして現在は内定2つに結果待ちが1つの状況です。兎に角、53という歳を考えれば最後の機会であるかなとも考え、一点集中してきたわけです。

※昨年の元旦明けは雪で始まった

過去2つの施設について正直に話せば、いささか幻滅が先行した気がします。利用者様を金儲けの手段としか考えない経営のあり方、生活の場のはずの施設内の行き届いていない管理、主体が利用者のはずが経営側とスタッフ間の意思のぶつかり合いに始まるサービスする側の醜い争いなど、見るに堪えないものでした。

確かに、介護業界は慢性的な人手不足です。理想ばかり言っていては綺麗ごとにしか聞こえないのが現状、働き手はより良い待遇を求めて左へ右へと動いています。それは、僕も同じかも知れない。僕自身について言えば、人間関係での悩みはありませんけれど、より多く学ぼうとすればするほど物足りなさを感じました。

※京成電車を見ていると不思議と和む

高齢者向施設では、小規模多機能の棟で夜勤専従を務めていました。一昨年の契約時のお話では、昨年中に利用者様はMAXまで増えるとのことでしたが、11月上旬に利用者様は0になり閉鎖、今年からは業務形態も変わるとのこと。契約時の話はよく分からない内にすべて白紙に、公言していた通りの円満退職です。

小規模多機能とは言え同じ施設内、夜間中には特養ホームのケアの手伝いに入り、朝の退勤前には入浴介助を行いました。ごく一般的なケアのあり方です。中でも一番勉強になったのは、認知症の利用者様としっかりと向き合って話が出来た時ですね。自分としてもかなり勉強しましたけど、観察力を更に磨き上げました。

※カラスの賢さには魅力を感じる

初めて接した時は驚きました、未知の経験でしたから。だから勉強しました、指南書を読み漁ったりネットで調べたりして。勉強するには便利な時代です。そもそも認知症は過去ならボケとして扱われ、今に始まったことじゃない。専門家の研究や介護者の経験談を知識として積み重ねると、現場の知恵として役立ちます。

実はもう一つ並行してやってきたことがありました。障がい者施設にいた青年が一昨年末に退所し、昨年はその彼の外出時のお手伝いをさせて頂きました。月に2~3回程でしたが、1回につき平均7時間前後で、保護者の方の補助でした。その彼は重度の自閉症で、好奇心の塊です。詳しくは別の機会にお話しします。

※ネコの後ろ姿に哀愁を感じる

こんな感じで、僕の1年半は過ぎて行きました。介護の現場に関わった年数はまだ短いですが、持ち前の探求心や好奇心に観察力を駆使して、かなりの知識や知恵を吸収することが出来ました。そして思った、介護の現実は大変だなと。国が未来を見据えた明確な政策を出せない限り、現場はいずれ崩壊するだろうなと。

また現場側にも課題があると思いました。人手不足と分かっていても人間の手に拘り過ぎる、あるいは資金不足で拘らざるを得ない状況に甘んじている。介護は人の手でという考えは分かりますけど、高齢の働き手も多く力仕事はいつまでも出来ません。若い働き手が少なければ、引退者が先行する日が目に見えています。

※花のひとり咲きに魅かれる

結局のところ、綺麗ごとだけでは働けないんですよね。何度も話しますけど、労働の対価はお金だけですから。いい仕事が出来たと満足を繰り返しても、生活が追いつかなければストレスだけが溜まっていく。当然、それ相応の報酬が必要だ。特に若い人は遊びたいこともたくさんある。仕事が趣味なら別ですけどね。

今回訪問して来た中で、利用者様にとっても働き手にとっても、理想的な条件がすべて揃っている施設はまずありません。利用者様は入居しなけば分からないし、働き手も働いてみなければ分からない。ある種の賭けですよね。人間関係も触れなければ分からない。良い点もあれば悪い点もあり、ある意味では運も必要だ。

※ここで見るスカイライナーがいい

その中で、上手く対処していけるのが社会人の働き方なんでしょうか。その点で僕は、まだ理想が先行しているのかも知れない。ですが、言われた通りのことだけやってくれればいいという考えでは満足できないし、何よりも悪い点が分かっていても改善できなければ、一番不幸になるのは利用者様の皆さんだと思います。

このひと月を通して僕は、介護の仕事を続けた場合、限りなく自分に合った働き方を探ってみました。結果的に、施設の規模や利用者様の数はしっかりと向き合える範囲内であること、常に問題意識をもって取り組み且つ改善改革に積極的であること、そして通勤に要する時間が短いこと等を条件に据えました。

※佐倉城址公園内のいい感じの道

今、内定を頂いている2つの施設は限りなく条件に近いです。結果待ちの施設は最近始まったばかりのグループホームで、一から始められるという点で仕事として面白いかも知れません。結局たどり着いたのは、小規模少人数型の場所でした。自分を客観的に見つめ直すという点で、この機会は有効だったと思っています。

有効だったのですが、生活はいつまでも悠長な時間を許してはくれません。仕事を再開一歩前の最後の週末を有効に活用し、最終的に今後を決めていければと思います。こんなことを話していること自体が贅沢で、ガツガツしていた20代30代に比べると、今の僕自身のあり方に驚きさえ感じます。時は人を変えますね。

※資格の取得に明け暮れた一年だった

そんなわけで心機一転、本日からブログを再開します。毎日は書きませんが、週に1回あるいは不定期で、程よいペースで書いていければと考えています。あいかわらずの地味で真面目なだけの内容ですが、少しでも感じて頂ける点があれば幸いです。皆さんのご来訪をお待ちしています。宜しくお願い致します。