愛車は、1代目の三菱パジェロミニ。自分は、ツーオーナー目だが、2002年の4月から乗っていて、ほぼ19年目に入っている。生産は1998年だから、車体年齢は23年目に突入している。幾度となく車検をくぐり抜け、部品を交換しながらも大きな故障をすることもなく、今なお現役で走ってくれている。
実際のところ、消耗した部品交換以外はほとんど修理をしたことがない。トラックに乗っていた時と同様、車への労りは人間へのそれと全く同じ。ちょっとした異音が聞こえれば、すぐに点検にはいる。自分は修理屋さんではないから、わからないことについては、20年来のつき合いがある車屋の専務さんに任せている。
トラックに乗っていた時は、近所の駐車場までの移動手段に過ぎなかったから、1日につき往復2㌔ぐらいしか走行しない日が約5年間続いた。建設現場の仕事をするようになって、走行距離は飛躍的に伸び、4年弱で7万㌔走った。荷台にはラックを組んで、様々な工具を収納してあった。バックミラーは使えなかった。
初代パジェロは高校の頃デビューして、親友の亡きお父上が好きで乗っていた。その頃は免許もないから特に車に興味もなく、大きいってイメージだけだったかな。
会社に入社して大垣で暮らし始めた頃だった。パリダカのレースで2代目パジェロが優勝しまくっていた。篠塚健次郎を中心にした常勝チームは、最強に思えた。土地柄もあったのか、大垣の寮の駐車場は四駆だらけだった。パジェロを筆頭にランクルやハイラックスが並んでいた。パリダカの影響でパジェロが多かった。
だが今でこそ、長きにわたるパジェロファンでありながら、他にお金を使うことも多かった自分は、3ドアハッチバックで四駆の三菱ミラージュで我慢していた。でも、気に入っていたけどね。真っ赤なボディにADVANの真っ赤なホイール、ハンドルはモモステアリング、自分としては最高のチョイスだったかな。
それにしてもだ、パジェロの人気はすごかったね。パリダカに出場する車体はは3ドアだったけど、市販車は5ドアも生産され、女性にもパジェロをのコンセプトでパジェロミニが生まれた。スズキのジムニーの対抗馬としてのイメージもあったけれど、とにかくレースで強すぎて、エボリューションなる車も生まれた。
このエボリューションには憧れた。三菱ジープと同じくらい憧れた車だった。ハイオク仕様でリッター5㌔も走らないはずだったから、まさに燃費最悪の市販車。それでもだ、このフロントマスクが最高だった。現在の車にはまず見られない個性があふれていて、欲しい!買いたい!を思わせてくれる代表格の車だった。
実は大垣から佐倉に赴任した頃は、日産のテラノという車に乗っていた。トヨタのハイラックスの対抗馬みたいな感じだったけれど、ダットサントラックの流れを組んでいたので、男らしさ丸出しのような車だった。内装はすべて木目調だった。でも、佐倉では四駆が宝の持ち腐れになり、維持費に泣いて手放したんだ。
このよく売れたパジェロも、21世紀に入ってからオンロード的なイメージが強くなり、売れ行きが悪くなった。とうとう最近、日本での販売を終えることになったらしい。栄光の日々は、すでに遠い昔のことになった。トヨタはランクルを売り続けるが、三菱の四駆は時代に乗れず、パジェロミニも生産が終わっている。
こうなると、新車で買える三菱のパジェロは、すでにミニカーだけなのかもしれない。トミカのミニカーの出来がまたいい。栄光の日々を思い出させてくれるんだ。
現在の日本車から個性が失われて久しい。せめて、愛車のパジェロミニぐらいは大切に乗って、その命を全うさせてあげたいと思っている。車が個性をもっていた時代が、本当に懐かしい。