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本音を語れる相手

今日は、人生の先輩と語り合って来た。いや、いつものことではあるが、僕の方が3分の2ぐらい口を開けていたか、あるいはそれ以上だったかも知れない。兎に角、話を聴いて下さる方がいるということは、ありがたいことである。特に、僕のように自己主張が強く、色々と考える事が多い人間には必要不可欠な存在だ。

※雨が降る前の10時頃の手賀沼

この1ヶ月間だけをふり返れば、今日お会いした方を含めて4人の方と語り合った。話を聴いて頂き、話を聴かせて頂いた。非常に内容が豊かで濃い、人とのふれ合いができた1ヶ月だった。それぐらいのことなら日常的だとおっしゃる方もおられるかも知れないが、僕の道に影響を与えたかどうかが一番大切なんだよね。

初めの方は、少し歳が上の大工さんである。Twitter上で知り合ってから、3年半は経っていると思う。僕が住む佐倉市に近い場所が地元の方だが、仕事の範囲は東京まで及ぶ。昨年末頃から3ヶ月近く東京まで往復し、お客に吠えられながら腕を振るっておられる。仕事中心の方かと思ったりもするが、とんでもない。

※牛角の食べ放題で肉を胃に送り続ける

レッドツェッペリンで音楽ライフを始めたらしいが、今はベビメタやけものフレンズを追っかけておいでだ。ベビメタのTシャツを着て、メンバーの一人が脱退した時には気が抜けたどこではなかったらしい。最近、順番待ちした挙句にスーパーカブを購入され、仕事以外の時間は県内を東へ西へ出没しまくっておいでだ。

だが、仕事は仕事で泥くさく汗くさい昔ながらの世界に、もてる技術を惜しまず投入されておられる。丁稚奉公的な名残があった修業時代を過ごしておいでだから、本来、大工を職業とする方達がもっていた技術を身につけておられる。実家のリフォームが必要な時にはお願いして、横浜まで走って頂ければと思う次第だ。

※スーパーカブを楽しむ棟梁殿

二人目の方は、いつも僕の髪を刈って下さる床屋の大マスター。50歳を越えて頭が薄くなったわけではないが、髪自体が細くなる為、同じペースで伸びても以前ほどに伸びた感じがしなくなる。だから最近は、以前より刈る回数も減り、1ヶ月半に一度くらいになっているが、それでも23年近くは刈って頂いている。

この大マスターとの話が又、すこぶる楽しい。いや、この場合でも、僕の方がたまった話をしまくり、聴いて頂いていると言った方が正しい。髪を刈り洗髪無しで2,000円、払うのは当然のことお客である僕だ。だけど、僕の中では話を聴いて頂いたからお支払いするという感覚。何せ、80歳を越えておられる方だから。

※街中の上空にある雲には別の味が

10年以上前だったろうか、ある日突然入院して手術を受けられた。ご子息の小マスターの話によると、脳の血管だったか詰まりものが見つかって即入院になったとか。でも、3週間以内には復帰されて今に至っておられる。鋏を動かすことがライフワークで人生のリズムをとってるわけだ。そのご姿勢は、尊敬に値する。

でも80歳を越えれば、立ちっぱなしの仕事は決して楽ではないと思う。そこへ話好きの僕が話すのを笑いながらお聴き下さり、僕の希望通りの仕上げもして頂いている。ある意味で僕は、得をしているのかも知れない。本当なら代金と別のお礼を支払うべきなのか。店を出る時の僕は、頭と心の両方がスッキリしている。

※旨い焼き鳥を食べると話も弾む

3人目は、つい先週会ったばかりの運輸業時代の友人。よくよく考えてみると、同じ市内に住みながらも、6年半近く会っていなかったようだ。運輸業をしていた頃は、お世話になっていた運送屋さんの助手も請け負っていて、彼の横乗りもしていた。一匹狼的な人間でも、横乗りする時の楽しみは語り合えることだろう。

特に年齢が近く、自分なりの信念をもって仕事をしている人との話は弾むものだ。それは、どんな職業に就いていても同じことだと思うが、運送職人を念頭においていた当時の僕としては、我が強くともポリシーをもって運送する彼の横乗りは楽しかった。二人とも今より若かったから、車内でのイライラも多かったけど。

※餃子の羽根のパリパリを楽しむ

そんな彼と飲食を共にした僕にとっては、2年半ぶりのお酒の席になった。久しぶりの再会もあったからか、久しぶりのお酒も旨さを増して僕の体内に収まっていった。お酒ありきの生活から、お酒はたまに飲むから余計に旨く感じられる、それを実感した席だった。当然、良き相手と語り合うからお酒も旨くなるのだが。

そして4人目が、今日お会いした方。御年70歳を越えていらっしゃるが、まだまだ現役バリバリの農家のご婦人。Twitterを通してお知り合いになり、3年近く経った思う。2年と2ヶ月ぶりにお会いしたが、若返っておられる気が。約束の時間よりずっと早い時間から、手賀沼の風景をカメラに収めまくっておられた。

※ブロンコビリーのステーキに舌鼓

雨が降る前の手賀沼そばの公園で、介護を中心に熱い語りをさせて頂いた。ご家族の介護も経験されておられるから、お互いに共感できる点も多い。僕自身からすれば、今やっていることが、介護において決して特別なことではないのだと実感できる。誰もが順番に経験することで、我が身に置き換え考えるべきことだと。

熱い語りは、ご馳走して頂いた厚いステーキを前にして、更にいっそう熱い内容になった。気温が暑い上に語りも熱く、ランチも厚いというアツイものずくしの6時間。お口直しにコメダでブラックコーヒーを頂き、もう一つ厚いサンドもお土産に持たせて下さった。こうなると、僕の未来を更に熱くする必要が出てきた。

※お土産にお菓子とコメダのサンドを

といった具合で、この4人の方々との熱い語りは、少なからずも僕の道に何かしらの修正を与えた。結局のところ、僕は語れる相手に語りまくって己の内を吐き出し、そこで相手の方々から感じられる何かによって、常に修正を掛け続けたいわけだ。同じ状況に甘んじられないってことかな。それを確かめたいんだろうな。

その為には、自分自身の意見をハッキリと言える方が必要だ。聴く耳をもち、同時に意見を出し惜しみしない。集団の中では本音が出ないことも多い。1対1で2時間3時間あるいはそれ以上語り合えて、核心をついた話が出来る。相手の数は多くなくてもいい。大切なのは、互いの本音を引き出せる相手だと思っている。

※雨の中でも桜は映える🌸
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二連休でも時間が足りない

夜勤専従者としての二連勤を終えた後、久しぶりに二連休になった。ちょうど土曜と日曜にあたり、世に言う週末の二連休ということになる。この仕事をしていると、日曜祭日とは無関係になってしまう。自分の希望休以外は、他のスタッフとのバランスを保ちながら、担当者がシフトを組む。365日が出勤対象日になる。

※実話を基にした差別を問う素敵な映画

だが、週末に二連休になったとは言え、僕の生活が変わるわけでもない。7時頃に起床して雨戸を明け、まずは外気を感じて太陽を探す。太陽の光は、体内の時計を修正する意味でも非常に大切だ。雨戸を開けた瞬間に光が見えるのは、何とも気持ちいいもので、その日一日の幸先の良さを感じもする。太陽の存在は重要。

でも、よくよく考えてみると、僕の生活も随分と穏やかなものに変わって来ている。運輸業や建設業の時代は、3時や4時に起床するのが常だった。暗い内から仕事に出発する自分に自己満足さえ覚え、車で移動中に昇る太陽を見られることが嬉しかった。その頃と比べてみると、今の生活が何とも穏やかなものに思える。

※多めに余ったので夜の賄い食として

そんな穏やかになった日常の中の貴重な二連休、出掛けるかと言えばそうでもない。これも、20代の頃などに比べると随分と変わってしまった僕の現実。大垣で暮らした頃には、14時頃から往復400㎞ぐらいのドライブにも勇んで出掛けた。20時には戻っていたから、ただひたすら走っていた。高速も快感だったね。

今の車は古くなり老いてしまったから、決してこれだけが理由ではないが、すっかりドライブとはご無沙汰。いや、本当は『男はつらいよ』的なドライブをしたいのだけれど、兎に角やりたいことが多過ぎて、時間も費用も捻出できない。休業も尾を引いてはいるが、籠ってやりたいことも多く、全く時間が足りていない。

※施設から見えた朝焼けが良かった

先回にも話をした通り、夜勤専従で仕事をしていると、休みとしての時間は多くあるが、決して思い通りに体は動かない。夜勤はほぼ徹夜に等しいから、明けた日の昼頃には眠気に襲われるし、少し居眠りしたぐらいで眠気はなくならない。だから丸々一日が休みになって初めて、勉強などにも身が入っていくような感じ。

まあ、帰宅してから一旦寝ればいいのだけど、そうなると夜型の体に変わってしまう。それは極力避けたい。人の生活はあくまでも昼が中心で、25時間の体内時計も、太陽の光で24時間に調整する。だから居眠り程度に済ませて、可能な限り起きて出来ることをやっていく。その最たるものが、僕にとっては歌うことだ。

※久しぶりにキジと遭遇した

歌っていると時間も忘れるし、溜まっているはずの疲れさえも忘れられる。近頃はアプリを使って何度も同じ曲を練習する。その日の最高の満足を得られるように歌を録音する為、あっという間に2時間は流れる。気がつけば窓から見える空は夕陽に燃え、満足と反比例して疲れは倍増する。夜の熟睡にはベストな状況に。

熟睡はいいが、やりたいことは持ち越される。夜勤中に読めなかった日経を遡って読み、見たい映画やアニメも鑑賞。本も読みたい、掃除もしたい。必要としている勉強もしたい。これらを一日で収めるためには、休みの日にもカリキュラムが必要になる。生活空間は、あたかも学校のようになり、引き籠りも当然になる。

※トム・ハンクスはやっぱり名優だ

こうなると足腰が弱くなる。だから車通勤をせず、風景を楽しみながら歩いて仕事場まで往復する。往復4㎞ぐらいだから大したことはないので、休みの時は自宅でスクワットもする。17歳の頃から欠かしたことがない腕立て伏せを、カリキュラムの合間に繰り返す。結果的に、1月中旬から体重を4㎏は落としている。

こうして僕の休日は、隙間のない一日へと変わっていく。でも二連休なら時間に余裕があるのでは?ところがそうはいかない。映画鑑賞なら、見る本数を増やしたい。日経なら、じっくりと読みたい。勉強なら前倒しでやりたい。それぞれが更なる充実感を求めてくる。二連休などあっという間、全く時間が足りていない。

※昆虫ヅラしたこの電車が好きだ

凡人の僕がこんな状態なんだから、世のやり手の経営者達はさぞ忙しいことだろう。朝令暮改は当たり前、やってもやっても満足のいく仕事をする為にも、時間が足りないことを嘆いているのかも知れない。いや逆に、仕事が出来る人達は時間を有効に使えているはずだから、凡人の悩みを理解することが出来ないのかも。

と言うわけで凡人の僕は、新型コロナウィルスが猛威を振るったから引き籠っていたわけでもなく、やることが多くて引き籠る時間が当たり前になっている。ただ引き籠りが日常化していることで、この3年間は楽だった。変わったことは、常にマスクを付けていることだけ。後は淡々と、僕の日常をクリアしてきたのだ。

※ポイントをピザに変換する

貴重な二連休は瞬く間に終わった。映画を何本か鑑賞したし、勉強も良いペースで進められた。歌の練習も出来たし、本を読むことも出来た。だけどカリキュラムは未達状態に終わった。アマチュア無線の勉強が遅れている。英語の勉強も遅れている。やはり時間は足りていない。明日には明日の勉強があるし、さてさて。